in 気仙沼

会社はお休みを頂いて、父の三回忌の法要のために気仙沼に帰った。
金曜日の午前というのに、東京駅や新幹線は混んでいる。そっか、学生さんは春休みかー。
大船渡線から見る景色は、なんとも、のどかでイイですのー。平成の大合併で、ここに見える景色ゼーンブが一関市になった。
早い時間に到着したし、荷物も少ないので、気仙沼駅から実家まで歩いてみると、25分弱で着いた。そんなもんかー。いつもタクシーに乗るから、距離感がわからなかった。

亡き祖母の誕生日

今日から3月。早い。3/1は亡くなった祖母(同居していた祖母)の誕生日。
毎年、叔父、叔母が祖母の誕生祝いに集まったっけ。なにやら3/1は、朝から華やかな気分になる日。

祖母は華やかな顔立ちに加えて、美容院にマメに通い、和服をピシっと着た。朝起きると、人様に顔を見せる前に化粧をする。これが女の身だしなみとし、パジャマのままでウロウロする私を厳しくしかった。「そんなことではお嫁にいけませんよ」やっぱりお嫁にいけてません(苦笑)

ともちゃん・剣道で優勝

甥っ子、次男のともちゃんは南小・剣道の小学校低学年の部で優勝した。おめでとー。

ルパン三世の「石川五ェ門」にあこがれて、幼稚園から剣道を始めるも、同級生に強い女の子がいて優勝は険しい道のり。今回はお見事。熱心に素振りをした甲斐ががあったね。

優勝杯を持つともちゃん

新しいおうちは、広くていいね。

ふたたび気仙沼

ちょいと急用で気仙沼にいる。
いやー、結構な旅でござんした。
今朝、新幹線に大幅な遅れがあり、家を10時半頃に出発して、気仙沼到着は17時少し前だった。新幹線は成人式をふるさとで迎える若い皆様で混んでいた。正月休みはそれなりに「混む覚悟」をしているが、今日は不意をつかれた感じ。

お御霊さま(おみだまさま)

気仙沼地方では、その前年に亡くなかった方の家に正月2日、3日に伺い、仏様を拝むという風習がある。

(昭和30年代にオヤマ家に住み込みで働いて頂いた)ヒサオさんの奥様で、美容院の先生が、昨年、心筋梗塞であっけなく亡くなり、母が「おみだまさま」に行くというので、同行する。 父が亡くなる前日に、父の病室でお会いした時には、あんなにお元気だったのに。

シャオさん(ヒサオさんのことを親しみをこめてそう呼んでいる)夫婦には子供がいないので、私達をかわいがって頂き、何度かご自宅に泊めてもらった。七五三、成人式、親戚の結婚式、着物を着る時はいつも先生にお願いした。弟の結婚式に振り袖を着せてもらったのが最後だろうか。そんなことを思い出していた。シャオさんがとても寂しそうで悲しい。

気仙沼アダルトロックショー忘年会

帰省中の大船渡線内で偶然にも弟に会う。これ幸いと弟に鞄を預け、私は気仙沼駅から忘年会会場(田中前「喜乃や」さん)に向かう。
今年最後の忘年会は、気仙沼のアマチュアミュージシャンによる「アダルトロックショー」関係者のもので、私もまぜて頂いた。幹事さん、ありがとうございます。

初めて会う方もいらして、Jazzピアノの大御所とか(本業はサラリーマンですよ、と言ってた)、ドラマーは気仙沼に眼科を開業したという同い年のK氏。楽しかったね。来年もがんばっぺね。

「喜乃や」さんは初めて入った。
とても美味しくて、気仙沼の食のレベルは高いと思う。

外に出ると雪。シンシンと降るつもる。
南町のショットバーであと少し飲んで帰る。

大好きだった鼎が浦高校(現・気仙沼高校)

昨日、高校の先生のことを少し愚痴ってしまったが、本当は高校が大好きだった。高校の先生の教えは今も私の心の中にあり、辛い時には思い出す。
高校2年生のクラスはちょっと変わっていた。

クラスの90%が運動部に所属し、ほとんどの運動部のキャプテンがそろった。なぜ、そのように偏ったクラスが出来たか、いまだによくわからない。隣のクラスはその反動でクラスの90%が文化部だったと思う。私のように部活一筋組(私は硬式テニス班)は、日頃、勉強する時間がないから、成績では他の進学クラスに負ける。しかしながら、ここぞというパワーはよそを圧倒し、行事ごとでは必ずトップをおさめる。合唱コンクール、運動会、文化祭、仮装行列などの話題をさらった。

授業中は、部活で疲れた身体を休めるために「熟睡タイム」を決め込む者も多いが、例えば、数学が得意な者は、数学の授業では最前列に座り、英語が得意な者は英語の授業だけは最前列に座る、という工夫を担任には内緒で積極的に取り入れた。先生にも楽しく授業して頂けるようにと、生徒なりに考えた。

それでも新人戦が近づくと部活に忙しくて予習が間に合わないから、授業が辛い。皆で知恵を絞り、こちらから先生を質問攻めにしたことがある。「先生がノリに乗って話してくれる内容は何か?」考えた。

「卒論ってどんなモノですか?」「先生は何をテーマに書いたのですか?」これが先生をノセるのに一番、効果があった。
母校には若くて優秀な先生が多く、卒論は「つい昨日の出来事」だったので、先生も白熱し、1時間の授業すべてを先生のお話で終えることが出来た。
一度成功すると味をしめ、すべての先生から「卒論」のお話を聞いた。うまくノセると、数時間を「卒論」や「大学の話」に費やしてもらえた。先生のお話は実に楽しかった!

しかし、結果的には、他のクラスから大幅に遅れを取ってしまい、試験の前にあわてて進めるという事態に陥るのだが…。
それでも教科書にはない先生のお話は、私の高校生活の中でも有意義な時間だった気がする。昨日、書いてしまった先生もとても優秀な方で、「デキル生徒を伸ばす」ことに徹底していて、それはそれで良かったのかもしれない。

私としては「私立文系」などと進路を決めてしまうと、受験科目に偏った勉強にならざるを得ず、そのことが生徒の可能性を狭めている気がしてならない。もっとも、最近の受験のことは知らないから、もしかしたら、大幅に変わっているのかもしれないが。