荒川マラソンの結果

先日の「荒川マラソン」の結果が出ていた。
これはグロスタイム(号砲がなってからゴールまでの記録)で、私は 4:27:09(一般女子の部1895人中)453位。
私がスタート地点から計測した結果は 4:22:47。号砲から3ー4分後にスタートしたと考えると、うん、合ってる(後日:正式なグロスタイムは4:22:42でした)。

オールスポーツコミュニティ」という写真を販売するサイトで、「荒川マラソン」を検索すると、私の写真はあった。

カメラの前を通る時に、両手を振ってにこやかに通り過ぎたつもりであったが、その写真の人(私)の顔は、辛さのあまりひきつり、口元は笑ったつもりが、だらしなく半開きとなり、、、(腕がいいので、なおのこと、ひきつりが鮮明…)。おまけに、おもいっきりカメラの前に向かったので、アホまる出しのアップ…。

30kmあたりからはかなり辛くて、「なぜマラソンを走ってるんだろう」と思ってしまったが、時間が経つとそんな事はケロリと忘れて「サ・次はがんばろう!」などと思っているのであります。

次の大会は、4月の「気仙沼つばきマラソン」(10km)です!

マラソンと貧血について

昨日のフルマラソンの後、貧血になった。
そういえば、これまでもマラソン後に貧血気味になっているので、少し気になってネットで調べてみた。

すると「マラソン中の突然死」の中で、マラソンの前後で血液検査をしたところ、「ヘモグロビン(血色素)、赤血球数、ヘマトクリット値が低下する」というデータがある。

こちらのサイトはウルトラマラソンを走るお医者さんが運営されていて、血液検査をする中で、マラソンをすることで、どのような事が起きているのか、数値で出してくださっている。

その結果を見ると、そういう原因で貧血が起きたのかと納得する。

また、これらはサプリメントを服用することで「低下」を押さえ、貧血を軽く出来るようだ。サプリメントを適時、接種することで貧血を回避出来るかもしれない。それとともに、やはり適切な食生活が大事だという事がわかる。

マラソンをすると(記録ということよりも)日頃の不摂生をなんとかしようと思う。そうしないと完走出来ないのです。食事だけではなく、ストレスが多くても走ることが出来ません。そういう事を考えるという点で、いい趣味だと思います。

第11回 東京・荒川市民マラソンinITABASH(フル)

「第11回 東京・荒川市民マラソンinITABASH(フル)」に出場した。
昨年のこの大会が、私の初めてフルマラソン。
あれから1年経って、帰って来ましたよ・あらかわぁー!

天気予報では18℃まで上がるそうな。これは暑さとの戦いになると思われます。
新宿でJR埼京線に乗り換えて「浮間舟渡」で下車。
「浮間舟渡」駅はマラソン出場者でごった返している。

会場までは徒歩15分ほど。
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送迎バスが出ているが、このくらいの距離はもちろん歩く。身体をほぐしながら歩いているが、ん・今日はちょっと体調がすぐれないかもー。

スタート1時間ちょっと前に会場に到着。
受付をして、着替え(脱ぐだけですが)、ゼッケン番号を付けて、荷物を預ける。たったこれだけだが、人が混み合っているために相当な時間が経過してしまう。それからトイレの列を見ると、わぁー、長蛇の列。でも並ぶ。これじゃまたスタートに間に合わないかも(つくばマラソンはスタートには間に合わなかった)。

トイレを済ませると「スタート3分前」とアナウンス。グッスーン。スタート地点に小走り。スタート付近に、ああ、ここにもトイレがあったのですね。

ゼッケン番号は16624番。
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列を見ながら(まだ列に入れてないのです)スタートの号砲を聞く。
今日、ここに立てた(ここまで辿り着いた)ことに感謝して、「拍手!」と「フォーという歓声」を小さく上げる。スタートの、この、なんとも言えぬワクワク感が好きなんです。

横から列に入れていただいて少しすると列が動き出す。最初は歩き。スタート地点に到達したのは、おおよそ3から4分後。

ゆっくり行こう。
それにしても、今日はなんだか体調がおかしい。

そういえば、1週間ほど前から調子がよろしくない。
2月に初めて月間走行距離200kmを走った。その疲れが今頃出ているのかもしれない。

スタート地点での天気は曇り。
昨年の「風」を考えると、今年は実に走りやすい。

荒川を皆さんと一緒にジョギングしている感じ。
距離表示は1kmごとにある。

私は「1kmを6分」が目標で、「6分半ぐらい」で入るといいのだが、、、ペース配分はあまりうまくいかずに最初から6分未満で入ってしまう。うーん、ちょっと早いな。

20kmまではそのペースを続けることが出来た。
ひょっとして「いいタイム出せる?」と期待してしまったが、11時を過ぎると空に雲がなくなり晴天。それとともに暑さが増し、そして、、、25kmを過ぎるといつものように失速…。

荒川マラソンは「エイドの充実」でも定評がある。
パン、オレンジ、バナナ、おにぎり、シャーベット、ぶどう糖などを頂いた。

昨年はシャーベットはお腹をこわしそうでやめたが、今年は暑いので美味しく頂いた。皆さんと歩きながら食べる。ここでロスタイム2分から3分。ま、いっか。

シャーベットの後は皆さんも(私も)身体が復活したみたい。ちょっとペースを持ち直す。それにしても25km過ぎからは辛い、辛い。やはり、30km、35kmという距離にもっと慣れておかないといかん。

沿道で「塩」を配ってる方がいらして、それを少量なめた。
暑さで汗が出るから「塩」は助かります。

あと「2km」の表示。「あと少し!」
このゴールを目指して走ったのであります。
そしてゴール。完走したー。記録もわずかに更新したようだ。
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私の時計では次の通り(スタート地点から計測)
 5km:29:37
 10km:29:32
 15km:29:43
 20km:29:44
 25km:30:10
 30km:32:25
 35km:33:32
 40km:34:43
 ラスト:13:18
————————-
 合 計:4:22:47

正式な結果は発表を待ちましょう。

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今回は、なんとなく、どこと言うことでもないのですが、どこか調子が今ひとつで、「当日までの調整」「走り始めてからの時間配分」に反省すべき箇所が多々ありました。その失敗を次につなげたいと思うのであります。

ゴール後は「内藤新宿300RC」の皆さんと、近くの台湾料理店で打ち上げ。
店に到着するところで、私は不覚にも貧血になってしまった。実はマラソンを走ると、時々、貧血になる。これってどうしてなんでしょ?

椅子に掛けて、少しだけテーブルに伏せさせてもらったら回復。
あとは飲めや・食えやで楽しかったです。

参加賞にはTシャツを頂きました。
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いやぁー、それにしても、やっぱフルマラソンってのはすごい距離です。
今日は食事をしてからの帰宅なので、脚は少し回復して、去年のようなひどい事にはならないで、無事に家に到着しました。

小太郎くん、完走したよ!

第1回 あがらいでバー!(気仙沼の会)

代々木の「魚がし」にて、「第1回 あがらいでバー!(気仙沼の会)」が開催された。

「気仙沼」というキーワードだけで、おおよそ20名の方々が集まり、気仙沼弁で気仙沼の事をかだりまぐる会。実に楽しい。

ゲストには、気仙沼出身の小野寺重之さんにお越しいただいた。
小野寺重之さんは、明治大学野球部時代に、あの星野仙一さん、そして、あの巨人の高田さんの後輩にあたる。星野さんがエースピッチャー、高田さんが1番バッター、そして小野寺さんが4番を打った。

先輩の卒業後は明治大学・野球部のキャプテンを務め、卒業後は日立に入社し、社会人野球で活躍。
日立柏レイソルの社長として、J1からJ2に降格するという辛苦をなめ、1年でJ2からJ1に昇格させるという快挙も成し遂げている。

気仙沼出身にこのような方がいらっしゃるんですね。

そして、仙台出身で「異動によって2年間過ごした気仙沼」を気に入ってしまった「松戸に住み、東京で働く、宮城・気仙沼大好き人間の日記」さんや、「彼女が気仙沼」ですっかり気に入ってしまった「だいん気仙沼」さんがいらして、いやいや、嬉しいですのぉ。

このブログをご覧になっている方からも声を掛けていただきありがとうございます。なんだが初めて会った気がしないオンね。

是非、この会を続けて参りましょうゾ。
明日のフルマラソン出場のため、中締め(22時)にて、後ろ髪を引かれながら退散したのであります。あの後は、どうなったんだべね?

読書:京都のお酢屋のお酢レシピ

「京都のお酢屋のお酢レシピ」飯尾さとみ、飯尾淳子・著。

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先日、久しぶりにお会いした方が編集を担当した料理の本。
アスキーがお料理の本も出しているのは存じませんでした。

料理する暇がない(と言い訳する)私ですが、料理の本を見るのは好きで、「絶対作ろう!」と思うのであります。

この本には「酢の効用」がいろいろと書かれていて、それを読むだけでも勉強になる。

私の母は「酢の信者」で、なにごとかあるとすぐに「酢を付けらいん」と言う。
例えば、どこかにぶつけてアザを作ったとする。
小皿に酢を注ぎ、脱脂綿にその酢をひたし、それを患部に塗る。
定期的に塗る。これで「早く治る」と信じている。

半信半疑の私であったが、この本にそういった事の効用が書かれていて、あながち昔の人の知恵は間違えていないのかもしれない。

ここにある料理はまだ作るにいたってないが、お手軽に出来るのが「飲料」である。「りんご酢とハチミチ」を大さじに1つずつ入れて(好みで加減してよい)お湯をそそいで飲む。これが結構ツボにはまり、毎日飲んでいる。

健康に良さそうな気がしている。

読書:秋田日記

「秋田日記」熊谷新右衛門・著、伊沢慶治・翻刻、小松 宗夫・現代語解説。

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スローな食に、スローな家。」のKENJIさんからお借りして読んだ。
天保の飢饉、気仙沼は米がとれなくて大変だったそうな。その時に、気仙沼の大工である「熊谷新右衛門」さんが気仙沼を代表して秋田に米の買い付けに行く。その道中を日記に綴ったものを、熊谷さんの子孫が昭和55年に発見し、それをまとめたもの。

おもしろいのは次の記載である。

この気仙沼は仙台藩の北辺、本吉郡北方の区域に合ったが、塩釜、石巻が仙台の玄関港として重視されたのに反して、仙台城下から遠く、ひとり立ち、をしたような港である。したがって有力な地頭も配属されず、代官所があるだけの直轄領で、それだけに町人自治の気風が濃厚であった。

そういうことなんですね。
そういうことから「気仙沼」という土地は独自の言葉、文化を生み出し、またそれを誇りに思うのでありましょう。

そして町人の中から、大工である熊谷新右衛門が選ばれ、秋田に向います。熊谷さんが選ばれたのは大工の頭領として「武士との折衝に慣れている」ことと、天保4年に「伊勢神宮をはじめ讃岐の金比羅、安芸の宮島、山陰の出雲大社、京、大阪、江戸、など5ヶ月の大旅行をしていきた経験からも渉外力は抜群で…」ということである。

そういった経験から、全国的にみて「秋田の豊かさ、明るさ」が記されていて、当時の秋田を知る上で重要な資料となっているようだ。

熊谷さんのイラスト付きの(しかも、そのイラストがうまい)日記が今日まで残っているという事もまたすばらしいことと思う。

気仙沼の歴史を知ることは楽しいことですね。
借りて読んだが、この後、発注することにw。

映画:地下鉄(メトロ)に乗って

先日の日曜日、Macのデータコピーをしてる間は映画を見ていた。
「地下鉄(メトロ)に乗って」
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原作は浅田次郎。
舞台は私が住む新中野を現代から昭和39年までタイムトリップして、あっちとこっちを行き来する。

原作は(なにしろ私は浅田次郎ファンですから)文句なしにおもしろい。
これを映画にするとどうなるんだろうと思っていたら、これがいいいんですね。文句なしに満足。主演の堤真一がいいですね。岡本綾、大沢たかお、常盤貴子も良いです。キャスティングがうまいんでしょうね。

最近、ハリウッドもんより日本映画の方がおもしろいと感じている。なんですかねー、日本の良さを再認識する年頃でしょうか。

私に出来ることは?

日曜日のマラソンの帰り、中央線で「座れた」と思った途端に熟睡してしまい、首をガックンガックンさせながら気持ち良く乗っていた。途中の駅でかろうじて意識が戻るものの、すぐに眠る。「三鷹」を過ぎて「吉祥寺」を過ぎた。「荻窪」で降りようと思いながら、また眠っている。

ふっと気づくと、あぁぁあ、荻窪を過ぎてしまった。
ま、いっか。「中野」で降りよう。
呑気な日曜の午後であります。

・・・と次の瞬間。
隣に座っていた中年の女性が、「お父さん、お父さん!」と向かい側に座っている男性を呼んだと思ったら、その隣の若い女性がガクっと倒れ、全身が痙攣して、うめき声をあげる。とっさの事で何が起きたかわからない。

前に立つ若い男性2人は、おもわず数歩後ずさりした。
お父さんが、やってきて若い女性を見る。お母さんがお嬢さんを抱きかかえて「大丈夫よ、大丈夫」を連呼。お父さんも「大丈夫だぞ、大丈夫だ」と連呼。「次で降りる」と言っている。

降りようにも女性は硬直して、うめき声をあげている。
お父さんとお母さんは、私よりも年上だと思う。50歳代か、60歳に近いか。

お父さんが「おぶって降りる」と言う。
私、「え!おぶうの?(声にならない心の声)」
お父さんの腰は大丈夫かしらん?などといらぬ心配をする。
お母さんも「お父さん、大丈夫?」と心配する。
「大丈夫だ」とお父さん。

中央線は休日ダイヤで「荻窪」の次は「中野」に止まる。
その間、とても長く感じる。
中野に近づくにしたがって、お父さんは、おぶう体勢をとる。
お母さんに向かって「ここに腕をまわして」と指示をしている。
電車の中は、皆の視線が3人に集中している。

とっさに私は立ち上がり、荷物を持ち上げながら、「荷物を持ちます!」と言った。私に出来ることはそれしかない。。。お母さんが恐縮そうな顔をするから「私も降りますんで」と言うと、「すみません、すみません」と何度もおっしゃる。

お父さん、お母さん、おぶさった若い娘さん、そして4人分の荷物を持った私がホームに降りる。

降りた近くに駅員室があるので開けようとするも、扉に鍵がかかっていて開かない。
「開きません」と私。
「下へ」とお父さんの声。
「ハイ」と私。
「救急車を」とお母さんの声。
「ハイ」と私。

階段を降りる。あたりを見るが駅員さんがいない。
南口の出口に向かって私が指を指し「駅員さんを呼んできます」。
走りながら、駅員さんを探すもいない。

南口まで走るが、そこにも駅員さんがいない。
ウッソー。
ガラス窓をドンドンと叩きながら、「救急車を呼んでくださーい」と叫ぶ。
3回以上叫ぶ。いない。

後ろから走ってくるお父さんとお母さんに向かって、首を横に振って「いない」と合図を送っていると、「どうしました?」と窓ガラスの中に駅員さんが現れた。
あーーー、駅員さん!(ホッとした)。
とにかく「救急車お願いします」と言いながら、娘さんを指さした。

私のところまでたどり着いたお母さんは、何度も何度も私に礼をされる。私は何もしていない。ただ荷物を持って走っただけ。

お父さんは駅員さんに「おそらく、てんかんだと思います」と話している。

てんかん。

私は、それを言葉としては知っているけれど、その発作を見たことがなかった。大変なんだ。

私はその場に立ち尽くしている。
お父さんとお母さんは何度も頭を下げる。
あとは駅員さんと救急車がどうにかしてくれるだろう。
私がそこにいても、お2人が恐縮されるだけだ。私は挨拶をして改札を出た。

後日、ネットで「てんかん」を調べると、大人になってから発病することもあるようだ。私達は、いつ病気になるかわからない。病気を持った人に優しい町になるといい。

けど「どうして、電車の中の若い人達が(大勢いたのに)お父さんを助けなかったのか」と腹立たしく思えた。

高橋尚子にエールを

昨日は「名古屋国際女子マラソン」を録画しておいて、帰宅後ゆっくり観た。まさかの高橋尚子の失速で、若き中村友梨香が優勝。

Qちゃんを応援していたので残念だが、記者会見に応じる彼女の姿は清々しく、見る者に感動を与える。

あれだけの選手がなぜ?
仕上がりも良かったように見えたのになぜ?

今日もTVで取り上げている。
見ると「昨年8月に膝の手術をして準備不足」だったようだ。それに加えて、途中でトイレに駆け込む姿も映し出され、「どこか体調がおかしかったのでは?」といった情報もある。

世界を狙っている選手は、これ以上ないほど徹底的に無駄を省く。その状態の中で、さらに当日に最大の力が発揮出来るようにスケジュールされる。プロがプロを作る。繊細な作業がある。

だから、ほんの些細なハプニングがすべてを狂わせてしまう。

Qちゃんのプレッシャーってどれほどなのだろう?
これほどまでに期待され、そしてさわやかに応え、本当は泣きたいだろうに…。

Qちゃん、このあとは、自分のために、自分のレースを楽しんでください。
マラソン大会はオリンピックだけではない。国際級のレースはいくらもある。Qちゃんには輝いていて欲しい。もう少し現役を続けたいと言った彼女にエールを送ります。いつか同じレースを走れたら嬉しいな。