自宅跡地(2012年3月)

会社はお休みを頂いて、気仙沼におります。
やっぱり、また自宅跡地に足が向きます。
震災後、早い時期に取壊されて、こんなになってからほぼ1年が経ちました。

「こんなに狭かったかな?」なんて眺めて、ここが玄関で、こっちに入って、トイレがあって、、、なんて考えていたら、とうとう、悲しみがこらえられなくなってしまった。

この1年「絶対に泣かない!」と決めていました。
でも、今日はとうとう涙がポロリ。

台所があった場所、ジッと地面を見ていたら、すり鉢のカケラがありました。
母が大事にしていたすり鉢。
母は、いろいろなものをすりおろして料理してました。

これで、ずんだも作ったね。ゴマもすったし、いろんなものをすった。
このすり鉢に、母の嫁としての人生がしみ込まれています。

近くにあった青い陶器のかけらは、いつも使っていた小鉢。
それを手にとったら、もうね、たまらない気持ちになりました。

私たちは後世の人のために、どのような町を作るべきなんだろう?

魚町に数軒だけ残ったお宅に人が住んでいます。
夜はさぞ暗いでしょう。

それでも、海のそばがいい。あんなになっても海が好きと。
もちろん、そう思えない人もいます。
それでも、ここが良いと思う人もいる。

魚町。
こんな状態になっても、我がふるさと。
私も、ここに戻って来たいと思う一人なのであります。

3.11から1年が経ちました

昨年のあの日の前に戻れたら、、、
そう思って暮らした1年でした。
もう戻れないことはわかっているのに。

母のアパートの、目の前の大川には白鳥がいます。
そのおだやかで優しい日常。

あの大地震の時刻、目の前の道路に車が停車して、中から人が降りて、みなで黙祷する体勢です。
母とダンナと私の3人も立ち上がり、静かに黙祷をしました。

追悼のイベントが色々あるだろうに、なんだろうか、3人とも人の中に出ていく気分になれなくて、コタツに入って、あの日の事を話して、もう何度も繰り返し話している内容をまた繰り返して、、、。

「母と家族が無事だった」ことを心の底から感謝した。

夜は、弟と甥も交えて食事を。
(もう一人の甥と嫁は、剣道の試合で遠征しています)
またまた、あの日の事を話して、どれくらい繰り返して話すのだろうか、でも話さずにはいられない。

22時過ぎ、深夜バスで帰るダンナを気仙沼駅に見送りに行くと、空に「光プロジェクト」の光の柱が3本。
「あった!あった!」と私。

本町橋のたもとからも光が見えて、魚町から見たらどんなでしたろうね?
ダンナを駅で見送って、本町橋に帰るまで何度も上を見て、光プロジェクトの柱が優しい光を放っています。
写真は撮らずに私の心に焼き付けた。ありがとう。

気仙沼ランありがとうございました

私が勝手に企画した「気仙沼追悼ラン&ウォーク2012」には、たくさんの方のお力があって無事に終了することが出来ました。いくら感謝しても足りないほど、本当にありがとうございました。

気仙沼モーニング倶楽部 有志の皆様
EnjoyRunning 有志の皆様
内藤新宿300RC 有志の皆様
マラソン完走クラブ タンバさん
札幌のハシさん、八戸のイチナミさん

大鍋屋旅館さん
たいわ食堂さん
居酒屋ぴんぽんさん
喫茶マンボさん
南町紫市場さん

Re.us気仙沼の皆さん
撮影班をしてくださった畠山さん
同級生の皆さん(キーチ君、スダ、むらくみ、五典君、大和田タッケ)

千葉さん、三島先輩、アキヒロ君、塚本君、角星の奥さん、魚町の皆さん、沿道で声援いただいた皆様

そして、今回は参加出来なかったけど、メールやFacebook、ツイッターで激励してくださった皆様

本当にありがとうございました。

飲んだ後のラーメンは「喫茶マンボ」

かなり食べましたのに、「ラーメン食べよう!」って(^ー^)。
まぁ、今日はみんな走ってますから〜。

飲んだ後は「喫茶マンボ」のラーメンですな。
南町紫市場内のお店に移動。

細麺であっさり醤油味のラーメンは飲んだ後には最高っス!
そして、やっぱりここはパフェが美味しいのです。
なんつったって、本当は喫茶店ですから(^ー^)

ということで、こちら。

打ち上げは「居酒屋ぴんぽん」

「気仙沼追悼ラン&ウォーク2012」が無事に終了しました。
八戸から美味しいお酒を持って来て頂いたのは、男子部屋ですでに空けてました。早っ!

さらに、倉元さんで買い求めた気仙沼の地酒も空いてました。どんだけ飲むんだか(^ー^)。

で、これからが本番ですよー。
南町紫市場近く

「居酒屋ぴんぽん」

安くて旨い!気仙沼の有名な居酒屋さん。1階は被災して2階で営業しています。

これは気仙沼名物「サメの心臓」
皆さん「エー」とか言ってためらっていたけれど、私たちが美味しそうに食べるので手を出してみると「旨い!」とな。
鮮度が重要で、気仙沼の外ではなかなか食べられません。

飲みました、食べました。
「ぴんぽん」でも知り合いに会う、会う(^ー^)。
皆様、本当にありがとうございます。
チバさん、来年は一緒に走りましょう〜!

気仙沼追悼ラン&ウォーク2012

私の企画「気仙沼追悼ラン&ウォーク2012」です。

昨晩の大船渡線と深夜バス、そして車で皆さんが集まってくださいました。
関東方面以外に、札幌から、そして八戸から、いらしてくださってありがとうございます!

天気はあいにくのみぞれまじりの雨。
寒いです。

あの日も雪が降って寒かったと聞いています。
電気もない、暖房もない中で、どれほど寒かったのでしょう。

気仙沼のランナーの皆さんが車を出してくださいました。
畠山さんは撮影班として同行してくださいます。ありがたいです。
同級生のキーチ君も車を出してくれました。
札幌のランナーの付き添いさんも車を出してくださいました。
車5台に乗って、志津川に移動です。

志津川まで車で約1時間。
ここを走るのですよー。

スタートは志津川観洋ホテル前としました。
雨が降っているので、建物の中にお邪魔して記念撮影です。

ピンクのTシャツは「おだづなよTシャツ」
がんばるゾ。

1区間は約5〜9キロ。だいたいは7キロのコース設定です。
1区間を4〜5名で走ります。

思い思いに走ってOKです。
スピードも走歴も異なりますから、ゆっくり一緒に走ってもいいし、おもいっきりスピードを上げてもいいのです。

一人がゴールしたら、次の組がスタートします。
なので遅くても大丈夫。皆さんがゴールするまで待ちます。無理せず、怪我せず、走りましょう。

45号線ですから道に迷うことはないでしょう。
気仙沼まで6区間、そして最後に鹿折までを7区としました。

ここは3区です。
45号線は車でスーっと通る時には気づかないかもしれないけれど、アップダウンが多いです。

東京から深夜バスでお越しのナカジーさんはお花を用意して来てくれました。
そして、鹿折唐桑駅近くの大型船のところなどで、花を手向けて手を合わせてくださいました。ありがとうございます。若くてステキなお嬢さんです。

初めて気仙沼を訪れる方がほとんどですが、皆さんが大変にショックを受けていました。テレビで見るのとは全く異なる世界。そして、気仙沼の方の暖かさに皆さんが気仙沼ファンになってくださいました。嬉しいですね。

移動の車は、区間ごとに別の車に乗りましたので、運転してくださる方から当時の話やその後のご苦労を聞くことが出来ました。皆さん、よくぞご無事でした。

ゴールは、南町紫市場近く、かどっこ付近です。
こちらでもユリエちゃんたち「Re.us気仙沼」の皆さんも出迎えてくださり、写真を撮って頂きました。

ありがとうございます。
無事に完走いたしました。

沿道から手をふって声援を頂いたり、ゴールすると拍手で迎えて頂いたり、こんなに大変な状況にありますのに、気仙沼の皆さん、ありがとうございます。

気仙沼「たいわ食堂」

3月10日(土)朝6時7分。
「気仙沼追悼ラン&ウォーク2012」に参加いただくために、深夜バスで9名がいらっしゃいました。

池袋駅を23時に出発する深夜バス「けせんライナー」は、震災前は座席が3列のゆったりシートだったのに、震災後は4列になり、トイレもついていないという窮屈な、しかも本日は満席という状況。

皆さんがバスから降り立つ姿を見たら、嬉しくなっちゃっておもわず抱き合って再会を喜びました。
遠いところありがとうございます。

NHKのカメラが撮影しています。
聞かれてもいないのに「気仙沼を走るんです」とか何とかしゃべってました。
(それが、翌日のNHKニュースに出ていたらしいです)

それから、魚町の「たいわ食堂」さんに移動です。
「たいわ食堂」のタッケは同級生で、こんなに朝早くからやっているお店がないので思い切って電話してみたら「弁当でよければあるよ」と嬉しい言葉。ありがとうございます!

皆さんが忙しく仕事をするかたわらで食事をさせて頂きました。

お弁当は美味しくてみんな完食です。お味噌汁も美味しい!

おばちゃんも助かって良かったですね。
お店も被災しているのですが1階を修理して仕事を始めています。
海側を見ると、私の家の跡地が目の前にありました。タッケん家とこんなに近かったんだね。

サ、いよいよ、集合場所の大鍋屋さんに参りますゾ。

気仙沼に到着しました

気仙沼に到着するや明日の最終調整をするためにサイトウさんを訪ね、大鍋屋さんに挨拶に行き、そうこうする間も同級生や友人と電話で会話し、それからやっと、母に「帰ったよ〜」と電話。
家族があとまわしでゴメンね。

母と弟一家と食事。
あれから1年だねぇ。
そして、デザートを食べましてっと。
このお店も被災したんですよ。店内は全部、修理したんですね。

いったん、母のアパートに荷物を置いて、22時42分に大船渡線で到着する皆さんを迎えに気仙沼駅に参りました。駅の中はストーブがあって暖かいです。

そこで気仙沼在住のクドウさんにお会いして、一緒にクマさんをお迎えです。
偶然、クドウさんもクマさんの知り合いで、連絡を取り合っているとのこと。何といいますか世界って狭いもんですね。

皆さんが改札から出て来ますと、すごく嬉しくて嬉しくて、ありがとうございます、ありがとうございます!
東京から遠かったでしょ?

本日の宿は、魚町の大鍋屋さん。
先に札幌から到着している方と合流し、皆で大広間に布団をダダダっと敷いて頂いて寝ます。
なんか連帯感が生まれて来そうな感じ(^ー^)。

小太郎の宿

2年ほど前から、新中野駅近くのD-Lifeさんに小太郎のホテルやシャンプーをお願いしていた。

近いし、とても良くしてくださって、小太郎もよくなついていた。
看板娘の、チワワのちくわちゃんとも仲良くなった。

ところが、、、先月で閉店してしまったのであります。
これは一大事です。

ネットで探すも、近くにはペットホテルがないのです。
でも、やっと1軒見つけて下見に行き、9歳と告げるとうーんという返事だったが、今度は小太郎を連れて行って、病気がないことも話し、被災地に帰るためと、少々、強引に予約を取り付けた。

お店の営業時間は10時からとネットに書いてある。
予約時間より少し早いが連れて行く。
初回なので、色々手続きもありましょう。

雨。
傘をさして小太郎を抱いて、お泊りセットを持って、結構重い。

あれ?
お店は閉まってる。
店の前でしばらく待つ。

10分、、、、ウーン、、、
いったん帰ろう。
これは困った。
予約している新幹線の時間が迫っている。

えきねっとで新幹線の予約変更。
1時間遅らせる。わお、接続が悪くなっちゃう。仕方ない。

ショップに電話するも、留守電が「営業時間外」と言ってる。
ウッソー。困った。

以前お願いしていた「わんわん」に電話する。
「これから行ってもいいですか?」
「いいですよ~」ありがとうございます!

徒歩20分以上かかります。
小太郎バッグに入れて、小太郎の乗り慣れないタクシーに乗せる。
小太郎ヒーヒー言うも、我慢じゃゾ。

わんわんでは、以前の小太郎のデータが取ってありました。
ありがとうございます。
また宜しくお願い致します。

私が帰ろうとすると、グズル小太郎。
すまないのう。

そして急いで帰り、今度は旅行バッグを持って東京駅へ。
駅内も小走りでどうにか間に合った。
しかし、、、忘れ物がいっぱいでダメダメなスタートでございます。

ま、忘れ物はなんとかなるだろう。
小太郎も元気でいるのじゃゾ。

得手不得手

私の勝手な企画「気仙沼追悼ラン&ウォーク」には、私のラン仲間が、なんと18名も賛同くださり、一緒に気仙沼に行くことになりました。ありがたいです。

いま、最終案内をメールしたところですが、それにしても私は大雑把で細部のきめ細かさに欠けます。臨機応変で良い人もありましょうが、ある程度、明確にしないと不安に思う方もありましょう。

そうして詰めていくと、どうにもならない点もあって、それは気仙沼の同級生が助けてくれます。ありがとう、ありがとう!皆さんのおかげで開催出来ます。

次にイベントする時は、細部をキチっと詰められる人と組みましょう。
そうでないと皆さんにご迷惑をかけてしまいましょう。
私が得意とするところも少しはあると思うので、うまく組み合わせが出来るといいですね。