大晦日の本日、ホーチミンに向かっています。
成田発17:55のJAL759便で、ホーチミン到着は22:40。
ホーチミンとの時差は2時間。
到着してホテルに移動する頃に、年が明ける予定。
では、行って参ります!
もう残すところ、今日と明日で2013年が終わります。
今年は2月から気仙沼市役所勤務という、まさかまさかの展開になり、それも2年の計画が1年(正確には11ヶ月)にて終了させて頂いたという体たらく。
色々なことを考えた年になりました。
サ、今年最後のランですゾ。
ご褒美に新中野の「あじいち」さんで夕飯。美味しいです!
気仙沼の引越しを終えて、東京に戻りました。
もう今年も残すところ3日。
1年間、留守を守ってくれたダンナに感謝の気持ちを込めて、お寿司じゃ!
中野駅近くの丸井の中にある「海鮮処 寿し常」さん。
お寿司の後は、すぐ近くにある「カラオケの鉄人」さんでカラオケじゃ。
昨日のこと。
気仙沼市役所も仕事納め。
年内で仕事を終了する応援職員の「辞令交付式」がありました。
私以外にも数名の方がいらしていて、市長さんがそれぞれにねぎらいの言葉をかけています。
私の順番は最後。
ねぎらいの言葉を聞いているうちに、この1年のこと、震災直後のこと、様々なシーンをパーっと思い出し、涙があふれて止まらなかった。
私は、あの震災から、
泣かない。
絶対に泣かない。
泣くもんか、と言い聞かせて生きていました。
泣いてしまうと、全てが崩れてしまいそうだった。
ギューっと押し殺していたものが、突然、ポタポタと流れ出ました。
自分でも驚く出来事でした。
本当は2年という期限で着任しました。
しかしながら、諸事情のため11ヶ月で終了させて頂いたのです。
この1年は文字通りに走り抜けたと思っています。
もうこれ以上は出来ないと思ったけれど、まだまだ出来たんじゃないか、任期をまっとうすべきだったのではないか、迷いはいつもあります。
でもこれは決めたこと。
私は、これからは東京から発信を続けます。
やっぱり気仙沼が大好きだから!
気仙沼、ありがとう!
気仙沼の皆さん、ありがとう!
一緒のチームでともに歩んだイニシアティブの皆さん、ありがとう!
そして、私を支えてくれた家族とテレパスのみんな、ありがとう!
気仙沼では、最初は母が住む「みなし仮設」と呼ばれるアパートにおりました。
2間に台所がついているのだから、2人でも十分に住めるはずなのだが、、、。
それまで広い家に住んでいた母にとって2間は考えられない狭さであり、また、「どうせ仮住まい」という思いもあって、タンスを買う気にもなれない。
「上」に積めない様々なものは、「横」に広がるばかりで、あっという間に一部屋を占領している。
そして、残った一部屋も、半分は様々なものが占領しているから、わずかなスペースに「川の字」にもなれなくて、「Tの字」をかいて二人で寝ていました。
しかしながら、二人には時差があります。
母は朝4時を過ぎると目がさめてしまう。
それから、そっと行動をするのだが、ワサワサという音がして、私も目がさめる。
夜は夜で、母は9時を過ぎると横になっていたのが、私が10時、11時、ひどいと12時頃に帰るものだから、ウトウトし始めた母は起きてしまう。
こんな事を繰り返しているうちに、お互いに大きなストレスが生じていた。
それでも、母は昼寝するなどして乗り切ってはいたが、久しぶりの「娘にご飯を食べさせなければいけない、しかも、こんな遅い時間に」が次第にストレスとなっていった。
私はアパートを探し始めていた。
しかし、市役所に歩いて通える場所にアパートの空きはない。困った。
そんな折りです。
古町2丁目、補陀寺の下に「応援職員住宅」なるものが出来ました。
遠い仮設(おもに千厩)に住む応援職員を優先にして募集が始まり、同じチームのアケちゃんが引っ越しすることになった。私は母のアパートがあるからと遠慮していました。
アケちゃんが引っ越ししてみると、意外にも千厩組は引っ越しが面倒だったのでしょう。期限付き任務が多いので、あと少しなら面倒な引っ越しを避けて、そのまま住み続けることを選択したようです。
「空いてますよ」
「エ!そうなの」
申請を出しました。
母との時差がある生活にストレスを抱えていること、車が運転出来ないから遠い仮設住宅に引っ越しが出来ないこと。
申請が通って、私は一人暮らしを始めました。
時折、母をたずねて掃除するという面倒な仕事は増えましたが、夜遅くなっても心配をかけずに仕事が出来ました。
その頃から仕事はさらに忙しくなり、9時前に家に到着することはほとんどなくなりました。
けれど、一人になってみると、母がアレコレしてくれたことや、家に帰ると電気がついていることにどれだけ癒されていたかを知ることとなる。
その部屋には、わずかな物しか置いてなかったから、引っ越しは、段ボール箱に4つと、シンセサイザー1台。
その荷物を宅急便にお願いして、ガランとなった部屋をみます。
ここで頑張った自分がいた。
新しくてきれいでした。けれど、応急で作ったのでしょう。どこかしこがチープでもありました。いえいえ、私には十分すぎる住居をありがとうございました。
私が仕事をさせていた市役所では、本庁のほかに第2庁舎、そしてワンテン庁舎があります。
本庁は昭和の建物で古いです。
第2庁舎は、昔、女学校だった木造の建物を使っていて、もっと古いです。
そして、ワンテンビルというのは、元々は商業施設だったものが衰退していたところを市が買い上げて庁舎にしたものです。
ここは一番、明るくて広々としています。
その1階の入り口付近に私達の席があります。
本来の部署は本庁の2階部分なのですが、産業部に間借りした形です。
その1角で、部署を越えた大忘年会がありました。
私どもも誘っていただきまして、今年最後の忘年会。
そして、急遽、私の送別もしてくださりました。ありがとうございます。
挨拶も述べさせていただきまして、これから東京で頑張る旨を話させて頂きました。
行政で働くことを何も知らずに飛び込んでしまった私達を支えてくださり、導いてくださった皆様、本当にありがとうございました。
また、遊びに来ます。
そして、2次会は私達のチームの皆様との名残惜しい席に。
ともに気仙沼に出向してきた民間企業。
私も含めて6人のチームです。
ありがとう、ありがとう。
言葉に言えないくらいの感謝です。
特にオオヤネさんとは、年齢が違うのに、ともに頑張った同士の気持ちです。
ありがとう、ありがとう。
そして、これからも宜しくお願いします。
気仙沼に「気仙沼観光タクシー」さんがあります。
社長さんは、私達が運営した「経営未来塾」にご参加くださいました。
この社長さん、様々なことにチャレンジされていて、頭が下がる思いです。
気仙沼をなんとか良くしていきたい、その時に必ず「わが町・気仙沼」と言います。
私達の町を、私達の手で、なんとかしていくのだ!という気持ちが伝わります。
仕事納めの本日、「今年もお世話になりました」と、「御菓子司いさみや」さんの包みを持ってきてくださいました。
ご丁寧にありがとうございます。
開けてみますと、オオ!これは。
社長が掲げている「HEART BEAT BEXI(BEXIは便利屋タクシーの意味)」のどら焼き!
す・す・す・すごすぎる!
ありがとうございます。
このような皆さんがいるから、やっぱり気仙沼は熱い!
メリークリスマス!
一緒のチームの皆さんとプラットフォームの事務員さんと(つまり職場の同期との)クリスマス会&忘年会、ついでに私の送別会がありました。
皆様、ありがとうございます。
場所は紫市場の「HALU」さん。
これはすごい!
コヤマ菓子店に注文したという「ホヤぼーやケーキ!」
そして、名残惜しく、お向かいのお店「プレジャー」さんで2次会。
震災前にも、同級生のカッツに連れて来てもらったお店です。再開していたのですね!
今年もあと少しでおしまい。
早かったような、長かったような。色々ありましたね。