気仙沼を元気にする会・復興フォーラム「海と生きる」を開催いたしました。
実行委員長を務めています。
実行委員長よりも、スタッフの皆さんがこの会を作り上げてくださいました。
企画から当日の運営まで若い皆様には本当にありがとうございます。
おかげさまで、日本青年館ホテルで行われた「勉強会」には、10時開催という時間帯にも関わらず、200名近い方々がお集りくださいました。
今回は、気仙沼出身者だけではなく、思いを寄せてくださる多くの方が集まって頂きまして、ボランティアで現地に行った学生さんも多くいらっしゃいました。心強いです。ありがたいです。
本日は、気仙沼市長にお越しいただきまして、「気仙沼市の復興計画」について話していただきました。
この企画に快く応じてくださった市長さんには、本当に感謝でいっぱいです。お忙しいところ、ありがとうございます。
こちらは、最初の私の挨拶。
お隣に座っていらっしゃるのは市長さん。
市長さんのプレゼンテーションは本当にすばらしいものでした。
なぜ「かさ上げ」が始まらない?
どうして、「高台移転」が進まない?
それらには、様々な困難なことがありました。
市長さんは、わかりやすい言葉で、PowetPointで図を表示して、より伝わりやすく話してくださいました。
国には、相変わらずの「縦割り」があって進まず、そして「税金は個人のものに使ってはいけない」という大前提が様々なことが進まない理由であることがわかりました。
このような大震災で大きな被害を、広大な領域に渡って受けているにも関わらず、平時の時の決まり事を切り崩せないって、いったいどういう事でしょう。
そんな状態と市は戦っているのです。
地元の皆さんには、歯がゆい事も多いでしょうけれど、市長さんのこの説明が、市民の皆さんにもきちんと伝わるといいですね。
それでも、昨年の9月頃までは、市民の声を十分には聞けなかったと反省もしてらっしゃいました。
そのように「反省」して「前に進む」点などは、これまでの方とは違うのではないでしょうか。
それでも、実際に動く「市の職員」さんが不足してもいるのでしょう。
そんな中にあって「復興庁」が出来たことは大きなことだと話していました。
そういった「縦割り」を切り崩していって欲しいです。
市長さんが、東京で説明をしてくださったのは、「最後にお願いがあります」と、ここを伝えたいのだとわかります。
気仙沼の外からの支援、特にソフト面での協力、そういったお願いをしていました。
気仙沼の内外から復興はしていくものだと改めて思った次第です。
それにしても、市長さんになってすぐに震災が起きて、「気仙沼の復興のために市長さんになった」ような運命を感じます。人にはそれぞれ持って生まれた運命があるのでしょうか。
東京組も出来ることを探して、少しずつ動いています。
企業の方や、ボランティアの方の「活動報告」をして頂きました。
今日の司会を務めてくださったのは、この「勉強会」の発案者である斎藤さんです。
三陸新報さんの「故郷永久(ふるさととわ)」の販売まで、様々なアイディアありがとうございます。
場所は変えての「懇親会」にも大勢の方が残ってくださいました。ありがとうございます。
この会の運営の母体でもあります「気仙沼サポートビューロー」代表理事の畠山さんの挨拶は感動です。
特に市長さんの同級生の皆さんが大勢いらしていて、同級生の中での市長さんの笑顔はまた別ものですね。
私は被災地が忘れ去られないように、伝え続けたいと思います。
本日は本当にありがとうございました。