おそうじオバさん

母が借りたアパートがあります。
母の実家の親戚の方が、そのアパートの部屋をいくつか押さえていました。

その一つを、母にどうぞということで、先日、弟が契約してくれたようです。

家主さんには申し訳ございませんが、狭くて、古くて、何年も人が住んでなかった所です。

それでも、避難所よりはずいぶんと良い感じがしますが、東京なら、リフォームしていなければ、誰も借りないよねーと、つい言ってしまいます。いえいえ、今は非常時ですから、借りられるだけでもありがたいです。

私が「エー!ここに住むのーーーー?」と100回ぐらい母に聞きます。
「東京にいればいいのに・・・」

しかし、母は、こちらのアパートには親戚らが何人もいますから、安心のようです。母の部屋が1階の角部屋のため、人の出入りがすぐにわかります。

親戚の叔母らも、出入りの際には必ず「いだの?」と声を掛けてくださいます。
母にはそれがいいんですね。

しょうがないので、私はひたすら掃除です。

これがですね、拭いても拭いても、汚れがとれません。
クモの巣もたくさんあります。
私がいちいちクモの巣にギャーギャー言いながら掃除。

ダンナも一生懸命です。
甥っこのトモちゃんも来てくれて、とにかく掃除。

実家からどうにか持ち出したものは、泥がついていて臭いし、何度も何度も洗います。

東京にいても、こんなに掃除してないのになぁ〜w。

アパート近く、本町橋近くを歩く母とダンナ。

従兄弟のひろちゃんも無事!

再び、実家に行って、何かないかと物色していたら、マルキの車が通りました。

マルキの車・・・誰?と思って見ていたら、
向こうも、「マルキに怪しげな人物発見!」と思ってか、降りて来ました。

オオ、オオ、ひろちゃん、無事でしたね。

従兄弟のひろちゃんは、マルキの川口町の工場にて津波に遭遇。
川口町は大変に被害の大きい地域です。

工場の屋根に上がり、そこからお隣にダイブして、避難。3日ほど孤立状態だったそうです。

工場とお隣の距離は、結構あります。
落ちていたらと考えるとゾっとします。

東京からお見舞いに来ていたみっちゃん夫妻を乗せて、気仙沼市内を案内していました。

左から、みっちゃん夫妻、そして私、右はひろちゃんです。

「みっちゃん、ピアノが残っていたよ」
「エー! あのピアノが残っていたの?」

私のピアノは、従兄弟、従姉妹、みなんが弾いて遊びました。
みーんなの思い出のピアノです。

気仙沼がこんなんなっちゃったね・・・。

きっと復興しましょうね!

ありがとうピアノ

魚町の、実家の2階に上がり、ピアノにお別れを言うことにしました。
ピアノは、まるで私を待っていたかのように、そこにありました。

ピアノのふたをあけて、赤い布をとると、ピアノは、何もなかったかのように、すました顔をしていました。

ポロン。弾いてみる。
音がポローンと鳴る。

ポロンポローン。
鍵盤を見ていると、ここがこんなにグチャグチャになっていることを忘れます。

私は、初めてピアノを弾いた時のことを覚えていません。
2歳だったのか、3歳だったのか?
とにかく、物心ついた時には、ピアノを弾いていました。

先生にしかられながらレッスンしました。
その厳しかった先生は、この津波で亡くなりました。

ポロンポローン。
気の利いた曲を弾きたいけれど、何も浮かばず、とにかく即興で今の気持ちを音にしてみます。

それも、たいしたコード進行も浮かばないから、
FM7 Em7 Dm7 CM7 なんて、ありふれた進行で。

目をつぶります。

ありがとうピアノ。

幼い時は、ちょっと引きこもりで、
文字も読めなくて、落ちこぼれて、
それでも、楽譜は読めるし、楽器の演奏が好きでした。

カスタネット、ハーモニカ、リコーダー、ピアニカ。
音楽の授業が好きだったのはピアノのおかげです。

ありがとうピアノ。

あなたは、もうすぐ壊されてしまいます。
でも、ここから出してあげることが出来ません。
だから、ピアノ、今日は弾き納めです。

ありがとうピアノ。

たくさんの思い出をありがとう。

鹿折はじめて見ました

鹿折の叔母をお見舞いに参りました。

家と工場が流されてしまい、いまは立ち入り禁止区域です。
叔母は、実家に身を寄せていました。

叔母は、息子(従兄弟のたっちゃん)と、従業員さん2名の合計4名で工場の屋根に避難し、そこで一晩過ごしたそうです。

色々なものが流れて来て、人を何人か助けてあげて、マルキの工場の屋根にも、あと2人が避難して6名になったそうです。

「屋根にどうやって上がったの?」と聞きますと、
何か、ロープみたいなものがたまたまあって、それを掴んで、上から息子らに引っぱり上げてもらったそうです。

「上がるのは必死だから出来たけど、降りる時は恐かった〜」って。
本当に命からがらです。

鹿折に行く途中、iPhoneで録画したのがこちら。
鹿折は、津波だけではなく火災がひどく、その焼け跡を見ますと、胸がグっと苦しくなります。

叔父夫妻は元気です!

父の弟(私の叔父)夫妻のお見舞に参りました。
現・マルキ小山平八商店の社長です。

地震の時は、従業員を逃がして、自分も逃げて、中には中国人の方もいらしたから、その方達を帰国させ、これからの会社再建を考え、

「叔父さん、大変ですね」と言うと、
「これからどうするかを考えたら、前より元気!」と言ってます。

いえね、持病のお薬は飲んでいるし、体調はそれなりに大変だと思いますが、精神的には元気そうです。逆境に負けないマルキ魂ですね!

私の実家も、水産加工業を営んでおりますが、3つあった工場はいずれも被災して、その地域は立ち入り禁止区域。

私は工場跡を見ることも出来ずに帰りました。
そんな状況にあり、従業員の皆様も大変だと思いますが、どうぞ、復興を目指していきましょうね。