3.11その時、母は…

あの3.11を経験した誰もが、とてつもない物語を持っている!
そのように被災地の友人キーチ君が表現しています。

忘れぬうちに書いておきます。
ところどころ、思い違いがあるかもしれないから、それは後で直しましょう。
私が聞いた話。

その時、母は、、、
なんと呑気な事に、お茶のお稽古をしていた。

お稽古をしている最中にあの大きな地震。
急遽、お稽古は中止となり、どなたかの車で送ってもらったそうだ。

ところが、なぜか、よくわからないけれど、七十七銀行の前で車を降りている。

それはまさに、ここです。
上側に見える白い建物が七十七銀行。

それから母は、道路の右側を魚町の自宅に向かって歩き始めたそうです。
(それは海に向かって歩いていることを意味します)

大内薬局の前辺りで、ご近所の齋民さんの車が来て、あっちは危ないからと車に乗せて頂き、そのまま紫さんの坂を上がったそうです。

画面に向かって、左側が海、右側は高台に通じます。
波は、左からドンドン右に向かって流れています。しかも早い。
歩いていたら、波にのまれたでしょう。

気仙沼小学校近くの齋民さんの息子さんのお宅に避難。
そちらの2階で、齋民さんは、ご自分のお宅がなくなってしまった事を見ていたそうです。
私の実家は藤田屋さんのかげで見えなかったと言っています。

齋民さんの車に出会わなければ、どうなっていたでしょう。
かなりの確率で、助からなかったろうと思うとゾっとします。
命の恩人です。

そういう事で母の所持品は、呑気な事に、お茶のお稽古道具だけでした。