避難所のトイレ事情

私の家族(母と弟一家)は気仙沼中学校で避難所生活をしています。

避難所間格差があり、全ての避難所が同じではありません。
これはある避難所の、ほんの一例です。
(これは2011年4月3日現在の状況で、日々変化しています)

避難所にお住まいの方は、あまり状況を伝えて欲しくない方もいらっしゃると思います。
読まれます方も、どうか、あまり大げさに取り上げないで下さいね。
今日はトイレのお話です。

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平成の時代、トイレは進化しました。

便座は暖かい。
ウォシュレットがついているし、
立ち上がれば自動で水が流れる。

そんな時代に生きていると、昭和の時代のボットン便所は恐いです。
昔はみながそういうところで用をたしていたのにね。

河北新報によりますと「東日本大震災で津波に襲われた宮城県の石巻、東松島両市と女川町にある避難所のうち約4割で、トイレの汚物処理が十分にできず、衛生状態が悪化していることが31日、石巻赤十字病院などの調査で分かった。」そうです。

私がその事を知ったのは、つい数日前のこと。
4/1に気仙沼に向かった時には、そういった事情を知る由もなく。

気仙沼中学校の避難所では、電気がついて水道も出るようになったと聞いていましたから、トイレも学校のものを利用しているものと思っていました。

しかしながら実際には、外の仮設トイレを利用しています。
マラソン大会で利用させて頂いている、あの仮設トイレです。

下水道の整備がまだ不十分かもしれないし、あれだけの人数が使ったら、それこそあふれてしまうのかもしれません。

外にあるので、トイレに行くために上着を着用。
仮設トイレには電気がついてないので、夜は懐中電灯を持って行きます。

懐中電灯はお部屋に一つずつ支給されていますが、人数が多い部屋は一つでは足りないでしょう。

特に母の部屋は年寄りが多く、夜中にトイレに行く人が結構いますから、そういう配慮があって、1階のトイレに近い部屋を用意して頂いています。

気仙沼中学校の仮設トイレは比較的新しいものでした。
私はマラソン大会でよく利用していますが、ここを初めて使う皆さんには、
いやぁ参ったなぁという感じでしょうか。

気仙沼中学校のトイレでは、使用した紙はビニール袋に捨てています。
富士山もそのようにするのだそうです。

そんな事もあって、母のお部屋のご婦人は、なるたけトイレに行かないで済むようにと水分を摂らずにいて、数名が脱水症状で救急車で運ばれたそうです。

また、外に出る時に、ちょっとした敷居をまたぎます。
若い人には何ともない敷居ですが、私が見ている間にも、数名の方がつまづいていました。

母は目が不自由になってしまったので、事のほか、その敷居が恐いようです。
これもまた母のお部屋の方ですが、そこで転んで、膝のお皿を割ってしまって、救急車で運ばれたそうです。

元気な人でも、なにしろ平成の立派なトイレからそのような状況になっていますから、辛いものがあります。
弟の嫁もお医者で下剤を処方して頂いたようです。
私も、ここにずっと居たら同じだったでしょう。

私が行く数日前に、「夜間につき、年寄りと具合が悪い人は、学校のトイレの利用が許可された」ようですが、日中は仮設トイレを利用します。

気仙沼中学校では、男性用と女性用を分けて使っていました。
ドアの前に張り紙がしてあります。
ほとんどが和式ですが、洋式が男女1つずつありました。

お年寄りの方に足が悪い方が多くて、狭くて暗い和式の仮設トイレは本当に大変です。
若い方は、お年寄りに洋式トイレの利用を譲っていました。

トイレ掃除は、部屋ごとに交代で行っていました。
班長会議で日程が決められて、お部屋に通達が来ます。

全員でトイレ掃除をしますから、皆さんがきれいに使おうと協力し合ってるようです。

トイレから出たところに「消毒薬」が置いてあって、必ず消毒します。
感染症にならないようにと、運営の方が力を入れてくださっています。

私が泊めて頂いた気仙沼の友人のお宅では、普通にトイレが使えるので、天国のような心地がしました。

いま、東京にいても、トイレに入るたびに、避難所の皆さんのお気持ちを思わずにはいられません。

早く普通のトイレが使えるようになるといいですね。