避難所の弟一家の暮らし

私の家族(母と弟一家)は気仙沼中学校で避難所生活をしています。

避難所間格差があり、全ての避難所が同じではありません。
これはある避難所の、ほんの一例です。
(これは2011年4月3日現在の状況で、日々変化しています)

避難所にお住まいの方は、あまり状況を伝えて欲しくない方もいらっしゃると思います。
読まれます方も、どうか、あまり大げさに取り上げないで下さいね。

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母の部屋の次に、弟一家が住む3階の教室を訪ねました。
すると、母の部屋とは異なる空気がありました。

まず、母の部屋よりも人が少ない。
こちらはその時点で20名ほどです。

それは、アパートを見つけたり、親戚に行くなどして、人が減ったからだそうです。

ただ、ほかの避難所を閉鎖する関係で、こちらに受け入れ要請が来ていましたから、またすぐに30名程度にはなるそうです。

どうして母の部屋は人数が多いのか聞いてみますと、
仮設トイレが外にあり、身体が不自由であったり、老人の方は1階にという配慮があるそうです。それでそういう人が多いため、母の住むA室はとても人が多いのです。

弟一家は健康で若いですから、1階から3階を行ったり来たりしています。

お隣は、ペットのいる部屋です。
避難所の多くがペット禁止のようですが、気仙沼中学校は珍しくペット同伴の部屋があります。ただし、小型犬だけのようです。

たびたび余震がありますが、地震のたびに犬が、
ワオーーー!ワンワンワンワンワンワン!とおたけびを上げます。

日中は良いですが、夜中にはさぞや騒々しいでしょうと聞きますと、

「人間が地震になれるように、ペットもなれてきたみたいで、前よりはおとなしい」と弟は言っています。

それでも、一斉に犬が吠えますから、こちらに元気な人が多いのは頷けます。

飼い主さんはワンちゃんを隠すように抱きかかえて、廊下を歩いていました。申し訳ない気持ちがその姿から伝わります。私にも犬がおりますので、飼い主さんのお気持ちがわかります。

母の部屋よりは、はるかにゆったり過ごしている弟達のスペースですが、それでも一人の空間は、敷き布団1つというわけにはいきません。3人で2つ分程度でしょうか。2つにも満たないでしょうか。敷き布団がないので、計ることは出来ませんが、そういった所で寝ています。そして、同じところで食事をしています。

こちらの部屋は、ほとんどが弁天町の方のようです。
なるたけ同じ町内の方が集まるようにといった配慮もなされています。
弟は内ノ脇の住所です。

母は魚町に一人暮らしをしていました。
魚町の多くは陣山の「第2保育所」に避難しているようです。

母は弟を頼って、別の町内の方が多くいる気仙沼中学校にいるわけでして、また、身体が不自由な方が多いA室は、ご町内関係なく集められているため、見ず知らずの方が多いのです。

それでも1ヶ月近くも寝食を共にしますと、親戚のような感じになっていました。

弟の部屋では、未成年は甥の2人だけで、次に若いのが弟夫妻、その上が50歳代が一人、あとは全員60歳代、70歳代でしょうか。避難所も高齢化しています。

ご夫妻一緒に、あるいは母と息子さんという方もいます。
家族が一緒なので、それも手伝ってか、明るい雰囲気がありました。

とても良い方ばかりで、お部屋のルールを決めて、辛い中にも楽しい暮らしを模索しています。班長さんがとても良い方で、そういった事も影響しているのでしょう。

このたび甥達が疎開すると言いましたら、お餞別にと皆さんが、甥にパンとおにぎりを持たせてくださいました。皆さんが食べる分を分けてくださったのです。

ありがたいです。
元気で帰って来るんだよ〜と送り出してくださいました。
なんだか、みんなが親戚のようです。

母が「私一人では、絶対に東京には行かない!」と言った理由のようなものが見えた気がしました。