「 MARATONA di ROMA 16(第16回ローマシティマラソン/フルの部)」に出場します。
朝はツアーでご用意いただいたおにぎりを頂きました。
そうそう、アメリカではアジア系料理(和食、タイ、インド、韓国等々)を頂くことが出来るのですが、ローマでは和食のお店はほとんど見かけません。いくつかあるようですが、大会当日におにぎりを食べようとすると、なかなか大変なものが。
おにぎりで力を付けて、イザ皆さんと一緒にスタート地点に向います。
徒歩20分ぐらいでしょうか。
その周辺はお祭りのように選手達であふれています。
ワクワクします。
ゼッケンはタイム別で分かれていて、私達はDという、いわゆる、その他大勢のエリアへ。
タイムキーパーの方が風船を持っていらしてました。
15分刻みのようです。
風船をたくさん付けているので、遠くからもよく見えます。
スタート前、上空にはヘリが飛んでいて、陽気なイタリア人達が、そちらに向ってフォーと雄叫びを上げます。私も思わずフォ〜!
本日、ここに立てたことに感謝します。
走り始めて数年。
このような事にチャレンジするとは思ってもみませんでした。
いよいよスタート!
足もとの石畳がなかなかヘビーで、足は持つでしょうか?
出だしは好調で、キロ6分程度をキープしています。
ところが、なんだかおかしな汗が吹き出しました。
これ、なんだか変?
でも気温が上がっているから、今日は暑いのかな?
エイドには、水やオレンジジュースもあります。
水をコップにそそぎますが、間にあわないとペットボトルごと渡されます。
サンピエトロ寺院前には大勢の人が応援してくださっています。
そこに!
TMUGでご一緒するOさんご夫妻を見つけました!
たまたま、別のツアーでイタリア旅行をしていらしてて、今日ローマなんですといった会話をしていました。応援頂きましてありがとうございました!
10キロ、15キロ…。
足が重いのは昨日歩き過ぎたせいかしら?
ツアーでご一緒しているMさんが追い越していきました。
20キロ。
ツアーでご一緒しているSさんが追い越していきました。
なんだか、身体が変です。
とうとう立ち止まって、少し歩いてしまいます。
そうこうするうちにトイレに寄ったというSさんが、再び、私を追い越していきましたので、それに引っぱって頂いて、少し進みます。
しかし、それまでです。
身体が変なのは、時差ぼけであまり眠れなかった、それで内臓が弱って食欲が落ちた、つまり疲労がピークに来ていた、そういうことかしらん。
ゆっくりを決め込みます。
というか走れませんから、アップジョグのような速度。
ドイツにご主人の仕事の関係で来ているという日本人女性から声を掛けられました。初マラソンだそうです。エールを送って、追い越されていきました。
もう、身体が重くてどうにもなりません。
イタリア人男性から声を掛けられます。
「マラソンは初めて?」
「ノー」
「2回目?」
「ノー」
「あ、それ以上?」
「イエ〜ス」みたいな。
私の走りはどうみても、練習もしないでいきなり大会に出ちゃった人っぽいです。
そして30キロ。
あ、、、これ、貧血だわ。
私は実は貧血持ちなのです。
このところ好調で症状もなくなっていたため、油断しました。
疲労がたまって、貧血の症状も出ちゃったんですね。
もう走ることが出来なくて、歩きに変えました。
ここからずっと歩いても完走出来る。
しかし、歩くのも辛くなり、縁石に腰を下ろします。
何度も何度も立ち止まって、、、
あああああ、このままでは倒れる〜〜〜。
34キロで救護室を見つけて、入りました。
イタリア語で「どうしましたか?」と聞かれるけど、
日本語で「ひんけつ、貧血」と言っても通じるはずもなく。
「どこから来た?」
「ジャパン」
「ジャポーネ?」
「イエース」
救護室の中には簡易ベッドがあるので、「少し横になっていいか?」と英語と身振りで伝えます。
「もちろん!」といって横にさせて頂きました。
横になると症状の表を持ってきてくださったので、日本語で書いてあるところを見ます。
「頭痛とか痙攣とか」4〜5ページもあるのに、
・・・「貧血」の項目がない。めまいもない。
しょうがないから、一番近そうな「低血圧」を指差してみますと、
イケメン先生が、血圧測定器を持ってきて計測してくださいました。
会話はないけど、たぶん異常なしです。
脈拍をはかられ、指に何かを付けられて、何かを測定されています。
私の上には、毛布などが次々にかけられて、重病人みたいになってきちゃいました。
私としては少しだけ横にさせて欲しかっただけですが、
それで「ゴールに向って走りたい」と申しましたら、
私を覗き込んでいる5人がいっせいに「ノー」とな。
お前何言ってんだよーといった表情。
エエエ、、、もしかしたらリタイア???
そそそ、、、そんなぁ〜〜〜。
名前を聞かれます。
「OYAMA」
イタリア人にはなじみのない発音だから、
「ハ? それ名前?」みたいに聞かれたり、
生年月日やゼッケン番号もひかえられ、
チップも取られそう…。
チップをとられちゃったら、もうおしまいです。
そこをなんとかって表情で訴え、
「歩いてもいいですか?」みたいな。
そうしたら「歩きなら」ということで、やっとのことでお許しが出て、書類にサインをして、お礼を言って出ました。救護室にいたのは20分ほどでしょうか、それ以上でしょうか?
救護室を出ていく際に、ゴールドのシートを上から掛けられます。
歩きでは寒いのですが、それを掛けると暖かい。
歩き始めました。
でも、少し横になったおかげで平気です。
ん・走れる!
それでゆっくりと走り始めます。
コースは、ローマの目抜き通り。ブランド店が立ち並ぶ銀座のような通りを抜けます。
ほとんどの人が歩く中、
私は黄金バットのような出で立ちで走るので、ちょっと「仮装の人」って感じになっちゃって。
道行く人達のすごい注目を浴びちゃった。
何度もカメラも向けられ、
私に向けての声援が続きます。
ブラボーとまで言われちゃって赤面 (^^;
その都度、「グラッツェ!」と叫びます。
貧血でロスタイムだけど、すごく楽しいランになっています。
34キロから38キロまでは、その調子で走ったでしょうか。
でも、再びエネルギー切れ。
いけません。また貧血です。
ここから歩きます。
歩いて、なんとしてもゴールします。
これが日本だったら、完全にリタイアですね。
でも、せっかくローマまで来ているのだから、リタイアは出来ません。
歩きも辛くなると、また縁石に腰をおろし、
それからまた歩きだす。
39キロ、40キロ、、、
あと2キロ。。。
そして、42キロの看板。
その先にゴールが見えた時には、本当に嬉しかった!
最後の、わずか50メートルだけはゆっくり走ってゴールしました。
ゴールタイムはこれまでのワースト記録で5時間55分過ぎ。
約6時間。
完走記念メダルを首に掛けて頂きました時には本当に嬉しかった☆
ツアーの皆さんとの待ち合わせ場所へ。
もう皆さんは宿に帰られたかな?と思ってましたら、待っていてくださって、本当にありがとうございます!
宿に戻って61コミュの掲示板を見ると、私のタイムを探してくださってて、皆さんで応援してくださっていました。
30〜35キロ地点(救護室にいた時)は、時間がかかり過ぎているから「何かあったか?」と心配してくださっていました。
ありがとうございます。
この応援に支えられて完走出来ました〜。