あの日のメールとツイッター

昨晩、8ヶ月目の11/11に、あの日、気仙沼の弟、そして横浜の弟と交わしたメール、その後、従兄弟、従姉妹もツイッターに入ってもらって、ツイッターを介して会話した事を振り返ってみた。

深夜に一人で読んでいた。
みんな必死で、文書が辛くて痛くて、とても冷静には読めない。

あの日、亡くなった方が大勢いる。
私がパソコンの前で、どうにもならぬ思いをただひたすらに入力している、まさにその時に、雪の降る中で、辛い思いをしていた皆様を思うと、何とも悲しくて、辛くて、心が凍り付くようです。

それらを読み返すと、あの日は情報がなくて、あれほどの惨事になっていることは想像も出来なくて、一夜明けた朝の、ヘリコプターから見る映像に青くなったことを覚えています。そこが「気仙沼だ」と言われてもわからぬほどに変貌してしまった街。

横浜の弟から、こちらのYouTubeを紹介されました。
この映像は初めて見ます。私の家もチラリと映っていました。
家にあった色々なものは、こうして、この海に流れていったのですね。
東日本大震災(1)大津波 気仙沼市内湾

そして、こちらの映像には、波が引いていく様子、そしてその波が再び津波となって押し寄せる様が映し出されています。
続報 気仙沼湾に押し寄せる大津波が湾内を回流する様子

気仙沼海上保安署撮影 津波映像

「気仙沼かなえ育英基金」の打合せ

私の母校は、鼎が浦高校(かなえがうら)という女子校でしたが、男子校だった気仙沼高校と統合されました。同窓会も一つになったおかげで、いわゆる同窓生が増えたわけです。

そのような中にありまして、母校に対しての奨学金を考える会が結成されました。
「気仙沼かなえ育英基金」です。

今週末の「気仙沼を元気にする会」で紹介しますため、その辺の打ち合わせをして参りました。

優秀な高校生の皆さんが大学進学をあきらめないで欲しいというのが願いで、対象は気仙沼高校を卒業して大学生になる方、としています。

詳細につきましては、もうじき決まりますから、少しお待ちください。

「気仙沼を元気にする会」の現地打合せ

今週末とせまった「気仙沼を元気にする会」の現地での最終打合せをして参りました。

250名を予定していますが、それ以上の可能性が高くなりました。
そこで、椅子をどの程度ならべられるか?
お料理は何人分をお願いするか、など、皆で考えてお願いして来ました。

それと併せまして、UST放送が可能かどうかのチェッもしました。

試したのは、docomo、イーモバイル、WiMAX。

会場は、恵比寿ガーデンプレイス内の地下2階です。
地上なら、まだ使えるものの、地下も2階となりますと、厳しいです。

そのような中、なんとか安定をしているのは「イーモバイル」でした。
当日もこれでいきましょう!

気仙沼の「さんまピリ辛煮」

叔母が送ってくださった箱に「さんまピリ辛煮」がありました。
食べてみました。
オオ、これも美味しい!

斉吉さんの「金のさんま」とはまた違っていて、ピリっと辛いところはビールに合うのではないでしょうか。もちろん、ご飯もすすみます。気仙沼ホント旨いよ!

気仙沼ビューローと気仙沼を元気にする会(その2)

関東在住の、気仙沼への熱き思いもつ人で構成されている「気仙沼ビューロー」の会が1時間ほどあり、その後は、「気仙沼を元気にする会」の実行委員会が飯田橋で行われました。

申し訳ないことに遅れての参加となってしまいました。皆様、すみません。

さて、「気仙沼ビューロー」は、このたび、「一般財団 気仙沼サポートビューロー」として、新たな一歩を踏み出す予定です。本日は、私も押印などして、設立準備をしています。

また「気仙沼を元気にする会」には、多くの方が関心を示して頂いています。無事に開催出来ますように。

目黒のさんま祭りの記事

今年は参加出来なかった「目黒のさんま祭り」ですが、記事があちこちに出ていたので、読みふけりました。

目黒区の公式ページは、写真満載でわかりやすいです。

気仙沼高校の関東同窓会では、「気仙沼小唄」で踊りました。
同級生達の手作り「きらきらサンマ」は3時間で完売したそうです。
おだづなよTシャツも完売、気仙沼ホルモンには長蛇の列が出来ていたそうです。

目黒区の皆さんからは、姉妹都市である気仙沼に多大なるご支援を頂いております。ありがとうございます。

このような状況にありながら、無事に開催した実行委員会の皆さんの熱意には頭が下がります。気仙沼からボランティアで、深夜バスでいらしている皆さん、さぞお疲れでしょうね。ゆっくりやすんで下さい。

母が身体障害者手帳を交付されました

あの大震災の前に母を連れて市役所に相談に行き、その場で申請書を頂いて、病院に診断書作成のお願いをしていた「母の身体障害者の認定」がどうやら、通ったようです。

2級だそうです。

手帳を交付されたとして、いったいどうなるのか、まったくわかっておりませんでしたが、例えばタクシーなどの交通費に補助が出たりするようです。

それよりも嬉しいのは、やはり「情報」だと思います。

母は、父の形見の「杖」を使っていますが、本来ならば、白い、視覚障害者用の杖が必要のはず。それの購入先なども頂いて来たようです。現在の、被災してしまった気仙沼では購入出来ないようで、仙台に見に行く必要があるそうな。

他にも「時計がしゃべってくれるって」と母が言っていました。
目が見えないので、時計もボーっとしか見えず、間違いが起きていました。

自分が、その立場にならないと見えぬもの、わからぬものが、たくさんあります。

母は、昨年末(大晦日あたり?)から急激に視力が落ちてしまい、その速度が早すぎて本人が付いていけぬほど。まわりの者(私ども家族)は全く付いていけてない。だって、ほんの少し前までは見えていたんですもの。

ある日、突然、視力が低下してしまったら、、、
私なら、どうしているでしょう。

パソコンが出来ないというストレスが倍にも3倍にも、のしかかりましょうね。

まして母は、これまで暮らした家を失い、小さなアパート暮らし。
見えないもどかしさは、私の想像を越えていましょう。

「福祉」は、健康な時には、ちっとも気にもしない存在だけれども、一度、その立場になると、本当にありがたいもの。

新しい内閣の方に、どうぞ、福祉の低下はしないでくだされ、と申し上げたい。
議員定数を減らしても、消費税が上がったとしても、福祉のサービスレベルだけは低下しないで下さい。お願いします。

被災した文化財の復興@日経新聞

今朝(9/13)の日経新聞を開いてみると、目に飛び込んだ見慣れた建物!
オオ、これは気仙沼の男山本店さんだわ。

記事は、「大震災で被災した自然・文化遺産で、国の復旧対象にならない文化財などの復興を支援する活動が動き出している」というもの。

活動に取り組むのは、「日本ナショナルトラスト」さんとあります。

10月から公募、審査をして来年3月に支援先を決めるそうです。

気仙沼には、他にも角星さん、武山米店さんなどの文化財17件が被災したとあります。1つでも多くの文化財が復興しますように。

気仙沼ビューローと気仙沼を元気にする会

関東在住の、気仙沼にゆかりの人達と毎月、定例の会を開いています「気仙沼ビューロー」の会がありました。会議室を借りて、実に真面目に色々と議論を重ねているのでございます。

今回は10月に予定している「気仙沼を元気にする会」の実行委員会も兼ねています。こちらの詳細は後日、ご案内するとして、

このように、2次会もワイワイと。

三陸新報の今年の絵を提供している尾形さん。
三陸新報を購読の皆様には、毎月1日に、今月の絵が掲載されているのをご覧になってください。

毎年、夏休みに気仙沼に帰って、地元の風景を描いているのですが、今年は変わり果てた故郷を描く気持ちになれなかったそうです。気仙沼も一日も早く、美しい街に戻って欲しいものです。

新宿伊勢丹・斉吉さん出店しています

気仙沼の「斉吉商店」さんが、新宿伊勢丹に出店しているという噂を聞きつけ、行って参りました!

被災地応援ファンド」に投資して送られてきたのが「金のさんま」
それを初めて食べてから、すっかりファンでございます。

「さんまの煮付け」は気仙沼の家庭料理ですからね、「さんまをたく」と言いますけど、どこの家庭にもあるのにわざわざ買わなくても、と思っていたわけだ。

ところが!
家庭の味とは全然違う!
プロの腕です。お品の良いお味です。

ダンナからもリクエストされていたので、お目あては脇目もふらずに金のさんまへGo〜!

ありました、ありました、斉吉さんブースです。
伊勢丹の「人気の味食べつくし 食の多様性特集」で9/13(火)までと書いてあります。

かわいらしい看板娘たち。

オリジナルの衣装は、気仙沼の伝統を活かしています。
気仙沼にある「リアス美術館」に展示してある伝統のものをヒントに制作しているそうです。
背中の文字も良いですね〜。

この紙袋もオリジナルです。
こちらにも気仙沼では伝統的な、大漁、宝船をモチーフに制作したそうです。

会社のみんなにもおすそ分けを。もっと買ってくれば良かったなぁ〜w。
これこれ、これが金のさんま。
「つながる心 ありがとう」の文字。

家に帰りますと、湯煎して、

時間は適当です〜w。

そして、お皿に盛りつけるだけなんですけどーw

美味しい〜〜〜!

9/13(火)までやってますんで、もう一度、行こうかなぁ〜〜〜!

専務の和枝ちゃんから、少しお話伺いました。
「9月には新工場が出来ているものと思ってたんですー」
そうだよね、そうだよね。みんな、そう思っていたと思う。

「9月なら出店します!と言っちゃって・・・こんなに復興に時間がかかるとは思わなくて大変でした〜」

そんな大変なご苦労の中で、商品が復活しました。

・・・とウンチクをダンナに話しながら、ありがたく頂いたのでございます。