関気会の忘年会2011

気仙沼中学校29回生の同級生のうち、関東に住んでる人達と「関気会」という会を結成して、会っている。いつも本当にありがとう。あなたたちのおかげで、私はいつも元気に楽しく生きているのです。

それで、ちょっと早いけど、忘年会です。

銀座の「塩梅」さんで、飲み放題があるというので集まりました。
お店の看板のところにサンタさん。そーかー、もうすぐクリスマスなんだなぁ。

気仙沼から、ムラクミも来てくれていて、2次会には、同級生の妹のマリコちゃんも参加されるとのこと。少しずつ輪が広がってるように思います。避難中のスダやユウジ君も今年は一緒です。彼らは気仙沼市内の仮設住宅に入れなくて、目黒区が用意してくださった避難施設に住んでいるのです。

飲み放題付きで2980円は安いですよね。ここは銀座。
デザートはこちら。これ、気仙沼では「甘太郎」という名前で出てました。

またまた昔話に花が咲きます。リヤカーで、団子やさんあったね、シラス売りもいた「シラス、よござりますか〜」だったね。八百屋さんも来たよ。

楽しい話をかかえて皆さんは二次会の会場へ。

私はというと、明日、フルマラソンを走るので、後ろ髪を引かれながら1次会にて退散です。悲しー。

これはジュンちゃんの手作りをプレゼントしてくださいました。
A4が入るサイズってにくいですよね。
ジュンちゃん、ありがとう!大切にします。

「関気会」と29回生の文字「廿九」も良いです〜。

第16回 SFC Open Research Forum 2011

慶應義塾大学SFC研究所は「オープンリサーチフォーラム(ORF)」という研究成果発表会を東京ミッドタウンで開催しました。開催テーマは「学問ノシンカ」。

「『新しい公共』の可能性」というセッションに気仙沼市長が出席されるそうで参加しました。

ミッドタウンのカンファレンス会場を貸し切っての発表会です。
なんといいますか、こういう場で発表出来るなんて、慶應の学生さん達は恵まれているというか、すばらしいですね。ここは都内でも立地条件はいいし、設備は良いし、それと比例して利用料金は高いです。社会人の我々もなかなか利用することが出来ません。

発表会は学生さんだけではなく、先生、そして気仙沼市長のようなゲストも交えてお話を聞くことが出来ます。
同時にネット配信しているようです。

残念ながら会場内は撮影が禁止されているため、写真はありません。
東京ミッドタウンは、セキュリティが厳しいのです。

「新しい公共の可能性」は、room5にて、13時〜14時半まで行われました。
ゲストは、(発表順に敬称略)
・松井孝治(参議院議員)
・菅原茂(気仙沼市長)
・吉富志津代(NPO法人多言語センターFACIL 理事長/大阪大学グローバルコラボレーションセンター 特任准教授)
・バンバン・ルディアント(和光大学教授)

司会は、島田美和(総合政策学部専任講師)
監修は、金子郁容(政策・メディア研究科教授)

私は、少し遅れて入りますと、松井氏が寄付金に対する控除が税制改正されたお話をされていました。
認定NPO法人や、公益法人に「災害地への寄附」をした場合は、税金が控除されるそうです。そのように政府も税を改正しているのだというお話。こういう話は案外と知らないもんです。マスコミの皆さんも、もっと大々的に報道して欲しいと思います。

そして、気仙沼市長です。
スライドの写真や映像は効果的でしたね。
階上中学校の卒業生の言葉は、私は何度も見ていますが、何度見ても胸にせまります。多くの方が涙されているようです。

そして、市長さんは、良い意味でも政治家というよりは、私たちの感覚に近いのではないでしょうか。正直ですよね。「市民の皆さんを不安にさせ、企業の方々には焦らせてしまった」と、とても誠実に話されていました。「そうなってしまった原因は、予算が確保出来ないため、半端な事を言うことが出来なかった」そうです。市長さんの真面目な面が垣間みれます。おだってないのです。「やっと第3次補正予算が決まり」これで、現実味のある話が展開出来るようです。やっと、やっと、やっとです。

吉富さんは、NPO法人として、マイノリティの方を支える活動をしているのだそうです。例えば災害ラジオ放送。気仙沼にはフィリピンの方も住んでいらっしゃいます。多くは、お嫁さんという立場のようです。その方々は、日本語で話して暮らしてはいるけれど、このような災害時には、やはり母国語で話し、聞きたい。そりゃそうですね。

そこで、タガログ語での放送をしているのだそうです。
そういう取り組みがあったこと、ちっとも存じませんでした。
今は、タガログ語だけではなく、日本語をまじえながら、そして、地元に花を植える運動などに発展しているそうです。

ルディアントさんはインドネシアのご出身だそうです。
インドネシアの災害は日本と似ているそうです。

毎年のように発生する洪水被害。
作っては流され、作っては流され。
そうするうちに「災害と共に」という考え方に変わって来ているそうです。

例えば、トイレを高台に作るといった工夫は市民から発案されたそうです。
インドネシアでは、「避難」に相当するような適切な言葉自体がないのだそうです。それでも「SMONG」という言葉が、逃げるを意味して、この言葉で皆さんが高台に避難しているそうです。

「災害に強い、安全な街作り」には多大な資金がかかるけれど、このような言葉を統一していきましょうといったお金がかからないことからでも、何か出来るのではないかと話された事が印象的です。

そして、スマトラ沖地震の際には、日本から「何に使ってもよい」という140億円以上の寄附があって、大変ありがたかったとのこと。私たちは、共に助け合って生きているのですね。

たまたまお隣の席に「気中20+PLUS」さんがご夫妻でお見えになっていました。
奥様は、市長さんと同級生だそうです。
奥様のお宅は、私の実家(魚町)からすぐ近くの南町だそうで、きっと同じ場所で遊んで過ごしていますよね。

私たち、東京(関東)に住む者が、どのように支援し続けられるのだろうか。
お金には限りがある。
東京にいると、何度も気仙沼に帰ることは難しい。
そのような中で、何かをつかみたくて私は参加しました。皆さん、同じ思いです。

さて、慶応義塾大学と気仙沼。今回の災害での結びつきは、たまたま慶應に通う清水君という学生さんが気仙沼出身ということから始まりました。その清水君は、私の同級生の節子さんの息子さんです。ご主人も同級生。そのお父さんの方の清水さんにも会場内でお会いしました。私達50歳代、次にちゃんとバトンを渡すためにも頑張りましょうね。

それにしても市長さん、清水さん、そして皆様、健康に注意してくださいね。
ちゃんと休みも取ってくださいね。

AUGM、気仙沼で出来たら!

AUGMってご存知ですか?
「Apple User Group Meeting」の略で、全国各地でMacユーザが集まるイベントを開催しています。

東京にはAUGM東京があります。

九州地区は、とても熱い会が繰り広げられています。
これは有志の皆さんが開催しているボランティアのイベントなんです。

その気仙沼版をやろうという思いで、突っ走りそうです。
誰か、止めて〜。
やっぱ、止めないで〜(^ー^)。

気仙沼近郊にお住まいのMacユーザの皆様、iPhone、iPadユーザの皆様、それが気仙沼で開催されたら嬉しいっちゃね!?

やってみましょう。やってみっぺ。
わー、ワクワクするわぁ〜。

映画「無情素描」

18時過ぎにメールチェックすると、横浜の弟からのメールを発見。
人間ドックに入っていて、チェックが遅れました。

「震災後の気仙沼を映した映画「無情素描」が、今日だけ上映される」とな。
「一緒に行かないか?」とのお誘いだが、時計を見ると、あらら18時過ぎている。映画は19時開始。

迷う暇もない。すぐに外へ出る。
参宮橋駅近くの「国立オリンピック記念青少年総合センター・小ホール」へゴー!

参宮橋で弟と電話連絡を取り合い、一緒に会場へ。

映画「無情素描」大宮浩一監督の作品。

その映画は、4/28〜5/4までの気仙沼。
ちょうど、同時期に私も気仙沼に参りました。その時の記憶が鮮明に思い出されます。

玄侑宗久さんのお話、そして「お経」。

インタビューもあります。
これ(気仙沼弁)、字幕無しで皆さんに通じているのでしょうか?(^ー^)

気仙沼市内を映してはいるのですが、どこなのか説明がないので、出身の私でもちょっと迷うほどです。ガレキの山が続いて、そこがどこなのかわからないのです。

そんな中、マルキの魚市場前工場がチラリと映りました。海から撮影したのですね。あの当時、あの地帯は通行止めで行くことが出来なかった。

三春町の福聚寺(ふくじゅうじ)住職で作家の玄侑宗久さんのお言葉は実に興味深いものです。
「自然とどう共存していったらいいのか」日本中が模索しているけれど、「不安をかかえながら生きていくぐらいが調度いいのではないか」と最後に述べているのは興味深い話です。

お経を聞いていて、あの日に亡くなった大勢の方を思って、心で手を合わせました。
「無情」という言葉。心にしみます。

映画の中に出演していた医師は、長尾和宏さんのようです。
ネット検索して、辿り着きました。
長尾医師は開業医であったため、GWを利用しての旅だったのですね。

そして、気仙沼出身の小野寺英孝さんという医師は、聖マリアンナ医科大学から医師団として救護にあたっていたようです。

映画の後には、対談がありました。
NPO法人NICEさん」は、陸前高田で、今もボランティア活動を続けているそうです。

出身でありながら、何も出来ない私、
もどかしい思い。
形に出来ないむなしさを抱えたまま歩いています。

そんな気持ちを押さえつつ、映画の後は、弟とダンナと食事をして参りました。
ロシア料理の「マトリョーシカ」の
「つぼ焼き」でございます。美味しうございます。

つながり…

「気仙沼を元気にする会」が終わって、関東に住む、特に私より若い皆様が「同窓生で集まろうよ!」という空気が増えているそうです。

実際に集まる前に、Facebook や mixi で呼びかけて、少しずつ、その輪が広がっているそうです。そんな報告はとても嬉しい。

一人の力はとても小さいけれど、集まることで大きな事を成し得ることもありましょう。
今は故郷を離れているけれど、故郷を思う気持ちは同じです。
気仙沼、そして被災地は、これから寒い冬を迎えます。

気仙沼サポートビューロー定例会

これまで「気仙沼ビューロー」という名前で月に一度集まって、勉強会をしたり、情報交換をしていた会は、このたび(先月)「一般財団法人 気仙沼サポートピューロー」として登記をして、再スタートをいたしました。

その定例会が飯田橋のルノアール会議室にて行われました。

被災した気仙沼そして、その周辺に、私たちのように故郷を離れた者がいったい何が出来るのだろうか、何をしていくべきなのか。

本日も色々な意見が出ましたし、新たな、若い!参加者が増えました。
ご興味のある方はぜひ、ご連絡ください。

あの日のメールとツイッター

昨晩、8ヶ月目の11/11に、あの日、気仙沼の弟、そして横浜の弟と交わしたメール、その後、従兄弟、従姉妹もツイッターに入ってもらって、ツイッターを介して会話した事を振り返ってみた。

深夜に一人で読んでいた。
みんな必死で、文書が辛くて痛くて、とても冷静には読めない。

あの日、亡くなった方が大勢いる。
私がパソコンの前で、どうにもならぬ思いをただひたすらに入力している、まさにその時に、雪の降る中で、辛い思いをしていた皆様を思うと、何とも悲しくて、辛くて、心が凍り付くようです。

それらを読み返すと、あの日は情報がなくて、あれほどの惨事になっていることは想像も出来なくて、一夜明けた朝の、ヘリコプターから見る映像に青くなったことを覚えています。そこが「気仙沼だ」と言われてもわからぬほどに変貌してしまった街。

横浜の弟から、こちらのYouTubeを紹介されました。
この映像は初めて見ます。私の家もチラリと映っていました。
家にあった色々なものは、こうして、この海に流れていったのですね。
東日本大震災(1)大津波 気仙沼市内湾

そして、こちらの映像には、波が引いていく様子、そしてその波が再び津波となって押し寄せる様が映し出されています。
続報 気仙沼湾に押し寄せる大津波が湾内を回流する様子

気仙沼海上保安署撮影 津波映像

「気仙沼かなえ育英基金」の打合せ

私の母校は、鼎が浦高校(かなえがうら)という女子校でしたが、男子校だった気仙沼高校と統合されました。同窓会も一つになったおかげで、いわゆる同窓生が増えたわけです。

そのような中にありまして、母校に対しての奨学金を考える会が結成されました。
「気仙沼かなえ育英基金」です。

今週末の「気仙沼を元気にする会」で紹介しますため、その辺の打ち合わせをして参りました。

優秀な高校生の皆さんが大学進学をあきらめないで欲しいというのが願いで、対象は気仙沼高校を卒業して大学生になる方、としています。

詳細につきましては、もうじき決まりますから、少しお待ちください。

「気仙沼を元気にする会」の現地打合せ

今週末とせまった「気仙沼を元気にする会」の現地での最終打合せをして参りました。

250名を予定していますが、それ以上の可能性が高くなりました。
そこで、椅子をどの程度ならべられるか?
お料理は何人分をお願いするか、など、皆で考えてお願いして来ました。

それと併せまして、UST放送が可能かどうかのチェッもしました。

試したのは、docomo、イーモバイル、WiMAX。

会場は、恵比寿ガーデンプレイス内の地下2階です。
地上なら、まだ使えるものの、地下も2階となりますと、厳しいです。

そのような中、なんとか安定をしているのは「イーモバイル」でした。
当日もこれでいきましょう!

気仙沼の「さんまピリ辛煮」

叔母が送ってくださった箱に「さんまピリ辛煮」がありました。
食べてみました。
オオ、これも美味しい!

斉吉さんの「金のさんま」とはまた違っていて、ピリっと辛いところはビールに合うのではないでしょうか。もちろん、ご飯もすすみます。気仙沼ホント旨いよ!