昨晩、8ヶ月目の11/11に、あの日、気仙沼の弟、そして横浜の弟と交わしたメール、その後、従兄弟、従姉妹もツイッターに入ってもらって、ツイッターを介して会話した事を振り返ってみた。
深夜に一人で読んでいた。
みんな必死で、文書が辛くて痛くて、とても冷静には読めない。
あの日、亡くなった方が大勢いる。
私がパソコンの前で、どうにもならぬ思いをただひたすらに入力している、まさにその時に、雪の降る中で、辛い思いをしていた皆様を思うと、何とも悲しくて、辛くて、心が凍り付くようです。
それらを読み返すと、あの日は情報がなくて、あれほどの惨事になっていることは想像も出来なくて、一夜明けた朝の、ヘリコプターから見る映像に青くなったことを覚えています。そこが「気仙沼だ」と言われてもわからぬほどに変貌してしまった街。
横浜の弟から、こちらのYouTubeを紹介されました。
この映像は初めて見ます。私の家もチラリと映っていました。
家にあった色々なものは、こうして、この海に流れていったのですね。
「東日本大震災(1)大津波 気仙沼市内湾」
そして、こちらの映像には、波が引いていく様子、そしてその波が再び津波となって押し寄せる様が映し出されています。
「続報 気仙沼湾に押し寄せる大津波が湾内を回流する様子」