太田の家はこんな感じに…

魚町の近くの太田1丁目にも、家があります。
そちらも行ってみることにしました。

途中の「亀の湯」さんが再開していました。
大阪府池田市から支援だそうです。ありがたいです。

太田の家が建ったのは、昭和何年でしょうか。
津波がなければ、シッカリと建っていましたのにね。

取り壊しのお願いを出しているので、ここも、いつ見納めになってもおかしくない。

魚町の家とほぼ同じ造りです。
玄関を入るとすぐにコンクリートの作業場があって、天井が高くて、上に作り付けの棚がある。
表階段と裏階段があって、神棚があって、その下には茶箪笥というのか、箪笥が作り付けになっている。

気仙沼の町場の家のスタンダードだったのではないでしょうか。

魚町の冠水状況

やっぱり、魚町の実家跡に足が向きます。
とにかく、また行ってみましょう。

15時頃の魚町海岸通りは、こんな感じ。
ご近所の、藤田屋さんと川印さんの間の道路から撮影しました。

裏側からなんとか自宅跡に辿り着くと、

自宅の海側は、海と化してました。
隣に、大島電気さんの建物が見えてますでしょう。
ここが我が家なんです。これは結構、ショック。

大きな建物は、勝倉さん宅。
道路全体が冠水していて、これは、とても住める状態ではありません。

それでも、やっぱり海が見える魚町がイイとおっしゃる数軒の方が、戻って暮らしています。
ここで暮らすのは、本当にご苦労が多いでしょうね。

どのように復興していったらいいのか、気が遠くなる思いです。

宮登さん田中前でオープンしてます

南町で被災した「宮登」さんは田中前に移転して営業しています。

という情報をネットで収集していたので、
「へー!ホントすか?」と半信半疑の母を連れて行ってみることにしました。

お店が減少してしまった気仙沼では「予約してないと入れないよ」と弟夫妻から聞いておりましたので、予約を入れます。

住所から確認するとパルポーさんの2軒隣です。

オー、あったあった、ありました!

こんばんは〜!
あらぁ〜、お久しぶりです、母と宮登の奥さんが挨拶をかわします。

あの大震災の前、3/9に母と食事に伺っておりました。
そうでした、そうでした。
あの入り口近くの、父が好きだった席に通して頂いて、美味しく頂きましたっけ。

母とダンナと私の3人はカウンターに通して頂きました。

3代目のご主人と会話をしながら頂きます。

今日は、「おまかせ」をお願いしました。
彩りも美しく、

本当に美味しくて、

気仙沼に帰ってキターという感じがいたします。
お刺身や、本当に美味しい鶏のからあげ、川魚、柳川なべなど、おまかせでは美味しいお料理が並びますからお勧めです。

いつの日か、南町に再開する日が来ますように。
私どもも、魚町に復活出来ますように。

皆さん、お身体に気をつけて、進みましょうね。

灯籠流しと花火

灯籠流しと花火があるらしい、けれど、案外と地元に住む母には情報がない。

ネットで探すと灯籠流しは「内湾」とあります。
とにかく、実家の方に行ってみましょう。

ヴァンガードを出て、南町、魚町を歩きますと、暗い。
あぁあ、懐中電灯を持参するのを忘れました。

暗いねぇ〜と言いながら、エースポートに行ってみようということになりました。

エースポートにたどり着くと、人が増えています。
やっぱり、この辺りでしょうか?

目をこらして内湾を見てみると、オオオ!船が灯籠を一つ一つ、海に浮かべていました。
暗い夜道を、そろりそろりと、自宅の方向に向います。

内湾に灯籠が浮かんでいました。

思わず、手を合わせます。

さらに進みますと、ご町内の方に会いました。
思いのほか、人が出ています。
実行委員の皆さんが、暗い足下をライトで照らしてくださっています。
ありがたいです。ありがとうございます。

ご町内の皆さんとお互いの無事を確かめ合います。

母は皆さんから「今、どごに居るの?」と聞かれていました。
そのたびに「早く帰りたい」と言う母に、なんだか胸がグっと来ます。
もう住む家がないのにね。

海には灯籠がいくつもいくつも。
海に向って合掌。
いまは、こんなに穏やかな海。

気仙沼プラザホテルの後ろの方に花火が上がりました。
ホテルの影で、半分しか見れなかったけれど、その花火にしばし見入ります。

花火は松岩の方であがっているそうで、そちらでは、さぞや美しく見えた事でしょう。
「高台(ホテルとか)に移動してみる?」と母に聞くと、
「こご(魚町)でいい」って。

例年と違って、静かに花火を眺めました。
そして、灯籠は、少しずつ、少しずつ、沖に向って流れています。

南町は少しずつ再開…

気仙沼中学校を後にして、気仙沼小学校の校庭を通って、やっぱり足は魚町の自宅跡地に向います。

紫さんの坂をおりますと、たしか「ぴんぽん」が再開していると聞いていたので、そちらに向って歩きました。

ありました、ありました!
気仙沼を代表する居酒屋「ぴんぽん」は2階で営業を再開しています!
嬉しいです。

さらに歩きますと、気仙沼を代表するJAZZ喫茶「ヴァンガード」が営業しています!
お茶していきますか。

中に入りますと、母の実家のご近所だったというヴァンガードの家主といいますか、そういった方がいらして、懐かしさに花が咲きます。お互いの無事を喜び合っています。

昭和の時代に、最も栄えた南町が、大堀銀座が、復活してくださるのは本当に嬉しい。
まだまだ、本当に大変な時ですけれど、どうぞ、お身体に気をつけて、営業を続けてくださいませ。

気仙沼中学校の仮設住宅

母の住むアパートを後にして、「ざわざわ」という坂道を上がり、気仙沼中学校に行ってみます。

気仙沼中学校の、あの広い校庭の半分が仮設住宅になっていました。残りの半分は駐車場です。

気仙沼には仮設住宅を建設出来る場所が少ないので、学校の校庭、公園、あらゆる場所が仮設住宅の対象です。

ところで、中学生の部活はどうしているのでしょうか?

私達は、この広い校庭を思う存分に使って、部活に汗を流していたことを思い出すと、陸上部、サッカー部、テニス部、ソフトボール部、野球部はすぐ隣の市民グランドを利用しますけれど、そちらも仮設住宅が建っていて、いったいどこで練習をしているのだろう?と思いながら歩きました。

この時期に中学時代、高校時代を送る皆様には、大きなストレスが幾重にもかかっているけれど、どうぞ、前を向いて進んでください。

まだ仮設住宅に入れずに避難所暮らしをしている方は大勢います。
母が避難していた教室には、まだ多くの方がいらっしゃるようです。
もう5ヶ月になるというのに、、、。

この大震災の大きさ、そして思うようには進まない復旧。
出るのはため息ばかりです。

気仙沼にて「港けせんぬま復活祭」のオープニングセレモニー

「ざんぞかだりの会」の後は、魚市場の屋上に移動して「港けせんぬま復活祭」のオープニングセレモニーを見に行きました。

現地で母と合流です。
母は元気にしております。

市長さんの挨拶の後に、条南中学生のお2人が追悼の辞を述べました。

献花の後に、畠山みゆきさんの詩の朗読と歌。
心にジーーーーンと来ます。

熊谷育美さんは、地元の合唱団の皆さんと歌いました。

その後に、お2人で「ふるさと」を歌いました。

オープンセレモニーの式典が終了した後、母と一緒に献花させて頂きました。
あの津波で命を落とされた皆様のご冥福をお祈りいたします。

気仙沼にて「ざんぞかだりの会」

慶応大学の学生さん達が中心になって、Facebookの中で「3.11から気仙沼をデザインする〜ワクワクする世の中〜」という集まりがあります。

オンラインだけではなく、直接会って話そうということで、気仙沼弁「ざんぞかだり」と名付けられた会の2回目は、気仙沼で行われることになりました。

「海の市」の3階で12時から始まります。

私は、大船渡線で気仙沼到着が12:07。
気仙沼駅から直行して、到着したのが12:20頃でしょうか。

そのまま参加させて頂きました。

慶応の学生さん、現地の経営者の方々、気仙沼在住の皆さん、他の大学の方、いろいろな立場の方が参加して意見を述べます。私も意見を述べさせて頂きました。

・・・が、一人2分でまわすのですが、私のまとめ力が足りずに、誤解をまねいたかもしれません。
続きはネットで補足して参ります。

多くの方の意見を伺うことが出来て、貴重な時間でした。
ぜひ、継続して参りましょう。

慶応大学の皆さん、ありがとうございました。
ケンユウ君、ありがとう!

海の市周辺は、このように水が出ています。

ACの広告で、気仙沼小学校から

8月上旬公開予定のACのCMでは、気仙沼小学校で撮影したものが登場するようです。
ACのサイトで見ることが出来ます。

気仙沼小学校に子供達、そしてキマグレンの歌。
テーマは「感謝の気持ち」

画面には、隣の気仙沼中学校と体育館も見えます。
どちらも我が母校。そして家族が避難していた場所。

私からも感謝の気持ち、ありがとう。

あがらいでバー!(11回目)

気仙沼大好きな人達が集まる「あがらいでバー!」の第11回がありました。

本日も大盛況でした。
本日のゲストは、弟の同級生でもある千葉さん。

気仙沼とITとバレーボールについて語ってくださいました。

魅力的な方です。
みなの心をグィと引きつけます。

そうですか、てっちゃんの同級生でしたか。
今もバレーボールを続けていて、マスターズという大会では全国大会出場だそうです。

地元・気仙沼の被災の様子は、それぞれのご家族や同級生のことなど、こうして語り合える場があるってステキなことです。

近頃は人気が高く、キャンセル待ちが出るほどでした。
皆さん、ありがとうございます。