えぼしスキー場

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

遠刈田温泉「ラフォーレ蔵王」に泊まっています。
近くに「えぼしスキー場」があり、ホテルから無料のバスが出ます。
(ただし、土日と祝日のみのようですからご注意ください)

私たちは、ウエアとスキーも借りるので、早めに行こうということにしまして、一番のバス8時半出発で参りました。

姪たちは初スキー。
中学生、高校生は2度目とか3度目とか、その程度。
お父さん、お母さんは、20年ぶりとかそういう感じ。
とにかく、もう、全員、初心者ですわ。

唯一、私のダンナが北海道出身なので、別格か。
ということで、ダンナが初心者に教えてくれます。

ちょっとしたスキー教室のようになっています(^ー^)。

最初はちびっこゲレンデが精一杯だった姪達も午後にはリフトに乗って初心者コースへ。

最初だけ怖がっただけで、あとは初心者コースをガンガンすべっています。大人は負けてますよ、ホント、子供って覚えが早いのねー。

リフト券は、前売りを買っておきました。
リフトに乗れなかったらどうしようと思ってたけど、まったく問題なし。

今日は怪我もなくて、天気は晴れてましたし、良かった良かった。

遠刈田温泉にGoー!

人生初の、正月を温泉で過ごそう!に参ります。
遠刈田温泉(とおがった)。

東京駅10時半頃に出発する新幹線を予約していました。
といっても、ダンナと横並びは取れずに、前後という席で向かうは仙台駅。

仙台駅で横浜の弟一家と無事に会って、ホテルの無料シャトルバスで遠刈田温泉に向かいます。
本日のお宿は「ラフォーレ蔵王」。
健保組合で、少しお安く泊まらせて頂きます。

仙台駅から13時出発のシャトルバス。
約70分と書いてありましたが、スムーズに流れて、おおよそ1時間で到着しました。
雪ダー!

姪たち。かわいいでしょ。

チェックインして、なんだかんだとやっていたら、もうすぐ3時になります。
今日はスキーは諦めて、近くを歩いてみました。

予約が遅かったため、食事の時間が20時になってしまいました。
いいのです。その間の時間を利用しての「温泉卓球」じゃ。
気仙沼の「おだづなTシャツ」で卓球でござる。

そして、温泉。
そして、食事。

うーん、こんなに楽しくていいのでしょうか。
明日は早いぞ、今夜は早めに寝ましょうね。

クリスマスイブの銀座・気仙沼復興市

用事があって銀座に参りまして、ついでといってはアレですけれど「銀座TSビル」の「銀座いきなり市場」に参りました。

この寒い中、齋藤さんが店頭(外)で呼び込みをしていました。
東京在住の方々がボランティアでコンシェルジュをしているのです。
店頭にただ並べられただけでは、その商品の意味や価値がわからないものも多いので、それを説明しているのです。

店内にいらしてる方々も、気仙沼商工会議所などからいらしている方々。皆が気仙沼復興のために頑張っています。

どうぞ、銀座にいらした時はお立ち寄りください。

三陸新報の今年の絵を描いたのは

気仙沼の地元新聞「三陸新報」は、毎月、「今月の絵」が紹介される。
カレンダーの絵としても1年、親しまれる。

今年の絵を提供されたのは、気仙沼サポートビューローでも活躍している尾形さんです。
尾形さんは、私の亡き叔父(母の弟)と同級生でした。
年をとってから絵を描き始めたとおっしゃるが、その腕前はなかなかどうして、すばらしい。

12月のサポートビューローの定例会の時にも、レッスン中の絵を持ってきて見せてくださった。
挑戦は続いていらっしゃる。

尾形画伯が描く「気仙沼を題材にした絵」を、気仙沼に常設出来たら嬉しいなぁと個人的に思っております。

プロフェッショナル仕事の流儀に畠山重篤さん

NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の「第170回 畠山重篤(2011年12月12日放送)それでも、海を信じている」を録画していたので、ゆっくり観た。

(再放送は、12/16(金)午前0時15分からあります)

畠山さんは気仙沼市唐桑町でカキの養殖を仕事にして50年。
森は海の恋人」という本を書いて、室根山に植樹運動を続けている。

私が子供のころ、私の実家は「カキ屋さん」と呼ばれた。
(今もご年配の方にお会いすると、そのように言われています)

所有する2艘の小舟で、畠山さんが働く舞根(もうね)地区にも、牡蠣の買い付けに行き、まだ小さかった私や弟はその舟に乗せてもらって、浜に行くのが大好きだった。特に弟は、毎日のように小舟に乗せてもらっていた。

実家では、他にタコの工場もあったし、ワカメは、父が全国わかめ会とかなんとかの会長を務めるなど熱心にやっていたのだが、周囲の認知として「カキ屋さん」と言われるのは、その牡蠣が美味しいと評判で「マルキの牡蠣は生で食べた」言ってくださる方がいらしたので、ああ、そうかと思ったり。それと、店頭に並んだ商品に大きく「マルキ」と屋号が出ていたので、皆さんがカキ屋さんと思ってくださったのだろうか。

それが番組の中でも紹介されたように昭和40年代、気仙沼湾に「赤潮」が大量発生し、赤潮プランクトンを食べて育った牡蠣は「血ガキ」と言われるように赤くなり、売れなくなってしまった。

その頃から、私の実家では牡蠣から主力商品をさんまに移行していくわけだが、(今も牡蠣も扱っているようです。震災前ね)畠山さんは「赤潮」が発生する理由を研究し、それから、大川の上流にある「室根山」に植樹を始めたわけです。

そのおかげで、気仙沼の牡蠣は、また昔通りの、もしかしたら、それ以上の品質となっています。

・・・が、そこに、この大震災。

ところが不思議ですね。
このような大津波の後は、牡蠣が急成長する、と畠山さんは昭和35年のチリ津波で経験しているのです。

なんと通常2年かかる成長が半年で出来てしまう。
ウッソー!ホント〜?

その記憶をたよりにとにかく、牡蠣いかだを組み、養殖を開始します。この日までに間に合わなければ、、、という、つなわたり的な日程をこなし、

そして!
奇跡の「今年の牡蠣」が築地に届きます。

私が1979年に上京した頃、東京では「牡蠣といえば広島」と言われました。今もそうかもしれません。

しかし、しかし、しかし、
三陸の牡蠣は本当に美味しいです。
プリップリですよ〜。

NPO法人 森は海の恋人」もチェックしてください。

気仙沼サポートビューローの社員総会

気仙沼を愛する皆さんと一緒に設立した「一般社団法人 気仙沼サポートビューロー」の社員総会が行われました。

と書きますと、なにやら、おおげさな感じがしますが、これまで数年来、活動してきた「気仙沼ビューロー」がこのたび、「一般社団法人」としての登記を行い、活動の場を広げていこうと進めているのです。ということで、メンバーはいつもの、心置きなく意見を述べられる皆様ですから、ワイワイ・ガヤガヤ。

あの大震災が発生し、私たちの担うべき役割も増えているに違いない、そんな熱き思いを持っています。

これまでの任意参加「いいがら、はまらいん」と言って増えたメンバーですが、(その気持ちはそのままに)これからは「会員」という立場で、年会費を募り、マジメに!計画を立てて、実行していく所存です。

そのための「活動内容」などを明文化しようと話し合いまして、その後は、今年最後の飲み会を、近くの、いつもの居酒屋で「お疲れさま〜」とやったわけです。

最近、若いメンバーが入ってくださり、さっそくに良いご提案。
前に進み始めています。ご興味のある方は、私宛に、このブログの「おい問合わせ」からご連絡ください。お待ちしています。

東京・関東にいても、私たちに出来る事はきっと・ある!

ハナちゃんにまけるな。

高橋書店」の高橋手帳のTV CMはご覧になりましたか?

「ハナちゃんにまけるな。」は、気仙沼のサッカー少女ハナちゃんが出演されています。
気仙沼そしてハナちゃん。
私の母校・気仙沼小学校、魚町のご近所。

YouTubeで見ることが出来ます。

「やってみよう」「元の気仙沼を見てもらいたいと思う」「出来るかどうかわからないけれどがんばってる」ハナちゃんの言葉です。ハナちゃんに勇気をいただきました。

ハナちゃんは、「気仙沼シャークス」という小学生サッカーチームのキャプテン。背番号7。フォワード。小学校6年生。震災後の6月に、同社の支援活動の一つとしてサッカー教室をサポートした際に、出会ったそうです。そこで出会った笑顔。ひたむきさ、それが心に残り、「日本に元気を届けたい」という広告の趣旨と合致したことで起用が決まったようです。

高橋手帳さん、ありがとうございます。

気仙沼コンシェルジュ

Facebookに「気仙沼concierge」というグループが出来ている。

銀座にオープンした「銀座いきなり市場」を盛り上げようという活動をしている。例えば、お店にいらしたお客様が困っているようであれば、コンシェルジュとして声を掛けたり、商品の説明をするなどを手伝おうということだ。

そして、本日は、気仙沼から東京に送り込まれ、店頭で働いている方々との交流会(という飲み会)が催され、参加させていただいた。

銀座ライオン。
なんと、20名以上でしょうか。
さまざまな方がいらしていて、大盛況でした。

はじめましての方も、気仙沼つながりで打ち解けて、ともに気仙沼の復興を思って飲んだのでございます。

銀座にお店を出しても「売れる」には大変なご苦労がおありだと思います。まして、ご自身も被災されている身としては、本当に大変ですね。こういうお手伝いを企画して実際に活動している皆さんにも頭が下がります。

帰り道、歩きながら話していたら、本日・最年少の大学生が、後輩の息子さんと知って、またまたビックリ。必ず、どこかでつながってる!

南気仙沼小学校のこと

三陸新報」という気仙沼の新聞を東京で購読している。

大震災の前日にたまたま定期購読の契約をしていた。契約した時には、まさか、このようなことになろうとは思わなかった。地元の情報を三陸新報によって得ている。

新聞代1,400円+送料1,000円、1ヶ月あたり2,400円。
半年か1年契約です。気仙沼以外の方もぜひ定期購読を。電子版もありますが、私は毎日届く新聞紙を楽しみにしています。定期購読のお問い合わせはこちらからどうぞ。

先日の一面には「南気仙沼小学校が気仙沼小学校に統合するかどうかについての懇談会が開かれた」という記事が掲載されている。これまで何度もこれに関する記事が掲載され、注目している。

南気仙沼小学校の誕生は、気仙沼小学校の火災によるものと記憶している。
ちょうど、私たちが入学する年の3月に気仙沼小学校が火災にあった。火災は夜だったか、朝だったか記憶は怪しいが、不審火だったような気がする。

その火災で、校舎一部を焼き付くし、私たちの年から、急遽、南気仙沼小学校が出来た。
そして、もし、今回の大震災にて「南小」がなくなるとするならば、火災によって誕生し、震災によって統合されてしまうという、悲しい運命をたどることになる。

弟の家は南小学区にあり、甥達は南小出身だ。
その地域は、被災が激しい一帯で、小学校も被災した。

南小出身の、中学の同級生らから話を聞くと、私達の代の間は、まだ校歌がなかったそうだ。6年間、校歌なしで過ごしたという話からも、急遽、出来たという感じわかる。そのためかどうかわからないが、私の同級生達の、南小の連帯感は強い。

それもそうだ。入学してから半年は、気仙沼小学校の中だったか外だったか、第2校舎などと呼ばれた古い校舎を仮の校舎として使っていた。そして、出来立ての南小にお引っ越し。真新しい校舎と、日本じゅうが高度成長期。これから何かが始まるという期待感、ワクワク感。そういったものが南小にはあったのかなと想像する。

現在の少子化の時代に、ただでさえ児童の数は減少していたのに、ここに大震災があり、家を失い、仮設に、アパートに、そして親戚宅に身を寄せている状況において、小学校の継続が難しいことは誰もが頭で理解している。

しかし、そこに心がついていくには時間がかかる。
これまで統合に反対してきた保護者から、初めて早期統合を求める声が出たようだ。そして今回の懇談会の論点では「児童の心のケア」や「統合時期」に絞り込まれたようだ。

自分たちの学校がなくなる寂しさ、喪失感は、私たちが通った女子高が、男子高に統合されてなくなってしまった経験を持つ者としては、なんとも切なく、色々なものを失ってしまった児童にとっては、どれほどの喪失感なのだろう?と悲しい気持ちになる。

でも、どうにもならないことが、世の中にはたくさん、ある。