気仙沼を歩く(田中前)

気仙沼に来ております。
母の住むアパートが本町橋近くにありますので、そこから小走りで、田中前方面に向かいました。

昨年夏にはなかったものをこちらに。
「宮脇書店 気仙沼本郷店」です。ジャーン。

夏にはテントでの販売でした。お店が出来て良かったです。
(こちらは7月の様子)

さらに進みますと、オオ!スーパーが出来てました。「Big House」へー!

田中前には「魚民」が出来てました。
個人的には、全国チェーン店が気仙沼に進出することは、あまり快く思ってはいないのですが、でも、そういうお店が出店するということは、そういう土壌だという事だから、素直に喜んでいいのかな。

まずは、同級生のお店「ジェイズミウラ」に参りまして、実は実は実は、頼んでいた「結婚指輪」をやっと受け取りました。「結婚指輪はキーチ君のお店で!」と決めておりましたが、色々あって延び延びになっていました。こんなに遅くなってごめんね。ありがとね。
話を聞いてもらってありがとね。元気いただきました!

ここまで来たので、「西村運動具店」に参りまして、同級生の西村君いるかなーと思って、まがってみたら、いました、いました!お昼にごめんね。忙しいのに話してくれてありがとね。同級生ってありがたいね。

西村君から、「アンカーコーヒーが近くに出来たよ」と教えて頂いたので、よっていくことに。

ドーナツも美味しいんですよ!

そして「コヤマ菓子店」です。
「おだづなよTシャツ」を作成したのは、こちらのご子息。
そこで、2012年バージョンの相談を軽くさせて頂きました。

こちらで、会社のおみやげなどに「絆カステラ」を求めました。
このパッケージには、色々な方のメッセージが詰まっています。私も書かせていただいているんです。
「キラキラ輝く気仙沼 青い海 青い空 そして私もつながっています」と書かせて頂きました。

他にも美味しそうなケーキがずらり。
こちらのバースデーケーキが有名です。お子様用に様々な絵を表現してくださるんですよ。これはもうアート!

気仙沼高校でお話など

気仙沼に来ております。
母校の気仙沼高校2年生に、社会人からの「お話」と「ディスカッション」をすることになりました。

ゲストが9名。
生徒さんはおおよそ30人ずつに分かれて教室に入り、希望するゲストのお話を聞きます。

気仙沼高校は母校といえば母校ですが、
私は現在の共学に統合される前の、女子校である鼎が浦(かなえがうら)高校の卒業生です。

当時は、気仙沼高校は男子校、鼎が浦は女子校でした。
校舎は男子校だった気仙沼高校に統合されたので、母校の懐かしさがないどころか、集合場所を言われてもピンと来てないという有様です。

こちらが正門。
父も弟も通った気仙沼高校でございます。

校舎の中に入りますと、当然ではありますが、男子も女子もいる。
不思議な気がいたします。

ゲストは多彩です。
他のゲストのお話を聞きたい!と思う方々ばかり。

東京からは私を含めて4名が参加しています。
もちろんといいますか、交通費などすべて自腹でございます。
県立高校にそんな予算があるはずもなく、まして震災して大変な状況ですから、卒業生は「私でいいのでしたら」と参ったわけで。

ところで、なんで私なんかもここに名前を連ねることになったのでしょうね。
零細ながらも企業の経営者ということもあると思いますが、平日に、気仙沼まで帰れる女性の先輩というと数も少ないのでしょうか、と想像しております。

最初に校長先生をはじめ、先生方と自己紹介などを。
オオ、先生も若い!

ゲストに1〜2名の先生がついてくださいます。
私の担当には、「情報」の先生がついてくださいました。

教室に入りますと、いるいる!高校生だー。
いいなぁー高校生。

私は、iPadに用意したKeynoteを使ってのプレゼンにいたしました。
一応、IT関係ということでね、用意してみました。

最初に、担当の先生から軽く自己紹介をいただき、それから私の話を。
私からも自己紹介、高校の思い出、この仕事をするきっかけ、そして、一番伝えたいのは「やってみっぺし」というチャレンジ精神。

うまく伝わりましたかどうか。
高校2年生の、なにかのきっかけになれれば嬉しいけれど、そこまでいかなくても、ああいう先輩もいるんだなと思っていただければいいですね。

皆さんからは、震災の「その時」を聞かせて頂きました。

その日、ホームステイでオーストラリアにいたという方が3名。
外国で聞いた「ふるさとの大震災」、そして、長い時間をかけての帰国。
その胸中はいかほどだったのか想像すると、グっと胸がしめつけられます。
おおよそ1週間後の帰国だそうで、成田からはバスを利用。日本に到着してからも大変な旅だったでしょう。

そして、これからの気仙沼をどうしていきたいか、皆さんの思いを、ぜひ、後世に伝えて欲しいです。
伝える手法の一つが、ブログなどの電子データとして残すこともありましょう。
ITをそのようなことにも役立てば嬉しいです。

ステキな花束ありがとうございます!

夜は、ゲストの皆さんと「海鮮」にて打ち上げなど。

この企画を作ってくださったミチアリさん、ありがとうございます。
ご一緒いただいた皆様、ありがとうございます。
来年に継続出来るといいですね。
来年は、さらにパワフルな先輩方が登場することと思います(^ー^)v。

えぼしスキー場(1/3)

今日はえぼしスキー場の最終日です。

しかーし、

朝起きて窓側に立つと、風の音がビュービューと聞こえます。
窓の外に見える樹々が大揺れに揺れてます。

「風がすごいね」

朝ご飯を食べて、本日の予定を皆に伝え、
チェックアウトして、荷物をホテルに預けて、スキー板を持って、8時半出発のシャトルバスに乗り込みました。

風・強ーい。

シャトルバスの運転手さんから、

「リフトが一つしか動いてませんけど、行きますか?」とな。
ヒー。見ると、車内は我々のみです。

スキー板やウエアをスキー場で借りているので、返さなければならない。
「いずれにしても、参ります!」

バスに乗っていても、風がビュービュー吹く音が聞こえます。
「風よ、やんでくれ」と心で何度もとなえます。

スキー場の駐車場に到着すると、予想外の車の多さ。
こんなに風が吹いていても、来てますねー(^ー^)。

準備運動をして、一つしか動いていないというリフトに並びます。
このリフトは2人乗りで、すぐ隣にゴンドラがあるので、これまで乗ったことのないリフトです。

少しだけ並んで乗りました。
しかし、なんと風速22mとか。
リフトは「減速しています」そうで、しかも、時々、安全のために止めてますから、なかなか上がらない。

寒い。
揺れる。
恐い。

甥っこと2人でリフトに乗ってるんだけど、いいオバちゃんが、
「揺れるー、ゆれるー、こわーい、キャ〜〜〜〜」と大騒ぎです。

やっとの思いで到着。
うわぁーーー、この風はすごすぎます。

それでも、ソロリ、ソロリ、とすべり始めると、これが結構楽しい。
スキーはやっぱり楽しいですね。

皆も、昨日よりも滑れるようになっていて、リフトはつらかったけど楽しいとな。
もう一度乗りました。

リフトが一つしか動いてないので、少し列に並びます。
風は、最初よりは少しだけ弱まったのではないでしょうか。
今度は止まることもなく、かなり揺れて減速はしているけれど、上がりました。

上がるのは時間がかかるけど、滑るのはあっという間です。
そして休憩。

「どうする?」(もう1回行きたいんですけど)と聞いてみると、
最初は「もういいかな」という感じだった皆も、
「もう1回行こう!」とな。ガッツあります。せっかく来たんだし。

エイっと外に出て、スキー板を付けていると、
「ゴンドラが動きます」とアナウンス!

ヤッタ!
全員でゴンドラに乗ります。

リフトとは大違いに快適。
それでも、ゴンドラごと揺れますから、恐いですねー。

それもまた思い出になりますなぁ。

初級と中級の分かれ道があります。
「中級で行こう!」

まだゴンドラが動き始めたばかりで、人がそれほど多くないから、ちょっとご迷惑でしょうけれど、皆で中級を降りました。楽しかったね。

滑り終わって、私たちはこれにて終了です。
ゴンドラ乗り場には、長い列が出来ていました。

ホテルに戻り、弟一家は車に荷物を積み込み、これにてオヤマ家のお正月はおしまいです。
名残惜しいね。

記念の写真をパチリ。
母がはいてる長靴もズボンも、弟一家が着ている洋服も、全国の皆さんから頂いた支援物資です。
全国の皆様、本当にありがとうございます。

家業である水産加工業は、まだまだスタートにも立ってないような状況ではありますが、前向きに生きて参ります。

また、来年も来たいねって、ありがとう。
そういう「希望」を持って生きていけることに感謝しながら、皆と別れました。

私とダンナは、ホテルのバスで「遠刈田温泉」まで(6分くらい)送って頂き、そこから仙台までの高速バスに乗ります。
少し早めにバス停に到着したので、バス停近くの喫茶店でお茶を。

「いがった揚げって何ですか?」

それはこちらです。

美味しうございます!

参加した全員が、「楽しい」と言ってくれて、ありがとう。
明日から仕事が始まります。

えぼしスキー場(1/2)

本日もまた、8時半のシャトルバスで出発で「えぼしスキー場」へゴー!
しかし、、、なんとしたことか、私がリフト前売り券を部屋に忘れてきてしまって、戻ることに。

ホテルとスキー場は、バスでおおよそ15分。
帰りのバスにのせてもらって、次の9時半発で戻りました。
その間にも子供達はガンガンすべってました。

こちらは気仙沼の甥。気仙沼中学校のスキー教室ですべったことがあるそうな。

お兄ちゃんは、スピード系?(^ー^)。早いぞ、オイ。

意外にも、私の弟がすごく上手だった!
なにしろ「私をスキーに連れてって世代」ですから、ずいぶん、行ったね。

弟の嫁と私は、初心者コースでゆっくり滑って楽しみます。

昼食を食べると、横浜一家は終了で、帰ります。
名残惜しいですね、あっという間です。

来年も一緒に来れるといいね。

えぼしスキー場

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

遠刈田温泉「ラフォーレ蔵王」に泊まっています。
近くに「えぼしスキー場」があり、ホテルから無料のバスが出ます。
(ただし、土日と祝日のみのようですからご注意ください)

私たちは、ウエアとスキーも借りるので、早めに行こうということにしまして、一番のバス8時半出発で参りました。

姪たちは初スキー。
中学生、高校生は2度目とか3度目とか、その程度。
お父さん、お母さんは、20年ぶりとかそういう感じ。
とにかく、もう、全員、初心者ですわ。

唯一、私のダンナが北海道出身なので、別格か。
ということで、ダンナが初心者に教えてくれます。

ちょっとしたスキー教室のようになっています(^ー^)。

最初はちびっこゲレンデが精一杯だった姪達も午後にはリフトに乗って初心者コースへ。

最初だけ怖がっただけで、あとは初心者コースをガンガンすべっています。大人は負けてますよ、ホント、子供って覚えが早いのねー。

リフト券は、前売りを買っておきました。
リフトに乗れなかったらどうしようと思ってたけど、まったく問題なし。

今日は怪我もなくて、天気は晴れてましたし、良かった良かった。

遠刈田温泉にGoー!

人生初の、正月を温泉で過ごそう!に参ります。
遠刈田温泉(とおがった)。

東京駅10時半頃に出発する新幹線を予約していました。
といっても、ダンナと横並びは取れずに、前後という席で向かうは仙台駅。

仙台駅で横浜の弟一家と無事に会って、ホテルの無料シャトルバスで遠刈田温泉に向かいます。
本日のお宿は「ラフォーレ蔵王」。
健保組合で、少しお安く泊まらせて頂きます。

仙台駅から13時出発のシャトルバス。
約70分と書いてありましたが、スムーズに流れて、おおよそ1時間で到着しました。
雪ダー!

姪たち。かわいいでしょ。

チェックインして、なんだかんだとやっていたら、もうすぐ3時になります。
今日はスキーは諦めて、近くを歩いてみました。

予約が遅かったため、食事の時間が20時になってしまいました。
いいのです。その間の時間を利用しての「温泉卓球」じゃ。
気仙沼の「おだづなTシャツ」で卓球でござる。

そして、温泉。
そして、食事。

うーん、こんなに楽しくていいのでしょうか。
明日は早いぞ、今夜は早めに寝ましょうね。

クリスマスイブの銀座・気仙沼復興市

用事があって銀座に参りまして、ついでといってはアレですけれど「銀座TSビル」の「銀座いきなり市場」に参りました。

この寒い中、齋藤さんが店頭(外)で呼び込みをしていました。
東京在住の方々がボランティアでコンシェルジュをしているのです。
店頭にただ並べられただけでは、その商品の意味や価値がわからないものも多いので、それを説明しているのです。

店内にいらしてる方々も、気仙沼商工会議所などからいらしている方々。皆が気仙沼復興のために頑張っています。

どうぞ、銀座にいらした時はお立ち寄りください。

三陸新報の今年の絵を描いたのは

気仙沼の地元新聞「三陸新報」は、毎月、「今月の絵」が紹介される。
カレンダーの絵としても1年、親しまれる。

今年の絵を提供されたのは、気仙沼サポートビューローでも活躍している尾形さんです。
尾形さんは、私の亡き叔父(母の弟)と同級生でした。
年をとってから絵を描き始めたとおっしゃるが、その腕前はなかなかどうして、すばらしい。

12月のサポートビューローの定例会の時にも、レッスン中の絵を持ってきて見せてくださった。
挑戦は続いていらっしゃる。

尾形画伯が描く「気仙沼を題材にした絵」を、気仙沼に常設出来たら嬉しいなぁと個人的に思っております。

プロフェッショナル仕事の流儀に畠山重篤さん

NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の「第170回 畠山重篤(2011年12月12日放送)それでも、海を信じている」を録画していたので、ゆっくり観た。

(再放送は、12/16(金)午前0時15分からあります)

畠山さんは気仙沼市唐桑町でカキの養殖を仕事にして50年。
森は海の恋人」という本を書いて、室根山に植樹運動を続けている。

私が子供のころ、私の実家は「カキ屋さん」と呼ばれた。
(今もご年配の方にお会いすると、そのように言われています)

所有する2艘の小舟で、畠山さんが働く舞根(もうね)地区にも、牡蠣の買い付けに行き、まだ小さかった私や弟はその舟に乗せてもらって、浜に行くのが大好きだった。特に弟は、毎日のように小舟に乗せてもらっていた。

実家では、他にタコの工場もあったし、ワカメは、父が全国わかめ会とかなんとかの会長を務めるなど熱心にやっていたのだが、周囲の認知として「カキ屋さん」と言われるのは、その牡蠣が美味しいと評判で「マルキの牡蠣は生で食べた」言ってくださる方がいらしたので、ああ、そうかと思ったり。それと、店頭に並んだ商品に大きく「マルキ」と屋号が出ていたので、皆さんがカキ屋さんと思ってくださったのだろうか。

それが番組の中でも紹介されたように昭和40年代、気仙沼湾に「赤潮」が大量発生し、赤潮プランクトンを食べて育った牡蠣は「血ガキ」と言われるように赤くなり、売れなくなってしまった。

その頃から、私の実家では牡蠣から主力商品をさんまに移行していくわけだが、(今も牡蠣も扱っているようです。震災前ね)畠山さんは「赤潮」が発生する理由を研究し、それから、大川の上流にある「室根山」に植樹を始めたわけです。

そのおかげで、気仙沼の牡蠣は、また昔通りの、もしかしたら、それ以上の品質となっています。

・・・が、そこに、この大震災。

ところが不思議ですね。
このような大津波の後は、牡蠣が急成長する、と畠山さんは昭和35年のチリ津波で経験しているのです。

なんと通常2年かかる成長が半年で出来てしまう。
ウッソー!ホント〜?

その記憶をたよりにとにかく、牡蠣いかだを組み、養殖を開始します。この日までに間に合わなければ、、、という、つなわたり的な日程をこなし、

そして!
奇跡の「今年の牡蠣」が築地に届きます。

私が1979年に上京した頃、東京では「牡蠣といえば広島」と言われました。今もそうかもしれません。

しかし、しかし、しかし、
三陸の牡蠣は本当に美味しいです。
プリップリですよ〜。

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