セキュリテ被災地応援ファンド

セキュリテ被災地応援ファンド」の東京説明会が行われました。

会場は「新丸ビル10階 東京21cクラブ」

気仙沼からは今回のファンドの4社さんがいらして、被災地の様子やこれからの展開計画などを説明してくださいました。

どの方のお話も感動的です。

石綿商店さん、ふかひれのみならず、鮫の全ての部分を活用する技術が気仙沼にはある。それをなくしてはいけない、そう強く思っています。

丸光食品さん、ここ(東京の新丸ビルのような都会的な場所)も日本、そして、(画面に表示されたガレキの山を指して)ここも日本なんです。

アンカーコーヒーさん、復興ってどういう状態になることでしょうか。果たして震災前に戻ることが復興とは思わない。それ以上にしていくのが復興だと思っています。未来の子供達に恥ずかしくないように、これを乗り越えていきたいのです。

斉吉商店さん、気仙沼は本当に恵まれていました。海の幸があり、水産業を支える様々な業種があり、遠洋業業から近海、そして養殖まで、本当に恵まれた港でした。それが壊滅的な被害を受けてしまった。津波の2日後に、魚市場前から通常なら10分でいける工場跡に向ったところ、がれきの山の中を歩いて4時間かかってしまった。何度も引き返そうかと思う足元に流れたきた波は、実に美しい。気仙沼の海はとても美しいです。

斉吉商店さんは、募集個数に達したそうで、良かったですね!

どうぞ、これからも被災地を、そして気仙沼を応援してください。

宮城・山形・青森の物産展

東武百貨店・船橋店にて「宮城・山形・青森の物産展」が開催されています。25日までです。

暇で暇で、参ってしまっている母を連れて参りました。
併せて、発注いただいていました「おだづなよTシャツ」をお届けに参りました。

船橋駅を降りると、東武デパートは目の前にあります。

石渡商店さんのブースに行き、「おだづなよTシャツ」を渡しました。今、お召しになっているのは「絆Tシャツ」で、こちらにも気仙沼復興を祈念する文字が背中に入っています。明日からは「おだづなよTシャツ」を着ていただけるようです。

「ふかひれ酒用」は、気仙沼以外の倉庫にあったものを集めたそうです。これが売り切れたら、商品はなくなってしまうそうで、貴重な品となっています。

応援にいったつもりですが、母は「おばちゃんも頑張ってね」と励まされていました。

石渡商店さんのブースには、他の会社さんのものも販売していました。
角星のお酒、八葉の鰹と鮭のフレーク、平野商店のお醤油など、どれをとっても美味しいものばかりです。

被災地の写真が展示してあって、お客様に説明していました。

こちらのブースには、盛博の専務さん。

ホットプレートでさんまを焼きながらの接客。手際がいいですね。こちらでも、母は「がんばっぺしね」と励まされています。ありがとうございます。

横田屋本店さんのブースも賑わっています。
お忙しい中、会話に応えて頂いてありがとうございます。
またまた、母に激励のお言葉ありがとうございます。

おみやげに色々と買って帰りました。
これ以外にも母は近々帰る気仙沼へのおみやげ用を求めました。
もう気仙沼でも手に入りにくいものばかりです。

石渡さんのブースではこれらの品を。

盛博さんでは、こちらを。

横田屋本店さんでは、こちらを。

どちらのブースでも「俺たち若いモンが頑張ねっけね。若いモンの元気から気仙沼を復興すっから!おばちゃん(母に)もががんばっぺしね!」と。

若もの〜〜〜!
元気を頂きました。ありがとう〜!

主婦というのは大事な役割だった

母と一緒に暮らすのは、高校卒業以来ですから32年ぶりでしょうか。

盆・正月にいても、せいぜい1週間ですけど、今回はすでに1ヶ月になります。

母は、お友達もいない東京で、目も不自由になってしまって本を読むことも出来ないため、出来ることといえば、お料理!

これはダンナと私に、ことのほか喜ばれておりますから、実に一生懸命です。

そういえば、昔もこういう食事をしていいましたっけ。

朝から、必ずみそ汁を作ります。
朝は私の担当ですが、具が少ないと、

「も少し、野菜入れたら〜?」と催促されます。
野菜のみそ汁、豆腐のみそ汁、わかめも入れてね。

朝から食卓には、おかずがズラリ。
これは食べきれませんよーと言うけれど、いつの間にか全部食べてる。

お煮染めや、きんぴらごぼうなどは、デフォルトであります。
「豆を煮だの」ってこちらでは何と言えばいいのでしょうか。
「ふじっこのお豆ちゃん」の金時味といえば通じますでしょうか。

これと梅干しも食卓に並べ忘れると「出してちょうだい」と催促が来ます。

これらはサブメニューで、これにメインがつきます。
狭いテーブルは、さらに狭く、さほど大きくない冷蔵庫はパズル感覚で攻めないと入りきらない。

母は、専業主婦でしたから、家族の健康のため、自分の食の欲求のため、食事は美味しかったなぁと改めて思うわけです。おかげで私どもは元気に大きくなりました〜。

宮川でうなぎ

親戚の叔父さんも東京に疎開していたそうです。
母も疎開していおり、毎日、寂しくしておりますと、娘同士が情報交換を。

「それなら、会うべし」ってなことに。

銀座・松屋デパート8階にあります「宮川本廛 銀座松屋店

うなぎは久しぶりです〜(^ー^)。

気仙沼の話に花が咲きます。

ずんだ餅

母の手料理は本当に美味しくて、体重増加中です〜(^ー^)。
今日は「ずんだ餅」を作ってくれました。

北海道出身のダンナは、ずんだは初めてだそうですが「美味しい」を連発。

家族から、そんなに褒められたことのない母は、大変、嬉しそうでございます。家族ももっと褒めるべきであったわ。

新中野の「三陸亭」

母を連れて、新中野の「三陸亭」というお店に行きました。

三陸の(主に宮古市からの)現地直送をウリにしていたのですが、この震災で直送は出来ないようです。別の地域から取り寄せているそうで、

「お刺身美味しいね」と母。

新中野のスーパーで、「どうしても魚を買う気になれない」と言います。
あまりにイキが悪くて、「エー、こいづー(食べるの〜?)と思うよね」だそうです。

横浜にて「気仙沼物産展」

横浜駅東口前の、郵便局前で行われた「気仙沼物産展」に母と参りました。

あいにくの雨です。
場所はすぐにわかりました。

オオオオオオ!
これは長蛇の列で、建物をグルっとまわって、最後尾に参りました。
まるでiPhoneの発売日を思い出します。

最後尾はこちらと案内されました。

列の前後の方々とおしゃべりしますと、NHKなどで放映された番組をご覧になった方が多いようです。

皆さんが「少しでもお役に立てれば」とおっしゃっていて、ありがたいです。

15分ほどは待ったでしょうか。
なかなか列が進まないし、私は午後から出社しなければいけないし、、、。

私と母は買い物は諦めまして、私どもよりも、初めて気仙沼の商品をご覧になる方におゆずりすることにしました。

写真の展示がありますので、そちらを見に行きましょう。
移動する母の後ろ姿と、左側に長い列が出来ているのをご覧になれますでしょうか。

このように写真が展示してあって、ご覧になっている方は、「テレビで見るのとは全然違う」と絶句されていました。

そんな中に、我が家が写ったものがあります。
これで見ますと、あの船は、現在は勝倉さんの前辺りにありますが、津波の直後は、ヤマコさんかヤマネさんの前にあったようです。少しずつ移動したのですね。私がテレビで見た時は我が家の目の前のように見えていましたっけ。

この写真は、どなたが撮影されたのでしょうか?
津波直後と思われます。決死の撮影です。すごいわ〜。

販売しているテント付近に参りますと、気仙沼の方々がいらしたので写真を撮らせて頂きました。

左から、横浜在住の加藤さん、横浜の宮城県人会の副会長を務めているそうです。ハ葉の社長の清水さん(奥さんは私の同級生)、私の同級生で衆議院議員の小野寺五典君、吾妻さんは、母のお友達の息子さん。私の弟と同級生。そして母。

母は久しぶりに気仙沼の方とお話出来て、とても嬉しそう。
しかも、加藤さんは母の弟(故人)の親友だったそうです。そして私はお嬢さんをツイッターでフォローしていたという不思議なご縁でございます。

吾妻さんや清水さんが付けている前掛けは、震災後に作ったそうです。海岸部分が冠水していて、もしかしたら地名がなくなってしまうのではないかということから、地名を記した前掛けを作ったのだそうです。

「気仙沼物産展」は、明日13(金)まで開催されていますから、どうぞ、足をお運びくださいませ。11時〜19時まで。

横浜・六角橋「世界長」さん

横浜・六角橋にある「世界長」さん
横浜の弟の嫁の実家のお店です。

被災地「飲んで支援!」にご協力くださり、気仙沼の「男山」と「角星」のお酒を置いてくださっています。

お客様も「飲んで支援!」してくださっているようで、どちらのお酒も評判が良いそうです。お近くの方は、ぜひ、足をお運びくださいませ。

東横線の白楽駅近くです。

「世界長」
http://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140205/14028795/
神奈川県横浜市神奈川区六角橋1-6-13
045-432-1868
営業時間:17:00~24:00
定休日:火曜日

気仙沼ビューロー定例会(2011年5月)

気仙沼ビューローの定例会がありました。

東京に疎開している母は、お友達がいなくて寂しい毎日。
ビューローに連れて参ることにしました。

丸ノ内線・四谷駅で待ち合わせ。

母は、一人で新宿までは行けるようになりました。
「新宿では降りないで、四谷で降りてね」
「大丈夫!」と母。

昔々、私が短大に入学する際に、ニューオータニに泊まりまして、四谷や赤坂見附周辺を何度も散策した事を、母はとてもよく覚えています。

「四谷はわがってっから」と自信満々なので、私もつい
「ほんでは、改札まで来てね」と言ってしまった。

四谷駅で待つ・・・・・・・・来ない。。。

母から電話が来た。
「もしもし・・・」
「もしもし〜〜」もしもし、もしもし、もしもし〜〜〜〜〜!!!
・・・切れた。

不安がよぎる。
もしかしたら、あっちの改札に出たか?
あっちにウロウロ、こっちにウロウロ。

こちらから電話してみると、話し中だったり、電波が届かないところにおられるか、だったり、呼び出しているのに出なかったり。

あ〜〜あ、20分ほどだろうか。とても心配になりました。

すると、母が登場。
なにごともなかったかのように、電車から降りました。

「どうだった?」と私が聞くと、
「大丈夫」と、言葉とは裏腹にちょっと元気ない。

よくよく、よくよく聞くと、「四谷3丁目」で降りてしまって、地上でウロウロ。警察で聞いてもう一度、電車に乗り直したようだ。

母は、目が不自由なこともあって、車内アナウンスだけが頼りだったのですね。
「次は四谷(3丁目)」の四谷に反応したようです。

母はチャレンジャーなので、めげずに闊歩しております。

さて、気仙沼ビューローには、母が幼い頃に住んでいた太田7区出身が数人いらっしゃいます。もっとも皆さんは母よりも5〜6歳年下ですけれど。

定例会の会議中は黙っていましたが、2次会では皆さんの話の輪に入れて頂いて、本当にありがとうございました。