「気仙沼と家族」カテゴリーアーカイブ

気仙沼にて舞踊の会を観る

ニューヨークで大変、お世話になったNさんのお母さんが会主を務める舞踊の会が気仙沼市民会館で行われた。「宝扇会」という会派。タイトルは「深秋に舞う」

チーフプロデューサーは、同級生のK。
F君もプロデューサーを務めている。

舞踊の他に、太鼓、よさこい、ジャズバンド、コーラスなどを盛り込んで、実に華やかでいい会でした。時間は13時から18時という長丁場だが、私と母は最初から最後まで舞台に釘付け。

私も日本舞踊を習っていた。
その当時の発表会は、子供と結婚前の若いお嬢さんが大半をしめたような記憶がある。

今回の会は、ある程度の年齢がいった方々も、実に美しく、華やかに、そして活き活きと舞う。すばらしい時代になったなー。

そうして、最後はオペラと日舞のコラボレーションという試みで、「蝶々夫人」の音楽にのせてNさんのお母さんであり会主が舞う。すばらしい!!!感動しました。

会場内での撮影は禁止されていていたので、外に出て感動しっぱなしの母をパチリ。
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東北は雪

東京駅を9:16分に出発する新幹線に乗って気仙沼に向う。
大宮を出たら眠っていた。徐行運転になった「福島」でふいに目をさますと、なにぃー、雪ー!

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仙台そして一ノ関と雪。
一ノ関駅を降りてホームを見るとこんな感じ。

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11月にこれだけ積もるのは珍しい。
「三陸あわび うに弁当」を求めて大船渡線にて頂く。

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仙台や一ノ関が雪でも、気仙沼は晴れているということはよくある。と思ったら、気仙沼も雪。午後は「東北福祉情報専門学校」にて講師を務める。生徒さんらが活き活きとしている。先生の日頃のご指導がいいんですね。

夜・母と「あさひ鮨」さんへ。
母は私が帰省するとそれを口実に寿司屋に行く。たまの贅沢というわけでして。

気仙沼には、他にも美味しいお寿司やさんがたくさんあるが、私と母が、父と最後に食事をした店という思い出があって、2人の時はどちらともなく「あさひ鮨」さんの名前をあげることが多い。

あさひ鮨さんは、「SUSHI AWARDS 2007」で優勝という快挙をなし遂げた。すごいっちゃね。

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それから、マンボという喫茶店でお茶をして帰る。このコースが2人にとっての贅沢なひとときなのであります。

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祖父の命日

1969年に亡くなったから、エー、もう38年スカー。

大好きだった祖父は、突然に、あっけなく亡くなってしまい、その喪失感は家族に重くのしかかった。

小学生の私は「死ぬこと」がよくわからずにいた。
朝起きたら、病院にいるはずの祖父が1階に横たわっている。顔にはタオル(たぶんバスタオルだったと思う)がかけてある。祖父の部屋は2階なのにおかしいなー、どうしてタオルを掛けているんろう?と思い、「おじいちゃん、どうしてここで寝ているの?」「おじいちゃん、どうしてタオルを掛けているの?」と聞いてしかられた。

私が初めて「死の哀しみ」を知った日であり、それから毎年その時の事を思い出しては40年近くにもなった。

気仙沼ラブなひととき

気仙沼中学校の同級生Tが、新宿に用事があるついでに寄ってくれた。
某商社の子会社の社長を務めている。
社長になってから、もう3年が経ったらしい。40歳代での社長はその会社では珍しい事ではないのかしらん? 社長同士といっても私とは大違いの売上高、経営の順調。

が、やっぱり気仙沼の話になると、時間を忘れてしまうのは同じ(笑)
私はいつも「どうやったら気仙沼を活性化出来るか?」と考えているので、「こういう案はどうかな?」と聞いてみる。彼は商社マンとして世界を飛んでいるから、私の知らぬ世界を教えてくれる。

ねぇ、ホントに知恵を貸してくだされ。
我々、大人達が気仙沼の将来をみすえて、何か種をまこうよ。

おばちゃんバカ(甥っ子自慢)

気仙沼の甥が少年野球で、初めてのピッチャーで、2試合・初完投した。
嬉しい・嬉しい・嬉しい!
すごい・すごい・すごいよぉー。

なんしょう野球クラブBLOG」を見ると、10/7の「選抜少年野球仙台大会」3回戦:8-3で勝利。10/8の「選抜少年野球仙台大会2日目」準決勝:0-0だったようだ。残念ながら抽選で負けてしまったが、その相手チームは優勝。

6年生、締めくくりのこの時期にピッチャーとして登板して良い結果を出すなんてすばらしいよ!

そしてなによりも、最もがんばったのは、お母さん(弟の嫁)であります。
試合のたびに、朝早く起きて(4時、5時は当たり前っスよ)、弁当を作り、子どもを起こし、朝食を食べさせ、車を運転して遠路はるばる大会に向かう。子どもの健康管理をし、そして激励! 子どもの一番の応援団はお母さんだ。お母さんのがんばりがあってこそ、息子もがんばれると思う。

私などは、自分一人がマラソン大会に出るだけで精一杯。マラソン大会に出るようになって、嫁のがんばりがすごいことだと、改めて思っている。

この活躍は本人もがんばったし、お母さんもがんばった結果だね!
おめでとう。

いい走り方

実は少し前から、右足・足の底に違和感を覚えている。
ある程度長い時間(1時間とか)走った頃から、少々痛みが出る。
走り終えると、痛みはなくなる。
その後、足をさすったり、押したりしてみても、どこが痛かったかわからない。

こういうのをまとめて「違和感」というのだろう。
今日、たまたま横浜方面で打ち合わせがあったので、帰りにJR東神奈川駅前・弟が営む「おやま治療院(現在はおやま調整院)」に寄ってみてもらった。

あらかじめネットで検索していた「足底筋膜炎でないの?」
「いや、場所が違うよ」とな。

「ははぁー、これ、何かぶつけてない?」
「・・・」
「この前(夏休み)に見てから今日までの間だな」(弟)
「そういえば・・・」
階段を踏み外して、右足がギクっとなったことがある。もっと年を取っていたら絶対に骨折だわ、と思ったっけ。あれかー。

ということで、チョロチョロっとみてもらって「治りました」とな。
「立って」とか、「歩いて」とか、言われる通りに動くとて、足が軽いわ。ありがとう。

弟から「力を入れないで、効率のよい走り(速く走れる!)」を教えてもらう。

弟よ、なんか、君はすげー早そうなんだけど。

でも不思議ね。弟は走るの好きじゃないって。けど、身体を効率よく使う方法をいつも研究しているのね。だから、運動とか楽器演奏とか、自分じゃ出来ないけど、どういう動きをすればいいかということを頭ではわかるという変な人なの。

帰りに「自由が丘」でイタリア料理を食べて帰る。

気仙沼Loveな夜

スローな食に、スローな家。」のKさんから誘っていただき、「気楽会」(東京)2名と私の4名で会う事に。
先日の「目黒のさんま祭り」に集結した面々であります。
聞くと職場が近い。
「なんだべー。ほんで、会うべし」ってこなことで。

場所は赤坂見附の「さくら水産」
理由はもちろん「気仙沼漁港フェア」をやっているから、ときたもんだ。

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「気楽会」は、気仙沼の昭和50年代生まれの若者らによって結成されている。発想も行動力も実にエネルギッシュで注目していた。その発起人の一人であるYさんは、「あれれ、仙台出身なのすか?」

そうなんです。Yさんは転勤で2年間を気仙沼で過ごし、すっかり気仙沼に魅了された気仙沼Loveな一人。嬉しっちゃね。気仙沼の良さは、案外と、住んでる人が気づかない。

若きA君は、コーヒー山荘の息子さんでしたか。
「さくら水産」で熱く気仙沼の良さで盛り上がった後、23歳のA君に気仙沼弁チェックを入れてみると、ああ、やはり、、、。我々世代が普通に使った言葉が伝承されていない。

それは、いけない。

「かばねやみ」も伝わらず、
「ほでねーなー」も伝わらず、
「すったのはげだの」「すっぺったこっぺった」「あっぺとっぺねー」「靴ががふがふ」いずれもダメ。

A君の母上は神楽坂出身だそうで、まぁ、そういう影響もあるのかもしれない。
ぜひ、次回の気楽会では、その理解度について聞いてきてくだされ。

若者に伝わってないとすれば、どーれ、伝承しましょうゾ。
まずはこのページを読んで予習してもらうとしましょうかね。

目黒のさんま祭

数日前の天気予報の「曇り」はハズれて晴天。気温は高め。暑い。

そんな中、「目黒のさんま祭」にお越しいただいた皆様、ありがとうございます。
目黒区のスタッフの皆様、大変お世話になりました。
気仙沼から夜を徹して来てけだ皆様、ホントにお疲れさんです。

今年も盛大に楽しく終了しましたぁー!

仙台テレビの取材の方、最後まで取材してくださり、ありがとうございます。明日の4時から放映されるようですから気仙沼の皆さん、チェックしてけらいね。

我々、気仙沼中学校29回生(+階上中のK子ちゃん)は、Jちゃんお手製のそろいのTシャツと前掛け、さんまグッズを付けてがんばりました。

気仙沼に帰るバスを見送る時には、気中校歌「平和のしるし、波安のー」を歌ってのお見送り。

スローな食に、スローな家。(いつも拝見しております)」のご家族の皆様、お会い出来て嬉しがったです。

気楽会の気仙沼日記(いつも拝見しております)」の方にもお会い出来て、イヤー、気仙沼ホルモン、Katari Barには感心しております。

気仙沼サイコー!

我々、関気会(気中・同級生)らは、その後の2次会、カラオケの3次会と進み、先ほど帰宅。充実した一日でした。

小太郎、サンマ臭いかい?

語り継ぎたい気仙沼弁

どうやら、今の20歳前後の若い気仙沼の人達(私の子供世代)は、気仙沼弁を知らぬ世代になってきたようだ。それはいけない。

理由は明らかで、親である我々世代が使わなくなってきたからだ。

なぜか?

TVの影響もある。そして全国統一的に使う学校の教科書と画一的な教育にもある。

例えば、「まなぐ」これは「目」のことで、「まなぐあげろ」は「目をあけて」で、私の父は普通に使った。しかし、我々世代は「まなぐ」を使わなくなってしまった。

学校では「目」を指して、「め」とも言うし、「まなぐ」とも言います、なんて教育はない。

それがもう一世代下にいくと、じいちゃん・ばあちゃんと同居しない子供たちにとって、それは死語になる。次世代に語り継がれない。

これでいいのか?

東北においても、仙台や盛岡のような都市部では標準語で話しているらしい。これでいいのか?

その昔、東北出身者が「ズーズー弁」といってバカにされた悲しい時代があったから、これを否定してしまったのかもしれない。

私たちは毅然とした態度で、気仙沼弁の良さを後世に残すのだー!
標準語では表現しきれないビート感がある気仙沼弁を生で聞きたい方は、今週末の「目黒のさんま祭」にお越しください。