銀座の「いきなり市場」

今日は、ちょっとした宴会あります。
その席で、少し気仙沼の事を話す時間を頂くことになりました。
会場はお酒の持ち込みOKだそうで、それならばと銀座の「いきなり市場」に買い出しに参りました。

こちらは「東日本復興応援プロジェクト from 銀座」というプロジェクトで、銀座TSビルが取り壊しになる8月まで被災地の応援として貸して頂いているものです。気仙沼も出店しております。

そういった事でにわか作りのショップは酒税法とか何とかの関係でお酒は販売していないのだそうです。ショッピングに行かれる皆様ご注意ください。

それでは何かお菓子でも買おうかと店内を見ておりますと、オ!「酒ケーキ」があります。
しかも、地元造り酒屋の「両国」と「男山」の文字。

初めて見たので
「新製品ですか?」とたずねると、
「前からありますよ」とな。
「唐桑のお店です」ホホウ!

ネットで検索してみますと、「おかしの花子」さんの商品です。
今まで存じ上げなくてごめんなさい。

これを40個買って、イザ宴会会場へゴー!

のりこレシピ:あざら

気仙沼の郷土料理「あざら」は、各家庭によって、味付けは少しずつ異なると聞いたことがあります。
我が家の「あざら」しか知らないです。
というか、我が家の「あざら」もどうやって作っているのでしょう?

そんな折り、オヤマさん家はどうやって味付けしていますか?
と聞かれたので、母(のりこ)に電話して教えてもらった。
味付けを聞くだけのつもりだったが、母は、最初から最後まで言わないと気が済まない性格なので、こうやってああやってと、長い電話になった。

せっかくだから、レシピを残しておきまする。

「あざら」

3月頃、白菜の漬け物が酸っぱくなった頃に、それ(漬け物)を使う
白菜(漬け物)を3cmぐらいに切って、(洗わずにそのまま)水でたく

やわらかくなるまでたく
(少しおもして(蒸らして?)から)ザルにあげて数回洗う

その後、半日くらい、水をだしっぱなしにした中において、においをとる

鍋に、めぬけ(こうじんめぬけが本当は良いが今は高額で入手しにくい)の頭、骨を入れてたく
塩少々入れる(水は多めに)

すると、脂が出るので、そうなったら、
しぼった漬け物(白菜)を鍋に入れてたく

酒粕(なるたけ新しいものを)多めに入れる
(すぐにこげるので、よくかきまぜる)

からまったら、味噌を入れる(量はみそ汁を作るぐらい入れる)

あとは、こがさないように煮る
(すぐにこびりづぐので注意)

我が家の隠し味として、次のものを入れる(すべて、少々)

砂糖、酢、南蛮(七味のことです)、酒

母は「たく」と言いますが、「煮る」だと思います。
本人が語るまま書きました(^ー^)。

これがオヤマ家を支えた「あざら」でございます。
白菜の漬け物がすっぱくなったものを利用するんですから、そりゃあーた、結構なにおいがする料理です。好き/嫌いはハッキリするかも。ちなみに、私と弟は嫌いで逃げていましたっけ。

気仙沼サポートビューロー(KSB)定例会

「一般財団法人 気仙沼サポートピューロー」の定例会が、飯田橋駅近くのルノアール会議室にて行われました。
2012年の活動計画を話し合ったところです。

「気仙沼サポートピューロー」が長くて言いにくいというので、千葉さんが「KSB」と略して呼んでみてはどうかと。
それは良い案ですね!
というので、さっそくタイトルに使ってみました。
(正式名称は変わりませんで、あくまでも呼び方です)

千葉さんはアイディアマンでして、今日も企画を2つも持って来てくださいました。
企画については、KSB内でさらに詰めていくとして、気仙沼サポートピューローのキャッチコピーは、これまで「気仙沼の応援団」としていましたが「気仙沼へのかけ橋」としてはどうかと。

それはステキな言葉だと思います。
満場一致での「いいね!」で、今後は「かけ橋」という気持ちで活動いたします。

代表理事に就任いただいた日出さんが亡くなって最初の定例会。
皆さんと話し合いながらも、日出さんならどのように考えるだろう?とそんなことを思っていました。

関東在住の我々が出来ることは小さいことかもしれないけれど、続けていきます!

訃報:日出英輔さん

気仙沼サポートビューローという会の発起人でもある日出英輔さんの「危篤」という知らせが、日曜のマラソン会場に向かう途中に電話で聞きました。

まさか・・・

昨年末に出したメールにお返事がないことを心配していました。
いつも、きちんとお返事くださるのに、、、
新年のご挨拶をするために携帯にお電話したけれど、留守電でした。
気になって、またメールしました。なにか嫌な胸騒ぎがして来ました。

夏に「少し疲れが出たようです」と、入院されました。
退院した時に、やせていたので驚きました。

「色々と検査されたらね、体重も減りますよ」とやさしく笑っていらっしゃいました。
「退院したけれど、体力がなくなっちゃってね、少し歩いただけで疲れますよ」とおっしゃるから、
「私なんぞは、骨折の時にたった2週間入院しただけで大変でした」と話して、
「ゆっくりと静養なさってください」と伝えると、
「なかなかね、そうもいかないんですよ」と、やっぱり優しく微笑んでいました。

「気仙沼を元気にする会」の代表は私になりましたけれど、本来であれば、日出さんが代表です。
けれど「入院して体力に自信がないから」と「それに若い人がやらないとね」と言って私を後ろから押してくださいました。

まさか、、、まさか、、、こんなに早く逝かれるなんて、まったく思いもしませんでした。

そのことが悲しくて、寂しくて、すぐにはブログにも書けなかった。
なんだか、人と話すのも嫌になってしまった。

気仙沼で母に話したら、「エーーーー!」と言ったきり、絶句です。
気仙沼にいる間に「三陸新報」にも訃報が掲載されたようで、地元の方からも聞かれました。

悲しみがドンドン膨らみます。

たまたま、気仙沼中学校の避難所で、日出さんの妹さんと、私の弟一家は同じ教室で避難所暮らしをしていました。
その避難所に、日出さんが妹さんを見舞っていらした時、ちょうど私も同じ場所にいて、
「お互いに、家族が大変ですね」と話をしたことを昨日のように覚えています。

日出さんは、とても紳士で、やさしくて、頭が良くて、それでいて気骨があって、時には強い口調でビシっと話すこともあるけれど、思い出すお顔は、いつもやさしく微笑んでいます。
「若い人がドンドン前に出るべきです」といつもおっしゃってました。

「私・・・若くないんです」と言うと、
「私よりもずっと若いから、大丈夫」と。

最初ね、日出先生とお呼びしたんですよ。
すると「私は先生じゃないんですよ」と言うから、
「どうお呼びすればいいですか?」とたずねたら、
「日出でいいです、そのままでいいんです」とおっしゃるから、
お言葉に甘えて、日出さん、日出さんと親しく呼ばせて頂きました。
同級生の皆さんは「英ちゃん、エイちゃん」と言ってらっしゃいました。

とても気さくな方で、私なんぞが、つまらない意見をいくつも並べても、キチっと聞いてくださる方です。
そして「それは良いね」とか「オヤマさん、そうじゃないと思いますよ」とか、その都度、適切に対応してくださいました。

日出さんのご意思を受け継いで、前に向かわないと!
そう思う一方で、悲しみで動けない自分もいます。

震災からずっと、多くの方が亡くなって、
もう、誰も誰も、亡くならないでくださいと大きな声で叫びたい。

数日前には、親戚の叔母も亡くなってしまいました。
以前から病気をかかえていて、それでも津波では奇跡的に助かって「泳いで逃げた」と本人は言っていたようですが、全身ずぶ濡れで、よく助かったと周囲の人も言っていたようです。葬儀は小さく行われました。その葬儀で、仙台に住む別の叔母も亡くなっていたことを母が聞いてきました。

ドンドン何かが消えていってしまうような、辛いスパイラルから抜けられません。
もう10ヶ月が過ぎました。

日出さん、ご冥福をお祈りいたします。
天国から、気仙沼および被災地の復興を見守ってください。

日出さんが書いたいたブログ「語りたいの記」はこちらです。

マンボでラーメン

気仙沼の、南町紫市場という仮設の商店街の中に「マンボ」というお店があります。
元々は喫茶店ですが、ここのラーメンが人気なのです。

ちょうどお昼になりましたので、寄ってみました。
今日は「味玉ラーメンをお願いします」
これこれ、これです。麺は細麺であっさり醤油味。

相席になったオバさんは大島の方だそうで、震災前は船を待つ間に食べてましたとな。
お宅は無事だったそうですが、養殖のワカメや帆立は流され、船もダメとガッカリされています。

なんて、話をしていたら、仙台放送のテレビ取材がいらしてました。
私にも取材が、、、
「地元の方ですか?」
「地元出身ですが、いまは東京に住んでいて、たまたま帰ってきたので参りました」なんて事を言ったように思います。
「ラーメン以外にも、パフェやバナナジュースも美味しいですよ!」

気仙沼にいらしたら、ぜひお立ち寄りください。
こちらのお店が、仮設ではあるけれど復活してくださって嬉しいです。

やっぱり、育った町、魚町、南町、そして八日町は大好きな町なんだなぁ。
こんな姿になっても、やっぱり好きだな〜。

午後には東京に戻ります。
次は3月に気仙沼に参ります。

魚町のいま

わが町、魚町。
壊滅的な被害を受けたわが町はどうなっているでしょうか。

行ってみますと、オオ!だいぶきれいになりました。
ガレキが片付いています。
それでも、ここに爪痕があります。

こちらは角星さんの店舗。

2011年4月に行った時は、ガレキがたくさんありました。

現在の男山さんの店舗。

2011年4月に行った時は、このようになってました。

大鍋屋さんは、玄関もきれいに修理されていて、見違えました。

そして、実家跡地に向かいます。
そこはかさ上げされた道路が出来ていました。
どれくらいの高さでしょうか。60cm以上あるように思います。

実家の玄関先だったところには、コケが生えてました。

魚町を歩いていると、埃っぽくて、昨年のあの当時を思い出します。マスクなしには歩けなかった。

ところで、この町の不思議な空気に気づきました。
人はいます。
ですが、その人々は全員が工事担当者です。

普通の人が普通に歩いているという光景には出会いませんでした。
普通に歩いているのは、私だけ。
それは何とも異様な空気です。

それでも数世帯がここに戻って生活を始めているそうです。
でも、それは町の中のごくわずかな人々。

町が眠ってしまったかのように、止まっている。
あの時よりもガレキがなくなってきているだけに、建物の廃墟と青空とが、なんとも言えない。
あの活気があって、威勢が良くて、元気だった町を思い出させるものを探しながら、さまよいました。

白鳥の気仙沼大川

母のアパートは、本町橋から大川沿いにいったところ。
冬になると、白鳥が飛来します。

います、います。

のどかだなぁー。

震災の後は、この川にもガレキがたくさんありました。
ボランティアさんがそれを撤去してくだったのです。ありがとうございます。
おかげで、今年も白鳥がたくさん来ています。

気仙沼・南町紫市場

昨年12月24日に、気仙沼市南町にオープンした「南町 紫市場」に参りました。
南町は、昭和の時代には最も栄えた場所。
震災では、大被害がありました。ここに日本でも最大級ではないでしょうか?
52の店舗が入りました。

ウロウロしていると、「利英子?」と声がかかりまして、そちらを見ると、「オー、コウジ君!」

コウジ君は、震災前の1月に、東京を引き上げて気仙沼に帰ったばかり。
地元で「パン屋さん」をはじめるんだ!と言っていたけれど、どうなったかと心配していました。
今日も、市立病院のあたりをグルっとまわってお店を探してみたのですが、わからなかった。

「エー、ここでやってたの?」と聞くと、
「午前中はお店で売って、午後2時ぐらいからはこっちでもやってるんだ」って。

お店の名前は「田谷前 パン くら」です。
どうぞ、ご贔屓にしてやってくださいまし。

この寒いのに、外での販売、がんばるのぅ。
ちゃんとお仕事してますよ。
おもいのほか、種類が豊富です。私もたくさん買い求めました!

3月に「追悼ラン」をしようと思っています。
その相談に、ミチアリ君のお父さんに話をもちかけました。八日町の斉藤お茶屋さんです。

ここも被災したのですが、かろうじて建物が残ったので、皆さんで一生懸命、清掃してここまでになったそうです。
店内の様子です。

「追悼ラン」は、なんとか前に進めそうです。
地元のランナーとも協力して出来たらいいですね。
のちほど、計画を関係各位に相談しますから、詳細連絡まで、今少しお待ちください。

母と待ち合わせるために「ヴァンガード」に入りました。
Jazz喫茶です。店内に流れるJazzの音がゴリっとして良いのです。
若い頃、わからないながらもJazzを聴いてる自分に酔っちゃう、そんな時代もありましたっけ。
南町の中でも、早い段階で再開しています。

母が来たので、「あさひ鮨」さんに参りました。
父も大好きだった寿司店です。
ここが仮設ということを忘れてしまいそう。

それは随所に工夫があるからです。
被災したお店から、障子や欄間を持ってきたのだそうです。
ご主人が描いた絵画もかけてありました

こちらは障子。

欄間も。

ご主人みずから握ってくださったお寿司は、本当に美味しくて、涙が出そうでした。

震災の、2日前だったでしょうか、母と食べに行ったのが最後です。
母もずっと「あさひさんのお寿司が食べたい」と言い続けていて、やっとですね!
母もはしゃいでおります。

母と家まで帰りまして、かっつに連絡してみたら、「空いてるよ」というので、急遽、飲みに行くことにしました。
迎えに来てもらって田中前へ。
同級生ってありがたいね。
私の方が元気もらってますよ、ホント。

気仙沼、ありがとう!

気仙沼を歩く(田中前)

気仙沼に来ております。
母の住むアパートが本町橋近くにありますので、そこから小走りで、田中前方面に向かいました。

昨年夏にはなかったものをこちらに。
「宮脇書店 気仙沼本郷店」です。ジャーン。

夏にはテントでの販売でした。お店が出来て良かったです。
(こちらは7月の様子)

さらに進みますと、オオ!スーパーが出来てました。「Big House」へー!

田中前には「魚民」が出来てました。
個人的には、全国チェーン店が気仙沼に進出することは、あまり快く思ってはいないのですが、でも、そういうお店が出店するということは、そういう土壌だという事だから、素直に喜んでいいのかな。

まずは、同級生のお店「ジェイズミウラ」に参りまして、実は実は実は、頼んでいた「結婚指輪」をやっと受け取りました。「結婚指輪はキーチ君のお店で!」と決めておりましたが、色々あって延び延びになっていました。こんなに遅くなってごめんね。ありがとね。
話を聞いてもらってありがとね。元気いただきました!

ここまで来たので、「西村運動具店」に参りまして、同級生の西村君いるかなーと思って、まがってみたら、いました、いました!お昼にごめんね。忙しいのに話してくれてありがとね。同級生ってありがたいね。

西村君から、「アンカーコーヒーが近くに出来たよ」と教えて頂いたので、よっていくことに。

ドーナツも美味しいんですよ!

そして「コヤマ菓子店」です。
「おだづなよTシャツ」を作成したのは、こちらのご子息。
そこで、2012年バージョンの相談を軽くさせて頂きました。

こちらで、会社のおみやげなどに「絆カステラ」を求めました。
このパッケージには、色々な方のメッセージが詰まっています。私も書かせていただいているんです。
「キラキラ輝く気仙沼 青い海 青い空 そして私もつながっています」と書かせて頂きました。

他にも美味しそうなケーキがずらり。
こちらのバースデーケーキが有名です。お子様用に様々な絵を表現してくださるんですよ。これはもうアート!

気仙沼高校でお話など

気仙沼に来ております。
母校の気仙沼高校2年生に、社会人からの「お話」と「ディスカッション」をすることになりました。

ゲストが9名。
生徒さんはおおよそ30人ずつに分かれて教室に入り、希望するゲストのお話を聞きます。

気仙沼高校は母校といえば母校ですが、
私は現在の共学に統合される前の、女子校である鼎が浦(かなえがうら)高校の卒業生です。

当時は、気仙沼高校は男子校、鼎が浦は女子校でした。
校舎は男子校だった気仙沼高校に統合されたので、母校の懐かしさがないどころか、集合場所を言われてもピンと来てないという有様です。

こちらが正門。
父も弟も通った気仙沼高校でございます。

校舎の中に入りますと、当然ではありますが、男子も女子もいる。
不思議な気がいたします。

ゲストは多彩です。
他のゲストのお話を聞きたい!と思う方々ばかり。

東京からは私を含めて4名が参加しています。
もちろんといいますか、交通費などすべて自腹でございます。
県立高校にそんな予算があるはずもなく、まして震災して大変な状況ですから、卒業生は「私でいいのでしたら」と参ったわけで。

ところで、なんで私なんかもここに名前を連ねることになったのでしょうね。
零細ながらも企業の経営者ということもあると思いますが、平日に、気仙沼まで帰れる女性の先輩というと数も少ないのでしょうか、と想像しております。

最初に校長先生をはじめ、先生方と自己紹介などを。
オオ、先生も若い!

ゲストに1〜2名の先生がついてくださいます。
私の担当には、「情報」の先生がついてくださいました。

教室に入りますと、いるいる!高校生だー。
いいなぁー高校生。

私は、iPadに用意したKeynoteを使ってのプレゼンにいたしました。
一応、IT関係ということでね、用意してみました。

最初に、担当の先生から軽く自己紹介をいただき、それから私の話を。
私からも自己紹介、高校の思い出、この仕事をするきっかけ、そして、一番伝えたいのは「やってみっぺし」というチャレンジ精神。

うまく伝わりましたかどうか。
高校2年生の、なにかのきっかけになれれば嬉しいけれど、そこまでいかなくても、ああいう先輩もいるんだなと思っていただければいいですね。

皆さんからは、震災の「その時」を聞かせて頂きました。

その日、ホームステイでオーストラリアにいたという方が3名。
外国で聞いた「ふるさとの大震災」、そして、長い時間をかけての帰国。
その胸中はいかほどだったのか想像すると、グっと胸がしめつけられます。
おおよそ1週間後の帰国だそうで、成田からはバスを利用。日本に到着してからも大変な旅だったでしょう。

そして、これからの気仙沼をどうしていきたいか、皆さんの思いを、ぜひ、後世に伝えて欲しいです。
伝える手法の一つが、ブログなどの電子データとして残すこともありましょう。
ITをそのようなことにも役立てば嬉しいです。

ステキな花束ありがとうございます!

夜は、ゲストの皆さんと「海鮮」にて打ち上げなど。

この企画を作ってくださったミチアリさん、ありがとうございます。
ご一緒いただいた皆様、ありがとうございます。
来年に継続出来るといいですね。
来年は、さらにパワフルな先輩方が登場することと思います(^ー^)v。