第6回 KSB復興フォーラム

「第6回 KSB復興フォーラム」です!
KSB(気仙沼サポートピューロー)が主催しています。今回のゲストは生島淳さん!

気仙沼市港町のご出身です。一番上のお兄様は、生島ヒロシさん。2番目のお姉様はあの大震災で亡くなってしまいました。3番目のお兄様は、生島企画の社長の生島隆さん。そして、淳さん。

今回は、いつもスッカリ頼っているお二人がいない。そして、さっそくに失敗が発覚、、、。頂戴したお名前が名簿にない。しかも3人も。ヒェ〜。お店の方に話すと「大丈夫ですよ」と優しく言っていただき、狭いながらも全員入りまして、スタートです。皆様、申し訳ないです。

最初に私から生島淳さんの紹介です。次のように紹介をしました。

生島家は気仙沼市港町で「伊勢浜食堂」を経営されていました。お父さんのお父さん、つまりお祖父さんの佐藤忠左右さんは島根県隠岐に生まれ、養子に出されて熊本・五高から京都帝国大学に進み、逓信省を喧嘩したとか何かで辞め、宮城県の英語の先生になりました。

その三男に生まれたのが駿(しゅん)さん。淳さんのお父様。幼少時を気仙沼で過ごしてから一家で横浜に住み、高校は横浜寿商業のご出身。その後、戦争に出て、モートロック諸島から復員する。幼少時の思い出の場所、気仙沼を訪ね、父の教え子だった方の会社で働くようになる。

「伊勢浜食堂」は、三重県出身の生島はつゑさんが女ひとりで切り盛りしていた。「伊勢浜食堂」という店の名前は、三重県出身のはつゑさんが伊勢の人が船で気仙沼に入港したら、うちに寄ってもらいたい・・・ということでつけた名前。

はつゑさんには、娘がひとりいた。名を美知子という。そして、二人は結婚する。

昭和25年に長男、28年に長女、31年に二男を生み、そして42年に淳さんが生まれる。

しかしながら、お父様は昭和51年に53歳の若さで他界。淳さんはまだ9歳くらいだったか。淳さんは、気仙沼小学校、気仙沼中学校、気仙沼高校に進む。
高校卒業の少し前、昭和61年1月に祖母のはつゑさんが亡くなり、2ヶ月と少し、母とふたり暮らしを経験する。

そして、早稲田大学に進み博報堂に入社する。

その後、スポーツライターとして独立する。

書籍は多数。箱根駅伝などスポーツを書いたもののほか、歌舞伎に関する本「中村勘三郎物語」もある。

そして、「気仙沼に消えた姉を追って」は感動を覚えます。

・・・と、このように紹介をしました。

生島淳さんはお店の方が入って調理する場所にて話してくださいました。

最初に、おじいさんは気仙沼中学や佐沼中学でも教えていたんです、と話されました。そして「三陸沿岸に流れた人も多い」と。「旅の人」というのは、よそから流れた人という意味で気仙沼では使っている。

そして、「本当は気仙沼が嫌だった」と述べた。その理由は映画館がないこと。南映という映画館がなくなった後は見たい映画があると仙台まで行った。文信堂は良い書店だった(皆、うなずきます)。

育った家は残ったが姉の家(内ノ脇)はなくなった。家に帰ってゴロゴロ出来ないことの辛さをあの大震災で気づいたと。ゴロゴロ出来る家があるのかないのか。

今も三陸新報をとっている。紙版で1日遅れで届く。訃報欄を見ては香典を送るということをしている。今は学校の統廃合が問題になっているようだ。大島小学校と浦島小学校が鹿折小学校に統合にされるとか。気仙沼中学校は2クラスになっているらしい(私の時代は11クラスあったのに)。

仮設住宅があると部活が出来ない問題がある。バスケも頑張ってるし、野球も頑張っている。そこで数年前から、市民会館で若者高校生に講演をしてる。

支援で困った話もあった。アーティストは「この時間にして欲しい」とか要望もある。なかなか難しい。

気仙沼のスポーツが盛り上がるといいですね。フェンシングの強い子が気仙沼高校に行かず仙台の高校に行ったりという状況。気仙沼高校は部活が多すぎらしい。中国、韓国は部活がない。もっと子供の時にエリート選手が決まってしまう。日本は好きなスポーツが出来るのは良いが全国大会には、なかなか行けない。

千田健一さんは幻のモスクワオリンピック代表選手だった。先生の奥さんのことはあまり話されないが鼎が浦高校で教えていたこともあったとか。菅原選手もオリンピックに出場している。才能ある人は集めた方が良いが様々な難しい問題もある。

花巻東高校からは大谷翔平選手が出た。気仙沼からは金村選手。しかしながら高校は仙台育英高校出身である。

卓球は誰か出ないでしょうか? 僕は卓球部だったんです! 卓球は地域差はないと思う。福原愛さんのお母さんは石越出身。

今は東京に住んで、中学2年の息子がいる。その発育を見ていると、身体に染み込ませるのは10歳から13歳までのことは忘れないと思う。

勉強は地域格差が縮んでいる。格差がない。

気仙沼に住まなくても、気仙沼に還元できることはあると思う。その一つとして、武山君からもらったアドバイス「宮城県気仙沼出身」と出身地に「気仙沼」を入れることにしている。

嫁が福岡の柳川出身でそちらに行ってしまうことが多い。

気仙沼では「旅の人」と言う。父は9人兄弟でいとこは気仙沼にもいる。

大正15年1月1日生まれだが、嘘だと思う。
兄さんは本当は2月29日生まれだが、28日生まれになっている。昔はそういう事があったのだろう。

ここでいったん終了として、皆でワイワイと食事を頂いた。生島淳さんはほぼ中央のテーブルに座っていただき、先輩や同級生ともお話が出来たようだ。私は奥の端の関に座り、淳さんとは離れているが、気仙沼の話に盛り上がったのであります。

その後は、一人ひとことずつ話という時間になり、皆さんがおもしろい事を話してくださるのを笑って笑って聞いておりました。

今日は本当にありがとうございました。

ISL リーダーシップ・フォーラム

私が気仙沼市役所で勤務する機会を設けてくださったISLにおける「リーダーシップ・フォーラム」が開催され、私達・東北未来創造プラットフォームのメンバーも呼んでいただいた。講演は気仙沼市長の菅原茂さん。

タイトルは「日本の地方の未来を切り拓くリーダーシップ 〜地方にある世界の港町・気仙沼の挑戦〜」

18:15から受付開始と案内が届き、その数分前に到着した。ここで学んだ日々を思い出す。
18:30からスタート。5分遅れぐらいで始まった。

菅原市長が「第4回社会イノベーター公志園」に特別枠として参加されていたそうで、その時のビデオを見ることから始まった。良い出来だと思う。話す口調もなめらかで、かなり練習を積まれたのではないでしょうか。

HPを見ると、「2015年5月29日(金)のキックオフ・フォーラムからスタートし、全国5ヶ所(東京、仙台、名古屋、福岡、京都)での相互志援会(2日間)を経て、11月3日(火・祝)に結晶大会を開催します。」と記載がある。一昨年の開催だったのですね。

そして、プレゼンが始まる。19時くらいから20時少し過ぎるまで、よく考えられた内容だと思います。今日はPowerPointのページめくりもご自身でされていました。

市長になって10ヶ月後にあの大震災が発生したそうです。その時には7万人以上いた人口は今は6万5千人と少し。将来、4万人台になるとも言われている。もっとも多かったのは昭和55年で9万人以上いた。私は昭和54年3月まで住んでいたが、その頃が多かったんですね。いまは「消滅可能性都市」とも言われる中、「地方にある世界の港町」と話す。

市役所職員にも独身が多く、「婚活もしている」と。それは大事なことです。出会う機会がないと先には進めない。

震災後に市長も一緒になって作っているものは多い。観光の企画を作るための「リアス観光創造プラットフォーム」を設立したり、ポイントカードを作ったり。

そして、外部からの支援で行った「人材育成道場」は終了したが「経営人材育成塾」を開催しているという。有限責任監査法人トーマツさんの協力のもとで行っているそうだ。

さらに、「ぬま塾」「ぬま大学」などの言葉が続く。

こういった場を作り、若者が参加してみたいと思うことは大事なこと。市長さん、頑張ってますなぁ〜。

「水産だけじゃない水産の町」を目指していきたいと話す。そして「都会は代わりの人がいる。しかし、田舎は違うのです」と。「あなたがいなかったら、そのことは起こらなかったというようなことをする、そして出来る」と。なるほど。田舎の良さをよく語っていると思います。

そして心に残る言葉をいくつも紹介頂きました。良いプレゼンでした。その後の質疑応答も良かったです。質問の手がたくさんあがり、時間の関係で終わってしまったが、質問の方も良い質問をされるのはさすがです。

久しぶりに一緒に気仙沼に赴任したOさんに会えて嬉しかった。才女です!

ISLの野田さんや片岡さんにもお目にかかり、私は病気をしたけれど今は元気なことを伝えました。本当にお世話になりました。会場でお目にかかった皆様、ありがとうございました。

気仙沼サポートビューロー(KSB)2017_11月定例会

気仙沼サポートビューロー(KSB)11月の定例会です。

今月24日に「KSBフォーラム」を開催するので、その準備について話し合う。まだ満席になっていないので、どのように集客するかを再検討。今回のゲストは生島淳さん。実家をなくし、お姉さまも亡くしてしまった。それからの年月はどのようなものだったのでしょうか。

そして、来年2月に行う予定の「気仙沼を元気にする会」についても、テーマ決めや会場決めなど、盛りだくさんです。

サ、二次会は「天狗 テング酒場 飯田橋東口店」さん。

ビールお願いします!

レモンサワーを頂きまして、

焼きそば。

お腹いっぱいです!

花柳寿々菊リサイタル

国立劇場小劇場で「花柳寿々菊リサイタル」が開催。18時30分より。18時少し前に到着しました。

入場前の方々がたくさんいらしています。オオ、気仙沼出身の方や三陸新報の専務さんも。ご無沙汰しております。マラソン練習会でご一緒した方にも久しぶりにお目にかかりました。

花柳寿々菊さんは気仙沼出身の先輩。そして、舞踊の師匠が同じ花柳千知恵先生であります(千知恵先生のお孫さんはパラリンピックで大活躍された谷真海さん)。しかしながら、寿々菊さんとは年代が違うこともあり、私は接点がないのです。同窓会で美しい舞踊を見せて頂いております。

そして本日のリサイタルは同窓会の皆さんとともに参りました。演目は2つ。「北州」と「娘道成寺」だ。

一つ目が終わったところ、休憩で、ヨシエ先輩にも会えました。良かった良かった。

それにしても、踊りは本当に素晴らしい。小さな身体が舞台では大きく見えるから不思議です。グイっと引き込まれました。終了しても余韻に引き込まれながら会場を後にします。どこかでご飯でも食べましょう。了解です!

「半蔵門駅」の近くまで歩き、「天重(てんしげ)本店」さんに入ります。

ビールお願いします!

お通し。

山形たまこんにゃく。

だし巻玉子。

新ぎんなん。

皆さんは天婦羅定食(月)を頼み、私は天茶漬です。美味しい!

祖父の命日

小学校3年生の時に亡くなった祖父。今年は49回忌だと思う。来年は50回忌の何かをしたいと思っている。

祖父に遊んでもらったことを、とても覚えている。弟をとても可愛がった。ついでに私も可愛がってもらった。優しくて、厳しい祖父でした。私にピアノを買ってくれた祖父でした。

享年64歳。その頃の祖母はまだ50代だったんだなぁ〜。今の私くらいの歳だ。おばあちゃんも苦労しましたね。

おやま調整院

弟が経営している「おやま調整院」に行き、身体のメンテナンスをお願いする。中目黒に移転してから初めて行きます。駅から近いね。

前より少し手狭になったようだが十分です。新しい設備は気持ちが良い。

私はどこも痛いところはないのだが、やっぱり、身体の力が抜けてない状態。そして、新しい走り方というか、むしろ、私らしい走り方というか、力を抜いて走る方法を教わる。エエエ、それでいいの?って感じ。試してみます。ありがとう〜。

気仙沼サポートビューロー(KSB)2017_10月定例会

気仙沼サポートビューロー(KSB)10月の定例会です。

今日、初めての方がいらっしゃいました。気仙沼市役所から宮城県東京事務所に出向中のTさん。どうぞ、宜しくお願いします! 南三陸町のご出身で、高校は気仙沼高校だそうです。そして気仙沼市役所にご勤務は嬉しいですね。ありがとうございます。そして新婚さんだそうで、おめでとうございます。

今日も、いろいろと決めなければならぬ事あり。そして来年の展望も語ったり。あっという間に時間が過ぎます。

二次会は「天狗 テング酒場 飯田橋東口店」さん。

O森さんは二次会から参加。前の会議が伸びたそうで、いえいえ、二次会からで大丈夫です! 食べた、飲んだ、かだった!

第4回 ゴーヘイ!気仙沼の会

「第4回 ゴーヘイ!気仙沼の会」が神谷町のビルの1室にて開催された。

時間間際に会場に入り慌ただしく席に座ると、たまたま隣の席に気仙沼復興支援でお世話になった方が座ってらして、お互いに驚いた。不思議なご縁ですね。

会場には気仙沼市長をはじめ、気仙沼市役所の職員さん達がいらして、「オオ、オオ、お久しぶりです」と挨拶を。

定刻通りに始まり、「国際リニアコライダー計画の現況と気仙沼市の役割」は、KEK高エネルギー加速器研究機構・名誉教授、東北大学岩手大学・客員教授の吉岡正和先生。

2013年3月20日に気仙沼市役所で講演された時に聞いている。

その時には、とにかく驚いた。こんな凄い構想があるのかぁ〜。それから4年の月日が流れ、やっと、そろそろ決まるだろうとの話。日本国内では九州も手をあげているが、様々な要因から、東北に一本化されるだろうという見通し。しかし、そこに中国が入ってきそうな状況になってきたとか。中国かぁ〜。手強いですね。

そして気仙沼市長による「気仙沼市の復興に向けた取組」を聞く。PowerPointによくまとめられた資料。そして市長の流れるように続くお話。あの大震災から、様々なことがありました。予定時刻の17時近くまでみっちりと聞きました。それから質疑応答があり、17時で終了という予定で始まったため、17時で席を立たれる方もいたが、大勢の方が最後まで残り、質問をし、よく聞いた。有意義な会になりました。

最後のスライドはホヤぼーや。いいね、いいね!

会場には、気仙沼サポートビューローでお世話になってる先輩もいらしていて、ちょっとビールでも飲みますか。「ディヴルスト神谷町店」さんに入ります。

19時10分までにお店を出ると安くなるとか説明を受ける。ドイツビールお願いします。様々な種類があって選ぶの難しい〜。お店の方にお薦めを聞いて「それを3つ」。シュパーテン・ミュンヘナー・ヘル。大きなサイズです。

こちらはお通しみたいな感じでしょうか。パンです。フワフワで美味しい。

こだわりのシーザーサラダ。

メインはお肉。ブラートヘンデル。お店の方に切っていただきました。

ビールは小さいサイズをおかわり。フランツィスカーナー・ヴァイスビア・ゴールド。美味しいです!

気仙沼からさんま届く!

「今年は不漁」というニュースを見ていた。気仙沼にさんまがないなんて、、、。心配し過ぎて、直接、弟に聞けない。いったいどうしたのだろう、、、。

と思っていたら、届いた! 待ってました!
気仙沼のさんまじゃ。弟よ、ありがとう〜!

焼いて食べました。美味しいね!

文化講演会2017

気仙沼高校関東同窓会が主催する「文化講演会」です!

今回が初めての試み。場所は明治大学の「アカデミーコモン」という建物の9階の309Bという部屋です。

うわっ、この建物です。立派すぎる! 凄いねぇ〜。実はこんな立派なところじゃないかなと思い、行き過ぎてしまった。別の建物で聞いて戻ったという次第。へぇ〜。

ということで、建物の下で道案内をすることに。

本日の講師は長峯純一さん(気高28回生)。関西学院大学の副学長をされています。そのお父様は愛耕幼稚園の園長先生をされていたそうで、愛耕幼稚園のすぐそば(当時は三日町にありました)に住んでいたとか。

愛耕幼稚園の教会のところの写真です。わぁ〜、懐かしい! 私も少しばかり日曜学校に通ったことがありました。

懇親会は「かのう屋」さん。地下にあります。会費は3,000円。

最初はビールでかんぱ〜い!

すぐにお刺身が出ました。食べます!

ゲストと同級生の皆さんの席に座らせていただき、皆さん、仲が良いですねぇ〜。羨ましい。

美しい先輩と一緒にパチリ。

懇親会がお開きになる少し前に会場を後にしました。その後で写真を頂きました。私が帰ってから参加された先輩も写ってる!

今日は歩いて帰ろうか。ここは神田小川町です。靖国神社の中を通り、

「大村益次郎銅像」で写真を撮り、

やっぱり凄い場所ですねぇ〜。

この門から外に出まして、

東京家政学院の前を通り、四ツ谷駅を過ぎて、新宿通りを歩き、新宿駅近くは歩行者天国になっていました。車道の真ん中を歩きましょう。あとはいつもの通勤路。お疲れさまでした。