叔父の葬儀

菩提寺の宝鏡寺で営まれた。
大勢の方にお越しいただきまして、本当にありがとうございます。

葬儀の為にいとこ連中13人・全員が集まった。
大人になると全員集まるのは珍しい。
みんな立派な大人になったなーとババくさいことを思ったりする。
子供の時はみんなで大谷海岸に行ったっけね。楽しかったね。

私は線香の煙なのか、それとも疲労なのか、なんだかわからない頭痛が出てしまい、本日、東京に戻る予定が一日ずらすことにして、夜は寝ていた。

気仙沼地方の葬儀

お葬式の仕方は地方によって異なる上に、各家庭によっても異なる慣習があるので難しい。
慣習を変えるのは親戚連中を説得しなければならず、場合によっては皆を敵にまわすことになる。こういった緊急事態の場では避けたいもので、「前はこうやった」という事に従いつつ、若い喪主がわずかに新しい事を取り入れ、まぁ、そうやって微妙には変化しているのだろう。

気仙沼地方では、告別式の前に火葬をする。
このことを東京で話したら、ことのほか驚かれた。

つまりこうだ。
人が亡くなると、まずは自宅で仮通夜といってごく親しい人だけに「お知らせ」してお越しいただく。火葬許可がおりると火葬をする。火葬許可が降りるには24時間過ぎてから、と決まっているから、その間が仮通夜ということになる。ここで御日柄が悪く、友引にでもなろうものならば、日を改める。

火葬には、親しい人などが集まる。
火葬した遺骨をそなえて、本通夜となる。
その後に告別式。

こういう段取りだから、東京の葬儀よりも長くかかる。

聞いてみると、同じ宮城県であって仙台では告別式の後で火葬するようだから、気仙沼地方の慣習のようだ。その理由はハッキリとはわからないが、海の事故で亡くなると、遺骨なしの葬儀になってしまうから、まぁ、そういうことからこうなっているのかなとは思う。

本日、叔父の火葬と本通夜が執り行われた。

叔父・亡くなる

父の弟(三男)が亡くなったと知らせが来た。
今年の正月明けに倒れてから意識がなく、家族が付きっきりで看病したものの帰らぬ人となってしまった。

私が子供の頃、叔父が結婚する前は一緒に住んでいた。
叔父は新しいもの好きで、そういう点は祖父に似た。

叔父のカメラのおかげで私の赤ちゃん時代の写真は豊富にある。
8ミリカメラを買っては撮影をし、夜は上映会を行った。
家業に早くからパソコンを導入したのも叔父によるところだ。

叔父は口は悪いが心根は優しい人だ。歌が好きで、キチっとしている。
それでいてパチンコが好きで、煙草は最後までやめなかったらしい。

数年前に大病をし、「手術も出来ない」と言われたようだが、化学療法で奇跡的に手術可能な状態になり、手術をした後は奇跡の復活を成し遂げたが、今回ばかりはそうはいかなかった。
正月休みに娘が帰ってきていたから、ホッとしたのかもしれない。

一人また一人といなくなってしまうのは本当に寂しくて悲しい。

私の家族

昨晩は、中華を食べる。親子3人は熱心にメニューを見つめる。
親子3人

弟の家でくつろぐ家族。
甥っ子2人は真っ黒に日焼けして、最近ではスポーツウェアもブランドものを欲しがる年頃らしい。長男は野球と水泳。次男は剣道と野球。
よしき&ともき

母はこの椅子がお気に入り。
母

弟達
弟くんちゃん

弟てっちゃん

弟の嫁はお茶を入れたり、お茶菓子を出してくれたり働きます。
くんちゃん夫婦

一家団欒

母と私は車の運転が出来ないので、よく歩いた。
気仙沼プラザホテルの下のおさかな市場で「あー疲れたねー」ちょいと一休み。
母

クロアチア戦は引き分けでも田中前商店街は熱い

ワールドカップサッカー、本日はクロアチア戦。気仙沼・実家の茶の間で、母と一緒におたけびを上げながら応援する。

気仙沼の「ジェイズミウラ」では、店のシャッターをおろしたところにスクリーンを映し出して「パブリックビューイング」を作った。きいっつぁん、すばらしいよ。すごいよ。行けなくて申し訳ない。

いわさきちひろ展

気仙沼「リアス・アーク美術館」で開催中の「わたしが選んだちひろ展 in 気仙沼」に母と行った。
ちひろ展

いわさきちひろ」の絵は、やわらかいタッチで母子の愛情があふれていて、見る人の心がやわらかーくなる。経歴を読むと、戦争中は疎開するなど、幼い岩崎氏には辛い体験があったようだ。

東京にはたくさん美術館があるのに、ちっとも行ってない。むしろこの頃では、気仙沼に帰ると「リアス・アーク美術館」に行き、文化の香りに触れている。

記念にポストカードを買って帰る。

帰り道、最終バスが行ってしまったので、母と田中前まで歩いてみた。ここを歩くのは初めて。こんなに自然が残っている。のどかで美しい景色。
気仙沼の自然

美しい花

(母方の)祖母の三回忌法要

お寺で(母方の)祖母の三回忌法要していただいた後は、南町「やな川」で会食。「やな川」さんは、前回の祖母の一周忌についで2度目。

古川屋
写真の右手は、今は営業はしていないが老舗・高級料亭「古川屋」さんの荘厳な建物。2階の大きなお部屋で行われた叔父の婚礼のことはよく覚えている。もう一度、中に入ってみたい。今は左手奥(車に隠れてしまったが)「やな川」としてご夫婦で営業している。

「やな川」はすばらしいお料理でございまするー。
「ふかひれの茶碗蒸し」はふかひれを贅沢に使っていて絶品。
ふかひれの茶碗蒸し

「たけのこを牛肉で巻いたお料理」は、たけのこがやわらかい。写真は食べかけで申し訳ない。
たけのこを牛肉で巻いたお料理

はものご飯は、お品のよい塗りの器が見た目にも美しい(こちらも食べかけに慌てて写真をパチリ)。
はものご飯

昨年の一周忌法要とは別のメニューで、そのどれもが手が込んでいて、全国の皆様にも食べて頂きたいお味。たくさん美味しいお料理があったのに、食べる方に夢中でこれしか撮ってません…。写真の腕前もまだまだなので、この美味しさがちゃんと伝わるだろうか。

「やな川」さんの入り口すぐにかかっている絵はいつの時代のものだろう?見とれてしまって写真を撮らないでしまったので、是非、ご自分の目で見てくださいマシ。「古川屋」時代からあるもので、もう100年もこうやってお客様を出迎えてくれているそうな。それに奥様の手作りのお人形が融合していて、優美な空間に形成している。

気仙沼の良き時代の文化を後世に残して頂きたい、と願うのであります。

気仙沼に帰る

母方の祖母の三回忌のため、気仙沼に帰る。

えきねっと受取専用機
東京駅・地下鉄丸の内線からJRに乗り換えるところに「えきねっと」の「受取専用機」が出来ていた。ここにあるとは便利だわん。

新幹線に乗って北に向かうと「日本は縦に長い」ことを実感する。寒い。
母と横浜に住む弟と「あさひ鮨」さんで寿司を食べる。うまーーーい。ホント気仙沼の食のレベルは高いですのー。
あさひ鮨

祖母の命日

(父方の)祖母の命日。八回忌。
祖母は和服をビシっと着て、染めた黒髪をキュと結い上げて、シャキっとしているんだけど、ゴロリと横になるやスースーと眠る。私も横になると3分も持たずに寝てしまうのは祖母に似た。

小柄なくせに夫(=私の祖父)が早くに亡くなったこともあり、顔に似合わず男まさりな気性だった。そのくせ歌舞伎が好きで、お習字やお花などの稽古ごとにも熱心で、それから昔のしきたりをキチっとこなした。お姑さんが厳しかったらしく、若くてお嫁に来たばあちゃんは、苦労したんだろうなぁ。

「りーこちゃん」と私を呼ぶ声が聞こえてくるようだ。
なんか、私もばあちゃんの影響を多く受けているのかもしれないなぁ。