老眼鏡(ジェイズミウラにて)

「ジェイズミウラ」で老眼鏡を作ってもらった。
最初に目の検査をすると
「オー、眼いいねー」
「そうなのよ。眼だけ良いの…それなのに老眼が・・・」
「大丈夫。みんな来るんだから」ウルウル。

キーチ君におしゃれな老眼鏡を見立てて頂く。ありがとー。
これまでのババくさいイメージを払拭してくれるデザインで驚いた。メガネを買うのは初めてで、しかも老眼鏡で、ちょっとガックシって感じだったけど、洋服を買うみたいにあれこれ悩んじゃう。楽しい。

1つ目なので無難なデザインにしちゃった。「KISURA」というブランド。軽いの。キーチ君の一押しの方がポップなデザインでおしゃれ。2つ目を買う時はそっちにしようっと。それで3つ目はこっちにしようかなー、なんて、欲張り全開。

明るい老眼生活を送るのだーと思った次第であります。

その後は、ザ・ビートラス(気仙沼中学校の同級生バンド)の練習を。
家で少しばかり練習したけど、ちっとも指は動かず、テンポをキープ出来ず、ソロはもつれっぱなし。申し訳ないです。

いくつになっても同級生っていいね。
バンドに誘ってけで、どーもね。

気仙沼は野菜もおいしい

南町の清龍寺にて叔父の一周忌。
その後は、「世界」にて会食。
美味しすぎます。
松茸のホイール蒸しは、もう絶品でございます。

夜は弟の家で夕食。
弟がさんまを刺身にしてくれたり、サバを塩焼きにしたりして、もてなしてくれる。
弟が台所に立つのは、年に1度あるかないかだろう。嬉しいよね。
甥っ子らの成長が頼もしいと感じるオバちゃんのであーる。
家族

家族

家族

家族

夜はザ・ビートラスのリハ。
11月にライブをするので、キーボードとして参加させて頂く。
日頃の練習不足で指は動かず。申し訳ないです。

ビートラスのポールが枝豆を持ってきてくださった。
おいしいの。
東京で食べる枝豆は、収穫してから食卓にあがるまでに時間が経ってしまうからか、このような「ちゃんとした枝豆の味」がない。
枝豆だけではなく、トマト、きゅうり、とうもろこし、どこにでもあるような野菜が、気仙沼ではみずみずしくて美味しい。昔、野菜はこういう味がしたなーと思う。

気仙沼ですー

またまた法事の為に気仙沼に帰った。明日は叔父(母の弟)の一周忌。
この数年、近しい人が相次いで亡くなった。
大好きだった人が、順番にいなくなる。こうやって「自分自身の死」への心の準備をしていくのかもしれない。

東京を出る時は半袖を着ていても暑いくらいだが、気仙沼駅を降りたら、ブルブルっ。寒い。
気仙沼はちょうど、戻り鰹が美味しい季節。
こんなに美味しいカツオは東京で食べたことがない。
カツオは「初鰹」よりも「戻り鰹」に限る。マグロよりも美味しい!

叔父の葬儀

菩提寺の宝鏡寺で営まれた。
大勢の方にお越しいただきまして、本当にありがとうございます。

葬儀の為にいとこ連中13人・全員が集まった。
大人になると全員集まるのは珍しい。
みんな立派な大人になったなーとババくさいことを思ったりする。
子供の時はみんなで大谷海岸に行ったっけね。楽しかったね。

私は線香の煙なのか、それとも疲労なのか、なんだかわからない頭痛が出てしまい、本日、東京に戻る予定が一日ずらすことにして、夜は寝ていた。

気仙沼地方の葬儀

お葬式の仕方は地方によって異なる上に、各家庭によっても異なる慣習があるので難しい。
慣習を変えるのは親戚連中を説得しなければならず、場合によっては皆を敵にまわすことになる。こういった緊急事態の場では避けたいもので、「前はこうやった」という事に従いつつ、若い喪主がわずかに新しい事を取り入れ、まぁ、そうやって微妙には変化しているのだろう。

気仙沼地方では、告別式の前に火葬をする。
このことを東京で話したら、ことのほか驚かれた。

つまりこうだ。
人が亡くなると、まずは自宅で仮通夜といってごく親しい人だけに「お知らせ」してお越しいただく。火葬許可がおりると火葬をする。火葬許可が降りるには24時間過ぎてから、と決まっているから、その間が仮通夜ということになる。ここで御日柄が悪く、友引にでもなろうものならば、日を改める。

火葬には、親しい人などが集まる。
火葬した遺骨をそなえて、本通夜となる。
その後に告別式。

こういう段取りだから、東京の葬儀よりも長くかかる。

聞いてみると、同じ宮城県であって仙台では告別式の後で火葬するようだから、気仙沼地方の慣習のようだ。その理由はハッキリとはわからないが、海の事故で亡くなると、遺骨なしの葬儀になってしまうから、まぁ、そういうことからこうなっているのかなとは思う。

本日、叔父の火葬と本通夜が執り行われた。

叔父・亡くなる

父の弟(三男)が亡くなったと知らせが来た。
今年の正月明けに倒れてから意識がなく、家族が付きっきりで看病したものの帰らぬ人となってしまった。

私が子供の頃、叔父が結婚する前は一緒に住んでいた。
叔父は新しいもの好きで、そういう点は祖父に似た。

叔父のカメラのおかげで私の赤ちゃん時代の写真は豊富にある。
8ミリカメラを買っては撮影をし、夜は上映会を行った。
家業に早くからパソコンを導入したのも叔父によるところだ。

叔父は口は悪いが心根は優しい人だ。歌が好きで、キチっとしている。
それでいてパチンコが好きで、煙草は最後までやめなかったらしい。

数年前に大病をし、「手術も出来ない」と言われたようだが、化学療法で奇跡的に手術可能な状態になり、手術をした後は奇跡の復活を成し遂げたが、今回ばかりはそうはいかなかった。
正月休みに娘が帰ってきていたから、ホッとしたのかもしれない。

一人また一人といなくなってしまうのは本当に寂しくて悲しい。

私の家族

昨晩は、中華を食べる。親子3人は熱心にメニューを見つめる。
親子3人

弟の家でくつろぐ家族。
甥っ子2人は真っ黒に日焼けして、最近ではスポーツウェアもブランドものを欲しがる年頃らしい。長男は野球と水泳。次男は剣道と野球。
よしき&ともき

母はこの椅子がお気に入り。
母

弟達
弟くんちゃん

弟てっちゃん

弟の嫁はお茶を入れたり、お茶菓子を出してくれたり働きます。
くんちゃん夫婦

一家団欒

母と私は車の運転が出来ないので、よく歩いた。
気仙沼プラザホテルの下のおさかな市場で「あー疲れたねー」ちょいと一休み。
母

クロアチア戦は引き分けでも田中前商店街は熱い

ワールドカップサッカー、本日はクロアチア戦。気仙沼・実家の茶の間で、母と一緒におたけびを上げながら応援する。

気仙沼の「ジェイズミウラ」では、店のシャッターをおろしたところにスクリーンを映し出して「パブリックビューイング」を作った。きいっつぁん、すばらしいよ。すごいよ。行けなくて申し訳ない。

いわさきちひろ展

気仙沼「リアス・アーク美術館」で開催中の「わたしが選んだちひろ展 in 気仙沼」に母と行った。
ちひろ展

いわさきちひろ」の絵は、やわらかいタッチで母子の愛情があふれていて、見る人の心がやわらかーくなる。経歴を読むと、戦争中は疎開するなど、幼い岩崎氏には辛い体験があったようだ。

東京にはたくさん美術館があるのに、ちっとも行ってない。むしろこの頃では、気仙沼に帰ると「リアス・アーク美術館」に行き、文化の香りに触れている。

記念にポストカードを買って帰る。

帰り道、最終バスが行ってしまったので、母と田中前まで歩いてみた。ここを歩くのは初めて。こんなに自然が残っている。のどかで美しい景色。
気仙沼の自然

美しい花