「芋きん」ありがとうございます!

昨日の「雪っこ」での気仙沼の先輩との会の興奮がさめません。いやーいや、非常にすごいパワーでした。良き日の気仙沼のエネルギーがそのまま、やって来たかのような。

昨日、「学T専科」さんからおみやげに頂いた「満願堂」の「芋きん」を頂きました。美味しいです。
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「学T専科」さんは、冬期用の長袖のTシャツもご用意しています。5枚からオーダー出来るので、家族でおそろいTシャツなんて時にもいいですよね。素材はヘビータイプも選べるので、大切に長く着たい方にもお勧め。是非、ご覧ください。

千駄ヶ谷「雪っこ」にて気仙沼の先輩方と…

千駄ヶ谷の「雪っこ」は気仙沼出身の方のお店です。

地下鉄・副都心線「北参道」で降り、2番出口を出て、最初の信号を右側に渡るとすぐのところに「雪っこ」はありました。
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地下の階段を降ります。
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お店に入りますと、オオオ!気仙沼の先輩方がいらしてました。今日は私ごときをまぜて頂き、ありがとうございます。

ぬぁんと東京では珍しい「ほや」
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美味しいお刺身
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「もうかの星っこ」
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マンボウ! そして写真には見えませんが、この下に牡蠣も!
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そして「どんこ汁」ですよ。どんこ汁を千駄ヶ谷で食べるとは思いませんでしたー。もちろん(というか)メニューにはありませんけどね(^ー^)
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気仙沼を盛り上げるにはどうしたらいいか?
ああだ、こうだー!と勝手に盛り上がる我々であります。

「ふるさと納税」は、気仙沼の地元は(地元の役所は、かな?)「力を入れてないのではないか?」との意見が多数出ました。実体は存じませんが、例えば、南三陸町では地元を離れた人に郵送で納税を促すなどの努力をした結果、気仙沼市とは桁違いの金額が集まったとか。

気仙沼ももっと頑張ろうと千駄ヶ谷にて叫ぶ我々でございます。

なんですかね、気仙沼を愛する人達がこんなにたくさんいるのは不思議です! しかも、先輩方のパワーがすごいの。

ところで、話をしていくと不思議なご縁で結ばれている気がしてなりません。千葉さんは、私の母の実家が(戦後すぐに)太田に居た頃に隣合わせに住んでいらしたということですし、戦時中は祖父が戦地に行ったため、祖母と幼かった母が柏崎の叔父の家に身を寄せていた時代をご存知の方がいらしたり。どこかで皆が結ばれているという不思議さ。

気仙沼出身の皆様、こんでは、おだったことは出来ませんね。
なにしろ、月例で集まろうという話になりました。
第2月曜日を定例として、こちらに集まることになりましたので、ひとつよろしくお願いいたします。

いやぁーーー、それにしても楽しかった!!!

「雪っこ」は土日がお休みです。お越しの際にはご注意くださいませ。

すき焼きは家族団らんの味がする

昭和30年代、我が家は大所帯でした。

祖父母、両親、父の弟達と妹達、住み込みで働いてくださる方々、お手伝いさんが魚町と太田の2軒の家を使って住んでおりました。どちらも、さほど広くはないので、文字通りに川になって寝ていた記憶があります。

祖父は「さかなや」のだなはん育ちですから(注:気仙沼で「さかなや」と言うのは、町の魚屋さんの事ではなく、漁船のオーナーであったり、加工や卸売業などの経営者のことを言います)、食事は下々とは一緒にはとりません。

祖父母だけ別室で頂きます(なんだか時代がかっていますが、祖父は明治生まれですから、そういうものかと思っていました)。

昭和44年に祖父が亡くなった後も、祖母が私たちと同じ食卓を囲むことはありません。

祖父が亡くなる少し前から、父の弟や住み込みの皆さんが相次いで結婚して家を出ましたので、我が家は家族だけになりました。

それでも祖母は、私たちとは食卓を囲むことはありませんでした。

「あねはん(おかみさん)」としての習慣がしみついていたのか、せずねーわらすだぢ(うるさい子ら)と一緒では落ち着かないと思ったのか。

祖父母のお膳は5品か7品か、それとも9品か…、奇数と決まっていました。
ご飯とみそ汁と漬け物で3品、それにメインのおかずに小鉢が付くと5品。
デザートに果物などを付けると6品になるので、あと一つ小鉢を付けて7品にすることが多いのです。その1品が難しいと母がいつも悩みます。

そんな祖母ですが「すき焼き」の日は皆と一緒に一つの鍋をつつきます(後に、ホットプレートを入手してからは、これに鉄板焼きも加わりました)。

父の帰りが早い日はすき焼きでした。
父の帰りが早い日は年にいくらもなくて、クリスマスか、たまたま飲み会がキャンセルになったか….、そんな程度でした。

「すき焼き」には家族全員がそろいますから、幼い弟達は、大はしゃぎです。
「僕、お肉食べるー」と言ってるそばから、父がしずって(からかって)肉を箸でグイと寄せたりしては、祖母にしかられます。

それが楽しくて、またはしゃぎます。
父が「卵もう一つ」と言うと、弟らが「僕もー」と言います。
何というか、みんな嬉しくて、そしてガツガツ食べました。
祖母も観念してか、目を細めて見ていました。

昨日、ランチに入ったお店に「すき焼き定食」がありました。
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すき焼きを頂くのは、いつ以来でしょうか。
その鍋をつつきながら、家族で頂いた「すき焼き」を思い出しました。

昭和の時代は、きっと苦しい事も多かったのでしょうけれど、なんだか楽しい事ばかり思い出します。

第4回 あがらいでバー!・受付中

関東に住む「気仙沼を愛する皆様ー!」お待たせいたしました。
第4回「あがらいでバー!」の受付が始まっています。

いつもの代々木「魚がし」にて、3/7(土)18時から開催いたします。

気仙沼出身でなくてもかまいません。
「気仙沼が気になる」とか「気仙沼が好き」というキーワードでOKです。

ゲストは、地域活性化に取り組んでいらっしゃる日出英輔さん。
大変な不景気な時代、地方は益々、大変な時代、
なんとか乗り切って参りましょうー!
まずはエントリーのほど、よろしくお願いいたします。

BAR KEITH(新宿歌舞伎町)

気仙沼の人達とちょっとした新年会を。
その後、歌舞伎町の「BAR KEITH(東京都新宿区歌舞伎町1-15-8 白木ビル4F)」へ。

こちらは新城中学校→気仙沼高校の卒業生のお店です。マスターの名字は私と同じですが親戚ではありません。気仙沼はこの名字が多いのです。

ちょっと大人な感じで、落ち着ける、いいお店です。
建物の1階にはこのように出ています。
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まだ来っからー。

気仙沼高校/関東同窓会の幹事会の新年会・かな?

気仙沼高校の同窓会の幹事会というか、世話役会というか、その新年会が新橋で行われた。

親戚のY子ちゃんと硬式テニス班のキャプテンだったY先輩に誘われて、「リエちゃんも幹事会に」というか、世話役にも次の世代が必要とか、、、。とにかくまぁ、我々の世代もそろそろ幹事(というか世話役というか)役割を担う年齢になっているのでしょうか。

ここは新橋「玉乃葉グー家 新橋店」
こちらでは、鯛飯が実に旨い!
この写真では伝わらないかもしれませんが、是非、ご賞味ください。これは料亭の味がします。
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そして「七々海」という焼酎があります。これも是非、飲んでみて下さい。

気高の先輩の前で恐縮しながら、新人としての挨拶などを。
たどたどしいのに、伝わりましたでしょうか?
気仙沼出身で、関東で頑張っていられる先輩達を前に、私もがんばろうと思うのであります。

ところでマラソンの記録が伸びずにガッカリしておりますが、甲子園に出場した先輩や、ラグビー部だった先輩から「フルは我々・野球部やラグビー部でも走れないよ」とか「がんばるなぁ」と褒めて頂いて嬉しくなりました。ありがとうございます。

新橋で、気仙沼弁でかだる、かだる!(笑)

さて、2次会は銀座に移動して、階上出身の先輩のお店「ござい」です。
暖かい雰囲気で、いいですねぇー。
居心地がいいのです。
けれど、、、終電に間に合わなくなりそうで、あたふたと後にしました。
また、ゆっくりお邪魔します。
ほんで!

本吉町の議会改革

日曜日・テレビ朝日「サンデープロジェクト」を録画してあったのを見た。

「地方議会を変えるⅡ 秘訣は”市民の眼”にあり 」という特集の中で、なんと!「(気仙沼の隣町)本吉町の議会改革」が取り上げられていた。
こんなに進んだ事をしていたのですか!

・(町民が傍聴しやすいように)ナイター議会を開催
・議員定数の削減(20人→12人)
・事前のすり合せなしに質問をぶつけ、またそれに返答する、ちゃんとした議会(実現するためには、十分な事前の準備・勉強が必要)
・一問一答方式(傍聴者にわかりやすいような配慮)
・机はひな壇→対面型に

いまや全国から130団体が議会視察に訪れるほどになっているそうだ。
本吉町は、今年(2009年)9月に気仙沼市との合併が決まっている。
合併する気仙沼市は、これに恥じぬよう良い点を取り入れた議会開催が求められる。
がんばれ! 新・気仙沼市!

お正月はお餅食べた?

実家では、母のお友達からお餅を頂いたそうで、お正月に美味しく頂きました。
子供の頃には、父の会社の従業員の皆さんと一緒に餅つきをして、それは結構なにぎわいがあって楽しかったなぁ。

オヤマ家では、正月三が日は朝昼を一緒にして午前中に「餅」を頂きます。
お雑煮は3日食べ、その他に次のものを頂きます。
・元日:あんこ餅
・2日:くるみ餅
・3日:ごま餅

この順番は私が生まれた頃から変わりません。
1日に2食になってしまうため、腹がすいた時には、「のり餅」、「お湯餅(と呼んでいるが、ネギと海苔と鰹の削り節、そして餅を入れて醤油をかけてお湯をかける、簡単で美味しい)」を頂きます。

会社で「くるみ、ごまも美味しいよね」と話したら、「そういうの食べたことがない」というので、そういうものかと思いました。

くるみ餅、ごま餅の作り方を記録しておきます。

【くるみ餅】

  • くるみを割る
    くるみを割る時には、とがった方を下にしてカナヅチでガツンと叩く
    実家には、くるみ割専用の「石」があり、その上で割る
  • 中から実をほじり出す
  • 白い紙の上(主にカレンダーの裏を使っています)に広げて、丁寧にカラを取り除く
  • すり鉢でする
    すりながら、ジャリっと音がしたらカラが混じっているので、丁寧にカラを取り除く
  • 裏ごし(これでカラは全部取り除かれるので、面倒だが必ず裏ごしする)
  • 再びすり鉢に入れて、する
  •  砂糖(200gでしょうか?と母が言いますが、くるみの倍程度入れるようです)
     塩(小さじ1杯)
     水(加減を見ながら入れる)

  • する

これで出来上がり。砂糖・塩の加減は、時々なめて確認します。
以前は「水」の代わりに「お茶」を入れていたが、弟がお茶が飲めない等のため、現在は水を利用。

【ごま餅】

  • いりゴマを買う
  • する
    ゴソゴソという感じがとれるまでする
  • (全体になめらかになったら)砂糖(200g程度か?)、塩(小さじ半分程度)を入れてする
  • 水を少しずつ入れてする
    (甘すぎる時には、お好みによっては醤油を入れても良いようだ)

「あんこ」が苦手な男性にも「くるみ」は人気がある。「ごま」の風味も良い。
「あんこ」は「あんこ通し」というのをやって、「こしあん」にしている。「あんこ通し」は、水を利用するので、手が冷たくなること、この上ない。

昔は手伝いをした「あんこ通し」だが、現在は母が一人でやっている。さぞや手が冷たかろうに、次こそは早く帰省して手伝おうと思っているのだが…。

大正11年の気仙沼

気仙沼市南郷に「茶色い小瓶」という喫茶店がある。
店内にはところ狭しと、懐かしグッズが展示してある。

「これこれ、これはコロンビア(あれ?ビクターだっけ?)の犬でしたねー」なんてマスターと話をしていたら、「気仙沼のビデオを見る?」ときかれた。「見せてください」
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そこには大正時代の豊かな気仙沼があった。
たしか、これは私が若い頃に、NHKでも放映されたっけ。
家族全員で観た記憶が。

今ふたたび見ると、大正という時代とは思えぬほど「豊かな気仙沼」に改めて驚いた。

なんでも、録画を始めた方は、東京の出張の際に「映画」の撮影現場を見たとかで、「これはおもしろい」と「撮影して上映する」ことを思いついたようだ。こんなにおもしろいものを気仙沼の人にも見せてあげたいと思ったらしい。

撮影は気仙沼市内の商店などを中心に「撮影して欲しい」と願い出た皆様を録画。現存するお店もある。大堀銀座にあった川(今は埋め立てられて残ってない)があって、あー、本当に川があったんですね。

野球をする様も録画されている。
この時代にユニホームをそろえて野球に興じる様には驚きました。観客も盛り上がっている。

人力車に乗って往診する医師の姿や、乗り合い自動車(外車)に乗る人々、お店で販売する若い女性の姿など、当時の気仙沼をこれほどリアルに見ることが出来るなんて!

気仙沼は、何度かの大火があった。
「気仙沼の歴史」を見ると、
大正4年:大火
大正5年:劇場「鼎座」ができる
大正7年:映画館「恵比寿館」ができる

とある。この上映は「恵比寿館」で行われたようだ。

私の実家周辺(魚町・海岸通り)も映っている。私の先祖も、この中にいるのかもしれない。

興味のある方は、「茶色い小瓶」に行って、マスターに話してみてください。