母ヨガ体験レッスン

東京に避難している母は、お友達もいなくて、大変、寂しい日を過ごしています。

そこで、中野区の生涯学習について週末に調べてみました。
なかのスペースZEROに窓口があるので行って聞いてみます。

母は、目が少し不自由なので、本を読むとかお習字を書くとか、そういった事が困難です。

「着付け教室がいいかな」というので調べると、着物などを一式そろえなければならない。今、そんな余裕はありません。

お道具がいらなくて、細かい作業がないもの。限られます。

ヨガ、エアロビクス、ダンス、コーラス、、、

「お母さん、コーラスがいいんじゃないの?」
「歌へただから、やんた」
「口パクパクでダメ?」
「だーれ」

というので、ヨガ。

「普段着のままでいいですよ」と代表の方が電話で言ってくださいました。
「初回は体験レッスンで、無料でどうぞ」ありがとうございます!

朝、会場である「中野勤労福祉会館」に母を連れて行き、お願いしてきました。

夜、帰って様子を聞きますと、
「若い人ばりだった」そうで、母がいう「若い人」は60歳代ですけど。

70歳以上の方もいらっしゃると良いのですが、、、。
なかなか気分転換出来るものって、ないですわね〜。

母一人で電車に乗る

母も少しずつ前向きになっています。
今日は、初めて一人で電車に乗りました。

といっても、新中野から新宿までの、ほんの3駅ですけど、ちょっとした冒険だったね、お母さん。

母は好奇心旺盛で、チャレンジ精神がありますから、それには助けられます。

母はじめてのインド料理…

母と同居が始まって1週間です。
それなりに、うまくやっております。

母は料理担当。
さまざまな工夫をしていて、野菜たっぷりの家庭料理にダンナは大変、喜んでおります。

でも、今日は、「外で食べましょうか」

新中野の「ボビさん」というインド料理のお店。
母はインド料理食べたことない。

好奇心旺盛な母ですからチャレンジするそうです。

「エー! これがカレーなの?」
食べられないかな?と思ったけど、意外にもナンに付けて食べてました。

好奇心旺盛なうちはボケないですよね。
東京にお友達がいなくて、日中は一人にしているものだから、ボケないかと心配をしています。

テンポの良い気仙沼弁

母と同居が始まって、家の中は気仙沼弁全開です!

ダンナは北海道出身で、共通する言葉もありますが、まったくわからない言葉もあるらしく、なんとなくニュアンスで付いてきているようではあります。

「あんだ、わがっかっぺ?」と母が言う。
「わがってってば」と娘が応える。

「っ」(小さな「つ」)が多いです。
これが実にリズミカルで、楽しい気仙沼弁。

TVで震災の被災者へのインタビューを聞いていますと、
陸前高田、気仙沼、南三陸町は、同じ言葉を使っていますね。

同じ宮城県でも、仙台と気仙沼弁は少し違うのです。
だから、仙台の人が気仙沼に着任すると「異国に来たみたい」と思うわけですが、

三陸地方は、同じ言葉を使って、同じような文化で生活をしていたなぁと、インタビューを見ていて気付きます。これに室根町も入りまして、一つの文化圏を構成しています。

なんか、その市町村が一つになった方が自然な気がしているのは、私だけではないようです。
これが宮城と岩手に分かれて復興していくとなると、色々と面倒もありましょうね。

とかなんとか、呑気な事を言ってる暇はありません。
復興に向けて、がんばるゾ!

実家のいま…

どうやら、道路にはみ出て邪魔になった部分だけが壊されたらしい我が家ですが、甥っ子が見に参りますと、なんと1階にはカーテンがしかれていたそうで、なんともまぁ、こんな状況なのに、カーテンは残っているってのも妙な気分でございます。

取り壊し作業の方が、カーテンをしいてくださったのでしょうか。

しかしこれはまぁ、「ハウルの動く城」みたいな感じーw。

2階のふすまは、先日までは残っていたけど、度重なる余震のせいで1つがなくなっていました。その奥に見えるのはお茶箱で、あのお茶箱の中には、亡くなった祖母の和服や衣類が入ったまま。

他人さまから見たらボロにしか見えないでしょうけれど、
家族には大切な思い出です。

この通り、左側に見える階段が壊れたしまったため、2階に上がれません。
それにしても、なんてまぁ、恥ずかしい状況の我が家でございます。

被災者の医療負担

母が風邪気味で、鼻グズグズ、咳ゴホゴホしています。
避難所から横浜に移り住んで、さらに東京に来て、疲れが出たのでしょうか。

熱はないからいいかな〜とは思うが、年をとっているし、悪化させてもいけないと思って、内科に連れていきました。

なんか前に記事をチラリと見た気がして聞いてみますと、
「住宅が全半壊した者などに対しては、医療機関は患者から患者負担分を徴収せず」という措置がとられるそうで、母も医療費は負担して頂きました。無料で診て頂いたのです。ありがたいです。

幸い保険証は持ち歩いていたおかげで無事でした。

気仙沼の住所の書いてある保険証を提示出し、バリバリの気仙沼弁で「家もなぐなったし」と語ります。看護士さんや皆さんにも大変、良くして頂きました。ありがたいです。

ゆっくり寝れば治ると思うのですが、気が張っていて「眠くない」と頑張っています。
あ、でも今見たら、犬と一緒に寝てます〜w。

今晩のおかずは、かれいの煮付け、ひじきの煮物、キャベツのサラダ、それに漬け物やバナナのデザートまで付けて、これ全部、母が作ってくれました。目が不自由ですし、慣れない台所は使いにくいでしょうけど、母も頑張っています!

ダンナが「美味しい!」を連発して母を褒めるもんだから、俄然やる気になっています。
日中1人にして寂しいだろうと思いますが、もう少し、一緒にやってみようね、お母さん。

突然の母との同居におおわらわ

急遽、母が東京の我が家で避難生活を送ることになりまして、何も準備してなかったから、そりゃもう、おおわらわですわ。

まずは掃除。
とにかく掃除、掃除、掃除。

それでなくても狭い部屋ですから、どうしたらいいのでしょ。
まぁ、避難所よりは良いでしょう。

それから、犬の小太郎。
母は犬が嫌い。。。

でも、意外にも小太郎とは仲良くやっております。
小太郎も母にくっついて、ちょっとした癒しのようです。

そして食事。
母は料理が得意というか、好きなんです。

今は目が不自由になってしまって、完全失明ではないけれど、かなり見えにくい状態。障害者手帳の申請をしているところでした。

包丁を持たせるのは、どうしようかと思ったけれど、震災前まで料理していたのだから、それに、、、どうやら娘の料理が見ちゃいられないってことで、母の手料理を頂くことに。

美味しい(^ー^)。

母の料理にダンナも満足。
ずっと居てもらってはどうか、なんて言っております。

まだ、お互いに良い子でおりますが、そのうちに我がまま全開になりましょう。
そうなった時は、、、、、、、恐ろしい〜〜〜。

母と同居はじまる

孫2人と一緒に横浜に疎開している母。
甥たちは、もうすぐ学校も始まるので、明日の日曜日、横浜の弟夫妻が車で送ってくれることになりました。

さて母に、もう少し、こちらにいてはどうかと説得を続けていまして、やっと応じました。

本日、横浜に迎えに行きまして、東京での暮らしが始まります。
母には東北新幹線が開通したら、私が送っていくと話していますが、さて、期間はどうなりましょうか。

横浜(白楽駅近くの六角橋商店街というところです)に行って様子を聞きます。
弟の嫁の家の隣の、こちらの一戸建てのお宅をお借りして、3人が住んでいました。弟の嫁の地元で、ご近所付合いもあります。

夜は、みんなで銭湯に行ったようです。
銭湯は、被災者は無料にしてくださったそうです。
横浜の子達も、みんなで一緒に入って、ちょっとした合宿気分で楽しんだようです。

毛布や衣類なども、ご近所の方々が集めてくださって、支援してくださっていました。

弟の嫁は色々と気がついてくれて、母は美容院に行ってサッパリとしていました。

こちらに比べると、近所付き合いもない狭い私の部屋は、母には不便をかけてしまいましょう。

まぁ、しょうがないわな、こんな娘ですから〜w。

実家の取り壊し作業中

夢を見た。

実家は倒れかかっているが、大きな余震の後に、逆方向に傾いたついでにまっすぐに戻ったという呑気な夢。

私は平和な2階にいて、母と1階をどうやって片付けるか相談している。
「意外にうちも丈夫だねぇ」なんて言ってたら目が覚めた。

そこに「本日、実家取り壊し」の連絡入る。
あれは、むしの知らせだったのでしょうか。

本日の作業は途中でおしまい、とのことで、弟から写真が届きました。

あれまぁ、2階のふすまがそのまま残っているのね。
この奥に、私が使っていた部屋や父の洋服がそのまま残ってる部屋あります。

もしかしたら2階のものを取り出せたのかもしれないが、
ただ、、、1階の柱が折れていたし、
階段が壊れてしまって2階に上がれなかったから、
それには危険を伴うわけでして、諦めざるを得ません。

母が見たら、無念がるでしょうから、
たまたま、こちらに疎開していたおかげで見ないで済んで良かったわ。