美味しい水を飲もうとして、口に水をふくむと、、、
家族は水を飲めるのだろうか?
被災地のことが浮かぶ。
シャワーをあびていると、
被災地の皆さんは、何日、お風呂に入れないのだろうか?と考える。
暖かい飲み物を飲んだ時も、
暖かい部屋で、のんびりとソファに座っている時も、
そして、
私だけが、こんなに快適な空間にいて良いのだろうか?と考えて、辛くなる。
もう、前のように、ただ水を飲むとか、ただシャワーを浴びるということが出来なくなってしまった。
美味しい水を飲もうとして、口に水をふくむと、、、
家族は水を飲めるのだろうか?
被災地のことが浮かぶ。
シャワーをあびていると、
被災地の皆さんは、何日、お風呂に入れないのだろうか?と考える。
暖かい飲み物を飲んだ時も、
暖かい部屋で、のんびりとソファに座っている時も、
そして、
私だけが、こんなに快適な空間にいて良いのだろうか?と考えて、辛くなる。
もう、前のように、ただ水を飲むとか、ただシャワーを浴びるということが出来なくなってしまった。
私は地震の前日まで3日間、気仙沼にいました。
(木)夜に東京に戻って、(金)の地震。
皆さんから、「良かったね〜」と言われます。
被災地にいたら、もしかしたら、助かっていなかったかもしれない。
でもね、心の中では「なぜ、あと1日、残っていなかったのだろう」と思うんですよ。
地元の人と一緒に、その苦しみを分かち合うべきだったのではないかと思って、その思いで、辛くなってしまうのです。なぜ、いま、私は東京にいるのだろう?って。
実家に、ウィンドブレーカーの上下を忘れて来ました。
朝ランして、それをハンガーにかけて、そのまま忘れて来た。
そんな事、滅多にというか、一度もなかったのに。
(金)の朝に母に電話して、
「ああ、あるある」って。
「来月、帰る時まで置いといて」と言った。
そして、午後に地震。
なんだかね、あのハンガーにつるされたウィンドブレーカーの、あの青の上下が、私の代わりに震災を受けた気がしてなりませぬ。私の魂がそこに宿って、私の家族を守ってくれたのかなって。そして家が流されずにそこに、形だけですけど残ったのかなって。そう思いたいだけなんですけど、そんな気がしています。
とにかく大好きな気仙沼のあのような姿を、自分の中で理解が出来なくて、受け止められなくて、被災者でもないのに、心に苦しみをかかえています。
私だけではありません。
そんな人が大勢いて、あれ以来、酒が飲めない同級生が数人います。
みんな、これをどうしていいのか、今はわからないのです。
とうとう、親しい人の悲しい知らせ。
同級生。
ともに、長い長い独身時代。
「おめだづ、独身同士で手をうでや」みたいな事も言われつつ、
お互いに「エー」とか言ってじゃれ合って、
ご両親の介護してた。
聞いた話。
お父さんを避難所に届けて、
「次は母ちゃんだ」って、家に向って行って、
それから誰も会ってないらしい。
自分1人逃げるわけにはいかないよね。
足腰の弱っている高齢者を連れて、その歩調に合わせてゆっくり進むには、今回の津波は早すぎて、大きすぎた。
昨晩から、そうかも(彼が亡くなったのかも)と思ったら、胸がしめつけられて眠れなかった。
「な〜んてな」どが言いながら、
どこからか出てくるんじゃないのかな?
河原田付近
BBCサイトに気仙沼が出ていました。
「Japan earthquake: Kesennuma begins to rebuild」
勝倉のおんちゃんがお元気そうでした。
建物は残っていますが、家の中は滅茶苦茶ですね。
そして、ご町内、南町はガレキの山で、どこがどこだかわかりません。
安否不明でご心配の皆様が大勢いらっしゃいます。
Googleのこちらに入力してみてください。
http://japan.person-finder.appspot.com/?lang=ja
<47NEWS>
こちらに張り紙があります。
ここも見てください。
http://www.47news.jp/47topics/e/200715.php
これらはツイッターやmixiやメールで情報を頂いています。
情報をいただいた皆様、ありがとうございます!
大変な状況の気仙沼から嬉しいたよりも届きます。
今日は同級生の安否を!
まだ数少ないので、この記事は少しずつ更新していきます。
<無事に避難している人>
(女性は旧姓で書いてます)
3年1組
西村仁一、小川満、齋藤良一、阿部宏子、須田玲子、加藤久美子、伊藤房枝、鷲尾みゆき、藤田尚子
小野寺克浩、三浦喜市、菊田こうぞう(ゾッパン)、中川修、大坂仁、三浦正義・美佐子夫妻、
鈴木恵子、松田浩子、三浦章子、
みんな〜生きででよー!
同窓会やっぺしね!
高校の同級生
小山絹子、小野寺小夜子、菅原せい子
ツイッターと mixi を利用して、情報を集めています。
auと、本日からdocomoが、かろうじて使えるようになってから、「無事」という情報が次々と入っています。
その一方で、「何も連絡がない」人も多いのです。
自分の家族が無事とわかってホっとするものの、諸手を上げて喜ぶことが出来ないのは、そういう状況にあるからで。
そんな中、たったいま、同級生からメールが入った。
「屋根の上に逃げて、奇跡的に助かった」と書いてある。
どれだけ恐い思いをしただろう。
そして、今晩は寒いだろうに。
「避難所で私の母と一緒いる」と書いてくれている。ありがとう。
なんだか、泣けてくる。
気仙沼がんばろうーね。
皆様に大変、ご心配をおかけしました。
家族の無事がわかりました。
気仙沼中学校に避難しています。
実家は、壊滅状態の魚町にあり、ほとんどの家が倒壊して、町に踏み入ることもままならないようです。これからの暮らしを考えますと途方に暮れますが、命があるだけありがたいと思っております。
本日から、わずかではありますが、docomoが使える場所が出来たようです。auは、数日前から対応していました。しかしながら、その前に携帯の充電が順番待ちです。お年寄りの皆さんから連絡がなくて心配されている皆様、もう少し待ちましょう。ご無事で避難されているといいですね。
まだ安否不明な親戚や友人が多くおりますため、引き続き、情報収集しようと思います。
私の実家の会社には工場が3つほどありますが、そのうち、魚市場前の工場の画像がアップされていました。丸の中に、ひらがなの「き」でマルキという屋号です。マルキ小山平八商店。
この中か、もしくはこの付近に弟がおりましたが、奇跡的に助かっております。
マルキの従業員の皆様も無事に避難されていることを祈るばかりです。
YouTube「大津波にのみ込まれる瞬間の気仙沼市街 」