「ざんぞかだりの会」の後は、魚市場の屋上に移動して「港けせんぬま復活祭」のオープニングセレモニーを見に行きました。
市長さんの挨拶の後に、条南中学生のお2人が追悼の辞を述べました。
献花の後に、畠山みゆきさんの詩の朗読と歌。
心にジーーーーンと来ます。
その後に、お2人で「ふるさと」を歌いました。
オープンセレモニーの式典が終了した後、母と一緒に献花させて頂きました。
あの津波で命を落とされた皆様のご冥福をお祈りいたします。
慶応大学の学生さん達が中心になって、Facebookの中で「3.11から気仙沼をデザインする〜ワクワクする世の中〜」という集まりがあります。
オンラインだけではなく、直接会って話そうということで、気仙沼弁「ざんぞかだり」と名付けられた会の2回目は、気仙沼で行われることになりました。
「海の市」の3階で12時から始まります。
私は、大船渡線で気仙沼到着が12:07。
気仙沼駅から直行して、到着したのが12:20頃でしょうか。
そのまま参加させて頂きました。
慶応の学生さん、現地の経営者の方々、気仙沼在住の皆さん、他の大学の方、いろいろな立場の方が参加して意見を述べます。私も意見を述べさせて頂きました。
・・・が、一人2分でまわすのですが、私のまとめ力が足りずに、誤解をまねいたかもしれません。
続きはネットで補足して参ります。
多くの方の意見を伺うことが出来て、貴重な時間でした。
ぜひ、継続して参りましょう。
慶応大学の皆さん、ありがとうございました。
ケンユウ君、ありがとう!
8月上旬公開予定のACのCMでは、気仙沼小学校で撮影したものが登場するようです。
ACのサイトで見ることが出来ます。
気仙沼小学校に子供達、そしてキマグレンの歌。
テーマは「感謝の気持ち」
画面には、隣の気仙沼中学校と体育館も見えます。
どちらも我が母校。そして家族が避難していた場所。
私からも感謝の気持ち、ありがとう。
気仙沼大好きな人達が集まる「あがらいでバー!」の第11回がありました。
本日も大盛況でした。
本日のゲストは、弟の同級生でもある千葉さん。
魅力的な方です。
みなの心をグィと引きつけます。
そうですか、てっちゃんの同級生でしたか。
今もバレーボールを続けていて、マスターズという大会では全国大会出場だそうです。
地元・気仙沼の被災の様子は、それぞれのご家族や同級生のことなど、こうして語り合える場があるってステキなことです。
近頃は人気が高く、キャンセル待ちが出るほどでした。
皆さん、ありがとうございます。
日曜あたりから、左胸がズキズキと痛みます。
それが、昨晩は本当に痛くて呼吸するのも辛い。
ネットで検索しますと、動悸、息切れはないので心臓ではないと思います。
肋間神経通でしょうか?
原因に「ストレス」なんて書いてあります。
もうね、本当に辛くて、歩くこともままならなくなっています。
そこで、東神奈川駅近くの「おやま治療院(現在はおやま調整院)」に参りました。
弟が経営をしています。
弟の治療はとても不思議なもので、そっとさわっているだけ。
なんか怪しい感じです。
それでも、スーっと力が抜けていくのです。
でも、今回ほど痛みがあるのは初めてで、これは難しいだろうと、思いながら参りました。
診察が始まる前の時間帯に行って診てもらいますと、ヤヤヤ、驚いた。
痛みがかなり軽減されました。
あと2〜3日様子をみれば、だいぶ良くなるとのこと。
弟なので、あまり言うのもアレですけど、本当に助かった。ありがとう。
気仙沼のちょっとした写真を掲載いたします。
皆さんが前に向って一歩一歩、進んでいます。
私は初めて飲みました。
母のアパートは、農産物直売所「菜果好(なかよし)」というお店に近いので、そちらで買い求めているそうです。
これがですね、うまい(^ー^)!
宮脇書店は青空書店で再開中
「菜果好(なかよし)」の前を通って、田中前方向に歩いていますと、気仙沼三菱自動車さんに「宮脇書店」という看板を発見!
このようにテントで販売してました。
暑い中、お疲れさまです。何冊か買い求めました。
田中前方向に歩きますと「吉野家」さんは、移動自動車でのお弁当販売をしていました。
いろいろなお店が、被害の少なかった「田中前」に移動しています。
こちらは「ミートよねくら」さん。
いろいろとご不便がおありだと思いますが、いま出来ることを一生懸命している姿には感動します。
実家から出てきた写真を、叔父さん、叔母さんに届けに行くことにしました。
私の実家はかろうじて、わずかなものを持ち出すことが出来ましたが、潮見町と本浜町の親戚の家は、すべてが流されて何もありません。内ノ脇の弟の家は火災で全焼でした。
そこで、実家から出て来た写真が少しでもなぐさみになればと思います。
タクシーで叔父の仮住まいに向かおうとして、はて、何と住所を言っていいのやら。たまたまタクシーの運転手さんが家主の親戚だそうで、連れて行って頂きました。
みなが仮住まいのため、居場所を覚えられませぬ。
次のために、ちゃんと覚えておきましょうゾ。
おんちゃんも元気そうで、なによりです。
しかしながら、気仙沼の将来のことをとても心配しています。
雇用を安定させなければ、人の流出が止まらない。
一日も早く、水産加工業を復活させなければ、雇用出来ない。
叔父なりの復活案があり、あちこちで話しているようですが、どうにも進まないことに苛立ちを覚えます。
鹿折の叔母の実家の帰り道、GWには立ち入り禁止区域だった鹿折、錦町にはマルキの工場があるので、歩いて行ってみることにしました。
車が通ると言っても、砂利でかさ上げしていますから、車が通るたびに土煙がモウモウと立ちこめます。臭いもきついし、あちこちでカラスが何かをあさっていて、不気味です。
ガレキの山は、いまだに生々しく、そして打ち上げられた船もそのまま残っています。
それでもGWには立ち入り禁止だったことを考えると、道路はかさ上げされて車が通れるようになっているし、だいぶマシなのでしょうか。
火災が最もひどかった地域でもあり、漁船が家をなぎ倒した地域でもあり、それゆえ、家屋が何もなくなっているか、残っていても火災で真っ黒に焼けこげているか、大惨事の状況が色濃く残ります。4ヶ月が経ってもこの状態でしたか。
町じゅう全てが全壊で、どこにも住んでる家屋はありません。
私の実家の魚町には数軒が戻って生活していることを思うと、鹿折地区の状況のひどさには言葉を失います。
そんな中に、マルキの工場がありました。
よく、ここに残ってましたなぁ〜。
まわりはガレキですのに、本当に奇跡的に、被災しながらも建物が残っていました。
この屋根の上で、従兄弟と叔母ちゃんが、他の従業員さとともに一夜を過ごしたのです。他にも流れてくる人を助けて屋根に乗せたそうです。
なんぼ、おっかながったべ。
鹿折の亡くなった叔父さんが、一生懸命に働いたこの場所。
その魂が、叔母ちゃんと息子を助けたのかな。
ここから魚町はすぐ近くなのに、道路が遮断されているから、グルっとまわって、やっとのことで、おしめさん(神社)の裏手に出ました。
この神社は、祖父も父も大好きだった場所。
浮見堂から続いて出来ていた橋はくずれ落ちていました。
母はここで毎朝、皆さんと一緒にラジオ体操をして、散歩をしながらゴミ拾いをしていた場所です。母もショックを受けています。
そして、全壊してスカスカになってしまった魚町に参りました。
オヤマ家の跡地は、更地になったら、あれれ、こんなに狭かったっけ?
お隣も、そのまたお隣も更地です。
なんだか、ガラーンとしてしまったわが町。
そんな中でも、掃除をして住み始めた家が数軒ありました。
夕方になると冠水するようですから、さぞや大変な暮らしでしょう。
それでも、一歩一歩と前に向かって歩いています。
朝から、母の部屋に足りないもの、そう、棚を買いに参りました。
ここは仮住まいですから、たいそうな家具はいらないと言います。
なるたけ安いもので間に合わせたい。
母が下見をしておりました。
すると、安くて、それなりに気に入ったものは「組み立て家具」だそうです。
どれどれ、見に参りましょう。
母とダンナと3人で繰り出しましたが、なにしろ暑い。
本町から田中前方面に歩いていますが、ここは日差しをさえぎるものがないのです。
市長さん、ここに街路樹を植えましょう!
これでは、みんなが車に乗ってしまうのはわかります。
歩いても、たいした距離ではないけれど、車があれば、乗っちゃうなぁ。
ジリジリジリジリ。気仙沼も暑いのー。
家具屋さんを3つほどのぞいて、組み立て家具をお願いしました。
お店の方が「本当に組み立てられますか?」と念を押します。
お手上げになって駆け込む人が多いそうです。
なんと、ダンナは、なぜだか電動ドリルを持参していますから大丈夫です。
本日の夕方までには届けてくれるそうです。
ならば、いっそ夕方に届けてくださいとお願いして、さらに買い物に出ました。
ジェイズミウラで数字が大きくて見やすい時計を求めました。
キーチ君、ありがとね。
きーっつぁんから、同級生の西村君が近くで店をオープンしたと聞いて行ってみることに。ライオンパチンコの裏手にありました!「にしむら運動具店」
河原田のお店は全壊だそうで、一時はジェイズミウラに間借りしていたそうです。別の同級生がここを探して来てくれてオープン。いがったね。
田中前はガレキが綺麗に片付いていました。
少し臭いは残りますが、それも以前よりはかなり良いです。
皆さんが、いろいろなご苦労をしながら、綺麗にしているのですね〜。
いろいろな店舗が、こちらに移って来ています。
「クードフー」でスパゲティを頂きました。
私はトマトソースを。
まだ買い物は続きます。
次は「イオン」前はジャスコと言ってましたが、今はイオンと言うそうです。
2階で営業を再開しています。
衣料品もあるし、書店もやっていました。
小物は買えたけれど、目当ての蛍光灯の土台がありません。
母のアパートは台所の流しの上に電気がないために、暗いのです。
それでダンナが電気を付けようと。
前に弟が見てくれた時は品薄だったようですが、ケーズデンキに行ったら在庫がありました。
小物ばかりですが、両手に持ちきれない状態でアパートに帰ります。
台所に電気を付けたら、パーっと明るくなりました。
母もおもわず拍手。良かったね。
そうしているうちに組み立て家具が届き、ダンナと2人で製作開始。
ちょっと手順を間違えるとダメなんですね、ああでもない、こうでもない。
そして20時を過ぎて、やっと「出来たー!」
組み立てた食器棚を設置するとオオオ、それなりに家らしくなってきました。
でも、お母さん、昔使っていた頑丈な家具とは違うから、やさしく扱ってくださいよ。
辺りを片付けて、シャワーをあびたら、もう21時です。
お店はやっているでしょうか?
本町の「大寿司」さん。
お寿司ですよ〜。奮発して特上にぎりといきますか。
美味しいですね。
大寿司さんも「市場がちゃんと始まったら、こんなもんでないがらね」と東京から来たダンナに言ってます。