新中野の「三陸亭」

母を連れて、新中野の「三陸亭」というお店に行きました。

三陸の(主に宮古市からの)現地直送をウリにしていたのですが、この震災で直送は出来ないようです。別の地域から取り寄せているそうで、

「お刺身美味しいね」と母。

新中野のスーパーで、「どうしても魚を買う気になれない」と言います。
あまりにイキが悪くて、「エー、こいづー(食べるの〜?)と思うよね」だそうです。

横浜にて「気仙沼物産展」

横浜駅東口前の、郵便局前で行われた「気仙沼物産展」に母と参りました。

あいにくの雨です。
場所はすぐにわかりました。

オオオオオオ!
これは長蛇の列で、建物をグルっとまわって、最後尾に参りました。
まるでiPhoneの発売日を思い出します。

最後尾はこちらと案内されました。

列の前後の方々とおしゃべりしますと、NHKなどで放映された番組をご覧になった方が多いようです。

皆さんが「少しでもお役に立てれば」とおっしゃっていて、ありがたいです。

15分ほどは待ったでしょうか。
なかなか列が進まないし、私は午後から出社しなければいけないし、、、。

私と母は買い物は諦めまして、私どもよりも、初めて気仙沼の商品をご覧になる方におゆずりすることにしました。

写真の展示がありますので、そちらを見に行きましょう。
移動する母の後ろ姿と、左側に長い列が出来ているのをご覧になれますでしょうか。

このように写真が展示してあって、ご覧になっている方は、「テレビで見るのとは全然違う」と絶句されていました。

そんな中に、我が家が写ったものがあります。
これで見ますと、あの船は、現在は勝倉さんの前辺りにありますが、津波の直後は、ヤマコさんかヤマネさんの前にあったようです。少しずつ移動したのですね。私がテレビで見た時は我が家の目の前のように見えていましたっけ。

この写真は、どなたが撮影されたのでしょうか?
津波直後と思われます。決死の撮影です。すごいわ〜。

販売しているテント付近に参りますと、気仙沼の方々がいらしたので写真を撮らせて頂きました。

左から、横浜在住の加藤さん、横浜の宮城県人会の副会長を務めているそうです。ハ葉の社長の清水さん(奥さんは私の同級生)、私の同級生で衆議院議員の小野寺五典君、吾妻さんは、母のお友達の息子さん。私の弟と同級生。そして母。

母は久しぶりに気仙沼の方とお話出来て、とても嬉しそう。
しかも、加藤さんは母の弟(故人)の親友だったそうです。そして私はお嬢さんをツイッターでフォローしていたという不思議なご縁でございます。

吾妻さんや清水さんが付けている前掛けは、震災後に作ったそうです。海岸部分が冠水していて、もしかしたら地名がなくなってしまうのではないかということから、地名を記した前掛けを作ったのだそうです。

「気仙沼物産展」は、明日13(金)まで開催されていますから、どうぞ、足をお運びくださいませ。11時〜19時まで。

横浜・六角橋「世界長」さん

横浜・六角橋にある「世界長」さん
横浜の弟の嫁の実家のお店です。

被災地「飲んで支援!」にご協力くださり、気仙沼の「男山」と「角星」のお酒を置いてくださっています。

お客様も「飲んで支援!」してくださっているようで、どちらのお酒も評判が良いそうです。お近くの方は、ぜひ、足をお運びくださいませ。

東横線の白楽駅近くです。

「世界長」
http://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140205/14028795/
神奈川県横浜市神奈川区六角橋1-6-13
045-432-1868
営業時間:17:00~24:00
定休日:火曜日

気仙沼ビューロー定例会(2011年5月)

気仙沼ビューローの定例会がありました。

東京に疎開している母は、お友達がいなくて寂しい毎日。
ビューローに連れて参ることにしました。

丸ノ内線・四谷駅で待ち合わせ。

母は、一人で新宿までは行けるようになりました。
「新宿では降りないで、四谷で降りてね」
「大丈夫!」と母。

昔々、私が短大に入学する際に、ニューオータニに泊まりまして、四谷や赤坂見附周辺を何度も散策した事を、母はとてもよく覚えています。

「四谷はわがってっから」と自信満々なので、私もつい
「ほんでは、改札まで来てね」と言ってしまった。

四谷駅で待つ・・・・・・・・来ない。。。

母から電話が来た。
「もしもし・・・」
「もしもし〜〜」もしもし、もしもし、もしもし〜〜〜〜〜!!!
・・・切れた。

不安がよぎる。
もしかしたら、あっちの改札に出たか?
あっちにウロウロ、こっちにウロウロ。

こちらから電話してみると、話し中だったり、電波が届かないところにおられるか、だったり、呼び出しているのに出なかったり。

あ〜〜あ、20分ほどだろうか。とても心配になりました。

すると、母が登場。
なにごともなかったかのように、電車から降りました。

「どうだった?」と私が聞くと、
「大丈夫」と、言葉とは裏腹にちょっと元気ない。

よくよく、よくよく聞くと、「四谷3丁目」で降りてしまって、地上でウロウロ。警察で聞いてもう一度、電車に乗り直したようだ。

母は、目が不自由なこともあって、車内アナウンスだけが頼りだったのですね。
「次は四谷(3丁目)」の四谷に反応したようです。

母はチャレンジャーなので、めげずに闊歩しております。

さて、気仙沼ビューローには、母が幼い頃に住んでいた太田7区出身が数人いらっしゃいます。もっとも皆さんは母よりも5〜6歳年下ですけれど。

定例会の会議中は黙っていましたが、2次会では皆さんの話の輪に入れて頂いて、本当にありがとうございました。

母の日2011

母の日だってことを、うっかり忘れておりましたーw。

そこに横浜の弟のところからお花が届いて、そうそう、今日は母の日でござるw。
小太郎と仲良くしていると話していたら、お花で犬のアレンジしてくれました。

お天気が良いので、池袋のサンシャインの展望台に行ってみます。

母は高いところから見る風景が大好きだったのですが、目が不自由になってしまったために、
「あまり、よく見えない」

そこで、これを使って、スカイツリーを見ます。
「わぁ〜、よく見える〜!」

スカイレストランでフレンチのランチを頂きました。
美味しうございます(*^0^*)!

作戦会議って何のー?w

代々木 魚がし」にて、復興に向けて我々が出来ることの作戦会議(という名の飲み会?)を開催しました。

「来週にでも開催しましょうか」なんて話していたら、「またたび」と「TK」が新宿に来てるというので、
「ほんでは今晩、魚がしで」ってな事で会うことに。

「魚がし」さんは、気仙沼出身の畠山さんのお店で、この大震災以降は特に気仙沼人が集まっています。

今晩も、偶然、階上出身のオオワダさんがふらりと入って来て、
「ほんで、一緒に」と。

気仙沼のお酒も置いてありますから、飲んで支援をしたい方も是非、いらして下さい。

嬉し恥ずかし・密着取材

テレビ朝日の「スーパーJチャンネル」5時35分頃から、今回の帰省に密着取材して頂いたものが放映になりました。

結構な量の取材があり、私たちも不慣れなので、あれこれと答えてしまったので、いったい、どのようにまとめるのかしらん?と思っておりました。

私が伝えたいこと、あれもこれもありますが、今回のテーマは「新幹線が通った事で、やっと地元に帰ることが出来た被災者の訓子(のりこ)さん(母)」です。

本当によくまとめられていて、感心しました。
ディレクターさんには色々とお世話になりました。

録画をしておりますので、見ることが出来なかった方で、見てみたいと思われる方はご連絡くださいませ。YouTubeに、パスワード付きで置いております。

スッピンじゃなくて、化粧すれば良かったわ(ボソッ)。

ご近所の見納め…

色々あって、本日(5/4)東京に戻ることになりました。

ご近所の見納めに参りました。
右端はお隣の大嶋電気さん、そして我が家、マルカンさんとヤマネさん。

こうして見ると、我が家の3階部分の物干は何事もなかったかのように残っているのですね。

次に来る時には、撤去されているでしょうか?

おそうじオバさん

母が借りたアパートがあります。
母の実家の親戚の方が、そのアパートの部屋をいくつか押さえていました。

その一つを、母にどうぞということで、先日、弟が契約してくれたようです。

家主さんには申し訳ございませんが、狭くて、古くて、何年も人が住んでなかった所です。

それでも、避難所よりはずいぶんと良い感じがしますが、東京なら、リフォームしていなければ、誰も借りないよねーと、つい言ってしまいます。いえいえ、今は非常時ですから、借りられるだけでもありがたいです。

私が「エー!ここに住むのーーーー?」と100回ぐらい母に聞きます。
「東京にいればいいのに・・・」

しかし、母は、こちらのアパートには親戚らが何人もいますから、安心のようです。母の部屋が1階の角部屋のため、人の出入りがすぐにわかります。

親戚の叔母らも、出入りの際には必ず「いだの?」と声を掛けてくださいます。
母にはそれがいいんですね。

しょうがないので、私はひたすら掃除です。

これがですね、拭いても拭いても、汚れがとれません。
クモの巣もたくさんあります。
私がいちいちクモの巣にギャーギャー言いながら掃除。

ダンナも一生懸命です。
甥っこのトモちゃんも来てくれて、とにかく掃除。

実家からどうにか持ち出したものは、泥がついていて臭いし、何度も何度も洗います。

東京にいても、こんなに掃除してないのになぁ〜w。

アパート近く、本町橋近くを歩く母とダンナ。