同級生のご遺体が発見されました

オーイ、英充くーん、
なんで、そんなに急いでいっちゃったのサ。

アダルトロックショーのライブに来てはさ、あの音はどうだったとか、こうだったとか批評しては、またライブに来て、必ず来て、

ああだ、こうだって話をして、

いつか貴方を納得させる音を出したいと思っていたわけだ。

ねぇ、自分でも、まだ死んだってわがってないっちゃ?
私も信じらんないよ。
冗談みたい。

私達もさ、そのうち、そっちに行ぐがら。
道案内してくだされ。

また会おうね。
それまでに、今よりは、もうちょっとマシな音が出せるようにしておくよ。
またね。

まだ、会おうね。

被災地の甥の心配

この4月から中学2年生になる甥は、下校途中で地震に合いました。
そのまま避難。
着の身着のまま。

逃げた時は学ランを着ています。
鞄の中には、気仙沼中学校のジャージ。
これで全てです。

それから1ヶ月近くが経ちます。
下着や衣類は、救援物資から頂きました。

しかし、制服のワイシャツが1枚しかない!
いったい1枚でまわせるのだろうか?

これが甥の心配ごとでございます。
それと、、、
剣道部に所属していますが、竹刀も胴着もなくなりました。
剣道部を続けられるのだろうか?

口に出すとキリがないわけです。
教科書は?参考書は?ノートは?鉛筆は?

そんな心配ごとを胸にしまって、気丈にしています。
痛々しく思うオバちゃんであります。

お兄ちゃんは、この4月に高校生になります。
こちらも、同じ状態で逃げて、用意してもらった新しい制服はなくなりました。

それに、頂いたばかりの中学の卒業アルバムがなくなってしまいました。

それ以上は言わないけれど、子供の頃からの写真はパソコンに入ったままなくなりました。
お父さん(私の弟)が一生懸命、ビデオをDVDにしてくれたのも、いっさいがなくなりました。

そういうお宅はたくさんあるから、みんな、悲しいのに我慢していて、それが本当に痛々しいのです。

子供だけではありません。
大人も同じです。

私のアルバムから、みんなが写ってるものを集めてあげようと思っています。

被災地のニオイについて

実際に被災地・気仙沼に行って感じたこと。
テレビや写真で見るのと大きく異なるのは、ニオイだと思いました。

ガレキの山だけではありません。
相当に臭いところがあります。

魚の腐った匂い、重油がまじった匂い、ヘドロの匂い。

特に、川の水と海の水がまじったところ、加工工場が近いところの匂いは本当に強烈です。これから行かれる皆様は覚悟して下さい。

この匂いは、いったいどうやったら取れるのだろうか。
早く町中の匂いが取れるような、消臭剤というのか、そういうのを開発して頂けたら嬉しいのだが、無理でしょうね。

気仙沼市全部が臭いわけではありません。
津波の被害がないところは、別世界のように平和な空間です。

そして、高台から見る気仙沼湾は、津波の前と同じように、おだやかでキラキラ輝いていて、あの荒れ狂った波は、いったい何だったのだろう?と思います。

畠山美由紀さんが「東日本大震災復興支援ライブ」

気仙沼出身の畠山美由紀さんが「東日本大震災復興支援ライブ」を開催します。
以下、ホームページから転載しています。

日程:2011年4月24日(日)
会場:東京コットンクラブ

日程:2011年4月27日(水)
会場:名古屋ブルーノート

音楽が好きな方は、是非、ライブに出かけて、音楽を聴くことで支援して下さい。
宜しくお願いします。

被災地に行く方へのお願い(車は最小限に)

気仙沼では、大変な渋滞が起きています。
それは、通れる道が少ないためです。

被災者の状況には、個々人ごとに大きな違いがあって、仕事を再開しているところもありますし、漁業関係者は、今後の事を話し合う会議を開いています。

そういう方々が車を利用するためにも、被災地にお見舞いに行く皆様の、市内での車の利用は出来れば最小限にとどめて頂きますよう、どうぞお願いいたします。

少しぐらい遠くても、歩いてみてください。

その際には、マスクが必須です。
町中がホコリだらけです。
すぐに全身が汚れます。
ホコリから守るよう帽子もかぶって武装して、そうして歩いてみてください。

よろしくお願いします。

被災地の声:自衛隊さんありがとう!

4/1〜4/4まで被災地・気仙沼に行って参りました。

東京で考えた支援は机上のものであったと感じています。
現実は違う。
そういう声を発信していきたいと思います。

まずは、被災者の皆さんからの声、
「自衛隊さん、ありがとう!」

皆さんが、私に「ブログに書いてください」と言っています。
この声が、本当に多かった。

気仙沼には自衛隊の基地がないので、自衛隊の方と接したのは初めてではないでしょうか。

おにぎりを頂く時も、お風呂に入れて頂く時も、ガレキの撤去、そしてご遺体の発見、あらゆる場面で、その手際の良さ、そして心配りに、皆が感謝しています。

ありがとうございます。
そして、これからも宜しくお願いします。

どうにか残ってるが柱が折れてる我が家

気仙沼に帰っている友人の@deg1029が、実家を撮影してくださいました。
ありがとう、ありがとう、ありがとう!

オオ、危ないでしょうに、近くに寄ってくれました。

うーむ、無惨ですわ。
帳場があったはずの部分は全部流されている。

やはり、柱が折れていましたか。
10年ほど前になるか、弟がリフォームして柱を追加してくれた。その時の、後から追加した柱によって、かろうじて立っているようです。

どうにか残ってる我が家

気仙沼に行った友人が、実家の写真を撮ってくださいました。

魚町(さかなまち)・海岸通り。
目の前が海。
ぜんぶ流されてもおかしくないエリア。・・・残っていました。

この通りは「屋号通り」と言って、それぞれの家には屋号が記されています。
私の家は、丸の中にひらがなの「き」でマルキです。

この地域は、屋号で呼び合っています。
うちは「マルキさん」と言われるわけでして。

なんともまぁ、傾いてはいるものの、マルキは残ったんだね。

(後日談)
母が、「あれがあそこにあるはずだ」とか「これがそこに入ってるはずだ」と言っているようですが、柱が傾いているか折れているか、とにかく2次被害が心配で、とても中に入れる状態ではないそうです。

ご先祖さままから数えた相当な年数の蓄積を思うと悲しい思いはございますが、命が助かっただけでもヨシと考えて前に進みたいと存じます。