母が気仙沼に帰り、私は仕事です。
母がいなくなると、寂しいもんだわねー、小太郎くん。
カテゴリー: 気仙沼と家族
弟一家がやってきました
気仙沼の弟一家が、東京に参りました。
廃車予定の車を頂くことになって、みんな疲れきっているから、息抜きに家族全員で来てはどうかと言ってみました。
ガレキの世界から、普通の暮らしへ。
つい少し前までの当たり前の暮らしが、それは何か新鮮に映るようです。
うちの実家はほとんどが犬嫌いですが、弟の嫁は小太郎をかわいがってくれます。小太郎に慣れた母も、名残惜しそう。

それから全員で横浜の弟の家に行き、嫁のお父さんのお店「世界長」さんで食事を頂きました。とても美味しいです。

気仙沼のお酒も置いてくださっています。評判が良いそうです。
横浜方面の皆様、ぜひ、お立寄くださいませ。

一家勢揃いで、楽しく食事をいただきました。
甥っこと姪っこもそろいました。

本当は震災で大変な状況なのですが、こういう時にこそ、絆が深まるものかもしれません。
セキュリテ被災地応援ファンド
「セキュリテ被災地応援ファンド」の東京説明会が行われました。
会場は「新丸ビル10階 東京21cクラブ」
気仙沼からは今回のファンドの4社さんがいらして、被災地の様子やこれからの展開計画などを説明してくださいました。
どの方のお話も感動的です。
石綿商店さん、ふかひれのみならず、鮫の全ての部分を活用する技術が気仙沼にはある。それをなくしてはいけない、そう強く思っています。

丸光食品さん、ここ(東京の新丸ビルのような都会的な場所)も日本、そして、(画面に表示されたガレキの山を指して)ここも日本なんです。

アンカーコーヒーさん、復興ってどういう状態になることでしょうか。果たして震災前に戻ることが復興とは思わない。それ以上にしていくのが復興だと思っています。未来の子供達に恥ずかしくないように、これを乗り越えていきたいのです。

斉吉商店さん、気仙沼は本当に恵まれていました。海の幸があり、水産業を支える様々な業種があり、遠洋業業から近海、そして養殖まで、本当に恵まれた港でした。それが壊滅的な被害を受けてしまった。津波の2日後に、魚市場前から通常なら10分でいける工場跡に向ったところ、がれきの山の中を歩いて4時間かかってしまった。何度も引き返そうかと思う足元に流れたきた波は、実に美しい。気仙沼の海はとても美しいです。
どうぞ、これからも被災地を、そして気仙沼を応援してください。
宮城・山形・青森の物産展
東武百貨店・船橋店にて「宮城・山形・青森の物産展」が開催されています。25日までです。
暇で暇で、参ってしまっている母を連れて参りました。
併せて、発注いただいていました「おだづなよTシャツ」をお届けに参りました。
石渡商店さんのブースに行き、「おだづなよTシャツ」を渡しました。今、お召しになっているのは「絆Tシャツ」で、こちらにも気仙沼復興を祈念する文字が背中に入っています。明日からは「おだづなよTシャツ」を着ていただけるようです。

「ふかひれ酒用」は、気仙沼以外の倉庫にあったものを集めたそうです。これが売り切れたら、商品はなくなってしまうそうで、貴重な品となっています。
応援にいったつもりですが、母は「おばちゃんも頑張ってね」と励まされていました。

石渡商店さんのブースには、他の会社さんのものも販売していました。
角星のお酒、八葉の鰹と鮭のフレーク、平野商店のお醤油など、どれをとっても美味しいものばかりです。
ホットプレートでさんまを焼きながらの接客。手際がいいですね。こちらでも、母は「がんばっぺしね」と励まされています。ありがとうございます。

横田屋本店さんのブースも賑わっています。
お忙しい中、会話に応えて頂いてありがとうございます。
またまた、母に激励のお言葉ありがとうございます。

おみやげに色々と買って帰りました。
これ以外にも母は近々帰る気仙沼へのおみやげ用を求めました。
もう気仙沼でも手に入りにくいものばかりです。
どちらのブースでも「俺たち若いモンが頑張ねっけね。若いモンの元気から気仙沼を復興すっから!おばちゃん(母に)もががんばっぺしね!」と。
若もの〜〜〜!
元気を頂きました。ありがとう〜!
主婦というのは大事な役割だった
母と一緒に暮らすのは、高校卒業以来ですから32年ぶりでしょうか。
盆・正月にいても、せいぜい1週間ですけど、今回はすでに1ヶ月になります。
母は、お友達もいない東京で、目も不自由になってしまって本を読むことも出来ないため、出来ることといえば、お料理!
これはダンナと私に、ことのほか喜ばれておりますから、実に一生懸命です。
そういえば、昔もこういう食事をしていいましたっけ。
朝から、必ずみそ汁を作ります。
朝は私の担当ですが、具が少ないと、
「も少し、野菜入れたら〜?」と催促されます。
野菜のみそ汁、豆腐のみそ汁、わかめも入れてね。
朝から食卓には、おかずがズラリ。
これは食べきれませんよーと言うけれど、いつの間にか全部食べてる。
お煮染めや、きんぴらごぼうなどは、デフォルトであります。
「豆を煮だの」ってこちらでは何と言えばいいのでしょうか。
「ふじっこのお豆ちゃん」の金時味といえば通じますでしょうか。
これと梅干しも食卓に並べ忘れると「出してちょうだい」と催促が来ます。
これらはサブメニューで、これにメインがつきます。
狭いテーブルは、さらに狭く、さほど大きくない冷蔵庫はパズル感覚で攻めないと入りきらない。
母は、専業主婦でしたから、家族の健康のため、自分の食の欲求のため、食事は美味しかったなぁと改めて思うわけです。おかげで私どもは元気に大きくなりました〜。
宮川でうなぎ
親戚の叔父さんも東京に疎開していたそうです。
母も疎開していおり、毎日、寂しくしておりますと、娘同士が情報交換を。
「それなら、会うべし」ってなことに。
銀座・松屋デパート8階にあります「宮川本廛 銀座松屋店」

ずんだ餅
実家前の船が撤去されました
気仙沼市魚町の、実家付近の前に上がっていた船が撤去されました。
その様子を撮影したくださった方がいますので、こちらにもご紹介を。
新中野の「三陸亭」
母を連れて、新中野の「三陸亭」というお店に行きました。
三陸の(主に宮古市からの)現地直送をウリにしていたのですが、この震災で直送は出来ないようです。別の地域から取り寄せているそうで、
新中野のスーパーで、「どうしても魚を買う気になれない」と言います。
あまりにイキが悪くて、「エー、こいづー(食べるの〜?)と思うよね」だそうです。
横浜にて「気仙沼物産展」
横浜駅東口前の、郵便局前で行われた「気仙沼物産展」に母と参りました。
オオオオオオ!
これは長蛇の列で、建物をグルっとまわって、最後尾に参りました。
まるでiPhoneの発売日を思い出します。

列の前後の方々とおしゃべりしますと、NHKなどで放映された番組をご覧になった方が多いようです。
皆さんが「少しでもお役に立てれば」とおっしゃっていて、ありがたいです。
15分ほどは待ったでしょうか。
なかなか列が進まないし、私は午後から出社しなければいけないし、、、。
私と母は買い物は諦めまして、私どもよりも、初めて気仙沼の商品をご覧になる方におゆずりすることにしました。
写真の展示がありますので、そちらを見に行きましょう。
移動する母の後ろ姿と、左側に長い列が出来ているのをご覧になれますでしょうか。

このように写真が展示してあって、ご覧になっている方は、「テレビで見るのとは全然違う」と絶句されていました。

そんな中に、我が家が写ったものがあります。
これで見ますと、あの船は、現在は勝倉さんの前辺りにありますが、津波の直後は、ヤマコさんかヤマネさんの前にあったようです。少しずつ移動したのですね。私がテレビで見た時は我が家の目の前のように見えていましたっけ。
この写真は、どなたが撮影されたのでしょうか?
津波直後と思われます。決死の撮影です。すごいわ〜。

販売しているテント付近に参りますと、気仙沼の方々がいらしたので写真を撮らせて頂きました。
左から、横浜在住の加藤さん、横浜の宮城県人会の副会長を務めているそうです。ハ葉の社長の清水さん(奥さんは私の同級生)、私の同級生で衆議院議員の小野寺五典君、吾妻さんは、母のお友達の息子さん。私の弟と同級生。そして母。

母は久しぶりに気仙沼の方とお話出来て、とても嬉しそう。
しかも、加藤さんは母の弟(故人)の親友だったそうです。そして私はお嬢さんをツイッターでフォローしていたという不思議なご縁でございます。
吾妻さんや清水さんが付けている前掛けは、震災後に作ったそうです。海岸部分が冠水していて、もしかしたら地名がなくなってしまうのではないかということから、地名を記した前掛けを作ったのだそうです。

「気仙沼物産展」は、明日13(金)まで開催されていますから、どうぞ、足をお運びくださいませ。11時〜19時まで。













