気仙沼市への寄付金・義援金

寄付金と義援金の違いがわかっていないオヤマです。こんばんは。

気仙沼市では、寄付金・義援金の受付を始めました。
こちらをご覧ください。

市役所に寄付すると、税金の控除もあるようですので、よかったら皆様のお気持ちを少し分けてください。
宜しくお願いします。

被災地の弟から

被災地の弟からメールやツイッターで情報が届きます。
嬉しいですね。
それを見るのが楽しみです。

本日は自衛隊によってお風呂「玄海の湯」が用意されました。
今回ね、自衛隊の活躍がすばらしくて、あちこちから絶賛の声。

このお風呂はすごいですよね。

そして、本日の炊き出しはラーメン!
1時間並んでありついたようです。
一風堂、だるま他、ラーメン連合は豪華!

炊き出しを頂くのに並ぶこと1時間、ちょっとそこまでが30分の歩き。
それが普通の生活になっているそうです。体力つくわー。

自宅に避難中で、物資が分け与えられていないお宅も多いそうで、私の家族はとても恵まれています。一日も早く、皆さんに物資が届きますように。

お父さんも参加の卒業式

22日(火)気仙沼中学校では、甥が卒業式でした。

3月初めに私が帰っていた時、
「やっぱ、仕事があるから式には出れないな」と弟は言ってました。

嫁が「卒業式くらい出てくださいよ、お父さん」と言ったけど、
「うーん・無理」とな。

それが、、、
この災害で、
たまたま、家族の避難所も気仙沼中学校で、
「はじめて卒業式に出ました」と会場から弟のメール。

先のことを考えると、途方に暮れることばかりだけれど、家族がこうして一つになっていることをありがたく思い、次に向って進みたいです。

明日から気仙沼でも、「ゆうパック」は、郵便局留が出来るそうです。

気中は、幸い、気仙沼郵便局に歩いて行ける場所にありますから、送ることにしました。
被災地の要望を聞きつつ、横浜の弟と中身をどうしようかと相談。

・・・結果、
ぜんぶ、横浜の嫁にお願いしてしまいました。
こんな時ぐらいしか、私の出番がないのに、買い物に行く時間がないため、嫁に頼むことに。

あ〜あ、なんだか、全然役に立ってないわー。

唯一、、、甥が津波で流されてしまったiPhoneのイヤホンと、iPhoneを充電するためのケーブルが欲しいって。ハイハイハイ!私の領域ですね。用意しましょう!

夜のパトロール

被災地の弟の情報によりますと、気仙沼防犯協会の主導で夜のパトロールがはじまったそうです。弟は、南町をまわったようですが、「真っ暗でがれきだらけ町は薄気味悪い」って。

そうだよね〜、これって、肝試しみたい?
リアル肝試しは、考えただけでも恐〜い。ゾォ〜〜〜〜。

少しでも、強盗などの被害を防げますように。

被災地は、みんなで町を守っているね。
現地の皆さんはすごいよ、ホント。

明日はお風呂かな?

明日、気仙沼中学校の避難所に「お風呂」が出来るそうです。
母をはじめとして、家族一同、とても楽しみにしています。

先ほど、ツイッターで、情報いただきました。
「玄海の湯」というのだそうです。
準備中の画像もあげてくださいました。

お風呂に入れるということが、このうえない喜び。
生きていることの実感。
ゆっくりは出来ないだろうけれど、あったまってね。

まだ、水もままならない避難所もたくさんありましょう。
気中の避難所はとても恵まれています。
応援いただいている皆様、ありがとうございます。

小さな避難所や、自宅避難の方にも物資がきちんと届きますように。

安否確認のサイト

気仙沼市役所三陸新報などのホームページが復活していました。

気仙沼市役所では「避難されている方の状況・安否確認」からPDFダウンロード出来ます。

三陸新報ではトップページから「東北関東大震災避難者名簿」(PDF)をダウンロード出来ます。

Googleの「Person Finder (消息情報): 2011 日本地震」にも情報が集まっています。

宮城県警察ホームページにも情報があります。
こちらには「身元が確認された犠牲者の方々」や「氏名の推測ができない(身元不明)犠牲者の方々」なども掲載されています。

まだまだ安否がわからない方が、大勢います。
引き続き、情報を集めましょう。

ちゃんと休もうと友人が教えてくれた

友人がこちらのサイトを教えてくれました。
災害後に意識したい、メンタルケアの方法

被災地以外の方でも、こんな事はありませんか?

「イライラしたり、不安が強かったり、無力感があったりというのは、自分を守るための正常な反応なんです。」とあります。

「実は、映像を見続けるだけでも精神的に影響を受けてしまうんです。」

情報を探し続けて、この10日間、精神的に影響を受けていたかもしれません。

「自責の念が強い人の場合、
「被災地に比べて恵まれているから弱音を吐いちゃいけない」
と感情を内にこもらせがちです。」

私はね、泣いたら負けだと思っているから、そういう事をずーっと若い頃から思っていたから、泣きたい気持ちを押さえて、我慢することが常になっている。でも、もしかしたら、泣いてもいいのかな?

「そんなときは、周囲の信頼できる人に話を聞いてもらうことも有効です。」

気仙沼の友人と会って話すべきかもしれない。

水を飲もうとすると…

美味しい水を飲もうとして、口に水をふくむと、、、
家族は水を飲めるのだろうか?
被災地のことが浮かぶ。

シャワーをあびていると、
被災地の皆さんは、何日、お風呂に入れないのだろうか?と考える。

暖かい飲み物を飲んだ時も、
暖かい部屋で、のんびりとソファに座っている時も、

そして、
私だけが、こんなに快適な空間にいて良いのだろうか?と考えて、辛くなる。

もう、前のように、ただ水を飲むとか、ただシャワーを浴びるということが出来なくなってしまった。

もう1日。

私は地震の前日まで3日間、気仙沼にいました。
(木)夜に東京に戻って、(金)の地震。

皆さんから、「良かったね〜」と言われます。
被災地にいたら、もしかしたら、助かっていなかったかもしれない。

でもね、心の中では「なぜ、あと1日、残っていなかったのだろう」と思うんですよ。

地元の人と一緒に、その苦しみを分かち合うべきだったのではないかと思って、その思いで、辛くなってしまうのです。なぜ、いま、私は東京にいるのだろう?って。

実家に、ウィンドブレーカーの上下を忘れて来ました。
朝ランして、それをハンガーにかけて、そのまま忘れて来た。
そんな事、滅多にというか、一度もなかったのに。

(金)の朝に母に電話して、
「ああ、あるある」って。
「来月、帰る時まで置いといて」と言った。

そして、午後に地震。

なんだかね、あのハンガーにつるされたウィンドブレーカーの、あの青の上下が、私の代わりに震災を受けた気がしてなりませぬ。私の魂がそこに宿って、私の家族を守ってくれたのかなって。そして家が流されずにそこに、形だけですけど残ったのかなって。そう思いたいだけなんですけど、そんな気がしています。

とにかく大好きな気仙沼のあのような姿を、自分の中で理解が出来なくて、受け止められなくて、被災者でもないのに、心に苦しみをかかえています。

私だけではありません。
そんな人が大勢いて、あれ以来、酒が飲めない同級生が数人います。

みんな、これをどうしていいのか、今はわからないのです。

悲しい知らせ

とうとう、親しい人の悲しい知らせ。
同級生。

ともに、長い長い独身時代。
「おめだづ、独身同士で手をうでや」みたいな事も言われつつ、
お互いに「エー」とか言ってじゃれ合って、
ご両親の介護してた。

聞いた話。
お父さんを避難所に届けて、
「次は母ちゃんだ」って、家に向って行って、
それから誰も会ってないらしい。

自分1人逃げるわけにはいかないよね。
足腰の弱っている高齢者を連れて、その歩調に合わせてゆっくり進むには、今回の津波は早すぎて、大きすぎた。

昨晩から、そうかも(彼が亡くなったのかも)と思ったら、胸がしめつけられて眠れなかった。

「な〜んてな」どが言いながら、
どこからか出てくるんじゃないのかな?