寄付金と義援金の違いがわかっていないオヤマです。こんばんは。
気仙沼市では、寄付金・義援金の受付を始めました。
こちらをご覧ください。
市役所に寄付すると、税金の控除もあるようですので、よかったら皆様のお気持ちを少し分けてください。
宜しくお願いします。
寄付金と義援金の違いがわかっていないオヤマです。こんばんは。
気仙沼市では、寄付金・義援金の受付を始めました。
こちらをご覧ください。
市役所に寄付すると、税金の控除もあるようですので、よかったら皆様のお気持ちを少し分けてください。
宜しくお願いします。
22日(火)気仙沼中学校では、甥が卒業式でした。
3月初めに私が帰っていた時、
「やっぱ、仕事があるから式には出れないな」と弟は言ってました。
嫁が「卒業式くらい出てくださいよ、お父さん」と言ったけど、
「うーん・無理」とな。
それが、、、
この災害で、
たまたま、家族の避難所も気仙沼中学校で、
「はじめて卒業式に出ました」と会場から弟のメール。
先のことを考えると、途方に暮れることばかりだけれど、家族がこうして一つになっていることをありがたく思い、次に向って進みたいです。
明日から気仙沼でも、「ゆうパック」は、郵便局留が出来るそうです。
気中は、幸い、気仙沼郵便局に歩いて行ける場所にありますから、送ることにしました。
被災地の要望を聞きつつ、横浜の弟と中身をどうしようかと相談。
・・・結果、
ぜんぶ、横浜の嫁にお願いしてしまいました。
こんな時ぐらいしか、私の出番がないのに、買い物に行く時間がないため、嫁に頼むことに。
あ〜あ、なんだか、全然役に立ってないわー。
唯一、、、甥が津波で流されてしまったiPhoneのイヤホンと、iPhoneを充電するためのケーブルが欲しいって。ハイハイハイ!私の領域ですね。用意しましょう!
被災地の弟の情報によりますと、気仙沼防犯協会の主導で夜のパトロールがはじまったそうです。弟は、南町をまわったようですが、「真っ暗でがれきだらけ町は薄気味悪い」って。
そうだよね〜、これって、肝試しみたい?
リアル肝試しは、考えただけでも恐〜い。ゾォ〜〜〜〜。
少しでも、強盗などの被害を防げますように。
被災地は、みんなで町を守っているね。
現地の皆さんはすごいよ、ホント。
明日、気仙沼中学校の避難所に「お風呂」が出来るそうです。
母をはじめとして、家族一同、とても楽しみにしています。
先ほど、ツイッターで、情報いただきました。
「玄海の湯」というのだそうです。
準備中の画像もあげてくださいました。
お風呂に入れるということが、このうえない喜び。
生きていることの実感。
ゆっくりは出来ないだろうけれど、あったまってね。
まだ、水もままならない避難所もたくさんありましょう。
気中の避難所はとても恵まれています。
応援いただいている皆様、ありがとうございます。
小さな避難所や、自宅避難の方にも物資がきちんと届きますように。
気仙沼市役所、三陸新報などのホームページが復活していました。
気仙沼市役所では「避難されている方の状況・安否確認」からPDFダウンロード出来ます。
三陸新報ではトップページから「東北関東大震災避難者名簿」(PDF)をダウンロード出来ます。
Googleの「Person Finder (消息情報): 2011 日本地震」にも情報が集まっています。
宮城県警察ホームページにも情報があります。
こちらには「身元が確認された犠牲者の方々」や「氏名の推測ができない(身元不明)犠牲者の方々」なども掲載されています。
まだまだ安否がわからない方が、大勢います。
引き続き、情報を集めましょう。
友人がこちらのサイトを教えてくれました。
「災害後に意識したい、メンタルケアの方法」
被災地以外の方でも、こんな事はありませんか?
「イライラしたり、不安が強かったり、無力感があったりというのは、自分を守るための正常な反応なんです。」とあります。
「実は、映像を見続けるだけでも精神的に影響を受けてしまうんです。」
情報を探し続けて、この10日間、精神的に影響を受けていたかもしれません。
「自責の念が強い人の場合、
「被災地に比べて恵まれているから弱音を吐いちゃいけない」
と感情を内にこもらせがちです。」
私はね、泣いたら負けだと思っているから、そういう事をずーっと若い頃から思っていたから、泣きたい気持ちを押さえて、我慢することが常になっている。でも、もしかしたら、泣いてもいいのかな?
「そんなときは、周囲の信頼できる人に話を聞いてもらうことも有効です。」
気仙沼の友人と会って話すべきかもしれない。
美味しい水を飲もうとして、口に水をふくむと、、、
家族は水を飲めるのだろうか?
被災地のことが浮かぶ。
シャワーをあびていると、
被災地の皆さんは、何日、お風呂に入れないのだろうか?と考える。
暖かい飲み物を飲んだ時も、
暖かい部屋で、のんびりとソファに座っている時も、
そして、
私だけが、こんなに快適な空間にいて良いのだろうか?と考えて、辛くなる。
もう、前のように、ただ水を飲むとか、ただシャワーを浴びるということが出来なくなってしまった。
私は地震の前日まで3日間、気仙沼にいました。
(木)夜に東京に戻って、(金)の地震。
皆さんから、「良かったね〜」と言われます。
被災地にいたら、もしかしたら、助かっていなかったかもしれない。
でもね、心の中では「なぜ、あと1日、残っていなかったのだろう」と思うんですよ。
地元の人と一緒に、その苦しみを分かち合うべきだったのではないかと思って、その思いで、辛くなってしまうのです。なぜ、いま、私は東京にいるのだろう?って。
実家に、ウィンドブレーカーの上下を忘れて来ました。
朝ランして、それをハンガーにかけて、そのまま忘れて来た。
そんな事、滅多にというか、一度もなかったのに。
(金)の朝に母に電話して、
「ああ、あるある」って。
「来月、帰る時まで置いといて」と言った。
そして、午後に地震。
なんだかね、あのハンガーにつるされたウィンドブレーカーの、あの青の上下が、私の代わりに震災を受けた気がしてなりませぬ。私の魂がそこに宿って、私の家族を守ってくれたのかなって。そして家が流されずにそこに、形だけですけど残ったのかなって。そう思いたいだけなんですけど、そんな気がしています。
とにかく大好きな気仙沼のあのような姿を、自分の中で理解が出来なくて、受け止められなくて、被災者でもないのに、心に苦しみをかかえています。
私だけではありません。
そんな人が大勢いて、あれ以来、酒が飲めない同級生が数人います。
みんな、これをどうしていいのか、今はわからないのです。
とうとう、親しい人の悲しい知らせ。
同級生。
ともに、長い長い独身時代。
「おめだづ、独身同士で手をうでや」みたいな事も言われつつ、
お互いに「エー」とか言ってじゃれ合って、
ご両親の介護してた。
聞いた話。
お父さんを避難所に届けて、
「次は母ちゃんだ」って、家に向って行って、
それから誰も会ってないらしい。
自分1人逃げるわけにはいかないよね。
足腰の弱っている高齢者を連れて、その歩調に合わせてゆっくり進むには、今回の津波は早すぎて、大きすぎた。
昨晩から、そうかも(彼が亡くなったのかも)と思ったら、胸がしめつけられて眠れなかった。
「な〜んてな」どが言いながら、
どこからか出てくるんじゃないのかな?