謹賀新年2013

明けましておめでとうございます。
昨年中は大変、お世話になりました。
今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

日経新聞に大好きな坂東玉三郎さんと観世清和さんの対談記事が出てました。
新春らしくていいですね!
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ニューイヤー駅伝をのんびりと見て、母から届いたお餅を食べて、ゆっくりとした正月を迎えております。

大晦日2012

2012年が終わります。
早いですね〜。

今年は東京で過ごすことになりました。
日頃出来ないアレヤコレヤをしなくては(大掃除もまだなんです。。。)

まずはダンナのiPhoneを「5」に機種変。
一緒にソフトバンクに行って、ついでのアレモコレモと窓口の人に聞いたりしていたら、すごーーーい長い時間が経過してしまい、結局、予定していたことの半分も出来ずにヘトヘトになりました。

ソフトバンクのお父さんマグカップ。
(私の iPhone5 はネットで申し込んだのでもらえなかったわ、チッ)
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遅い遅いランチ。
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なんか全然、大晦日って感じがしないわー(こちらはダンナです)。
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さてっと、夜の料理の買い出しをしましょうか。

ラン仲間と忘年会

雨です。
「吉祥寺駅に集合してランの後、銭湯に行ってから忘年会」の予定でしたが、ランは中止で忘年会だけ。

楽しかったです!
ランの話って、本当に楽しいですね。

今日は、ほとんどが3時間半〜サブ3の人が多いのだけれど、
例えば、昨日の練習会の話をすると、やっぱり「インターバルの4本目はきつかったねー」って。
タイムは違えど、きついと感じるポイントは同じ。

速くなる人は、それなりの練習量をこなしていることがよくわかります。

でも、仕事との両立を考えると、なかなか時間が取れないのも事実。
それでも皆さんは早朝ランをしたり、頑張ってます。
私はやっぱり自分に甘いのですね。
来年は頑張ろう!と思うのであります。

皆さん、ありがとうございました。

仕事納め2012

本日28日は仕事納めです。
大掃除の後は恒例の納会。
会社内での飲み会は、頂戴した日本酒やうめ酒、ワイン、焼酎、、、などなど。

こちらは小布施の桝一酒造さんの「スクエアワン」というお酒。
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「腰古井」さんのうめ酒
お酒で作った梅酒だそうです。
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チリのワイン。
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そうして、炒め物対決になりました。
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どっちが美味しい?
どちらも美味しいです。味付けに個性がありました。美味しい料理をありがとう。
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来年もどうぞ宜しくお願いいたします。

東京都のイチョウ

東京に住んでいると、ああ、東京都の木はイチョウだなぁと思います。

私が住んでいるところは近くに青梅街道があり、この街道沿いにもイチョウの木。
それが今、いっせいに落ち葉になって、こんな感じで歩道に敷き詰められます。
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千駄ヶ谷や神宮外苑にもいちょうの木があります。
甲州街道も見事ないちょう並木ですよね。

どういった都市計画の時に、ここにいちょうを植えることになったのか?
東京では、沿道の落ち葉は誰が掃除するしくみになっているのか?
ご存知の方がいらしたら教えてください。

気仙沼には、このような並木道がほとんどありません。
復興で道路拡張を計画しているところもあるようです。

出来れば樹木を植えて欲しいと思っていますが、そのためには地権者から道路をゆずられなければならないでしょうし、落ち葉は誰が掃除するのかという問題もあるかもしれません。都市計画には何年も何十年もかかると思いますが、ここでシッカリと計画して欲しいものと思います。

国際都市おおたシンポジウム 未来へ躍動する「国際都市おおた」

国際都市おおたシンポジウム 未来へ躍動する「国際都市おおた」に参加しました。
場所は、大田区産業プラザ。
18時半開始。ちょっと遅れての参加となりました。

第1部は、先日訪れた小布施のセーラ・マリ・カミングスさん。
会場内は撮影禁止で写真はありませんが、セーラさん、今日はピシっとスーツを着ていてカッコ良いです。

講演の中には、ワクワクするようなキーワードがたくさんありました。

「今の日本も良くないと言われていますが、日本は悪い時に伸びていると思うのです。私もそうです。景気の良い時代だったら無理だったと思う小ロットのものも対応してくださったのは、こういう時代だからだと思っています」って、この方は本当に前向きで頭が下がります。

前回の小布施ッションもそうでしたが、「小布施ッションの参加者、半分は小布施の人、半分は外の人、最近では外国の方も1割程度参加しています」

外国の方にもわかるようにと、同時通訳をしてくださる方がいるそうです。私が参加した時は同時通訳の人の都合が悪くて、セーラさんが通訳をされていました。

小さな町の小さな集まりに同時通訳をかって出る人がいるってすごいことですわ。

第2部はパネルディスカッション。
内容は、大田区の魅力を再発見する機会となったとともに、大田区以外にも応用出来るであろう観光の事が話されていて参考になりました。

渋谷センター街を例にあげて、そこの町づくりでは、「俺たちの町は俺たちが守る」と言ってらしたそうで、印象的な言葉です。

同じ道を通る時に「行き」よりも「帰り」に寄ってもらうことを考えるというのも参考になりました。

「帰り」の印象の方が、あとあとまで残るものかもしれません。

羽田空港が国際空港となったことを機に、国際都市に向かおうとする大田区。
大田区は70万人もの人が暮らすそうです。
気仙沼は、その規模とは皮革にならぬほど小さいけれど、「ワクワク感を求めて活動する気持ちは一緒」だと思います。今日はありがとうございました。

ATHLEQUE(アスリーク)の facebookページ

facebookをされている皆様、テレパス化粧品が発売を始めた「ATHLEQUE(アスリーク)」という日焼け止めクリームの facebookページが出来ました。

こちらに毎日、ランナーコメントを書くことになりました。
と言っても・・・毎日、走ってるわけでもなく、どうしたものか。

よろしければ「いいね!」ボタンを押して、応援してくださると嬉しいです。
どうぞ、宜しくお願いいたします。

「ATHLEQUE(アスリーク)の facebookページ」

堤監督、ありがとうございます!

自虐の詩」の映画は、2007年に公開されました。
堤幸彦監督。

主人公が気仙沼出身という設定で気仙沼がロケ地になりました。
いまはなくなってしまった町並みがDVDには納められています。

震災後にも堤監督は何度も気仙沼に支援に行ってくださり、ドキュメンタリーも撮られています。

そのお礼を伝えたいと、日々思っていました。

それが本日かなったのであります!!!

皇居ランに向かってる途中、警視庁のビルの前あたりで撮影していました。
ちょうど信号待ちをしながら「ドラマかな?いや、ドラマにしては大掛かりだから映画だね」なんてダンナと話していて、見ると、監督椅子に座って画面を見ているのは、オオ!堤監督ではありませんか。

信号が青になっても、そのままそちらを見てました。
「堤監督・・・かもしれない」とボソボソ話していると、撮影が終了したようで、堤監督が椅子から立ち上がりました。

ダンナが「声を掛けてみようよ」とか。
「いいよ、迷惑だもの」と私。

それでも動かずにそちらを見ていると、なななな・なんと!
監督がこちらに向かって歩いてくるではありませんか。

ダンナが声をかけようと言いますが、躊躇する私。
と思ってる間にダンナはスルスルと近寄って、
「あのう、堤監督でしょうか?」
「ハイ」(ちょっと迷惑そうな顔)
「妻が気仙沼の出身で、お礼を言いたくて」
(監督の表情がパッと変わりました)

私がズズズイっと出て行って
「監督、自虐の詩、ありがとうごあいます。私、DVDも持っていて何度も見ています」と伝えると、

監督は「あの後、何回か気仙沼に行きましてね」
「ハイ、ハイ」と私。
「ドキュメンタリー映画もとりまして」
「ハイ!」と私。
「もう1本撮ってるんですよ」
「ありがとうございます!」と私。
「ずっとお礼を言いたかったのです。本当にありがとうございます」

私達のランの出で立ちを見て、監督は、
「ころばないように気をつけて」とハイ(私、涙目ですよ)

そうして握手をして頂いて、監督は立ち去りました。
日曜の朝の出来事でございます。

堤監督、本当にありがとうございます。

小布施をあとにして…

昨晩は長野駅前のビジネスホテルに泊まりました。
朝はゆっくりで良かったのに、テンションが上がっているのでしょうね、早くから目がさめまして、ゆっくり朝食。そうして、長野駅周辺をブラブラ歩いてみました。

小布施は「小布施の特徴を出す」という町づくりをしているのに対して、日本の多くの町は「どこにでもある感じ」ですよね。

ここが長野であるということは「善光寺」の看板を見ればわかるけれど、全国のチェーン店を見るにつけ、ここがどこかわからない。

地方都市はそれでもいいけれど、気仙沼のような小さな町はそれにならっていてはいけないのだと思った次第です。
気仙沼は漁港です。
漁港らしさを町全体に出すには?
そういった建物をデザインするには?

魚町は震災でほとんどの家がなくなりました。
再開発するなら、いまがチャンス。
私自身がもう少し勉強して、それでも猶予はないのだから、早めに魚町の人達と一緒に再建したいと思っているのです。
本当に微力ですけれど。