(この記事はあとから書いています)
カテゴリー: 今日の出来事
病院の食事
(この記事はあとから書いています)
病院の食事は美味しかったです。
病室ではなく、皆さんと集まることが出来るスペースがあって、そこに行って食べます。
最初に洋食か和食か?とか、アレルギーとか様々な注意がなされています。
私は最初は「おじや」から始まってましたが、2週間程度だったか、普通のご飯に変わりました。
ご飯も美味しいし、サラダなどの付け合わせも美味しいし、やっぱり食事が楽しみです。
いくつか大きなテーブルがあって、同じ部屋の人とか、なんとなく仲の良い人が集まって食べます。
私が座らせていただいたテーブルは4人掛けだが、そこにもう一つ椅子を追加して、だいたい5人で頂いていました。
一人ごとにメニューが違っていたりするから、それを見たりするのも楽しみです。
食事が終わるとスタッフさんが薬を運んでくれます。
薬を飲んでおしまい。
席についてから食事と薬が終わるまで、だいたい30分強ほどかかります。
もっとかかる時もありますが、急ぐ必要もないからゆっくり、ゆっくり。
年齢も育った環境も違うけれど、病人同士という連帯感か?結構、おしゃべりも楽しいものです。
明日はもっと良くなりたいねと希望を持っての食事です。
一人部屋で
(この記事はあとから書いています)
初台リハビリテーション病院の最初の病室は、大きな部屋でした。
一人部屋。
ここしか空いていなかったので、高い病室料となったが、ダンナが入れてくれました。
ここでは大きな音でテレビを見ることが出来たり、とても快適に過ごしました。
あとから室料を聞いて倒れそうになりましたが。
毎日、リハビリの授業があります。
その授業を受けている中で、少しずつ記憶が戻ってきたようです。
一日に3つの授業があり、先生のご都合が悪い時には別の先生が担当してくださり、とにかく、毎日3つの授業。そして、宿題が始まりました。土日とか祝日とかありません。毎日、毎日、続きます。
内容は少しずつ高度になっていくようです。
病気の前まで、私は記憶力がそれほど悪いとは思っていなかった、むしろ良かった?と思っていたのだが、今回のテストを受けるとちっとも出来ない。これにはガッカリです。病気なんだからしょうがないけど。
お風呂は2人に一人のスタッフさんが付いていてくれます。
私は手足が動くので、ほとんどご迷惑をかけることなく、一人で淡々と身体を洗って、ゆっくりと湯に使って、「ハァ〜〜〜」なんて、大きなため息をついでサッパリします。
一緒に入る方は車椅子利用の方なので、スタッフさんがしっかりと付いてくださっていて、いやぁ、これは大変ですね〜。
だいたい1ヶ月ほど1人部屋で悠々と過ごさせて頂きました。
ありがとうございました。
その後は、4人部屋に移動となります。
記憶って
(この記事はあとから書いています)
記憶がなくなるって、不思議なことですね。
その時、私は何を話していたのだろう?
その時、私は何をしていたのだろう?
わからない。
慶應大学病院では、家族には最悪の状況も伝えられていたし、手術後は手足が自由に動かないなどの状況もあったようだが、その後は着々と状況はよくなり、手足は動いた。
脳の病気だが、そっちの方はどの程度、どうだったのだろう?
よくわからない。
とにかく、そんなに大きな病院に入院するなんて初めてのことなのだが、まったく記憶はない。
記憶が戻ったのは慶應大学病院を退院して、リハビリのために次に入院した初台リハビリテーション病院に入院するところから。
それも、かなりマバラにしか覚えていない。
歩いて玄関を通ったと思っていたが、後から写真を見せてもらったら車椅子に乗っていたり。
そんな調子だから、この頃のことでご迷惑をおかけしていることがありましたら、本当に申し訳ございません。
いま、私は記憶力などをどう取り戻すかリハビリ中です。がんばります。
LBバンドの皆さんがお見舞いに
リハビリで手打ちうどん!
リハビリは続く
(この記事はあとから書いています)
「初台リハビリテーション病院」に入院した時は車椅子に乗っていたのに、写真を見ると、あっという間に自分で歩いています。
そして、この3つの授業を受けていました。
・言語療法
・作業療法
・理学療法
初台リハビリテーション病院
(この記事はあとから書いています)
「初台リハビリテーション病院」に入院しています。
この頃から、記憶が少しずつ、本当に少しずつ出て来ました。
転院しました
(この記事はあとから書いています)
まったく記憶はないのですが、慶應義塾大学病院は退院となりまして、初台リハビリテーション病院に転院しました。
脳の病気なので、見た目はどうということもないけれど、脳が働かないことには生活がままならない。
その辺をどうにかしなくてはならないそうで、複数の病院を紹介され、ダンナがいくつかまわってくれて、こちらの病院に決まりました。
とは言っても、普通の病室は空いてなくて、特別料金がかかる独り部屋なら大丈夫というので、そちらです。
不思議なことに、こちらの病院に移動してから、少しずつ記憶が出て来ました。
ということですので慶應大学病院にいた記憶はまったく残ってないのは残念。
ということは、この頃までは、ほとんど歩いていなかったのか?
初台の病院の病室にも車椅子が置いてあったので、きっと歩いてなかったのでしょうね。
退院してからは一日に「3km歩きましょう」という目標値を頂いていますが、歩けるってすばらしいことです。