読書:読書の腕前

「読書の腕前」岡崎武志・著。
読書の腕前

この本のタイトル、おもわず手に取ってみたくなるじゃありませんか。うまい。

著者の岡崎氏は、子供の頃からの読書好き。
その量は半端ではない。

頭はよくないが、本だけは読んできた

というだけあって、様々な本を読み、この本にも多くの作品が取り上げられている。うわー、そのほとんどを私は読んでいない。あれもこれも読みたくなった。

いま古本の世界がおもしろいー

100円から良書が手に入る時代、これを利用しない手はない。著者の古本屋チェック法がおもしろい。今はネットでも手に入るが、岡崎氏はこまめに古本屋をチェックし、ベストセラーは10年後あたりが読み頃というくだりも、こだわりがある。

もうすぐゴールデンウィーク。
さーて、何を読みましょうか。

読書:ラストレター

「ラストレター」木藤亜也・著。
ラストレター

副題は、「1リットルの涙」亜也の58通の手紙
TVドラマでは亜也さん役は、若くてかわいらしい沢尻エリカさんが演じていたので、亜也さんの年齢は私よりずっと下だと思っていた。

この本を読むと、あらら、昭和37年生まれなのね。ってことは私の2学年下(年では1つ下)とは驚いた!「山口百恵主演の映画」や、「ポールモーリア」や「サイモン&ガーファンクル」が出てきて、あー、同じ時代を生きていたんだ、と思う。

その時代、家庭のトイレは和式が一般的だった。
障害を持つ人にとって、今より何倍も、生活はきつかったと思う。

バリアフリーという言葉はなかったし、車椅子で外に出る人はほとんどなかった。だから、「本屋さんに行きたい」と書いてある部分、「今」ならば、もっと、かなえてあげられたでしょうにね。

そんな大変な暮らしの中、友人達との手紙のやりとりが彼女をささえていることがわかる。TVで見る何倍も大変な生活だったんだ。私のこの健康な時がいつまで続くのかわからないが、今を精一杯生きたいと、そう思った。

読書:1リットルの涙

「1リットルの涙」木藤亜也・著。
1リットルの涙

ドラマに涙した「1リットルの涙」を読んだ。
ドラマ以上の感動。

昨日のマラソンに行く道中で読み始めて、電車の中、ジャージを着たおばちゃん(私)は泣きそうだった。
健常者にはわからない、いろいろな事が、こんなにたくさんある。
まわりの人の、ほんの些細な言葉がかくも傷つけてしまう。

私の父は60代半ばで脳梗塞を煩い、半身(特に足)が不自由になってしまった。父はその病気になる前は優しくて、穏やかな人だったのに、病気になってからは些細な事に苛立ち、周囲(特に母)に当たった。そのことが家族を驚かせた。

以前出来ていたことが出来なくなってしまう悲しさを、私達家族は、頭では理解しているつもりが実際には理解出来ずに、父を苛立たせてしまう。そのことを本を読んで思った。

最近、政治家として立候補する方々は「福祉・福祉」と口々に言う。
普段のその人の行動を見ていれば、本当に「福祉」を思っているのかはわかるというものだ。

身体が不自由な人が「明るく生活できる社会」は、物が整ったところで、精神がついていかなければ成り立たない。そういう教育を大人も子供も一緒になって考え、実践していくほかはない。

以前、新宿駅で、車椅子の人に山の手線の乗り場を聞かれ(当時はエスカレータがなかったので)「ここです」と階段の上を指差す。その方は、上を見上げて、途方に暮れた。私は通りかかった駅員さんに「山の手線に乗りたいそうです」と伝えるも、駅員さんも人手が足りずに困っている。それで私は思い切って「すみませーん、どなたか手伝ってください」と声を張り上げた。すると、サっと、4〜5人の男性が集まり、駅員さんとともに車椅子を抱えて階段を上がってくださったのだ。

それは本当にあっという間の出来事で、驚きと感謝が一緒にやってきた。
手伝ってくださった男性は、いずれも中年の方々だったことを覚えている。
車椅子が倒れないように、気をつけて、優しく運んでくださる。

私は何も出来なかったが、一緒にホームに上がっていった。
手伝ってくださった方は、皆、いい表情をしていた。
そういう人達の手で、日本はもっと優しい国になれる。

今は元気な私も、いつ、皆様のお世話になるかわからない。
高齢化社会には、皆で助け合って生きていくほかないのだ。

それにしても、著者の亜也さんは、すごい人です。

読書:変われる国・日本へ

「変われる国・日本へ」坂村健・著。
変われる国・日本へ

TRON(トロン)を提唱した坂村教授の著書。
TRONは、携帯電話やデジカメ、車のエンジン制御などでは、世界でもっとも使われていて、坂村氏は「どこでもコンピュータ」を世界に広めている。

日本でも「イノベーション」という言葉が流行り、いろいろに語られているが坂村氏が言うのは、

そもそもイノベーションという言葉を100年近く前に発案したオーストリアの経済学者シュンペーターは、それを「利益につながる何らかの差を生む行為」と定義付けました。

この辺が、日本で語られる「イノベーション」とは異なるようである。

事実、米国の「パルミサーノ・レポート」を見ると、具体的なターゲットは意識的に定めず、イノベーションを起こすための「人材教育」と「投資戦略」、そして「インフラ」という3つの環境整備にポイントを絞っていることがわかります。

そして、様々なケース・スタディを取り上げ、

私は、本書で「ケース・スタディに学ぶしかない」ということを再三繰り返してきました。

「なんとなくわかった」というやり方
さまざまな情報が行き交うネット時代では、あまりに事象が複雑化していて、一般の人が考えるようなデジタル的「1か、0か」といった考え方や、「白か、黒か」という判断できない問題が非常に多いのです。

元気をもらえる本。特に技術者の方に読んで欲しいと思いました。

読書:ひらめき脳

「ひらめき脳」茂木健一郎・著。
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ひらめきたい、のであります。

ひらめくために、何をどうしていたらいいのか、そもそも「ひらめく」って何? どうして「ひらめく人」もいれば、ぜーんぜん「ひらめかない私」もいるの?

この本の冒頭には「アハ!ピクチャー」というものが掲載されている。
「これ、何に見える?」という絵で「A Ha!(あ!)」から名付けられたという「アハ!ピクチャー」。それを最初に見せられると、うんうん唸りながら考える。時間をおいてまた見る。

その行為こそが大切らしい。脳がしっかりと働く。

ひらめきは気持ちいい!
人間が快楽を感じる時、脳の中では、大脳辺緑系にある感情のシステムが活性化しています。とりわけ、「ドーパミン」を中心とする報酬系(脳にとってうれしいことを処理するシステム)において、神経伝達物質が放出されます。最近の研究によれば、ひらめきの瞬間、この報酬系が活性化することが証明されています。つまり、ひらめきはとても気持ちのいいことであることを、脳はすでに知っているのです。

若い人に読んであげたいのは次の記載
  ↓

ひらめきのサイン
若い時の苦労は買ってでもしろと言います。もちろん、限界を超えて脳がバランスを崩しては元も子もありませんが、「苦しい」というネガティヴな感情が、時に「ひらめき」への跳躍台になることも事実なのです。

苦しい時に「あー苦しい」と思うだけではなくて、どうやって苦しさから脱出出来るかを考えることかと思う。経営者は苦しみの連続だったりするが、案外と経営者が楽しくやっているのは、一つ一つ困難を乗り越え、その時の乗り越えた快感が楽しいのかもしれない。

年齢を重ねている我々世代に嬉しい言葉はこちら
   ↓

体験 × 意欲
創造性は「体験 × 意欲」のかけ算で表されると言って良いでしょう。
(中略)
意欲においては、確かに若者の方が一般的には高いのかもしれません。年を取って次第に創造性が衰えてくると言われるのは、体験が増えても、意欲が低下するからでしょう。逆に言えば、高齢になっても意欲が衰えない年寄りは、最強の創造者だということになります。例えば、「芸術は爆発だ!」のフレーズが有名な岡本太郎など、何人か、晩年に至るまで最強の創造者だった人たちが思い浮かぶのではないでしょうか。

そして偶然の出会いといった意味での「セレンディピティ」について

セレンディピティを起こすための六つの条件を揚げておきましょう。
行動、気づき、観察、受容、理解、実現

そして、やっぱり「1パーセントのひらめきと99パーセントの努力」が大切なのであります。楽しくなる本です。

この本の「読みやすさの工夫」は「あとがき」を読んで敬服した。

読書:トヨタの上司は現場で何を伝えているのか

「トヨタの上司は現場で何を伝えているのか」若松義人・著。
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最近、「新書」という本をよく読んでいる。
「薄さ」がいい。持ち歩くのに便利。行間が空いていて、忙しいビジネスマンは助かる。老眼の目にも優しい。

先日、ジュンク堂書店(新宿)に行ったら、以前は7、8階部分だったものに、6階部分が増えた。売り場面積が拡大。それに伴って、人気の「新書」の面積が広がっていて驚いた。そこで買った本がこれ。

トヨタの経営はすごいと思う。特に何年にも渡って継続していることがすごい。
この本には(トヨタ生産方式を体系化したことで有名な)大野耐一氏のエピソードが数多く出てくる。でもね、これらはお商売の基本的な考え方だと思うんですよ。オヤマ家でもよく語られる事、そして、私もよく口にする言葉がここにはたくさん書かれている。

私がしょっちゅう言ってるのは「とにかくやってみようよ」と「ラクするために(効率化)を考えよう」の2つ。この本にも書いてある。

それでも、私の経営がパッとしていないのは、何か(その何かがわからない)が決定的に異なるはずだ。それを探して私はまたこの本を開くだろう。

読書:ソフトウェア開発で伸びる人、伸びない人

「ソフトウェア開発 で伸びる人、伸びない人」荒井玲子・著。
ソフトウェア開発 で伸びる人、伸びない人

「技術者」あるいは「技術者になりたい人」には、コミュニケーションが不足している人が多いように見受ける。

この本から引用すると、

コミュニケーションに問題がある技術者は、仕事に即支障がでてしまいます。

技術力が高くても、それだけでは仕事にはならない。
技術力とともに、コミュニケーション力が必要。
最近の女性は、この両方を備えた方が増えているように思うのは気のせいか?

伸びる人の7つの要素
1. 言語力
2. 目的指向
3. 構造力
4. 日々の習慣
5. 人との関係
6. 美的センス
7. プロ意識

あれ、これって、ソフトウェア開発だけではなく、他のあらゆる業種にも言えることではないかしらん。

「楽しくなければ仕事ではない」という、楽しさを最優先する最近の風潮に、私は疑問を感じます。それは、「楽しい仕事というのは誰かが与えてくれるもの」という受動的な考え方が垣間見えるからかもしれません。
もちろん、ソフトウェア開発者にとって仕事の楽しさは重要です。しかし、プロの技術者は、最初に楽しさを求めません。最初に求めるのは仕事です。楽しさは重要ですが、必須条件ではありません。

ここに私も同調した。というのは、新人採用の面接で「質問があるか?」と聞くと「楽しさ」について聞かれることがある。

「楽しさ」は人によって異なるし、それは自分で作るものだと思っているから、「あなたの楽しさなんか私は知らないよ」と言うと(もうちょっと優しく言うけど)驚いた顔をする。

「仕事の楽しさ」は、やり終えた充実感や達成感であり、それをまだやってもいない新人に熱く語ったところで温度差が広がるばかり。テか「自分で自分の幸せを探せ」、「幸せはつかみとれ」と言う。
「頭で考えるよりも、まずは身体を動かせ」だ。それって古いかしらん?

それで、私自身は、結構、幸せにやっている。

読書:UMLは手段

「UMLは手段」荒井玲子・著。
UMLは手段

「UMLは手段」と「アーキテクトに未来を賭けた」の2部の構成。
どちらかというと、技術者向けというよりは導入決定者や、「なぜ社内にアーキテクトが育たないのか」と思っている私のような立場(経営者とかマネージャ)が対象かと思う(リファレンスではないので技術者には、物足りないかもしれない)。

ってことで私にはわかりやすかった。文書はスッキリと読みやすい。

第1章が「なぜUMLで失敗するのか」ですからね。
設計の時に利用したとしても、現実にはドンドン仕様は変わり(膨らみ)、納期には追いまくられて、ドタバタとシステム構築する、それが現場の声だ。それを打破するために、いろいろなツールがある。けれどツールを利用すれば薔薇色といはいかないことよくよく書いている(おそらく管理者向けに)。

勝ち組に共通する成功パターン
・目的を明確化する
・企業ニーズに合わせた適用と技術者を育成する
・企業ニーズに合わせたUML表記のフィルタリングをする

2部は「アーキテクト育成」の話。
アーキテクトに向いている人とそうでない人を見極める力が、要求される。そこの見極めが良くないうえに、育成する手段が間違えているから、アーキテクトが不足している(ようだ)。

正しいアーキテクト候補とは(メインフレームの技術者が多い企業では)
・ミドルの開発経験がある技術者
・保守開発の経験がある技術者

読書:若者はなぜ3年で辞めるのか?

「若者はなぜ3年で辞めるのか?」城繁幸・著。
若者はなぜ3年で辞めるのか?

内側から見た富士通「成果主義」の崩壊」の著者でもある城繁幸の本。
「年功序列」が若者に大きな閉塞感を与えていることを書いている。

この本によると、豊臣秀吉が「奉公構い(ほうこうかまい)」という制度を作る前までは「七度主君を変えねば真の士(さむらい)にあらず」と言われたようだ。それまでは武士と領主の間はどちらかというと対等の契約関係に近かったらしい。
奉公構いとは…

たとえば、ある大名が、自分の許可なく勝手に家臣を辞めた人間を「奉公構い」扱いと宣言したとする。すると、どんなに有望であっても、他家はけっして彼を採用出来ない仕組みだ。

これが江戸時代まで続いたそうだ。

ギュっと縛り付けると、それから抜け出したいと思うのが人情。
けれどもそこから抜け出した先には、いつも「希望」があるわけでもないのではないか。

私はフリーター(派遣社員)を経験した。派遣される会社の、どこもかしこも似ていることに驚いた。会社としての個性がない、と感じた。

「会社の個性をつくる」ことは、「個性」をどちらかというとつぶしてきた日本社会には難しい課題かもしれないが、ここに来てIT企業には増えている(気がする)。

テレパスも「年功序列」ではないし、「次に向かう力」が必要で、呑気な会社員生活を送ることは出来ない。常に刺激がある。しかしながら、小学校から大学まで、他人と同じように生きてきた人達に、それは厳しい世界とも言える。以前(私が創業したボニートという会社の頃)「自分にはIT業界は向かない」と言って辞めた新卒者が、その後、公務員試験を受け直して公務員になったケースもある。「幸福感」は人によって異なる。

著者は日本を代表する大きな企業にいた方だ。そういうところで「年功序列」や「組織が大きすぎてなかなか変えられない現実」に辟易している方がいらしたら、テレパスのような会社に入ってみるのもおもしろいかもしれませんよ(^^)

読書:瀬古利彦 マラソンの真髄

「瀬古利彦 マラソンの真髄」瀬古利彦・著。
瀬古利彦 マラソンの真髄

世界フィギュアスケート2007女子を昨日と本日TVで観た。
優勝を争う皆さんはまだ10代や20代前半っすよ。
トップアスリートの精神力は観るものを魅了する。

瀬古さんは、当時の日本マラソン男子を引っ張っていた。宗兄弟というライバルと伴に表彰台の高いところにいた。

端から見るとわからない苦悩が、この本にはたくさんある。それは驚きの連続とも言える。

元々は「野球の選手になりたかった」そうだ。中学では野球部に所属している。たまたまた中学校のマラソン大会で(負けるのが悔しいから走る練習をして望んだところ)3年間連続で優勝。それで「市の陸上競技会」に助っ人として参加したところ2000mで優勝。野球は肩をこわして断念せざるを得なかった。

もう野球ができない自分には、陸上しかない。

四日市工業高校時代は、インターハイでは800mと1500mで2連覇。5000mでも2位という成績。

私が瀬古さんを知ったのは、あの早稲田大学のユニフォームを着て走る姿。箱根駅伝では区間新を出し、モスクワオリンピック代表にも選ばれた。順風満帆だと思っていた。

しかしながら瀬古さんは高校卒業後、一般入試で早稲田を受験し、失敗して一浪している。そんな事は知らなかった。いろいろな挫折から始まっていたわけで。

しかも、、、高校時代には「あまり練習しない瀬古君」だった。だからマラソンのような忍耐力を伴うような種目は自分には無理だ、と考えていた。長い距離を走ることが苦手で1500mの選手になろうとしていたのに、早稲田に入ると「君はマラソンをやれ」と言われて「ハイ」と即答してしまったことから、マラソン人生がスタートする。

人生って、わからないもんですね。

最初のフルマラソン大会「京都マラソン」では、2週間前から先生に「餅を食え」と言われ体重が3kg増えた状態で望むという、先生も含めた全員が「マラソン初心者」だったという話。

自分用のスペシャルドリンクなどは用意してなかった。真夏の練習中でさえ水を飲んだことはない。喉が渇いても我慢。水を飲むのは練習が終わってからというのがお決まりで、給水の必要が説かれていない時代だったのだ。

1977年の話ですよ。今から30年前はこういう時代で、そういったところから瀬古選手はスタートしていたのかと思うと、頭が下がる。

その頃に宗兄弟の練習スケジュールを雑誌で見て驚き、刺激を受けて、ジョグの時間を少しずつ増やしていった。

冒頭の「はじめに」の部分で瀬古さんは次のように書いている。

これまで私は、マラソン練習のノウハウや練習メニューは「企業秘密」として、一般に公表したことはなかった。だが、男子マラソンの活性化を願って、ここにすべてを明かす決意をした。それが、今まで陸上界で育てていただいた私の義務だと思っている。