フェンシング…

私が卒業した高校は、統合されて今は名前が残っていません。
なくなってしまったけれど、本当に楽しかった高校生時代。
それが、もう心の中にしか存在しないわけですが…。

先日、親戚のY子ちゃんと話していると、Y子ちゃんは同じ高校の、なんと!フェンシング部でインターハイ優勝とか!

調べてみました。
こちらのサイトを見ると、、、オオオ!
フェンシングの第1回大会の女子の優勝も、我が母校です!
http://www.sportsweb.ne.jp/2002ih/eikou.htm

ここにある「鼎(かなえ)が浦高校(宮城)」が母校です。
気仙沼の伝統ある女子高でした。
今は、男子校だった気仙沼高校と統合して共学となりましたが、地元の女子校として、学問に部活動に、そして学校行事に、毎日が本当に楽しい時期でした。

フェンシングは、先の北京オリンピックから、にわかに脚光をあびましたが、私の母の頃から母校ではフェンシングが有名でした。地方にある県立高校としては珍しいと思います。10回以上のインターハイ優勝。北京オリンピックでは同高出身の菅原選手が7位入賞を果たしました。

後輩の皆様、益々のご活躍をお祈りしております。
共学となってからは、さらなる進学校を目指しているようですが、部活の方はどうなのでしょうか?

勉強よりも部活などから得る人間形成の方が、きっときっと、その後の人生に大きく左右すると、私は今も思っています。

映画:スウィングガールズ

そうそう、先日、借りてた「スウィングガールズ」見た。
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これ2004年の作品だったのかー。あっという間に時が流れてる。
東北の、普通の女子高生が、ひょんなことからジャズを演奏することに。こういう映画好きですよ。楽しくて、見た後になんか元気になる。
監督:矢口史靖

ひな祭り

東京は夜から、また「雪」が降っています。
今夜は、少し積もるだろうと天気予報。

今日はひな祭り。
日本の伝統を大切にしたい、と思うだけで何もしてない。

昼はそそくさと「カレーうどん」を食べ、夜はCoCo壱番屋の季節限定メニュー「グランド・マザー・カレー」を食べた。カレー好きで、うっかりすると、こんな食生活になってしまう。いかんいかん。

そんな呑気な場合じゃなくて本日も株価は値を下げて、さらなる不安感をあおり、「AIGの10-12月期は616億ドルの赤字」と発表され、616億ドルって、どんな数値なんだろうと、もうわけがわからなくなりますよ、ホント。

こんな時だからこそ、地に足を付けた仕事をしたいと思います。カレー食べてる場合じゃないっツの。

代々木にて…

気仙沼高校と旧・鼎が浦と気仙沼向洋の関東同窓会は夏に行われます。
今日は気仙沼高校(&旧・鼎が浦)の幹事会が行われ、参加して来ました。

今年(2009年)は、7月11日(土)で予定しています。
ご案内は5月半ばに送付予定ですので、どうぞ予定を空けていらしてください。

私は今年(この会)から幹事会に参加することになり、発送のお手伝いなどをさせて頂くことになりました。親戚のY子ちゃんからのお誘いがあってのことで、「私に何が出来るかしら」と思いますが、何かのお役に立てればと思います。

亡き祖母の誕生日、生きていれば95歳か…

本日、祖母の誕生日。
大正3年(1914年)生まれだから、生きていれば95歳か。

不思議なことに亡くなってからの方が、生きていた時以上に祖母を想う。

私は良くも悪くも、祖母の影響をおおいに受けた。
「女はかくあるべきだ」という祖母の想い。
それに反抗しまくった私。

祖母は70歳を過ぎて胃がんの手術を受けた。
もちろん、その当時は本人に癌であることは伏せており、そのため疑心暗鬼に陥った祖母が何度も、
「リー子ちゃん、私は癌かい?」と聞いた。
そのたび私は(家族の誰もが)「違うよ」と答えた。
祖母は何度も家族は呼んでは、
「私は癌ではないか?」と聞いた。

なぜなら祖母の手術は緊急を要したため、普段では行われないであろう年末に、むりやりスケジューリングされて執り行われたからだ。祖母でなくても疑ってかかるのは当然であろう。

祖母は懲りずに誰かと2人きりになると、
「おばあちゃんは何を聞いても驚かない」とか、
「早くおじいちゃんのそばに行きたい」とか、
いろいろな言葉で、相手の本心を探ろうとした。

私たちは「絶対に!どんなことがあったも!秘密を守る」ことを決めており、胃潰瘍を繰り返した。たまたま祖母は若い頃に胃潰瘍の手術をしており、それもありかなと思う状況はあった。最後には祖母も「癌ではない」と悟った。幸い祖母の癌が再発することはなかった。

その手術の後、見舞いに行くたびに
「どこか痛い?」と聞くと、
「どこも痛くない」と言った。

後年、私自身が骨折して手術を受けた際に、やっぱり痛いことを知った。
どんなに小さな手術であっても身体にメスを入れられるわけですから、なにかしらの痛みはある。ましてお腹を大きく切った痛みはどれほどあったのだろうか?それでも「どこも痛くない」と言い、痛そうな顔一つ見せない祖母に、当時の女の強さをみた。

祖母には100歳までは生きて欲しかった。
祖母は顔だちが美しく、いつも和服をキチっと着こなした自慢のばあちゃんでもありました。「さかなや」の「あねはん(おかみさん)」として、かくあるべきと頑張ったのだろう。

おばあちゃん、ハッピーバースディ!
そちらはいかがですか?

読書:編集者という病い

「編集者という病い」見城徹・著。
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だいぶ前に買って積んであった。
読み始めたら、グイグイ引き込まれて、読みながら元気になる本。

ところで「編集」という仕事って何だろう?って思いますよね。
以前、同級生の、詩人でエッセイストで小説家の友人・白石公子ちゃんと話をしていた時に「編集者」とのやりとりがチラリと、本当にちょっとだけ出て来たことがあります。たいした話をしたわけではないけれど、その時に「本というのは、作家一人の仕事ではない、良き作家には良き編集者がいる!」と感覚的に思いました。とはいえ、それで編集者の仕事を理解したわけもなく、いまだに私の中では謎な職業だったので、書店でこの本を見た時におもわず買った次第です。

それに帯には「顰蹙(ひんしゅく)は鐘を出してでも買え!!」ですからね、おもわず手にとっちゃいますよ、これは。

見城氏は「幻冬社」の創業者。
廣済堂書店から角川書店に移り、次から次へとヒットを飛ばす見城氏。

そして、「幻冬社」を創立する際には、「失敗する」と全員から言われたが、それを成功に導いた。その内側を、この本を読んで知る。

対談のページに、小松氏が

同世代の作家と一緒に語り合って、「また書きたい」と思うことはなかったですか。
なかったな。彼らと会うごとに、彼らの作品を読むごとに、分かってきてしまうんですよ。彼らの書くものには、書かなければ救われない「何か」がある。上手くても下手でも、強い祈りが込められ、膿んだ傷の感触がある。癒すことのできない痛みがあるから、表現をする。僕にはそれがなかった。だったら僕は、書くことより、ほとんど無名のこいつらをプロデュースしたほうが面白い。そう思ったんです。

見城氏は、「この人」と思ったら、とことん付き合う。尾崎豊と出会ってからは彼の事務所の設立に(会社員という立場であるにも関わらず)奔走する。坂本龍一と毎晩のように飲み歩き、アカデミー賞受賞の時には、その場でともに喜びを分かち合う。村上龍と一緒に1週間泊まり込みのテニスを何度もする。そこまでやるか、と思うほどのことをする。

パワフルな行動の裏には繊細な、こわれてしまいそうな繊細な内面もある。

小さいことにくよくよするな!なんてウソだ。小さなことをくよくよせずに、大きなことをプロデュースできるわけがない。小さな約束も守れない奴に大きなことができるわけがない。

ここまでするか、という想いと、ここまですれば何か出来る!という元気のようなモノに満ちあふれた本。パワーをお裾分けして頂いた気分。

マラソン完走クラブ(27回目):府中ランニングクリニック

マラソン完走クラブの練習会に参加した。

本日の練習会の参加者数は、過去最大だそうです。
東京マラソンも近いことですし、ジョギング人気もありましょうけれど、すごいですねー。

場所は、府中競技場を貸切です。
この競技場のトラックは1周が300m。

400mトラックと比べるとこじんまりしているので、「あと1周行きましょう」と言われた時に頑張れます。モチベーションを維持出来る。

今日の練習もよく考えられていて、ゆっくりと1周走った後に、速いチームはあと1周、我々遅いチームはあと200mを速く走ります。これを8本。

間の休憩は2分だけ。スタート位置に戻って息を整えると、「あと30秒でスタートです」と続きます。こういう練習は一人では出来ません。毎回、よく考えるなぁと感心します。

最初のアップの時に3つに分かれてジョグ。その際にスタッフの選手のお話を聞きながら走るという工夫もありました。私はT選手の後ろについて「目標」について聞きました。

T選手は、私よりもはるかにお若いのですが、「たとえば本日の練習会も自分の目標を設定しましょう」と言われて時に、ハッとしました。

私は、近頃(青梅マラソンの後)仕事が忙しいことを言い訳に、ダラダラとしていました。走る距離も少ない。というかちっとも走ってない。今日の練習会も「雨なら欠席しよう」などと弱気に思っており、気持ちがうしろを向いていました。

アップをしながら今日の目標を考えた次第です。

近頃、私が私なりの目標にしているのは「力を抜く」ことで、これまでと同じ距離、同じタイムを力を抜いて走りたいと思っています。そうすることで長い距離の後半に体力が温存出来るかなと。

「速く走る」時には、どうしても身体がバキバキになっています。これを軽ーく走れるようにと、本日、それを心がけてみました。そういうことを考えるきっかけをT選手がくださいました。

ところで、青梅マラソンで私の後ろを10kmほど走られたという女性がいらして驚きました。私が「マラ完Tシャツ」を着ていたのでわかったそうです。

「キロ6分で安定していたので付いて行きましたー」とおっしゃってました。

記録を見ると、たしかにキロ6分を維持していたようです。
「さすがマラ完だわ」と言ってらして赤面(^ー^)。
知らぬ間にそういう事が出来るようになっていたのだなぁと、改めてこちらの練習会の成果を感じました。人と比べては「遅い、遅い」と自己嫌悪ですけれど、私なりの成長があるのですね。

なごり雪

東京では珍しい雪が降りました。
積もるほどではなく、後から雨に変わりましたから、電車も普通に動いていたようです。

以前は、年に何度かは東京にも大雪があって、電車が止まったりしましたが、ここ数年はそういった記憶がありません。温暖化でしょうか?

「なごり雪」を口ずさみます。

「東京で見る雪はこれが最後ねとさみ寂しそうに君がつぶやく」

当時、大手企業の女子の採用条件に「自宅通勤に限る」というのがありました。同じ大学で学んだ男子は東京での採用があるのに、女子は地元に帰らざるを得ない、そんな時代でした。

男子には独身寮が用意されていましたが、女子にそれがなかったのは、そういう理由です。それで、この歌詞にあるように、女子は地元に帰りました。

「ふざけすぎた季節のあとで」

当時は、会社に入ったら「仕事をする覚悟」がありました。今の時代のように「嫌なら辞める」ことは出来なかった。辞めてしまったら、次に採用なんかない。だから嫌なことがあっても、それを乗り越えなければいけない。「仕事にやりがいを見いだそう」と、もがきました。

その前の、束の間の大学生時代は、歌詞にあるように「ふざけすぎた」時代です。遊ぶ覚悟、仕事をする覚悟、そういう事をしなければならなかった気がします。

Cyberduckで…

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MacのFTP, SFTPソフト「Cyberduck」を使っているんだけど、反応が悪くてガチガチとクリックを繰り返したら、とうとうブックマークをクリックしてもサーバのファイル名/フォルダ名をリスト表示しなくなってしまった。

いろいろ探しまわった結果、
ユーザ/xxx(ユーザ名)/ライブラリ/Preferences/ch.sudo.cyberduck.plist を捨てて「Cyberduck」を再起動したらOK。

このごろ遅いと思っていたことも解消した気がする。

偶然が重なる季節

年度末で外勤が増えております。

すると偶然、数年ぶりに路上で、ある方にお会いしてビックリ。
その次は新宿駅で、これまた数年ぶりに別の方にお会いしてビックリ。
それから、とあるビルのエレベータの中ですよ、さらに別の方にバッタリお会いしてビックリ。

私も外を出歩いていますが、皆様も歩いていらっしゃるのでしょうね。
不景気の中、経営者は本日も歩いております!