歌舞伎座・2022年6月 六月大歌舞伎(第三部)

歌舞伎座に参ります。歩いて行こう! 自宅は13時10分頃にスタート。最短コースをテクテク歩きます。そして、皇居だ。

右手に国立劇場を見ながら歩く。ランナーが走って行く。

桜田門。立派だなぁ〜。

今日は歌舞伎座手前の「PRONT」さんでアイスコーヒー(363円)を頂く。初めて入ります。ゆっくりしました。汗も引っ込んだ。

歌舞伎座前を通り過ぎて進みます。「小諸そば」さんだ。

ごまだれせいろそば、420円。ネギはテーブルに置いてありました。たっぷり入れます。

サ、歌舞伎座だ。

まずは地下に降りまして、

写真を買います。これも楽しみの一つでして。

イヤホンガイドを借りて、歌舞伎座が開きました。今日のお席は東3の2番。桟敷席です!

当初の予定は「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」だった。ところが片岡仁左衛門さんが頭皮に帯状疱疹が発症し休演することに。そして演目が変更になった。仁左衛門さん、お大事になさってください。

私は「ふるあめりかに袖はぬらさじ」はシネマ歌舞伎で見ただけだったので楽しみな演目でもあります。イヤホンガイドが始まります。

1961年、幕末の横浜を舞台に有吉佐和子が書いた短編小説「亀遊の死」が発表された。そして、1972年、杉村春子主演で、名古屋・中日劇場で初演。これを受け継いだのが坂東玉三郎。昭和63年(1988年)9月に同じ名古屋・中日劇場で演じた。その翌年に平成になるという年。

玉三郎演じる「お園」は吉原にいたが廓を追い出されて横浜にいる。遊廓「岩亀楼(がんきろう)」という大きな店があった。ここで芸者として働いている。「亀遊」という花魁は幼い禿(かむろ)の頃から知っている。亀遊は元は町芸者の娘で品が良い。品が良いでは客受け出来ず、横浜に流れて来た。一人で行燈部屋に寝かされている。

亀遊の父は町医者で、尊王攘夷論を唱えた。尊王は天皇を尊ぶこと、攘夷は外国を打ち払うという意味。日本は江戸時代は鎖国政策。アメリカ、ヨーロッパは世界進出を強化し、日本にも欧米諸国の船が来て開港を迫る。アメリカの船に役人達と驚き、国交を結ばざるをえない。中国が大変な目に遭っていることも伝わっている。開国と攘夷、相反する2つの考えがぶつかる。それぞれの立場から過激な行為に出ることもある。

安政5年(1858年)、日米修好通商条約が結ばれる。江戸から最も近いのが横浜。アメリカのタウンゼント・ハリスがやって来た。異人の相手はひどい仕打ちが待っている。下田のお吉は「唐人お吉」と呼ばれた。日本の間違った偏見に苦しむことになる。横浜の亀遊は実在したのかどうか、慎重な研究がなされている。

横浜は異人が多い。その中では暮らしを守るのに必死。文学座の名女優・杉村春子だ。新派の方々が出演し共演している。亀遊の役は新派の河合雪之丞。あの春猿さんだ。新派の喜多村緑郎、中村福之助、中村鴈治郎が熱演する。

そして幕が開き、始まる。

ふるあめりかに袖はぬらさじ
  有吉佐和子・作、齋藤雅文・演出、坂東玉三郎・演出
芸者お園:坂東玉三郎
通辞藤吉:中村福之助
遊女亀遊:河合雪之丞
旦那駿河屋:片岡松之助
遣り手お咲:中村歌女之丞(かめのじょう)
浪人客佐藤:中村吉之丞
唐人口マリア:伊藤みどり
思誠塾小山:田口守
思誠塾岡田:喜多村緑郎
岩亀楼主人:中村鴈治郎

玉三郎のお園が良いですねぇ〜。玉三郎はこういう役を好きだろうと思う。はすっぱな女。威勢が良い。可憐な亀遊。しかしあれだ。今日は女性が舞台に上がっている。それを見ると、歌舞伎のようで歌舞伎じゃないような不思議な心地。やっぱり歌舞伎は全員が男性というのが私は好きだ。

休憩を挟んで、またイヤホンガイドを聞く。

明治9年に開園した「彼我(ひが)庭園」。ここに残っている石の灯籠に「岩亀楼」の文字。火事で二転三転して、今ここにある。公園の緑も美しい。江戸は1858年日米通商条約で、横浜、長崎、新潟、兵庫、函館を開いた。

外国人と日本人がなるたけ出会わないようにした。交渉をスムーズにするために横浜に埋め立てて、立派な廓を作る。お園が亀遊を葬る時には墓穴を深く掘った。ドボンと音がした。それが何とも嫌な気になる、と話す。

横浜から富士山が見えた。明治の頃から大きな目印になった3つの塔。キング(神奈川県庁本庁舎)、クィーン(横浜税関)、ジャック(横浜市開港記念館)という。

外国の要人・船乗りが意気揚々と港に入った。港まで歩いてすぐだ。今はジャックの塔は工事中で閉じている。左には赤レンガ倉庫、大観覧車がある。山下公園のそばにはバンドホテル。淡谷のり子の「別れのブルース」もここからだ。名曲はいろいろある。死を選んだ亀遊。お園、藤吉、鴈治郎演じる岩亀楼主人は大きく変わっていく。

「亀遊」は「亀勇」とした。「烈女亀勇自決之間」として、展開していく。ところが、、、。大橋先生は文久2年に亡くなったはずなのに、あの詩は大橋先生のものだ。お園はウッカリと、その詩を歌ってしまう。

何とも寂しい最後だ。凄い筋書きを書いたものだ。悲しい時代が、ここにあったんだなぁ。

舞台が終わり、外に出る。

21時を過ぎた銀座の道を歩き、丸の内線・銀座駅まで行く。銀座の夜が少しだけ戻った感じがした。

ダンナに歌舞伎座みやげの「両国 ぬれやき煎」(500円)を、どうぞ。