母も少しずつ前向きになっています。
今日は、初めて一人で電車に乗りました。
といっても、新中野から新宿までの、ほんの3駅ですけど、ちょっとした冒険だったね、お母さん。
母は好奇心旺盛で、チャレンジ精神がありますから、それには助けられます。
母も少しずつ前向きになっています。
今日は、初めて一人で電車に乗りました。
といっても、新中野から新宿までの、ほんの3駅ですけど、ちょっとした冒険だったね、お母さん。
母は好奇心旺盛で、チャレンジ精神がありますから、それには助けられます。
気仙沼復興に向けて、志は高く持っているものの、、、
母と同居が始まりますと、それなりに大変です。
母は、お友達もいない、慣れない東京生活にいきなり突入してしまったわけで、被災地にいても辛い日々でしょうが、東京は物資には恵まれているけれど、むなしい日々。
心は「気仙沼に帰りた〜い」
どのように気分転換させたらよいのでしょう?と考えているものの、私には仕事もある。
そんな日々を過ごしております。
本日は、中野区議会議員の選挙なので、小太郎の散歩を兼ねながら、皆でブラブラと投票所である小学校に参りました。
それにしても、誰に投票していいのやら、用紙に書くその時まで迷いました。
ダンナが投票した人を聞いては「エー!」と言い、
私が投票した人を言ってはダンナから「エー!」とか言われております。
母と同居が始まって1週間です。
それなりに、うまくやっております。
母は料理担当。
さまざまな工夫をしていて、野菜たっぷりの家庭料理にダンナは大変、喜んでおります。
でも、今日は、「外で食べましょうか」
新中野の「ボビさん」というインド料理のお店。
母はインド料理食べたことない。
好奇心旺盛な母ですからチャレンジするそうです。
「エー! これがカレーなの?」
食べられないかな?と思ったけど、意外にもナンに付けて食べてました。
好奇心旺盛なうちはボケないですよね。
東京にお友達がいなくて、日中は一人にしているものだから、ボケないかと心配をしています。
マラソン完走クラブの練習会に参加しました。
前の記録を見てみましたら、エー!1/16以来の参加でしょうか!
すっかりご無沙汰してしまいました。
申込をしていたものの、起きると、あいにくの雨。
風邪で喉は痛いし。
どうしましょう?
ウダウダしていますと、ダンナが行く気満々で、
「これぐらいの雨はなんてことない」とか言ってます。
それに押されてイザ出発。
会場の織田フィールドに到着し、皆さんに会うと、それだけで嬉しいです。
皆さんからもたくさんの励ましの言葉頂戴しました。
ありがとうございます、ありがとうございます!
マラソン完走クラブでは、主催の中田さんの呼びかけで、支援物資を何度か送ってくださっています。
その物資のおかげで、私ども被災者は生きることが出来ます。
ありがたいです。
さて本日は、スピード系の練習だそうで、
エー、このごろは走ることさえままなっていないので、どうしましょ。
そんな事を考える暇もありません。
長いアップジョグの後には、
100mの流しを4本、そして300mをした後に、
1500m!
タイムキーパーのスタッフさんについて走りました。
キロ5分であれば7分半ですから、私は、本当はもうちょっと遅くていいんだけどと思いつつ7分半に並びます。
あれれ、ダンナは6分半に並んでるしー。
あれ、きっと間違えてますよー(後で聞いたら、やっぱり間違えたらしい)。
けど、ダンナは、ちゃんと付いていってる。
私が地震で憔悴しきっている間に、ダンナはそれなりに走っていたのかな。
その後に、今度は800mが5本です。
今度はダンナと同じグループです。
キロ5分の計算でしょうか。
最初の3本まではダンナの少し後ろをトコトコ付いていきましたが、その後は、圧倒的に引き離されました。
最後なんて800mなのに、30秒以上も離されていました。
ダンナも知らぬ間に速くなりましたのー。
私も精一杯がんばりましたら、なんかスッキリしたというか、爽快感があります。
同居中の母が昼飯をこしらえて待っているので、ソソクサと帰りまして、挨拶も途中ですみません、皆様。
母と同居が始まって、家の中は気仙沼弁全開です!
ダンナは北海道出身で、共通する言葉もありますが、まったくわからない言葉もあるらしく、なんとなくニュアンスで付いてきているようではあります。
「あんだ、わがっかっぺ?」と母が言う。
「わがってってば」と娘が応える。
「っ」(小さな「つ」)が多いです。
これが実にリズミカルで、楽しい気仙沼弁。
TVで震災の被災者へのインタビューを聞いていますと、
陸前高田、気仙沼、南三陸町は、同じ言葉を使っていますね。
同じ宮城県でも、仙台と気仙沼弁は少し違うのです。
だから、仙台の人が気仙沼に着任すると「異国に来たみたい」と思うわけですが、
三陸地方は、同じ言葉を使って、同じような文化で生活をしていたなぁと、インタビューを見ていて気付きます。これに室根町も入りまして、一つの文化圏を構成しています。
なんか、その市町村が一つになった方が自然な気がしているのは、私だけではないようです。
これが宮城と岩手に分かれて復興していくとなると、色々と面倒もありましょうね。
とかなんとか、呑気な事を言ってる暇はありません。
復興に向けて、がんばるゾ!
どうやら、道路にはみ出て邪魔になった部分だけが壊されたらしい我が家ですが、甥っ子が見に参りますと、なんと1階にはカーテンがしかれていたそうで、なんともまぁ、こんな状況なのに、カーテンは残っているってのも妙な気分でございます。
取り壊し作業の方が、カーテンをしいてくださったのでしょうか。
2階のふすまは、先日までは残っていたけど、度重なる余震のせいで1つがなくなっていました。その奥に見えるのはお茶箱で、あのお茶箱の中には、亡くなった祖母の和服や衣類が入ったまま。
他人さまから見たらボロにしか見えないでしょうけれど、
家族には大切な思い出です。
この通り、左側に見える階段が壊れたしまったため、2階に上がれません。
それにしても、なんてまぁ、恥ずかしい状況の我が家でございます。
母が風邪気味で、鼻グズグズ、咳ゴホゴホしています。
避難所から横浜に移り住んで、さらに東京に来て、疲れが出たのでしょうか。
熱はないからいいかな〜とは思うが、年をとっているし、悪化させてもいけないと思って、内科に連れていきました。
なんか前に記事をチラリと見た気がして聞いてみますと、
「住宅が全半壊した者などに対しては、医療機関は患者から患者負担分を徴収せず」という措置がとられるそうで、母も医療費は負担して頂きました。無料で診て頂いたのです。ありがたいです。
幸い保険証は持ち歩いていたおかげで無事でした。
気仙沼の住所の書いてある保険証を提示出し、バリバリの気仙沼弁で「家もなぐなったし」と語ります。看護士さんや皆さんにも大変、良くして頂きました。ありがたいです。
ゆっくり寝れば治ると思うのですが、気が張っていて「眠くない」と頑張っています。
あ、でも今見たら、犬と一緒に寝てます〜w。
今晩のおかずは、かれいの煮付け、ひじきの煮物、キャベツのサラダ、それに漬け物やバナナのデザートまで付けて、これ全部、母が作ってくれました。目が不自由ですし、慣れない台所は使いにくいでしょうけど、母も頑張っています!
ダンナが「美味しい!」を連発して母を褒めるもんだから、俄然やる気になっています。
日中1人にして寂しいだろうと思いますが、もう少し、一緒にやってみようね、お母さん。
急遽、母が東京の我が家で避難生活を送ることになりまして、何も準備してなかったから、そりゃもう、おおわらわですわ。
まずは掃除。
とにかく掃除、掃除、掃除。
それでなくても狭い部屋ですから、どうしたらいいのでしょ。
まぁ、避難所よりは良いでしょう。
それから、犬の小太郎。
母は犬が嫌い。。。
でも、意外にも小太郎とは仲良くやっております。
小太郎も母にくっついて、ちょっとした癒しのようです。
そして食事。
母は料理が得意というか、好きなんです。
今は目が不自由になってしまって、完全失明ではないけれど、かなり見えにくい状態。障害者手帳の申請をしているところでした。
包丁を持たせるのは、どうしようかと思ったけれど、震災前まで料理していたのだから、それに、、、どうやら娘の料理が見ちゃいられないってことで、母の手料理を頂くことに。
美味しい(^ー^)。
母の料理にダンナも満足。
ずっと居てもらってはどうか、なんて言っております。
まだ、お互いに良い子でおりますが、そのうちに我がまま全開になりましょう。
そうなった時は、、、、、、、恐ろしい〜〜〜。
孫2人と一緒に横浜に疎開している母。
甥たちは、もうすぐ学校も始まるので、明日の日曜日、横浜の弟夫妻が車で送ってくれることになりました。
さて母に、もう少し、こちらにいてはどうかと説得を続けていまして、やっと応じました。
本日、横浜に迎えに行きまして、東京での暮らしが始まります。
母には東北新幹線が開通したら、私が送っていくと話していますが、さて、期間はどうなりましょうか。
横浜(白楽駅近くの六角橋商店街というところです)に行って様子を聞きます。
弟の嫁の家の隣の、こちらの一戸建てのお宅をお借りして、3人が住んでいました。弟の嫁の地元で、ご近所付合いもあります。
夜は、みんなで銭湯に行ったようです。
銭湯は、被災者は無料にしてくださったそうです。
横浜の子達も、みんなで一緒に入って、ちょっとした合宿気分で楽しんだようです。
毛布や衣類なども、ご近所の方々が集めてくださって、支援してくださっていました。
弟の嫁は色々と気がついてくれて、母は美容院に行ってサッパリとしていました。
こちらに比べると、近所付き合いもない狭い私の部屋は、母には不便をかけてしまいましょう。
まぁ、しょうがないわな、こんな娘ですから〜w。