ガイアの夜明けに気仙沼が出てました

昨晩(8/30)のテレビ東京「ガイアの夜明け」では気仙沼が出ていました。

ミュージックセキュリティズさんの「被災地応援ファンド」の紹介で、斉吉商店さんを中心に、気仙沼で頑張っている経営者の皆さんがTVに映し出されました。

実は、その番組の取材を受けたのですが、私どもの映像はボツになったと電話が入り、まぁ、そうだろうとダンナと話しておりました。

斉吉さんから届いた「金のさんま」を美味しく頂いているところを撮影されましたが、なにしろ、食卓の他のおかず(私が作った…)がショボイ、、、。

あれではダメだろうとダンナも申しておりました。
やはり、彩りよくないとねー。
それに加えて、興奮した小太郎の鼻息がハーハーと入ってしまい、

ま、そんなことはどうでも良いのです。
気仙沼が再び元気になりますように、遠く東京から、ずっと応援しています!

「被災地応援ファンド」は、会社数も増えています。
1口1万円という価格帯ですから、どうぞ、一度、ご覧になってください。
そして応援したいと思う企業がありましたら、どうぞ、応援して下さい。

気仙沼から世界へ Facebook!

気仙沼から世界へ「フェイスブック」で情報発信」というタイトルで、ニュースが出ています。

Facebookで、気仙沼から発信しているのです。
英語で!

それがこちらです。
KESENNUMA – BUILDING FOR THE FUTURE

もうね、コメントしたいんだけど、英語がぁ〜〜〜。

サクっと翻訳を通して意味を確認。
そして「いいね!」ボタンをクリックしています。

英語出来る方〜、コメントして発信してくだされ。

おだTの今後を考える会

恵比寿の「亀戸ホルモン」というお店で「おだTの今後を考える会」という名の飲み会をいたしました。

被災地・気仙沼をなんとかしたいという気持ちからネットで受け付けて販売をしてきた「おだづなよTシャツ」ですが、仕事の合間に作業をしておりました。が、それでは間にあわず、仕事時間も対応するという状態になっていました。

そのため、次第に手がまわらなくなり、夏が終わるこの時期に、半袖シャツのニーズを考え、今年バージョンはいったん終了とさせて頂きました。

しかし、しかし、それを惜しむ声が多いことは事実です。
そこで、「今後」を考えました。

公式ページに掲載している通り、来年春には、ボランティアチームをパワーアップして、2012年バージョンをボランティアで販売したいという意見で一致しました。人数を増強することで、一人一人の負担を減らすことを検討しています。

ってな話を4人でワイワイと。
ホルモンを選んだのは、気仙沼ホルモン大好きなTKのセレクトです。
美味しうございます。
ホルモンのお店について、ホント詳しいっすね。

来年もおだづなよTシャツは、頑張ります!

気仙沼の真っ赤なコーヒーショップ

気仙沼「アンカーコーヒー」のプレミアム店が、明日(8/24)解体されるそうです。

アンカーコーヒーは、気仙沼でシアトルコーヒーが飲めるコーヒーショップです。
その真っ赤な建物が、意外にも港町・気仙沼には良く似合っていました。
それが、あの大津波で被災し、建物は全壊です。

こちらは被災前のプレミアム店です。ステキでしょ。
元々あった倉庫を改装してショップにしたのです。
店内の隅々までセンスが良いです。

ずいぶん長い間、あったものと思っていましたら、2年8ヶ月という短い命だったのですね。
アンカーコーヒー クルー日記」に記載があります。

一人で本を片手に入って、ゆっくり読書したり、家族や友人とお茶したり、朝も行ったのに夕方も行ったりと、頻繁に利用させて頂きました。

気仙沼に、こういうお店を創る人がいる!と驚いて、専務のヤッチさんやノリコさんとお話をさせて頂いたのもプレミアム店でした。

私が、「こういうお店があるよ!」と母に教えてあげたら、すでに母は足しげく通っていたことも驚きでした。

店内のお客さんを見てみると、母のような中年を越えたシニア世代も、結構、来店しています。それは東京のスタバの光景とも異なると思います。

母に、「セルフサービスなのに、大丈夫なの?」とサービスを重視する、結構、厳しい目を持つ母にたずねると、「2階に自分で持って行くから、「まだいだの」と思われないのがいいのっサ」って。ヘェー。そんなものですか。

ここは居心地が良くて、ついつい、のんびり長居しちゃうんですね。
その居心地の良さが、ファンを増やします。
それが、あの大津波で被災してしまった。

ヤッチさんのブログを見ると、新しい何かが始まりそうです。
それもまた楽しみです。

今まで店舗探しを控えていた様子には、何という心配りでしょうと、頭が下がりました。
それにしても、なんだろう、気仙沼の人は前向きだなぁー。

さんまのオブジェ製作

気仙沼中学校29回生の東京在住組は、「目黒のさんま祭り」に毎年参加しています。

「今年はどうなるんだろうね?」と心配していましたが、「今年も目黒のさんま祭りは開催する!」ことが決まったのであります。

そこで、私達・関気会(気中29回生の関東在住の会)は、被災してしまったふるさとを思い、さんまのオブジェを製作して販売しようということになりました。

これまでジュンちゃんが作ってくれたオブジェの人気が高くて、「売ってください」と言われていたことに気を良くして、少しでも気仙沼のお役に立てればと思っております。

ジュンちゃんの指導のもと、皆で作りましょうね、と言っていたのに、私はいまだに製作に参加出来ていなかった。ごめんなさい、皆さん。

本日、とうとう参加して製作の一部を担当させて頂きました。

2つ後輩のMさんと待ち合わせて、真弓ちゃんに迎えに来てもらって、目黒区のスダが避難している場所に参りました。

こんな感じで、作業は進んでいます。

作業分担をしていて、私は初心者コースをw。

テニス部の後輩のMさん、魚町出身のマリコちゃん、真弓ちゃんの妹さんも参加してくださって、関気会メンバーと合わせると、総勢10名近いでしょうか。

最近の気仙沼情報を交換し合います。同級生はなぞしてっぺね?
そして、こちらが出来上がりの少し前。
これにもう少し手を加えて完成しますので、まだ道のりは長く。

8月の作業日は、8/27(土)
9月は、毎週、土日に行います。
9/18(日)が「目黒のさんま祭り」ですから、それまで頑張りましょう!

手伝ってくださる方は、私か関気会メンバーにご連絡ください。
お待ちしております!

櫻井音楽教室のこと

気仙沼の後輩からメールを頂きました。
ありがとうございます!
とても嬉しいです。

鼎が浦高校(現・気仙沼高校)の硬式テニス部では私の2つ下の後輩です。
それより以前に、櫻井音楽教室で一緒にピアノを習っていたので、小さい頃から存じています。

櫻井孝子先生は、この津波でお亡くなりになりました。
先生は、とても厳しくて、友達のスダなんか「首になったよ」なんて言ってるくらいで、小さな子供相手にやる気のない人は「来なくていい」という方針でした。

私は、物心ついた時には、もう教室に通っていたので、おそらくは3歳か4歳で習い始めたのだろうと思います。

母の実家が弁天町にあり、母方の祖母が送り迎えをしてくれたおかげで通い続けることが出来ました。

発表会の時には、ピアノの練習はもちろんですが、お辞儀を丁寧に指導されます。
名前を呼ばれて、ステージにあがって、ピアノにたどりつき、そしてキチンとお辞儀する。こういう事にも手を抜かない先生でした。そのおかげで、私は社会に出た後に、面接等で大変助かったわけですが。

その厳しさの中で指導を受けた門下生は、この津波で先生が亡くなったことに心を痛めています。

私は中学2年の秋にピアノ教室を辞めてしまいました。
バスケ部に入って、突き指がたえず、先生から「ピアノかバスケか」と言われた時に、おもしろくなってきたバスケを選択してしまったのです。

もっとも、その少し前から、先生から「音大に行くのか・行かないのか」と進路を聞かれていたし、私の手は小さくて、ピアノも上手くないし、ソルフェージュも苦手だった。音感が悪いんですね。だから、私なりに悩んでいたわけだ。

その決断をした夜を今もハッキリ覚えていて、私は泣きながら、その時の課題曲を弾いていました。このように、ただピアノを弾いていたいだけなのにと。

ピアノを選択していたら、もしかしたらピアノ科に進んだかもしれないけれど、私は内気でおとなしい子でしたから、その道を進んでいたら、とても会社経営にはたどり着かなかったろうと思います。

しかしながら、心のどこかでいつも、その選択があったかな?と思ったりして。

先生は、本当は声楽が専門でした。
先生が歌う「ペチカ」が好きです。

来年の、その日に、気仙沼のどこかで先生を偲ぶ会を開きたいなと、そっと思っています。
ともに教室に通っていたミキちゃんに連絡がつくかしら?

気仙沼商工会議所が銀座にお店?!

今朝のNHKニュースで「気仙沼市の水産業を支援するため、地元の気仙沼商工会議所と大手不動産会社が連携して、銀座のビルに気仙沼の水産加工品を販売する店を出す方向で調整を進めている」と報道していました。

そのビルは、来年8月に解体予定で、それまで支援として無料で貸してくださるような事を言っていました。

9月中頃?からオープンするようです。
これは、銀座に行かねば!

巨震激流 (3.11東日本大震災)

気仙沼の三陸新報さんが発売している「巨震激流 (3.11東日本大震災)」を母に頼んで、買っておいてもらいました。

初版はすぐに売り切れてしまったそうで、予約をして入手したと苦労話を聞きました。
現在は、気仙沼市内のコンビニにも置いているようですし、amazonでも入手可能です。

これは本当にすごい記録です。

その記事の中に、津波直後(3/11 4時頃)の実家周辺が写っていました。
45ページです。

三陸新報の中島さんという記者の方が地震直後におしめさん(神明崎)で撮影したそうです。
おしめさんは、まるで孤立状態だっと書いてあります。

記者だけではなく一般の人が書いた「その時」のことは、何度読んでも、引き込まれています。皆さんが「死を覚悟した」と書いています。

母の障害者の届け出

母は、昨年、目の手術をしていますが、いっこうに良くならず、特に今年の正月あたりからは、日に日に見えにくくなってしまいました。

私がネットで検索してみると「障害者」の適用が出来るようです。

1月に帰った時に、申請の方法や申請書を取り寄せ、それに従い、2月には病院にて検査などを行い、3/9に、病院にて医師に医師の診断書作成のお願いをしていました。

その後の震災で、すべてがストップです。

母の状況は良くなることはなく、むしろ悪化しているように思います。
そこで、再度、診断書を書いてもらうようお願いしていましたら、病院の方でも「保留」になってしまったことの詫びを頂き、診断書を受け取ることが出来ました。

それを持って、市役所の隣の社会福祉課に提出して参りました。

これから県に申請をして、結果が出るまで1ヶ月から1ヶ月半かかるのだそうです。

このような申請を、目の不自由な母が一人でこなすのは無理な話で、弟夫妻や私のサポートがあって、どうにかやっております。お一人で過ごされているご老人の皆さんはどうしているのでしょうね?