天皇陛下と同じ日に生まれた父。生きていたら85歳。ニュースで天皇陛下のお言葉を聞く。何度も、何度も。このまま天皇としていて欲しいという気持ちと、ゆっくりして頂きたいと思う気持ちが交差する。来年から新しい時代が始まるんだなぁ〜。
カテゴリー: 気仙沼と家族
気仙沼サポートビューロー(KSB)2018_12月定例会
気仙沼サポートビューロー(KSB)12月の定例会です。
今年最後の定例会。今年度の名簿作りはやっと完成。良かった良かった。そして「気仙沼を元気にする会」をどのように開催していくか、それぞれの意見を述べます。私の甘い意見に先輩が突っ込みます。すみません、やっぱり病気をしてから頭がまわらない。トホホホホ。
二次会は「天狗 テング酒場 飯田橋東口店」さん。定例会の会場から「席予約」の電話をすると「満席につき、別々のテーブルになるが、、、」と返答。「それでお願いします」。
会場に入ると、ヤヤヤ、本当に凄い混み具合。年末だからでしょうか。テーブルは5人と3人に分かれて座りました。
今年もお世話になりました。来年もどうぞ宜しくお願いします。東西線で中野駅に行き、歩いて帰ります。
遺骨戻るの記事
あの「東日本大震災」から7年が経ち、次の3月には8年になる。それまで、どれだけ探しただろうか。「宮城県気仙沼市波路上」の女性の遺体があがった。防潮堤の工事現場で見つかったそうだ。そしてDNA型鑑定などにより、その方と判明したそうだ。
ご家族の皆様のお気持ちを察すると、それだけで涙が出る。階上小学校、中学校で同級生だったご主人と20歳の時に結婚してから40年間、さまざまな思い出がありましょう。
ご冥福をお祈りいたします。
姪が大学生になる
横浜に住む姪が大学の推進入学に合格したと連絡があった。嬉しい。
しかも、「東海大学」の「体育学部」だって。ヘェ〜! 体育が得意って凄いなぁと思うのです。私は体育が苦手だったから尊敬です。どんな人生になるのでしょうね。嬉しい、嬉しい。合格おめでとう〜!
気仙沼サポートビューロー(KSB)2018_11月定例会
気仙沼サポートビューロー(KSB)11月の定例会です。
今年度の名簿作りをしていて、不明者はあと2名となった。あと少しですね。頑張りましょう〜。今年は忘年会なしで1月に新年会とします。皆様、お集まりください。
二次会はいつもの「天狗 テング酒場 飯田橋東口店」さん。
おやま調整院
弟が営む「おやま調整院」で身体のメンテナンス。
10時少し前に到着。ありがとう。力が抜けました。子供3人をかかえ、嫁の母と弟と共に暮らし、本当は大変だろうけれどサラリとしていて、えらい。元気に過ごしてください。
さて、まだ時間が早いから歩いて帰りますか。オッと、今日はiPhoneを忘れてきてしまった。地図がないけれど、まぁ、大丈夫でしょう。
しかしながら、これが甘かった。少し近道をしようと入った道は東大駒場の近くを通り、よくわからぬ道をひたすらに突き進み、やっとの思いで笹塚駅近くに出た。ヤレヤレ。ここからは知った道、というか中野通りをひたすらまっすぐに北上するのみ。時間がかかってしまった。
新中野駅近くで、お隣のご夫妻に会った。ダンナ様は今週から単身赴任だが「昨晩、帰りました」そうで、ネコちゃんの病院に行ってらしたそうです。お元気そうで良かった!
私は「四国屋」さんでうどんを食べていると、あらら、ダンナが仕事から帰って来たそうな。これは早い。急いで帰宅し、ダンナも昼食を食べる。さて、これから「岡山」に参ります!
かもめ食堂@気仙沼
急いでシャワーをあびて、東京行きの準備も万端。
サ、「かもめ食堂」さんに行きましょう! 歩いていると、気仙沼勤務の時に大変にお世話になったコマツさんに会った。お元気そうで嬉しいです!
気仙沼を走る、歩く2018
午前中のうちに気仙沼を走ろう。向かうはやっぱり実家跡地だ。三日町から八日町を通り、魚町だ。実家の通りは入れない。一つ後ろの通りから海を見る。海は見えない。でも、このあたりだろうか。
ここからは海が見える。海を見て暮らしていた。海が見えないって、寂しいし、悲しいね。
ほんのちょっと上がっただけで、ここは被害がなかったんだ。津波って不思議だなぁ〜。
この先は鹿折地区になる。戻れなくなっては困るので、太田方向と思われる方向に上がる。こんな狭い道になってしまった。行けるのか? 行けそうだ。行ってみる。
今日は安波山には行かない。戻ろう。ここは以前は線路だったところ。今はバスが通っている。
そうだ、もう少し、上に行ってみよう。太田2区だ。金刀比羅(こんぴら)神社には何度か来たことがある。正月の何か飾りを買いに来たように思う。
これより先は、たぶん、生まれて初めて。道が細くなり、心細くなったころに安波山に向かう道に出た。ここに出るのかぁ〜!
今日は安波山には行きません。戻りましょう。
南町まで戻った。「こうだい」さん。美味しいんですよ!
同級生リョウちゃんの奥さんのお店「亜紀」。こうだいさんの手前にある。
今回は入る時間がないが「ヴァンガード」さん。営業していることが嬉しい。
サ、急いで帰りましょう。時間がなくなってしまった。
鮨おがた@気仙沼
今回の帰省のことは母と弟夫妻にしか伝えていないのです。そっと祖父の命日をしようと思いまして。しかしながら弟も「仕事があって」と夕食の約束がかなわなかった。そこで、母の住まいから一番近い「鮨おがた」さんに予約。2人でお願いします。18時。
すると、18時のほんの少し前に弟から連絡が入り、「行けそうだ」とな。了解。店で待ってます。
オ、カウンターに三陸新報の社長さんと専務さんがいらした。「こんばんは、ご無沙汰しています」と挨拶を。お目にかかれて嬉しいです!
お酒も頼んじゃおうっかなぁ〜。「水鳥記、お願いします!」、気仙沼の地酒。美味しいです!
弟夫妻が到着。ではお寿司を頼みましょう〜。今日は特上寿司じゃ。
祖父が亡くなった時、弟は5歳。「あまり覚えていない」らしい。そうだよね。私も5歳の時の記憶はほとんどないもの。「祖父は弟のことをとても可愛がっていたんだよ」と伝える。もう少し長生きしていたら、私達はどのように育ったのだろう?
祖父の命日・50回忌
祖父が亡くなったのは小学校3年生の時。その時、初めて「死ぬって、どうなっちゃうの?」と考えた。それから「恐くて眠れぬ日」が続いた。そんな事を思い出しながら、新幹線に乗って一ノ関へ。乗り換えで歩いていると「国際リニアコライダーを東北に」の看板が出ている。もっともっと全国的に有名になって欲しい。
大船渡線に乗り換えて気仙沼駅到着は14:09。ただいまぁ〜。
三日町まで歩いて帰り、母と一緒にお墓参り。タクシーに乗って、お墓のすぐそばまでお願いしました。オ、すでに立派なお花がたくさん備えてあります。きっと叔父夫妻でしょう。素晴らしいです。備えきれない花は父の弟のお墓に備えました。お祖父ちゃん、もう50回忌ですよ。早いですね。
石に彫ってある文字は判別が難しくなっているが、大正時代のものらしい。
「少し歩く?」と母にたずねると「歩く!」とな。歩きましょう〜。
東新城。オ、ユニクロさんの隣に「さくらボウル」さんが出来ている。へぇ〜。
「新富寿し」さんはこちらでしたか。残念ながら今日は定休日。
だいぶ歩きましたね。ちょっと一休み。「アンカーコーヒー」さん。
「本日のコーヒー」を頂きました。オ、やさしい味がする。この頃、珈琲が苦手になってきているのだが、こちらの珈琲は旨い!
お母さん、ここまで来れば、あと少しじゃ。頑張って歩きましょうゾ。しかしながら、すでに暗くなっており、おまけに街灯が少ないため、母と手をつないでソロリソロリと歩いて三日町へ帰りました。いっぱい歩いたね!