父の容態が悪く…

先週の金曜日に「入院中の父の容態が悪い」という連絡が入った。血圧が上がったまま下がらない。

その後の処置で、呼びかけにも時々応じ、口元に(流動食の入った)スプーンを近づけると、口を開いて流し込むまでに回復したという連絡が入る。私は徹夜明けでフラフラしていたので、「それは良かった」と安堵していたら、今朝、未明に急変という連絡。

今度は血圧が下がったまま上がらないらしい。

MRIなどの検査の結果、どこぞに血液の固まりが見つかり、通常ならば外科的手術で除去するのだが、父は手術が出来る状態ではないとのことで、点滴で様子を見ているようだ。意識はない。いわゆる危篤。家族を呼ぶように言われた。

お父さん、ごめん。
業務のいくつかを片付けてからそっちに向かうから、がんばって。がんばって回復して。お願いだから。5月には孫と一緒にディズニーランドに遊びに来るって言ってたじゃない。

気仙沼で過ごす

久々に平日の気仙沼で過ごす(帰省するのは盆暮ればかりで)。

こうして普通の生活の中にいるとそこの暮らしが見える。父は介護老人保健施設「リンデンバウムの杜(通称:リンデン)」に行き、その留守中に母は気功に出かけ、私は家の掃除などをし、母と「ICORE(イコーレ)」で買い物をし、父の帰りを待って、母と3人で、母方の祖母を病院に見舞い、弟の家にiMacの様子を見に行った。

弟は(というかオヤマ家は)テレビの映りが悪ければ「たたけ」と言われて育ったから、めっきり電化製品に弱い。弱いくせに新しいものが好き。「iMacもどうせ、放置しているだろう」と思いきや、デジタルカメラを接続して「iPhoto」に取り込み、子供達も楽しく使っていた。CDも何枚か焼き付けたりして、「簡単すぎて目の前にあった【Burn】ボタンが見えなかった」そうな。すごいね。MacOS。

夜は両親と3人で「あさひ鮨」で寿司を食べる。うまい。ここは初めて「ふかひれ寿司」を作った店。仙台や一ノ関にも支店がある。

その後は、深夜までかっつ・喜市君と「時代屋」で飲む。

2人はMacユーザで、しかも(アマチュア)ミュージシャンなので、GarageBandの使い方を披露する。喜市君もやっと「使えそう」と言ってくれる。ただし、今持ってるMacはG3なのでCPUが足りない。新しいMacを買うための資金が問題だな。

出張

仙台3日目。(新潟に続いてこちらも)雪。(新潟市内もそうだが)仙台市内も雪が積もるのは珍しいらしい。

「気仙沼出身だ」と伝えると、東北各地から集まってくださったクライアントの皆様が親近感を持ってくださり、仕事はスムーズに進んだ。良かった。地方には東京にはない暖かさがあるね~。

明日の金曜日は休みをもらい、実家の気仙沼に帰る。

介護に疲れている母にエールを送り、父を元気づけるのが目的。しかし、私も相当に疲れているらしく、道中は本を抱いたまま熟睡。南気仙沼駅に降り立つと、仙台の雪が嘘のように、雪のかけらも見当たらない。

気仙沼は海沿いなので雪が少ないんだね。両親の嬉しそうな顔を見るのがなによりも嬉しい。

オノキ・ドット・コム 視察

弟のてっちゃんと一緒にかっつが運営するオノキ・ドット・コムのシステムを視察するために気仙沼市三日町の自宅スタジオを訪ねる。

かっつがパーソナリティを勤めるラジオ番組のCMを作ったものなどを聴かせてもらい感心する。かっつ、やるね~!

Macで音楽クラブ in 気仙沼

気仙沼線で帰省。

南気仙沼駅に、ポール小野寺かっつが迎えに来てくれて、実家に鞄を置くや、喜市君のお店(J’s MIURA)へ。

喜市君のお店(J’s MIURA)で、かっつ・喜市君(Macユーザ)、よういちさん・宮井さん(Windowsユーザ)にお集まりいただき、Macで音楽作りについて、Soundtrackとdp4を使ってデモをする。

皆さん、概要は伝わりましたでしょうか?
思ったより簡単だっちゃ?

母校80創立周年、そして学校統合へ

母校/宮城県立鼎が浦高校(女子高)が創立80周年だそうで、記念の冊子が届いた。そして、鼎高は男子校と統合されてなくなってしまう。

写真には、大正時代の袴姿のハイカラさんから、現代の高校生まで地元の女学生の屈託のない笑顔がある。明治時代から数えると80年以上になるようだが、女学校といわれた辺りから数えて今年がキリのよい80年。そして、地元の男子校に吸収されることが決まっている。

少子化と、私達が卒業した後で男女共学の新設校が出来たことによる。

気仙沼高校(男子校)に対して、気仙沼女子高校という名で始まったようだが、定時制は共学だったことから「女子」の名前がとれ、名称が変わった。戦後決まった制服だけは変わることがなかったから、世代を越えて、そのセーラー服を着た。制服に愛着を持つ同窓生は多い。

別に「女子高」に行きたかったわけではなく、「女子高しかなかった」から行った。それだけだ。しかし、結果的に良かった。学校内に男子はいないから、生徒会長も行事に関する実行委員もすべて女子だけで行う。男子がいたら、頼ってしまったかもしれないであろう肉体労働も自分達でこなす。自立する女性の基礎が造られたように思う。

あの3年間があったから、今の自分があるように思う。不登校問題は、まったく考えられなかった。学校が楽しかった(ただ、試験の時だけは行きたくなかったな~)。

おやま調整院へ

弟にホームページ指南に行く。ついでに身体の状態を診てもらう。

ノート型パソコンを使う弊害で、姿勢の悪さ、顔は下に向きつつ、目は少し上目使いになっているという悪しき姿勢を指摘される。目を少し休める方法というのも伝授される。最近は特に目が疲れている。