気仙沼・再発見(ゴーゴーあんばはん)

5月5日は、気仙沼で一番高い山「安波山(あんばさん)」に登る日で「GoGo(5月5日)あんばはん」というイベントがある。

気仙沼では、「○○さん」を「○○はん」と言ったりする。

「お母さん」は「おがはん」とかね。それで「あんばさん」の「さん」は本当は「山」なんだけど、それを親しみをこめて「あんばはん」と言ったりするわけ。

弟と一緒に登る。

ヒー。山道はきついでござる。子供の頃に駆け上がったとは信じがたい。途中から、弟の嫁と甥っ子達と合流。小学校3年と5年の甥っ子は、駆け上がる。走って下る。すごい。子供ってホントすごい。

あんばはんから見る景色は良い!
気仙沼湾は湖のように見えるが、右上の方をご覧いただくと、そのまま太平洋につながっていることがわかる・かな? リアス式海岸でござ~る。

帰りは「ドラゴンパーク」という公園で、地元の方の手作り「とん汁」や「おでん」や「おにぎり」を食べる。うまい。安い。

今回の帰省は、弟の嫁のおかげで気仙沼の良いところを再発見出来て良かった。

父の事で気持ちが滅入っているために、友人には連絡しないでしまった。気仙沼の皆さん、次は連絡すっからね~。

整理整頓

父のタンスと母のタンスの位置を変えたり、母と弟2人とともに格闘。これがゴールデンウィークの主な目的なので、がんばる。母の一人暮らしを支えるために、家の中の使い勝手を整える。

で、がんばりすぎて、そのうちに頭痛。そして吐き気。せっかく、夜は「旨い鮨」を食べるはずが、食べられずにダウン。どうしたんでしょ?

しげちゃん(イーボ君とも言う)

久々に弟の友人のしげちゃんに会う。いやぁ~、久しぶりっすね。元気そうでなにより。

前に会った時は10代で、今や30代も半ば。不思議な気分(^ー^)こっちも40代に突入してるんですけどね。

しげちゃんが勤めるCDショップで、久しぶりにCDを買う。今度はゆっくり買い物に行くね。

気仙沼・再発見(羽田神社)

父の四七日で、私達が帰省しているので、家族でお墓参り。その後は、弟の車で気仙沼市内をドライブする。

気仙沼を離れて20数年、知らないところが多いので驚きつつ。

羽田(はた)神社へ。羽田神社は水梨地域にあり、「お山がけ」で有名な神社。こちらが社務所。

気仙沼の男子は「お山がけ」という行事がある。数え年で7歳になると、この神社とこの山に詣でるという儀式がある。

急な坂道を(親ではなくて)祖父や叔父に連れられて登るというならわし。親以外の人と行くということで「甘え」を断ち切り、大人の仲間入りをするという意味がある。女人禁制なので、私と母は初めて行く。

社務所と「太郎坊・次郎坊」という杉の大木までは女性も行くことが出来るが、この先は女人禁制だし、「お山がけ」の日(旧暦の8月15、16日)にしか、その先には進めないらしい。

「太郎坊・次郎坊」まで登ろう!

急な階段が続く。中央の手すりがちょうど昨日、完成したところ。

太郎坊・次郎坊は、樹齢何年かわからないが、なにしろ大きい。

いつも持ってるバックがこんなに小さく見える。

母と弟。

ここから見ると向こうに大島の亀山が見える。絶景。

宮司さんがとてもいい方で、暖かいお茶でもてなしていただいた。

すっかりくつろいだオヤマ家一同。お世話になりました。

気仙沼・再発見(気仙沼らぁめん)

「八珍チャイナ」で、気仙沼らぁめん、ふかひれらぁめんを食べる。「気仙沼らぁめん研究会」が研究した成果をいよいよ商品として出している。

気仙沼らぁめんは「さんま味」だが、ほどよい加減で美味しい。全体にあっさり味でよい。ふかひれらぁめんは、贅沢にふかひれの姿煮が入る。もうちょっとドロりとしてもいいかもとアンケートに書いて出す。

家族と一緒に行動していると、少し、母に笑顔が戻る。

足の痛み(父が亡くなってから痛みだしたらしい)も、今日はいくぶん、良いらしい。やっぱり、神経系か?

弟夫妻のおかげで、気仙沼・再発見のドライブを楽しんだ。ありがと。

家族とBRUNCH(ブランチ)で夕食

家族で夕食を食べにブランチへ行く。

母。父が亡くなって、気が抜けてる。元気を出して!

弟のくにちゃん。

なぜか、いつも目をつぶっちゃうので、もう一枚。

くにちゃんの嫁の千晴さん。

よっちゃん(くにちゃん&千晴さんの長男)

よっちゃんとトモちゃん(甥っこ達)

弟のてっちゃん。

本日から気仙沼へ

気仙沼に帰ります。実家は「インターネットの常時接続環境がない」ため、メールチェックが遅くなります。すみません。

てっちゃん、一足お先に帰ってるゼ。

・ ・ ・

ってことで、帰って参りました。うわっ。東北の夜は寒いゼ。日中は暖かいらしいが夜は寒い。

母と「父の思い出話」などをする。家の中に、まだ父がいるような気がする。あちこちに父の思い出がある。

母に電話

父がなくなってから母は沈みっぱなし。月日が経つにつれ、よけいに力がなくなっているような感じ。

「ゴールデンウィークに帰るから仙台まで遊びに行ってみる?」と聞いたら、「四十九日が終わるまではどこにも出ない」と言ってる。とじこもってる。

「弘前の桜が咲いたね」と話す。母は父と2人で「弘前の桜」を見に行く予定にしていた。2人では心配だから、私も付き添おうかと考えてたわけ。それだけ父が亡くなったのは突然のことだったのよね。

父が愛用したものを「見ると悲しくなる」ので、「何も見たくない」らしい。時が経てば復活するだろうけど、今はそっとしておくしかない。私にも悲しみが伝染して辛くなっちゃうな。