母の誕生日。86歳だ。元気! ボケてない。立派。お母さん、長生きしてください。
カテゴリー: 気仙沼と家族
亡き祖父の誕生日
明治39年生まれの亡き祖父。生きていれば116歳か。祖父を覚えている孫は私と弟だけだ。弟はまだ幼稚園だったから、ほとんど覚えていないだろうか。
祖父はオヤマ家の中で「神」だった。何でも「おじいちゃんから」始まる。お風呂に入る順番は一番。ご飯を食べる時も「頂きます」を言う。そして私達も食べる。私は昭和36年生まれだが、家の中は明治時代だった気がする。
おじいちゃん、そちらはどうですか。こっちは本当に大変です。
結婚記念日とダンナ誕生日2022
結婚して12周年! そしてダンナの誕生日。61歳。おめでとう。気仙沼の弟も誕生日! おめでとう〜!
夕食は銀座「ベージュ アラン・デュカス 東京」です。ミシュラン2つ星です。ホホホ。18時に予約。
建物の右側に入り口がある。が、時間が早くて開いてない。ガク。近くのアップルストアで冷やかしながら時間を潰し、再び、Go。開いてました。
私はシャンパン。Blason Rose。
毎回、行っている「あの式典で読んだ文書を読み上げる」のだが、すぐに次のお料理が出て来て、ゆっくり読めない。次回からは「朝、家で読もうか」などと話している。
どの席も外が見れるように配置されている。左側には「BVLGARI」、そして「adidas」。外を見てるだけでも楽しいね。
パンのお代わりはこちら。美味しくてダンナはパンを食べ過ぎ(^ー^)。
アオリイカのグリニエとイワシの燻製、ズッキーニとアボカド、キャビア。
このナイフが普通に考えるのと逆なんですよ。間違えると切れない。面白い。
私には「Happy Wedding」、ダンナには「Happy Birthday」。
サァ、また一年、よろしくお願いします!
母方の祖父の命日
本日は、母方の祖父の命日。昭和40年に亡くなったから、もう、とっくに50回忌は過ぎた。その日は弟の一歳の誕生日だった。
祖父のことを覚えているのは孫の中では私一人だ。私は初孫だから、それはもう可愛がってもらった。母の家の子のようにいつも遊んでもらっていた。オヤマ家は忙しくて孫の世話どころではなかったかもしれない。
母方の祖父母のところで小さい頃に過ごしたことが、今の私を形作るのに役立ったように思う。例えば「褒められる」。何をしても「上手、上手」。何だって下手だったろうと思うが、そんな私をひたすら褒めて育ててくれた。よくある日本の家とは違う教育がそこにはあった。それは祖父のおかげだったように思う。
祖父が長生きしていたら、どうだったろうと思うことは何度もある。少なくとも叔父は大学を辞めずに卒業しただろう。次男の叔父も学費の心配をせずに大学を選べただろう。私はどうだろう、さらにワガママな娘に育っただろうか? ご冥福をお祈りします。
母方の祖母の命日
母方の祖母の命日だ。
波瀾万丈な祖母でした。幼い頃はお金持ちの家に生まれたお嬢さんだった。それが、「保証人になった」とかの不運で倒産に。母親が亡くなり、祖母と妹は父親と生き延びる。そして、父親に後妻さん。そこに男の子が生まれる。それなのに、男の子は戦争に行き、ガダルカナル島で戦死。祖母が生まれた家は跡取りが亡くなり、終わってしまう。母と私達は毎年、お墓参りに行っている。
祖母が結婚した私の祖父は戦争に行くも元気で帰って来た。母には弟が二人出来た。しかしながら祖父は癌を患い、若くして亡くなってしまった。
息子も、末っ子が癌で亡くなり、そして長男も癌で亡くなった。長男が元気なうちに「死にたい」と話し、それが現実になった。祖母の葬儀は長男が喪主として立派に行われた。多くの悲しみを背負った人生でしたね。
おばあちゃん、そちらはどうですか?
気仙沼会・7月定例会(第16回)
気仙沼会の第16回定例会。今月もZoom会議。
「第13回 気仙沼を元気にする会」開催の話をする。異論はなかった。ありがとうございます。サ、ここからです。頑張りましょう〜。
気仙沼会・6月定例会(第15回)
気仙沼会の第15回定例会。今月もZoom会議。
以前、開催していた「気仙沼を元気にする会」のネットワーク版を開催していこうという話が出ています。しかしながら、私がシッカリとしたビジョンを提示出来ずにグズグズになってしまった。申し訳ないです。
サ、気合いを入れて頑張ります!
祖母の命日
一緒に暮らした祖母の命日。
1999年に亡くなったので24回忌か。生きていたら108歳か?
おばあちゃん、コロナ禍のために気仙沼に帰れません。こんなに長い間、気仙沼に帰らなかったのは生まれて初めて。魚町もだいぶ変わったようです。帰ったら写真をたくさん撮って来ますね!
情報交換会「ウクライナ侵攻と世界情勢の変化、日本の安保への影響」
気仙沼出身の大先輩、「株式会社中井ビジネスコンサルタント」の中井さんが主催する情報交換会が久しぶりに開催された。本日のゲストは小野寺五典氏。同級生だ。タイトルは「ウクライナ侵攻と世界情勢の変化、日本の安保への影響」。ウーン、難しいゾ。
場所は「永田町」駅そばのビルの8階。あいにくの大雨だが、外に出たのはわずか2mか3m。助かる。
会場には大勢の人が詰めかけている。熱気。凄いわ。前の方の席に座る。前から3列目。たぶん、目立つ場所。
予定時間より少し早く小野寺氏が到着。ちょうど、参加者を読み上げ、一人一人、立ち上がって挨拶(一言だけ)をしている時。そのまま挨拶を続け、そして、いよいよ始まる。
「今日は時間が変更になってしまい申し訳ない」と小野寺氏は誤る。今晩中に決めなければならない予算の問題があるらしい。大揉め。これをきちんとまとめるのが総理の仕事か。今日は夜も引き続き、仕事があるのでしょう。大変だわ。
さて、本題へ。
「日本まわりの不安はどうか?」と投げかける。様々ある。
20年ほど前の状況はどうだったか?
・北朝鮮:核の小型化はどうか?といった状況だった。
・中国:領土の主張を繰り返していたが、まだ緊張感は高まってはいなかった。
・ロシア:安倍、プーチン関係は良かった。
ところが、ここ数年で変わったそうだ。
・北朝鮮:ワシントン、ニューヨークを狙える。さらに小型化している。緊張感が走る。
・中国:防衛力を整備した。その点ではウクライナとは違う。台湾統一は国税で必ずやるでしょう。防衛費は日本の4倍、5倍とも言われている。日中の緊張感が一気に高まる。
・ロシア:外交面での北方領土。日本は敵の国となった。核保有である。
この3つの国が連動を始めた。
爆撃機が日本まわりを周遊した。それには3段階の意味を持つ。
1. 実験
2. 東京を狙った
3. ソウルを狙った
日本の防衛費はほぼ横ばい。そして、ほとんどが人件費。人件費は30年の間に「増やす必要」がある。全国の基地を見ると「古い施設」を使っているケースは多々ある。日本の防衛費はGDPの1パーセント以内に抑えてきた。
去年から、やっていることは相手の領土までは良いと。自衛隊は相手の領土までは攻撃しないとしてきた。相手の領土まで攻撃しなくても防げてきた。
日本のサイバー能力の低さ。ロシアは「ウクライナを責める」と話した。それが現実になった。そのことをウクライナ、イギリスは知っていた。日本は知らない。「日本に知らせたら漏れてしまう」となったら日本には言わない。サイバーディフェンスの弱さ。
ドローンは活躍している。これからはドローン、そして無人の兵器が活躍するだろう。ウクライナはこれをうまく使っている。ウクライナはリーダーが必死になって戦っている。そして世界に発信されている。
日本は島国、ウクライナは陸つづき。島国は海上封鎖されると長期間は戦えない。武器、弾薬、、、これらを国産化したい。今は弾薬など自前で作れない。輸入に頼らざるを得ない。
なぜ、ウクライナは戦えているか? 地下に防空壕があり地下に逃げている。日本はどうか? 上陸は厳しい。大事な能力だろう。日本の地下を考えるのは大事。
島根県の知事が来て話した。「ミサイル防衛システム」、台湾は進めている(アメリカに返している)。日本の自衛隊は出来ない。知事は「核を使っても日本を守って欲しい」と話していた。これについて日本はアメリカにお願いしてきて、意見交換さえしてこなかった。ドイツ、イタリアはアメリカから借りて、買って整備している。核はあってはならないがなくならない。日本では核兵器についての議論はしずらかった。
NATOに日本も入れば良いのか? NATOに入ったら日本も他の国を守る必要がある。これは日本の規定と異なるので出来ない。では今後、どのようになっていくのか?
15分の質疑応答の中で出た話。
小野寺氏は大臣時代に「戦車をなくした」そうです。戦車のままでは、日本では道路を走れない。もし、例えば、金沢で戦車が必要になったとしたら、どうやって東京から運ぶのか。戦車の上部分と下部分に切り離して、日本通運の運ぶためのものに乗せて移動し、着いた先で組み立てる。組み立てには1週間ほどかかるらしい。これでは有事には使えない。そこで、「タイヤ」に置き換えているそうだ。そうでしたか。
質疑応答は活発に行われた。私はただただ驚くばかりだ。何も知らない。ノホホンと生きている。それが私だ。愕然とした。
気仙沼会・5月定例会(第14回)
気仙沼会の第14回定例会。今月もZoom会議。
今日は、あらかじめ「欠席」メールが複数届いているから参加者は少ないだろう。それでも参加者は5名。これから開催していきたいイベントについて有意義な意見が出て嬉しいです。うまく行きますように準備しましょう〜! 来月、引き続き意見を出し合います!