読書:大人の流儀

「大人の流儀」伊集院静・著。

2013_0317_01

一番最初のページが「大人が人を叱る時の心得」ですよ。
もうね、この文書だけで、あぁ、この本を読もうと思うわけです。

若い女の子に”KY”という言い方があって、空気が読めない人のことだ、と説明された。「馬鹿言ってるな。なぜいい年して女、子供の吸ってる空気を読まにゃならんのだ」

痛快ですね〜。

この本を読んで、伊集院さんが今は仙台に住んでいることを知った。
あの震災の時も仙台で被災されたようだ。

そして夏目雅子さんが亡くなった時のことも、独特な言い回しで悲しみが伝わる。

いまの世の中の多様化とか、さまざまなことに、「俺は俺だ」とか「俺はこう生きるのだ」的な、頑固親父というのか、一本筋が通ったところを随所に感じることが出来て、久しぶりにスカっとする読み応えある本でした。

読書:グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた

「グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた」辻野晃一郎・著。

2013_0129_01

ソニーを退社した後にGoogle入社し、Google日本法人代表取締役社長を務めた辻野氏。

私とほぼ同世代といっていい。

ベンチャー精神旺盛だったころのソニーを知っていて、その後、ベンチャー気質よりも大企業病にとりつかれたソニーを去り、良くも悪くもアメリカらしいグーグルという会社でトップを務めた人の言葉は重いですよね。

「冗談じゃない、日本が生んだソニーはアップルやグーグルの手本となる企業でさえあったんだ」というのが私の本音である。

ソニーでは「上司にやめろと言われたくらいでやめるようなら最初からやるな」というカルチャーがあった。(中略)アップルのスティーブ・ジョブズも、下から上がってくるアイデアや提案を最初は必ず全否定して、それでも食らいついてくる提案にのみ耳を貸す、という話を聞いたことがある。

現在はアレックス株式会社を経営されている辻野さん。
その社外取締役には、あの出井伸之さん、そしてエグゼクティブアドバイザーにはYOSHIKIさんのお名前も。

読書:気仙沼

「気仙沼」高村光太郎・著。

Kindle買ったら読もうと思っていたのが、この本。
Kindleで「0円」です。

9月に行われた「第3回気仙沼フォーラム」で川島先生から、この本の話を聞いていて、読みたいと思っていたのです。それが0円ですから。

高村光太郎は、昭和6年8月に三陸地方を訪れている。
その際に、気仙沼にも立ち寄った。

気仙沼は昭和4年に大火があり、魚町、南町、八日町などの旧市街地を焼きつくした。川島先生から見せていただいた当時の写真は、まるで、今回の大震災跡のようでした。いや、もっとひどい状態だったかもしれない。

昭和6年に高村光太郎がいらした時は、まさに復興の最中。

本の冒頭は、
「女川から気仙沼へ行く気で午後三時の船に乗る。」

当日、気仙沼に入るには船を利用することが多かったようだ。
そして、「岩井崎から奥深い気仙沼湾にはひる。」とある。
「午後七半。」

その印象は、
「船から見た気仙沼町の花やかな灯火に驚き、上陸して更にその遺憾なく近代的なお為着せを着てゐる街の東京ぶりに驚く。」とある。

「夜になれば鼎座に浪花節(なにはぶし)があり、シネマがあり、公娼が居なくて御蒲焼があり、銀座裏まがひのカフエ街には尖端カフエ世界、銀の星、丸善がある。」

高村光太郎は「柳田國男先生の「雪国の春」といふ書物をかねて愛読して」いて、「気仙沼あたりに来ればもうそろそろ「金のベココ」式な日本の、私等の細胞の中にしか今は無いような何かしらがまだ生きてゐるかも知れないなどと思つてゐた。」

その期待とはうらはらに、気仙沼は賑やかしい街だったようである。
何かの読み物を読んだ時にも、明治から大正にかけて、三陸地方は豊かであったという記載があった。

これを読むと、たしかにそうであったらしい。

高村光太郎は、そのあまりにも賑やかな気仙沼には、おそらくは1泊程度しかいなかったようでさる。そうして「釜石行きの船に乗る。」で終わっている。

いまは気仙沼市に合併した唐桑は、それまで「唐桑町」という別の町であった。
その唐桑に、いまも高村光太郎の文学碑が残る。
「黒潮は親潮をうつ 親潮はさ霧をたてゝ 船にせまれり」

高村光太郎は唐桑で下船しているのではなく、御崎を船で通りすぎる際に読んだ歌が石碑となって残っている。

ネットでよくよく検索すると、この「気仙沼」は、昭和6年夏、「時事新報」の委嘱により、三陸地方を約ひと月取材し、同年秋に連載された紀行文「三陸廻り」の中の一つ。

こちらのサイトで全文を読むことが出来ます。
高村光太郎「三陸廻り」

さらにネット検索をすると、気仙沼在住の画家佐藤淳平さんという方のページに「現在的視点その解説」があって興味深い。併せてご覧下さい。

さらにさらにネット検索してみますと、佐藤淳平さんは、私と同じ魚町2丁目の方のようです。たぶん、1〜2分程度のご近所さんであった可能生があります。プロフィールに「森産婦人科」で誕生とありまして、私も同じ病院にて誕生しており、あれ?っと思った次第です。間違えていたらごめんなさい。

読書:気仙沼線ものがたり

「気仙沼線ものがたり」宮本人生・著。

サブタイトルには、
「三陸鉄道気仙沼線 全線開通記念出版」とある。
1977年に、北日本広報サービスから出版された。

先日、この本を貸していただき、一気に読んだ。
大震災で、大きな被災を受けた「気仙沼線」。

この線の開通には「悲願80年」と書いてある。
「気仙沼線」を開通させるために、先人が並々ならぬ努力をしてくださったのだ。その経緯がこの本に凝縮されている。この本は今は入手出来ない貴重な資料です。

「1977年(昭和52年)に両線を結ぶ柳津 – 本吉間の新線が開業し、念願の全線開通を果たした」

この時、私は高校生だった。
この開通に合わせて、始業時間が5分だったか10分だったか、遅らせる措置がとられたことを覚えている。このことで、志津川からの通学が劇的に楽になり、志津川から通学する同級生を皆で祝った記憶がある。

それから、わずか30余年の後に、このような震災で不通になってしまうとは予想だにしなかった。

この本をめくると、地元の広告がたくさん掲載してある。
この震災で事業を閉じてしまったお店や会社の広告もある。
「祝三陸鉄道気仙沼線開通」の文字が今は辛い。

貴重な本を貸してくださってありがとうございます。
大事な大事な本です。

読書:セーラが町にやってきた

「セーラが町にやってきた」清野由美・著。

気仙沼の、というか被災地の「街づくり」が一向に進まないとある方に話して、相談してみた。

すると「小布施」はきっと参考になるよとアドバイスを頂いた。

毎年「小布施見にマラソン」に参加している知人がいる。
その方からも「オヤマさんも小布施に行ってみて」と言われていた。
今年は私も「小布施見にマラソン」に申込みをしていたが、小太郎の入院で断念したところだ。

「セーラさん」というすごい女性がいるというの話を聞き、本が出ているから読んでみるといいと薦められたので、amazonに頼んでいたのが届いて、一気に読んだ。

アメリカからやってきたセーラさん。なんてパワフルな人なのでしょうか。
小布施の「桝一市村酒造場」に勤務し、小布施に残る日本の良さを生かした街づくりにも参画していく。

セーラさんの言葉
「私に何か能力があるとするならば、それは粘り強さなんだと思います。

何かを提案すると、それが出来ない理由を聞かされ、無理といって動こうとしない人々を粘り強さで押し通していく。

「小布施に行くと、町起こしに必要な題目は経済効果ではなく理念なんだとよくわかります。セーラさんが言う「住む人が誇りの持てる町」って、簡単なフレーズですが、とても鋭いものですよ」

小布施に行ってみたくなりました。
気仙沼を「住む人が誇りの持てる町」にしたい。

「『おもしろそうな企画を立てることは、本当は誰にでもできる。肝心なのは行動力、気力、体力、経済力、そして忍耐力。この5つが揃って、やっとイベントは実現する。』その点でセーラのリーダーシップは町全体に、それまでは違う次元の活性をもたらしたと評価する。」

気仙沼は地元の若者達、そして若いボランティアさんが様々な試みをしている。年配、そして行政はそれをやりやすくしてあげることが務めだと思う。若者は別の次元の試みをするだけのパワーがある。この本、参考にしていきたい。

読書:星野リゾートの事件簿

「星野リゾートの事件簿 なぜ、お客様はもう一度来てくれたのか?」中沢康彦・著。

星野リゾートが手がけるホテル・旅館は輝いてますよね。
しかもしかも、もうどうにもならないという状態からよみがえり、高い宿泊料であるにもかかわらず満室だったり、リピーターが多いらしく、うらやましい限りです。

しかもしかも、仕掛人である星野佳路さんは私とたぶん同学年。

大手企業に就職するも、その後はいわゆる家業を継いだ形でホテル業へ。
そのような方が、次から次へとヒットさせるのは、なんだろう?

乱暴にひとことで言ってしまえば、従業員の皆さんの意識改革なんだろうと思います。

「こんなに不便なところだから・・・」とか
「ここは何もないから・・・」とか
出来ない言い訳はいっぱい出来ますが、

「こんなに不便だけど、そうまでして行きたい何かを作ろう」とか
「何もないと思っても、きっと何かあるはず」とか
気持ちを切り替えることが出来るかどうかなのだろうと思います。

意外なことに、星野さんはあまり口出ししていないんですね。
現場が考えて現場が動く。

これ、会社経営にも言えることなんだけど、
ついつい、口うるさいオバはんに、私はなっていないだろうか。
なってるな・きっと(^^;

帯についてる言葉はまさにこれこれ。
「最高の解決策は現場で見つかる」

読書:100歳までボケない101の方法

「100歳までボケない101の方法―脳とこころのアンチエイジング」白澤卓二・著。

子供のいないワタクシといたしましては、やはり「ピンピンころり」が目標でございます。
病気で寝たきりになってしまっては、皆に迷惑をかけるし、そもそも、寝たきりという状況が、経済的にも可能かどうかわかりません。

人生のゴールの直前まで元気に愉快に暮らしたい。
可能であれば、人生の幕引きまで仕事をしていたい。
ということは、ボケてはいられません。

この本には、食事に関することがたくさん出ています。
それも「腹七分」だそうです。

きちんとした食事をとり、適度な運動をする、脳によい刺激を与える。
わかってはいるけれど、実践出来ないのもまた事実。

時々、こういった類いの本を読むことで反省し、そしてまた自分を諫めるのでございます。

人間120歳ぐらいまでは、元気に生きることが出来るようです。
私がいったい何歳まで生きられるのかわからないけれど、元気に100歳を迎えることを目標にしてみてもいいのかな。

読書:おかみのさんま(読み終えて)

おかみのさんま 気仙沼を生き抜く魚問屋3代目・斉藤和枝の記録」斉藤和枝・著。

以前、店頭で購入してすぐにアップしたこちらの本。
今日は読み終えた感想など。

これね、ホントにホントに、何と表現していいかわからないほどの良い本です。
気仙沼にご興味のある方は、必ず読んで欲しい(^ー^)。

斉吉商店の3代目として生まれた著者。
その葛藤、しかし運命。

ところで、気仙沼の魚はなぜ美味しいのか、気仙沼の魚のどういった点が特徴なのか。
さんまは北海道でも捕れますが、三陸沖で捕れたものがどう美味しいのか。

気仙沼出身でも知らない事が、わかりやすい言葉で書かれていて、なるほど、なるほどと理解を深めました。

また、気仙沼でいうところの「廻船問屋」とはどのような役割であるのか、漁港がいかに様々な業種が支え合って栄えてきたのか。

斉吉さんが問屋から加工食品を扱う会社に変革を遂げようとする際の、並々ならぬ努力。
ご主人がお婿さんに入って頂くことになったご苦労。
どのページをめくっても、ギッシリと良いお話が詰まっています。

そして、あの大震災。
家も工場も全てを流されてしまい、途方に暮れつつ、次に向かう姿はテレビで見ていても感動を覚えました。

それ以上に著者の言葉で綴られた言葉には、何倍もの感動が詰まっています。

ぜひぜひ、お手にとってご覧ください。
すごい本です。ホントに。

そして、気仙沼にこのような人達がいるということが誇りでございます。