歌舞伎座・2018年3月 三月大歌舞伎(夜の部)

歌舞伎座「三月大歌舞伎」夜の部です!

会社は午後休みを頂き、歩いて参ります。14時に新宿を出発。最短のルートで参ります。国立劇場の桜は満開に近い。凄いねぇ〜。

ヤヤ、あれは白鳥ではないのか? 白鳥はこの時期にここにはいないよね?

桜田門を左手に見ながら進みます。この時間にもランナーはいますねぇ〜。さすが皇居。

歌舞伎座到着は16時の8分くらい前。ちょうど良い時間。すぐに地下におりてお弁当を購入。地下をブラブラ。

地上にあがり、今月の写真撮影を。

片岡仁左衛門と坂東玉三郎が良いですねぇ〜!

夜の部はこちら。

中に入ります。オオオ、雀右衛門さんだ。もう7回忌ですか。早いなぁ〜。

まだ時間があるので、今のうちに写真を買いましょう。玉三郎のばかり4枚購入。準備OKじゃ。席につきます。いよいよ始まります!

1.於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)
小梅莨屋の場
瓦町油屋の場

今回の演目は「お染の七役」なし。お染も久松も登場しないのです。
坂東玉三郎はお六。ちょっと悪い感じの姐御。こういう役も良いですよね。片岡仁左衛門は鬼門の喜兵衛。こちらもちょいと悪いヤツでして。

そして、二人は悪知恵が働く。久作が死んだということにして金をゆすろうというのだ。百両。気を失ってるだけの久太を久作だとして、「殴って殺された、エイ百両だ」という筋書。

ところが、ハハハ、やっぱりバレちゃうんですねぇ〜。そもそも死体にした久太は、実は九太郎だった。それが目を冷まし、そこに久太も現れる。あらら、おかしなことに。もうこりゃ、しょうがない。仁左衛門と玉三郎は、からの籠を担いで退散する。

「玉三郎のお六と仁左衛門の喜兵衛は昭和52年(1977)年以来41年ぶりとなる舞台」

1977年当時、私は気仙沼に住んでおり、歌舞伎を見ていない。今回が初めて。良い作品です。時々、演じて欲しいわぁ〜。

幕がおちて、まだ17時10分くらいだけれど30分の休憩があるのはここだけ。お弁当を食べましょう。
「みやび幕の内」弁当、1,250円。
小さく切ってあるので少しずつパクパクと食べると、完食じゃ。ゴミを捨てて食事終了。

2.神田祭
片岡仁左衛門と坂東玉三郎の美しい舞。仁左衛門は粋な鳶頭(かしら)。玉三郎は艶やかな芸者。そして神田祭の華やかさ。舞は素晴らしいです。これぞ歌舞伎舞踊ですなぁ。

私の席は花道のすぐ横の2つ目の席。よく見えるのであります。そんなに近いのにオペラグラスを使ってみたり。デカッですよ、ホント。お二人は年をとっていないんじゃないかと思います。私より年上のはずだけど、もっと若いように見える。精進しているんですね。素晴らしいです。

休憩の間にもう一度、写真を見て、玉三郎と仁左衛門が一緒に写っているものを購入。これで今月は5枚です。

3.滝の白糸
坂東玉三郎が演出を手がけているらしい。出演はしていないのだけれど、女型の演技に玉三郎を勝手に感じながら見る。

ネット検索すると、昭和56年8月歌舞伎座で、「玉三郎が白糸、海老蔵(後の十二世團十郎)が村越欣弥を演じた」と記事がある。それは見ていると思うが、資料が手元にない。もう少し探してみなければ、、、。

一幕目

「明治初期。越中高岡から石動(いするぎ)に向かう馬車に乗った水芸一座の太夫滝の白糸は、文明開化の誉れ高い馬車が人力車に追い抜かれたので馬丁に文句を言います。すると、馬丁の村越欣弥という青年は白糸を抱いて馬に跨り、人力車を颯爽と追い抜いてみせるのでした。欣弥のことが忘れられない白糸は、金沢の卯辰橋(うたつばし)で再会を果たすと、法律を学びたいという欣弥の話を聞き、学費の仕送りを申し出ます。」

その様が美しく繰り広げられる。

10分の休憩。あら、、、すでに売店は閉まっています。さっきの休憩で写真を買っておいて良かった。

滝の白糸
二幕目

すみません、どうにもならぬほどに寝てしまいました。大事な場面なのに、お隣の女性の肩に顔を乗せて寝ていたという面目なし。すみませんでした。
自動販売機で珈琲を買う。

滝の白糸
三幕目・四幕目

珈琲飲みながら見る。今度は目はバッチリと開いております。そしてそして、エエエ、こうなっちゃうのぉ〜〜〜、と最後のシーンには何とも言えぬ思いが。歌舞伎の筋書きは、なかなかハッピーには終わらない。若い二人はせっかく出会えたというのに、、、。これもまた運命だったのですね。悲しいラスト。

今月も良い演目でした。ハッピーな気持ちのまま銀座駅まで歩き、丸ノ内線で帰ります。お疲れさまでした。