1000年に一度の大津波にどう向う?

今朝見たTVのニュースの中で「貞観地震の規模がマグニチュード9級である可能生が出ている」と言っていました。これまでの常識以上の規模であったかも、という意味です。

北大の平川特任教授らの調査によると、気仙沼市大谷海岸の高さ約2メートルの海岸の崖を調査したところ、6,000年に6回の、10メートル級の大津波が発生していた可能生が高いことがわかったようです。

こちらに関する記事はネットにでも出ていました。

今回の津波では、沿岸から少し離れたところに住む皆さんが「まさか、ここまでは来ないだろう」と、ご自分の経験や、100数十年程度の記録から考えてしまい、逃げ遅れてしまったケースが多い。

自分自身の、せいぜい数十年の経験なんか、この大自然から考えると意味もない。
私達は、もっと大きな自然の中で生かされていることを改めて思う。

この研究結果が、あの大津波の前に出ていたら、少しは役に立っただろうか?
人間は悲しいかな、辛い記録は徐々に薄らいでしまう。

かさ上げの予算確保も厳しい中で、私達の時代に、いま考えうる最高の「安全」を考えていかなければ、1,000年先の子孫に笑われるだろう。

「安全」でありながら、基盤産業の水産加工業を活性化するための街づくりは、容易でないことは誰が考えてもわかる。その難行に、国も市民も取り組まなければならない。

宮城県知事が、夜のニュースで話しているのを見た。
わかりやすい図で示された「工場を下に、住居は高台に。」

シンプルで小さい子にもわかるであろう図です。
正論です。たしかに。

それがスーっと出来ない理由がたくさんあるから、それを実行するためには、あのシンプルな図には書き表されていない事情と向き合わないといけない。

いまだに仮設住宅にすら入れない人が、気仙沼市だけでも1,000人以上もいる。5ヶ月以上も、あの避難所暮らしをしなければならない人達がこれだけいるということから見ても、あの理想的な空間にすることがどれだけ困難か、絵に描いた餅にならないことを願うが、はたしてどうでしょうか。

上(行政)が考えて下(市民)が従うなんて構図を誰もが捨てさり、「私達はこうしていきたい」と、老若男女、それぞれの立場で考えなければならない。考えて行動に移さなければならない。愚痴を言っていても、何も先に進まない。

なんてことを、仕事で疲れているであろうダンナに向って熱く語る夜でございます。