主婦というのは大事な役割だった

母と一緒に暮らすのは、高校卒業以来ですから32年ぶりでしょうか。

盆・正月にいても、せいぜい1週間ですけど、今回はすでに1ヶ月になります。

母は、お友達もいない東京で、目も不自由になってしまって本を読むことも出来ないため、出来ることといえば、お料理!

これはダンナと私に、ことのほか喜ばれておりますから、実に一生懸命です。

そういえば、昔もこういう食事をしていいましたっけ。

朝から、必ずみそ汁を作ります。
朝は私の担当ですが、具が少ないと、

「も少し、野菜入れたら〜?」と催促されます。
野菜のみそ汁、豆腐のみそ汁、わかめも入れてね。

朝から食卓には、おかずがズラリ。
これは食べきれませんよーと言うけれど、いつの間にか全部食べてる。

お煮染めや、きんぴらごぼうなどは、デフォルトであります。
「豆を煮だの」ってこちらでは何と言えばいいのでしょうか。
「ふじっこのお豆ちゃん」の金時味といえば通じますでしょうか。

これと梅干しも食卓に並べ忘れると「出してちょうだい」と催促が来ます。

これらはサブメニューで、これにメインがつきます。
狭いテーブルは、さらに狭く、さほど大きくない冷蔵庫はパズル感覚で攻めないと入りきらない。

母は、専業主婦でしたから、家族の健康のため、自分の食の欲求のため、食事は美味しかったなぁと改めて思うわけです。おかげで私どもは元気に大きくなりました〜。

宮川でうなぎ

親戚の叔父さんも東京に疎開していたそうです。
母も疎開していおり、毎日、寂しくしておりますと、娘同士が情報交換を。

「それなら、会うべし」ってなことに。

銀座・松屋デパート8階にあります「宮川本廛 銀座松屋店

うなぎは久しぶりです〜(^ー^)。

気仙沼の話に花が咲きます。

ずんだ餅

母の手料理は本当に美味しくて、体重増加中です〜(^ー^)。
今日は「ずんだ餅」を作ってくれました。

北海道出身のダンナは、ずんだは初めてだそうですが「美味しい」を連発。

家族から、そんなに褒められたことのない母は、大変、嬉しそうでございます。家族ももっと褒めるべきであったわ。

皇居ラン(50km)

今年もサロマウルトラマラソンに出場することにしました。

申込は1月に、とっくに済ませてあります。

ところが・・・
3月ほとんど走れない。
4月ほとんど走れない。
そして5月も、思うように走れない。

どどど・どうーしよう。

ここで50kmいっとかないと、絶対に無理なんですぅ〜。
記録なんてどうでもいいから、とにかく50kmの走り歩きが出来なければなりません。

行きます皇居。

母と、ダンナも走るというので3人で参りました。

14時5分前にスタート。
目標は、キロ7分で走ったとして、6時間。
8時に終了することが目標です。

いい天気です。
暑いです。

母を時計台の下のベンチに置いて、1周行きますと、
「35分かかったね」と時間チェックされました。キロ7分です。

その後は、キロ6分半から、次第に遅くなって、またキロ7分、、、。

母は、この頃に、自力で電車に乗って帰宅。
後で聞くと、「一人で霞ヶ関から電車に乗れた!」ちょっと自慢?(^ー^)。

25キロを越えると途端に辛くなり、ダンナは太股に痛みが。
それでも、「走り方を変えたら痛くなくなった」とかで、まだ続けます。

5キロごとに、時計台のベンチに置いたエイドで水分取ったり、あんぱん食べたり、その時間がだんだん長くなって、ストレッチを加えたり、ちょっと座りこんだり、、、。

30キロ終了した時に、私が「もう止めようか」と聞いてみます。もうダメかもーという空気。

でもなぁ、せっかく皇居まで来て30kmでおしまいはなんだかなぁ〜。
あと2周いって、40km走る!

終始、ダンナがリードしています。
5キロごとに300m以上先を行ってます。もしかしたら500mぐらい先になっているのかも。

35km過ぎたら、これはやっぱり50km行っとこう!気合いを入れ直しました。
ゆっくりでいいじゃない。歩いたっていいんだ。

皇居の乾門辺りで交通を止められました。
「誰か通るのですか?」
「皇后陛下です」
オオ。少し待ちます。ストレッチしながら待ちます。

すると、通りました。
後ろの席から皇后陛下が、こちらに向かって手を振っていて、我々もおもわず、大きく手を振りました。

被災地訪問の時にも皆さんがありがたがっていたけれど、本当に、遠目で見ても優しくてありがたい感じがします。それってなんだろう?と思いながら、残りを走ります。

40kmを過ぎて、辺りが暗くなりました。
皇居ランは、明るくて夜でも安心!が一つのウリでしたが、節電で暗いです。

特に、千鳥ヶ淵を右手にして走る小径なんか真っ暗で、私は足が上がらなくなっているから、2度ほど大きく転びそうでした。

45kmを過ぎました。とうとう最後の1周です。
「心で走る」なんでしょうね。
急に足が軽くなって、タッタッタっと前に出ました。

はじめてダンナより前に出て、そのまま、楽しく最後の周を走りました。
最後の下り坂、国立劇場の前辺りからは、ダウンジョグに切り替えて、ゆっくり、身体をほぐすことにしました。

最初は、5kmごとにラップをとっていたのですが、途中の休憩が長くなって、グズグズになってしまったので、ラップの記録は止めまして、

ぜんぶで、6時間25分もかかっちゃいました。
ここを5時間30分で走れば、サロマは大丈夫だと言われていますが、まったく届かず。

この後にまだ50kmも残っているウルトラマラソンって、やっぱり、難関ですわ。

新中野の「三陸亭」

母を連れて、新中野の「三陸亭」というお店に行きました。

三陸の(主に宮古市からの)現地直送をウリにしていたのですが、この震災で直送は出来ないようです。別の地域から取り寄せているそうで、

「お刺身美味しいね」と母。

新中野のスーパーで、「どうしても魚を買う気になれない」と言います。
あまりにイキが悪くて、「エー、こいづー(食べるの〜?)と思うよね」だそうです。

CSS Nite LP15

久しぶりの「CSS Nite」です。
しかも本日は「CSS Nite LP, Disk 15「ソーシャルメディア特集」です。

場所は九段下にある「ベルサール九段」

私は、1時間ほど遅れて行ってしまいますと、前から数列目に案内されました。
事前に配布されたアンケート結果によりますと、参加者の年齢は、20歳代、30歳代が多くて、50歳以上はなんと!たったの8人ですって。あら〜(^ー^)。

ということで、お隣の方も息子ぐらいの年齢でしょうか。
遅れて入ったオバちゃんに優しく進行状況を教えてくださってありがとう。

Facebookの話が多かったけれど、「企業におけるTwitter活用」というのも興味深いです。
いずれも、私の場合には、すぐにビジネスに生きる内容ばかり。

いつも良い内容をありがとうございます。
19時近くまでの長丁場ですけれど、ちっとも飽きずに、むしろあっという間に終わった感じさえします。

こちらは、「3.11を通して考えるソーシャルメディアの功罪」という内容で、益子さんは宇都宮のご出身、それと福島県在住のWebクリエーターさんがいらっしゃって講演されていました。

現地の声って、ホント説得力あります。

最後のセッションは、
「ライブジャーナリズムの夜明け ~報道Ustの可能性と今後の課題」

USTを活用してのジャーナリズムの活動。これからの報道のあり方を考えさせられる内容でした。

私たちができること

がんばろう日本!!私たちができること~
一人一人が日本の財産 
~久米信行×天野敦之×松原美里のチャリティ・トークカフェ!
」に参加させて頂きました。

ゲストの久米信行さんは、あの大震災の10日ほど前に、たまたま気仙沼で講演をされていました。そういう事から、このお話を聞いてみたいと思ったわけです。

第一部はゲストのトークが1時間ほどでしょうか。
2部は、ワールドカフェといって、皆さんとの話し合い。
そして、懇親会へ。

このごろは気仙沼の方と会うことが多くて、みな被災者と同じ気持ちでおりますが、一歩外へ出ますと、被災者をご存知ないという方ばかりなんですよね。それが私にとっては新鮮で驚いたりします。

本日も、私は「おだづなよTシャツ」を着て参りまして、気仙沼の現状を、私の知る限りで話をさせて頂きました。このような「語り部」も、大事な支援と考えていいのかな?と思うこの頃。

皆さんは「日本人としての誇り」だったり、「絆」であったり、そういう事を感じているそうです。

そして本日は、一人2,000円を日本財団を通じて被災地に届けられるそうです。参加された皆様、ありがとうございました。

横浜にて「気仙沼物産展」

横浜駅東口前の、郵便局前で行われた「気仙沼物産展」に母と参りました。

あいにくの雨です。
場所はすぐにわかりました。

オオオオオオ!
これは長蛇の列で、建物をグルっとまわって、最後尾に参りました。
まるでiPhoneの発売日を思い出します。

最後尾はこちらと案内されました。

列の前後の方々とおしゃべりしますと、NHKなどで放映された番組をご覧になった方が多いようです。

皆さんが「少しでもお役に立てれば」とおっしゃっていて、ありがたいです。

15分ほどは待ったでしょうか。
なかなか列が進まないし、私は午後から出社しなければいけないし、、、。

私と母は買い物は諦めまして、私どもよりも、初めて気仙沼の商品をご覧になる方におゆずりすることにしました。

写真の展示がありますので、そちらを見に行きましょう。
移動する母の後ろ姿と、左側に長い列が出来ているのをご覧になれますでしょうか。

このように写真が展示してあって、ご覧になっている方は、「テレビで見るのとは全然違う」と絶句されていました。

そんな中に、我が家が写ったものがあります。
これで見ますと、あの船は、現在は勝倉さんの前辺りにありますが、津波の直後は、ヤマコさんかヤマネさんの前にあったようです。少しずつ移動したのですね。私がテレビで見た時は我が家の目の前のように見えていましたっけ。

この写真は、どなたが撮影されたのでしょうか?
津波直後と思われます。決死の撮影です。すごいわ〜。

販売しているテント付近に参りますと、気仙沼の方々がいらしたので写真を撮らせて頂きました。

左から、横浜在住の加藤さん、横浜の宮城県人会の副会長を務めているそうです。ハ葉の社長の清水さん(奥さんは私の同級生)、私の同級生で衆議院議員の小野寺五典君、吾妻さんは、母のお友達の息子さん。私の弟と同級生。そして母。

母は久しぶりに気仙沼の方とお話出来て、とても嬉しそう。
しかも、加藤さんは母の弟(故人)の親友だったそうです。そして私はお嬢さんをツイッターでフォローしていたという不思議なご縁でございます。

吾妻さんや清水さんが付けている前掛けは、震災後に作ったそうです。海岸部分が冠水していて、もしかしたら地名がなくなってしまうのではないかということから、地名を記した前掛けを作ったのだそうです。

「気仙沼物産展」は、明日13(金)まで開催されていますから、どうぞ、足をお運びくださいませ。11時〜19時まで。