小布施をあとにして…

昨晩は長野駅前のビジネスホテルに泊まりました。
朝はゆっくりで良かったのに、テンションが上がっているのでしょうね、早くから目がさめまして、ゆっくり朝食。そうして、長野駅周辺をブラブラ歩いてみました。

小布施は「小布施の特徴を出す」という町づくりをしているのに対して、日本の多くの町は「どこにでもある感じ」ですよね。

ここが長野であるということは「善光寺」の看板を見ればわかるけれど、全国のチェーン店を見るにつけ、ここがどこかわからない。

地方都市はそれでもいいけれど、気仙沼のような小さな町はそれにならっていてはいけないのだと思った次第です。
気仙沼は漁港です。
漁港らしさを町全体に出すには?
そういった建物をデザインするには?

魚町は震災でほとんどの家がなくなりました。
再開発するなら、いまがチャンス。
私自身がもう少し勉強して、それでも猶予はないのだから、早めに魚町の人達と一緒に再建したいと思っているのです。
本当に微力ですけれど。

小布施見に旅行!

被災してしまった「気仙沼の町づくり」、私なんぞがドーノコーノ言ってもしょうがないのですが、なかなか進みません。

私の実家があった魚町の計画も、具体的なものは見えて来ません。
本当に気のもめるものです。

「どうにかしたい、どうにかしたい」と話していたら、知人が「オヤマさん、小布施の町づくりが参考になりますよ」と話してくださいました。

セーラが町にやってきた」という本を読み、

これは行ってみよう!と思いまして、飲み会の時にそんな話をしていたら、その時ご一緒した知人も「一緒に行く」と言ってくださり、期せずして3人のミニ旅行となりました。

私は、夜の「小布施ッション」も参加するので泊まりますが、お忙しいお2人は日帰りです。

そこで、東京駅発7:24の長野新幹線「あさま」に乗って出発!

長野駅で「長野電鉄」の乗り換えます。
特急に乗って「小布施」で下車。

「小布施」は日曜に降った雪が残っていました。

ぶらぶら歩いていますと「皇太神社」です。

郵便局の看板にも木材を使っています。
やっぱ、こういう事なんだなぁ。

長野で一番大きい「八十二銀行」や地元の「信用金庫」も、外観からは銀行だとは思えない木造り。町全体が「小布施をこうしたい」と言ってる感じです。

こちらは、その立役者でもある「小布施堂」さん。
栗のお菓子を販売しています。あとからまた参ります。

「高井鴻山記念館」
葛飾北斎を招いたのが高井鴻山。
高井鴻山は小布施堂、桝一市村酒造場を経営する市村家の12代当主。

そのお屋敷は、火災によって多くを消失してしまったそうですが、いくつか残った建物をこちらに移築したようです。

この建物は当時のままに残されているそうです。
よくぞ残りましたね。すごいことです。

当時のものが、そのままあります。すごいね。

こちらのお琴のような楽器は1本だけ弦が張ってあって、その前に置いてある楽譜のようなモノの通りに、弦をはじいてみると、「さくら」を弾くことが出来ました。
普通にさわらせてくださっています。

高井鴻山は葛飾北斎のために「碧漪軒(へきいけん)」を提供したそうです。
その場所がどこであったか不明だということですが、こちらに当時のままに移築されました。

高井鴻山記念館の建物を出ますと路上に昔の郵便ポストがあります。
この形は愛らしいですよね。雪をかぶった姿がまた良いです。
効率化を考えると今の方がいいのでしょうけれど。

土産物店が並んでいる一角がありました。
平日というのに、団体さんがいらしてました。
冬の平日に観光客がいらしているなんて、田舎にとってはうらやましい限りです。

こちらは「どんこ」というものだそうです。
右側に見えますか?椎茸のお化けみたいな大きさのもの。
それを30時間水につけてもどして、砂糖と醤油と、戻した時の水で煮込んだのがこちら。
美味しいですね。ドレドレ、お土産に買いましょう。

あちらに見えるのは「桝一客殿」という宿です。宿には見えませんよね。すごい。

ランチは「蔵部(くらぶ)」を予約してくださいました。
文字通りに「蔵」を改造してレストランにしたもの。

3人で別々のメニューを頼んで、シェアしました。美味しいです!

昼間っから(^ー^)、「スクエア・ワン」というお酒を。

お店の方のいでたちは、こんな感じ。

知人がセーラさんにアポイントを取ってくださっていて、席にいらっしゃいました。

席にいらっしゃるや、パワーがすごい。
いま「農業」を始めていて、これからの計画は「こうでああで」、それには「こういう事が足りないのです」と始まりました。
知人達が「ああ、それなら、こうしてはどうか」とアドバイスすると、パっと顔が輝いて、「それなら出来るかもしれない」と。

小さなチャンスも逃さないのですね。すごいなぁ。
でも、声はかわいらしいし、女性としてもかわいい方です。それなのに、次から次に「計画」が出てくるのは、この人の「創造力」「実行力」の大きさ。
忙しいセーラさんの携帯電話はしょっちゅう鳴っていました。

セーラさんに別れを告げて、「北斎館」に参りました。
小布施の町づくりが始まったのは昭和51年に、この「北斎館」を作ったことから始まったそうです。写真を撮るのも忘れて見てました。

北斎が80歳を過ぎてから描いたという「神輿の天井画」などが展示されていて、その存在感に圧倒されました。

北斎館から出て、ちょっと遠いけれど「岩松院」にも行きましょう!
訪れてみて知ったのは、このお寺は福島正則公の菩提寺だということです。

こちらのお寺の天井に北斎の天井絵「大鳳凰図」があるのです。

この絵が実に力強く、私はこの旅で最も印象に残りました。
これを描いた時の北斎の年齢は89歳。
圧巻。
パワー頂きました。

このお寺への往復は歩いて行きました。あっちにブラブラ、こっちにブラブラで片道30分くらいかかったでしょうか。車でサーっと行ってしまっては気がつかない空気感というものを存分に堪能しました。

駅に隣接して観光案内とともに、ちょっとお茶を飲むところがあります。
こういうのを気仙沼駅近くにも作りたいものです。
駅隣のトイレも快適なもので、便座は暖かくしてありました。気仙沼が観光に力を入れるのであれば、私は、まずは「トイレの整備だ!」とずっと言い続けております。これは特にご年配のご婦人にとっては大切なもの。

今回、ご一緒いただいたお2人を駅で送りまして、私はまた小布施堂に戻りました。
もう一つの目的「小布施ッション」に参加するためです。

小布施堂の工場の3Fの会議室で、本日の小布施ッションがあります。
毎月ぞろ目の日に開催されているそうで、平日でどのくらいの人が参加するのでしょう?と思いながら参りますと満席です。小布施以外から参加される方が多いそうです。

本日の講師を紹介するセーラさん。

講師は内藤耕さん。
ホテル・旅館を例にして、「これからいくらでも生産性を上げられる」という力強いお話。
私の会社の人達にも聞かせてあげたい、元気が出る内容でした。

その後は懇親会というかパーティです。
ウェルカムドリンクは卵酒。

次から次に運ばれるお料理は本当に美味しい。

お酒は桝一酒造さんのもの、お料理は蔵部で作られたのでしょうね。

美味しいお料理を食べながら、色々な方とお話をしました。
気仙沼唐桑町に「Tシャツのアート」の支援をしてくださった方もいらっしゃいました。

小布施堂の社長さんは震災前に気仙沼を訪れたことがあるそうで、皆さんがお元気かと心配されていました。
気仙沼の寿司店「たに口」のダンナさんが長野県出身というご縁からどうで、
「あら、奥様は私と同級生なんですよ」と話すと驚かれてました。
そんなお話を食べながら、飲みながら。

講師の内藤さんともお話をさせて頂きました。
内藤さんも「気仙沼に行きましたよ」と。
その後、気仙沼に関する辛口コメントをたくさん頂きました。

逆に言うと、それらを改善していくことで、良い町が出来るものと思ったところです。
気仙沼は、その辛口コメントを真摯に受け止め、改善していくことが必要ではないでしょうか。

ある方に「小布施はどうして町づくりに成功しているのでしょうか?」とたずねると、
「外の人とつながったこと」と話されました。
「小布施の人が、こうしたいという骨子を考え、その手段として外の意見を取り入れていったこと、そうして、それは今も続いているんですよ」と。

お名刺を交換した方の何人かは小布施にお生まれではないけれど、ここが気に入って住んでいますと。外からの人をちゃんとお迎えする土壌があるのですね。

あっという間に22時を過ぎました。
長野電鉄・長野行きの最終は22時半。
2次会は遠慮して、長野に行く方々と一緒に駅まで歩きました。

路面は凍り始めていてすべりますから、おそるおそる歩を進めます。
たくさんのパワーを頂きました。
気仙沼に役立てたいことがたくさんあります。

皆様、本当にありがとうございました。

気仙沼サポートビューロー(KSB)定例会

今年最後の「気仙沼サポートビューロー(KSB)」の定例会がありました。

飯田橋のルノアールの会議室です。
さすがに師走ですね。いつもより参加人数は少なめです。

目黒の方が差し入れをしてくださいました。ありがとうございます。
美味しい!
御門屋(みかどや)」さんの「揚まんじゅう」です。

来年の計画(案)とか、今年は正会員しかなかったけれど「賛助会員」を設ける方向での話し合いをしました。今日は参加人数が少ないので(案)としてまとめたので、年明けには決まっていくものと思います。

それに付随した年会費の見直しなどもしました。
なるたけ多くの方にご参加いただける会にしていきたいものです。

2次会は近くの沖縄料理店「」さんです。

モツ煮込み

ゴーヤーチャンプル

ラフティー

沖縄そば

食べました、飲みました。
今年もありがとうございました。
来年もどうぞ、宜しくお願いします。

第20回 小川和紙マラソン(ハーフ)

「第20回 小川和紙マラソン」ハーフの部に出場しました。

昨年に続いて2度目の出場です。
池袋から、東武東上線の急行に乗って約1時間ほどの「小川町」で下車。
駅には会場までの無料のバスがあります。

バスは次から次に来ているようですが、ギュウギュウに詰めて乗りました。
私とダンナは入り口付近にへばりつき。
乗ってる時間は10数分でしょうか。

バスを降りてからも少し歩きます。
空気がピリリと冷えているけれど、晴天で日が当たるところは暖かく感じます。

今年は「20回」の記念の大会ですね!

受付をすると、「ゼッケン番号」が「20回記念ラッキー賞」でした!
記念品を頂きました。ありがとうございます。

ゼッケン番号は「2279」

会場にはアドバルーンが上がり、お店がたくさん出ていてお祭りのようです。

これからハーフを走るというのに、おだんご食べたり、コーンスープを飲んだりして過ごしました。
お汁粉とうどんは走った後にとっておきましょう(^ー^)。

ゴールに無事に帰って来れるでしょうか。
昨日のマラソン完走クラブの練習会で頑張り過ぎて身体が重いです。

軽く準備運動をして、少しだけ身体を動かして、トイレを済ませて、とても順調に進んでいます。
荷物はその辺に置きっぱなしです。
スタートの15分前になったので、そろそろスタート地点に移動です。

今年も1時間40分〜50分に列に並びました。
すると「市民ボランティア」と書かれたゼッケンに「1時間40分」とあります。
ペースメーカーさんです。この方に付いていけば1時間40分でゴールするのかー。

ダンナは「付いて行こうかな」と気合い十分。
「どうぞ」と私。

昨日のマラソン完走クラブの練習がきつくて、私は今日は21キロの距離練と割り切っております。ダンナは昨日の疲れもたいしたことはないそうで、(脳がおかしいんじゃないかと思っておりますが(^^;)、「今日もがんばれそう」だって。

本日、ここに立てたことに感謝します。
今日もおだづなよTシャツ(紺)を着ています。
あの日から、もうすぐ1年9ヶ月か。

10秒前。
5秒前、4、3、2、1。ワー!
ハーフの旅に出ます。

スタート直後から上りの坂道がなだらかに続きます。
このコースはアップダウンがたくさんあります。

ダンナの姿はまだその辺に見えます。
ああ、あれじゃ1時間40分のペースメーカーさんには全然付いていけてないわね(^ー^)。
距離表示は1キロごとにありました。
1キロ地点で見ると6分7秒。遅っ。
でも、上り坂だし、スタート直後は混み合っていて、ま、このペースでいきますか。

2キロを過ぎた頃には、ダンナの姿は前の方に見えなくなりました。
がんばれー。

アップダウンが多いコース。
下りもあります。ダダダダーっと降りて、また上り。
これは脚にきます。

給水は8キロあたりでしょうか。
手前に水、奥がスポーツドリンクと表示がありました。
スポーツドリンクのテーブルに行くと、少し待たされました。1分程度ロスか。
水でも良かったなぁ。

昨年の印象では10キロを越えると下りが多かった印象があります。
10キロまで頑張ろう。
昨日の練習の後遺症か、身体が重く感じます。
それでも精一杯走っています。

10キロを越えると、サーっと下りが続きました。
そこで、一気にスピードを上げたいところ。
何人か抜きました。
でも、思うようにはスピードは上がらず、タラタラと下ることに。

15キロを過ぎて、いよいよ辛くなってきました。
ここで、なぐさめのスポーツジェルを口にふくみました。
少しでも体力が持ちますように。

距離表示はあと5キロ、と変わりました。
あと4キロ、あと3キロ・・・。

もう少し頑張りましょう。
あと2キロ。

ご年配の方々と抜きつ抜かれつ、アドバルーンが見えます。
あそがゴールだ、がんばれ、がんばれ!

そうして、あの角を曲がるとゴール。
一生懸命に腕をふって、足を上げて。

するとゴール手前でダンナの声が聞こえました。
見ると、もう上着を着ていて、ずいぶん前にゴールしたようです。

「差がついちゃったなぁ」と思いながらもゴール。ゴール出来て嬉しいです。
ダンナに「どうだった?」と聞くと「自己ベスト!」だそうで、伸び盛りです。
しかも、初めてハーフでもタイムを越されました。これにて完敗でござる。

私の記録は、手元の時計では次の通り。
スタートまで:48
5km:27:18
10km:29:06
15km:26:39
20km:26:54
ラスト:5:37
———————————–
合計:1:56:25

ネットでは1時間55分15秒程度でしょうか。
昨年はネットで1時間51分56秒程度なので、4分ほど遅かったか。

壮年女子の部(40歳以上)の入賞10位の方は1時間37分台。
昨年は38分台だったから、昨年よりも皆さんのレベルが上がっています。
みんな、速いよー(^ー^)。

マラ完でご一緒するゆっきーもゴール!
「今日はボロボロ」「私もー」

無料の豚汁をいただいて、それから、お汁粉、もつ煮込みを食べ、日本酒に試飲をしたり、ちょっと飲んだり(^ー^)。

そうこうするうちに強風です。
テントの方々も物がとばされて大変そうでした。

そろそろ帰りますか。無料バス乗り場に向かいます。

帰りのバスは座ることが出来ました。
わずかな時間も熟睡。

ラッキー賞で頂いたのは「和紙」を使った電気スタンドでした!
やわらかい光がいいですねー。

記念のTシャツはこちら。

帰りの東武東上線も熟睡。
和光市で乗り換えた副都心線も座れたので熟睡。
いったい、どれだけ眠るのでしょう(^ー^)

マラソン完走クラブ(62回目):府中競技場

マラソン完走クラブの練習会に参加しました。
府中競技場です。

まずは長いアップジョグ。そして準備運動。
流しを4本のあとに、200mの流しを1本。

タイムごとにグループに分かれます。

1000mを3本のインターバル。
私は5分のグループです。
さすがのN田さんのペースメーカーでタイムは5分きっちりです。すごい!

その後は本日のメイン400m走です。
20分の中で何本走れるか。結果は6本で次の通りです。
(速いグループはもう何本か走っていました)

1本目:1:45
2本目:1:48
3本目:1:46
4本目:1:47
5本目:1:46
6本目:1:47

ペースメーカーさんに大きく遅れてしまいました。

その後に1000mのトライアルを1本。
4:39。

もうね、本日はすべてを全力で頑張りまして、疲れたー。

この後は大忘年会です。

私のグループは皆さん速い人達ばかりですが、次の目標をどうやって達成したらいいかという話は、どんなタイムでも共通するもんがあります。楽しかった。

「今年、自己ベストを更新した人ー」と挙手を求められたら、ほとんどの方が手をあげていて驚きました。くー、手を挙げられない私。。。あとで気付いたのは「そうそう、サロマで100kmの部では自己ベストでしたわ」

スタッフさんが様々なプレゼントを用意してくださいました。
中でも歓声が高かったのは、先日の「福岡国際マラソン」に出場された、堀端選手、藤原選手、川内選手らのサインです。

見事、当った皆様おめでとうございます。

じっくり見せていただきました。
川内選手の「現状打破」という言葉、市民ランナーは泣けますわ。

私も来年の大会でフルの自己ベストを更新したいものです。
来年もどうぞ宜しくお願いいたします。

吉例:テレパス忘年会2012

本日のお店は「八吉」さん。
お料理も美味しく頂きまして、

私の大事な仕事があります。
「社長賞」の贈呈。

テレパスは零細企業ながら皆が頑張っています。
その努力がわかっているだけに、たった一人を選ぶというのはとても難しい作業。

でも心を鬼にして、たった一人を選びました。おめでとうございます。
今年からは新たに「取締役賞」と「執行役員賞」が出来ました。
私とは別の視点で賞が贈られ、良い結果になったと思います。

惜しくも選ばれなかった皆様、僅差ですよ。
来年はジャンプしてくださいね。

2次会は歌う・歌う(^ー^)。

第4回 KSB復興フォーラム

第4回 KSB復興フォーラム「東洋一の魚市場 ふたたび ~水産業にみる気仙沼の強み〜」を開催しました。
(KSB=気仙沼サポートビューロー)

今回は、気仙沼漁協の佐藤亮輔組合長にお越しいただきました。

あの大震災の数日後に魚市場に関係する皆さんを集めて話したのは、
「6月に魚市場を再開する!」というもの。

佐藤組合長は、「その言葉は確かに私が話した言葉ではあるけれど、そこに居たみんなが言わせた言葉でもあったろうと思う」と述べています。

その話の直後に場内は「一瞬明るくなって、そしてまた暗くなった」と話されました。
その言葉はズシリと響きました。
「いったいどうやって再開出来るというのだ」という思い。

6月というのはかつおが始まる季節。
気仙沼は震災前、かつおの水揚げ日本一を誇ります。
その「日本一のかつおの水揚げ」になんとしても間に合わせなければならない。
そのためにはどうするか。

その時に「自分の仕事だけ復旧したらどうかと提案した」そうです。
出来ることだけをやる。
氷屋さんは氷を手配することだけに注力する。
「餅は餅屋ですから」と。
そういうことであれば出来るかもしれないと皆さんの意識が前向きになりました。

かつをを水揚げするために必要なものは「まずは電気と水と氷」。
その3つをどうにかしなければいけない。

「電気がない、水がない」これは市役所にお願いに行った。
しかも気仙沼は70~80cmの地盤沈下をしている。
とにかく魚市場のかさ上げを優先してもらうよう、これも市役所にお願いした。

市役所は「魚市場だけを優先するわけにはいかない」と言っていたが、
「これは気仙沼のためなのだ」と粘り強く交渉をされたそうです。

造船業の方も造船場を失っています。
従来のような修理は出来ません。そこで造船場に上げずに修理するという工夫をされました。

氷も資材も、とにかく自分が出来ることだけを早急にしよう。
そうして、奇跡の「6月の魚市場再開」が実現したのであります。

その背景にはこんなお話も。
5月頃に東京で会議がありました。
気仙沼を基地にしているかつお船の方々が集まった会議です。
そちらに佐藤組合長が列席しました。

かつお船の皆さんは気仙沼を心配され、今年は水揚げをしないでおきましょうという話をする予定だったようです。

しかし、気仙沼が魚市場再開に向けて頑張っている状況を伝え、またかつお船の皆さんも「それなら」ということで気仙沼に水揚げをしてくださった。そういう協力なくしてはかなわかっただろうと思います。そのおかげで、今年は16年連続日本一になりました。

ところで「かつおのお話」と佐藤組合長が話します。
「なぜ、気仙沼に皆さんが水揚げするかご存知ですか」

「かつお」というのは、色の変化が早いのです。
一日遅れると、黒い色が強くなってしまう。
銚子、八戸に水揚げしている間に色が黒くなってしまうのです。

かつおは、まずは北上し、それから戻ってきます。
その時に気仙沼沖を通ります。一番近い気仙沼港に水揚げするというのが理にかなっているのです。

ちなみに1600年代から、良港であったという資料が今も唐桑の小館(鈴木家)に残っています。
江戸に魚を運んだ記録です。
もっとも、当時は「生」は無理ですから、塩漬け、粕漬け、干したり、鰹節にするなどの工夫がありました。

「三陸沖は良き漁場と言われるが、どうしてかわかりますか?」と佐藤組合長。
「親潮と黒潮がまじるところと習いましたか?」ハイ、そう習いました。
「なぜ、親潮と黒潮がまじるといいのですか?」ハテ?

ロシアのアムール川の水が氷になって流れ出し北海道沖でとけます。
それが親潮にのって三陸沖に流れて来ますが、それには植物性プランクトンが多く含まれます。

また黒潮には、動物性プランクトンが多く含まれます。

それが混じり合うというのは世界的にみても非常に珍しい漁場となっています。
そのことで三陸は自然の恩恵を受けてきたのです。

なるほど〜。

江戸時代に伊達政宗がスペイン人探検家「セバスチャン・ビスカイノ」に港の調査を命じたところ気仙沼を見て、「われ 最良の港を発見す」という言葉を残しているそうです(スペイン語です)。その写しを佐藤組合長は大事に持っているそうです。

さて、現在、ノルウェーなど北欧では漁業の再生が成功したと言われていますが、はたしてそうなのでしょうか、と警鐘をならされています。

外国の漁は「まき網」といって、大きな船でダダーっと漁をします。
効率はいいのだが稚魚までも捕ってしまうので、そのうち魚がいなくなってしまうのではないかと心配されています。

それでも、漁獲量を制限して、休みを増やして、収入は同じとしたことで漁業の再生が可能になっています。

現在の日本は「とりたいだけとる」という方式だが、これを制限していかなければならないでしょう。
「割当」にすることで、「良いものだけを捕る」ということになるはず。
早急に手を打たなければなりません。

また、魚を適正価格で販売していかなければ漁業は破綻します。

「魚を知らない人は食べない
魚を知ってもらう努力をしている」

「魚を食べてもらいたい
そういう思いで仕事をしている」

「簡単な方法で魚を好きになってもらうことを
魚を手軽においしく食べてもらうためにPRしていきたい」
「今は骨なしの魚を普及している」

しかしながら・・・

「ご年配の皆さんなら、子供の頃に喉に骨がささった経験はおありでしょう。
そういう経験の中から、骨を上手にとりわけて食べることが出来たし、このくらいの骨ならどうってことないということもわかる。」

それに

「吉次」という魚は、本当に値段も高いが、味も良い。
その「吉次」の中でも最も美味しいのは骨と肉の間なんです。
だから、骨のない「吉次」を食べるなんてことは、どうなんでしょう?(笑)

この後は質疑応答でさまざまな質問が出ました。
貴重なお話ありがとうございました。

あの大震災の後に6月に魚市場を再開するという目標を聞いた時、多くの方は「無理だよー」と思ったと思います。私もそうです。でも、それを実行するには多くの方の協力が必要で、皆さんをそのように導いたリーダーシップはすごいものがあると感じました。

気仙沼はきっと復興する!と思います。
気仙沼は「海と生きる」というキャッチコピーを掲げました。
その言葉のもとに皆が前を向いて歩いている時に、国や県が成すべきことは何でしょう。
政治家の皆さんにもよくよく考えて頂きたいと思うのです。

訃報:十八代目 中村勘三郎

朝、NHKのニュース番組を見ていたら、突然「中村勘三郎さんが亡くなりました」

エ? ウソ・・・

TVにはお元気な頃の姿。
それを確かに目が追っているが、心が付いていってない。

何?
いま何を言ってるの?

しばらくして、たしかに勘三郎が亡くなったことを理解した。
57歳。

来年の新しい歌舞伎座には見に行こう、それまでには元気になっているだろうと思っていた矢先のこと。
今年の浅草、ダンナを連れて見に行こうかと話していたのだが、私が震災後のショックから立ち直れずにいて、まだ歌舞伎を見る気分になれない。来年、新しい歌舞伎座で見ようと話していた。

TVのチャンネルを変えると、勘三郎の家の前から中継されている。
このお宅は新築されて間もないが、私は前のお家の時に家の前まで行ったことがあるのです。

私は十七代目勘三郎のファンでした。
一度、そのお宅を見てみたいという衝動にかられて、住所は番地までは知らないのです。
「小日向」という町名を知ったので、あとは「波野」というお名前は珍しいから表札が出ていればわかるかな?と思って。結局、表札が出ていたかどうかは忘れましたが、きっと出ていたのでしょう。「ここだ!」と見つけて小躍りしたことを覚えています。

そのお宅を建て替えるというのはフジテレビの特番で見てました。
新しいお宅になってから勘三郎が暮らした時間はわずかだったでしょうが、4世帯で暮らすというのは現在では珍しいこと。

皆さんから愛されて、芝居の道を駆け抜けた勘三郎さん(私の中では今も勘九郎さん)ご冥福をお祈りします。

新中野「イル ヴェッキオ ムリーノ」

新中野で美味しいイタリアンのお店「イル ヴェッキオ ムリーノ」で食事して来ました。
母が東京に避難していた時にも一緒に行きましたね。

ナプキン

ワタリガニのトマトクリームパスタ、美味しい!

魚介のグリル盛合わせ、美味しい!(^ー^)

LBバンド(30回目)忘年会は神楽坂Sorriso

LBバンドの年内最後の練習会がありました。
ジョーサンプルの曲をさせて頂いていますが、全然、まとめることが出来ません。
アドリブを完全コピーでドージャと言わせたい。
そこで、アドリブ部分を短くまとめようという事になり、これならなんとか行けそうな気がしてきました。
来年は頑張ります!

神楽坂に移動して忘年会です。
イタリアンのお店「Sorriso(ソリッソ)」さん。
これはすばらしく美味しい!

前菜

パスタ

メインディッシュはお魚にしました。

デザートも美味しすぎる(^ー^)。

3,990円のコースなんですよ(飲み物は別)。
こんなに美味しくてこの価格は嬉しいですね。

後で調べてみますと、このお店は「カルミネ・コッツォリーノ」さんのお店の一つ。
以前、訪れたことのある「ピッツッリア ラ ヴォルパイア」さんも、そのうちの一つでした。美味しいイタリアンレストランです。

LBバンドの皆様、今年もありがとうございました。
来年も宜しくお願いいたします。