弟は、ジャスコより少し行ったところに、小さな小さなアパートを借りることが出来ました。
つい先日までは大きな家におりましたのに、新婚時代よりも狭い間取りに、何をするにも何かをどかして、面倒な暮らしです。それでも避難所よりは良いそうで、みなが明るいから、私もグジグジするわけにはいきません。
疎開中の母とダンナの3人で、イザ気仙沼!
本日から、東北新幹線が全線開通になりました。
私達は、東京から一ノ関まで参ります。
一ノ関には弟が迎えに来てくれていました。
弟は、ジャスコの先の方に、小さなアパートを借りることが出来ました。
そこで、避難所である気仙沼中学校に、母の荷物を受け取りに行き、ついでに避難所を出る手続きをします。
避難所でお世話になった皆様、ありがとうございました。
皆様もどうぞ、お身体を大切に。
隣の気仙沼市民会館に避難中の叔母にも挨拶を。
母のお友達にも偶然出会いますと、「やせた」と母は言われていました。
気仙沼にいた時には、全身がむくんだようになっていましたのが、スッキリしたのだろうと思います。
弟が、大谷海岸まで車で行ってくれました。
エエエーーー!ここが大谷なのー?
松はなぎ倒され、砂場がない。
東京に避難している母は、お友達もいなくて、大変、寂しい日を過ごしています。
そこで、中野区の生涯学習について週末に調べてみました。
なかのスペースZEROに窓口があるので行って聞いてみます。
母は、目が少し不自由なので、本を読むとかお習字を書くとか、そういった事が困難です。
「着付け教室がいいかな」というので調べると、着物などを一式そろえなければならない。今、そんな余裕はありません。
お道具がいらなくて、細かい作業がないもの。限られます。
ヨガ、エアロビクス、ダンス、コーラス、、、
「お母さん、コーラスがいいんじゃないの?」
「歌へただから、やんた」
「口パクパクでダメ?」
「だーれ」
というので、ヨガ。
「普段着のままでいいですよ」と代表の方が電話で言ってくださいました。
「初回は体験レッスンで、無料でどうぞ」ありがとうございます!
朝、会場である「中野勤労福祉会館」に母を連れて行き、お願いしてきました。
夜、帰って様子を聞きますと、
「若い人ばりだった」そうで、母がいう「若い人」は60歳代ですけど。
70歳以上の方もいらっしゃると良いのですが、、、。
なかなか気分転換出来るものって、ないですわね〜。
母も少しずつ前向きになっています。
今日は、初めて一人で電車に乗りました。
といっても、新中野から新宿までの、ほんの3駅ですけど、ちょっとした冒険だったね、お母さん。
母は好奇心旺盛で、チャレンジ精神がありますから、それには助けられます。
母と同居が始まって1週間です。
それなりに、うまくやっております。
母は料理担当。
さまざまな工夫をしていて、野菜たっぷりの家庭料理にダンナは大変、喜んでおります。
でも、今日は、「外で食べましょうか」
新中野の「ボビさん」というインド料理のお店。
母はインド料理食べたことない。
好奇心旺盛な母ですからチャレンジするそうです。
「エー! これがカレーなの?」
食べられないかな?と思ったけど、意外にもナンに付けて食べてました。
好奇心旺盛なうちはボケないですよね。
東京にお友達がいなくて、日中は一人にしているものだから、ボケないかと心配をしています。
母と同居が始まって、家の中は気仙沼弁全開です!
ダンナは北海道出身で、共通する言葉もありますが、まったくわからない言葉もあるらしく、なんとなくニュアンスで付いてきているようではあります。
「あんだ、わがっかっぺ?」と母が言う。
「わがってってば」と娘が応える。
「っ」(小さな「つ」)が多いです。
これが実にリズミカルで、楽しい気仙沼弁。
TVで震災の被災者へのインタビューを聞いていますと、
陸前高田、気仙沼、南三陸町は、同じ言葉を使っていますね。
同じ宮城県でも、仙台と気仙沼弁は少し違うのです。
だから、仙台の人が気仙沼に着任すると「異国に来たみたい」と思うわけですが、
三陸地方は、同じ言葉を使って、同じような文化で生活をしていたなぁと、インタビューを見ていて気付きます。これに室根町も入りまして、一つの文化圏を構成しています。
なんか、その市町村が一つになった方が自然な気がしているのは、私だけではないようです。
これが宮城と岩手に分かれて復興していくとなると、色々と面倒もありましょうね。
とかなんとか、呑気な事を言ってる暇はありません。
復興に向けて、がんばるゾ!
どうやら、道路にはみ出て邪魔になった部分だけが壊されたらしい我が家ですが、甥っ子が見に参りますと、なんと1階にはカーテンがしかれていたそうで、なんともまぁ、こんな状況なのに、カーテンは残っているってのも妙な気分でございます。
取り壊し作業の方が、カーテンをしいてくださったのでしょうか。
2階のふすまは、先日までは残っていたけど、度重なる余震のせいで1つがなくなっていました。その奥に見えるのはお茶箱で、あのお茶箱の中には、亡くなった祖母の和服や衣類が入ったまま。
他人さまから見たらボロにしか見えないでしょうけれど、
家族には大切な思い出です。
この通り、左側に見える階段が壊れたしまったため、2階に上がれません。
それにしても、なんてまぁ、恥ずかしい状況の我が家でございます。
母が風邪気味で、鼻グズグズ、咳ゴホゴホしています。
避難所から横浜に移り住んで、さらに東京に来て、疲れが出たのでしょうか。
熱はないからいいかな〜とは思うが、年をとっているし、悪化させてもいけないと思って、内科に連れていきました。
なんか前に記事をチラリと見た気がして聞いてみますと、
「住宅が全半壊した者などに対しては、医療機関は患者から患者負担分を徴収せず」という措置がとられるそうで、母も医療費は負担して頂きました。無料で診て頂いたのです。ありがたいです。
幸い保険証は持ち歩いていたおかげで無事でした。
気仙沼の住所の書いてある保険証を提示出し、バリバリの気仙沼弁で「家もなぐなったし」と語ります。看護士さんや皆さんにも大変、良くして頂きました。ありがたいです。
ゆっくり寝れば治ると思うのですが、気が張っていて「眠くない」と頑張っています。
あ、でも今見たら、犬と一緒に寝てます〜w。
今晩のおかずは、かれいの煮付け、ひじきの煮物、キャベツのサラダ、それに漬け物やバナナのデザートまで付けて、これ全部、母が作ってくれました。目が不自由ですし、慣れない台所は使いにくいでしょうけど、母も頑張っています!
ダンナが「美味しい!」を連発して母を褒めるもんだから、俄然やる気になっています。
日中1人にして寂しいだろうと思いますが、もう少し、一緒にやってみようね、お母さん。