クリスマスイブの銀座・気仙沼復興市

用事があって銀座に参りまして、ついでといってはアレですけれど「銀座TSビル」の「銀座いきなり市場」に参りました。

この寒い中、齋藤さんが店頭(外)で呼び込みをしていました。
東京在住の方々がボランティアでコンシェルジュをしているのです。
店頭にただ並べられただけでは、その商品の意味や価値がわからないものも多いので、それを説明しているのです。

店内にいらしてる方々も、気仙沼商工会議所などからいらしている方々。皆が気仙沼復興のために頑張っています。

どうぞ、銀座にいらした時はお立ち寄りください。

三陸新報の今年の絵を描いたのは

気仙沼の地元新聞「三陸新報」は、毎月、「今月の絵」が紹介される。
カレンダーの絵としても1年、親しまれる。

今年の絵を提供されたのは、気仙沼サポートビューローでも活躍している尾形さんです。
尾形さんは、私の亡き叔父(母の弟)と同級生でした。
年をとってから絵を描き始めたとおっしゃるが、その腕前はなかなかどうして、すばらしい。

12月のサポートビューローの定例会の時にも、レッスン中の絵を持ってきて見せてくださった。
挑戦は続いていらっしゃる。

尾形画伯が描く「気仙沼を題材にした絵」を、気仙沼に常設出来たら嬉しいなぁと個人的に思っております。

プロフェッショナル仕事の流儀に畠山重篤さん

NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の「第170回 畠山重篤(2011年12月12日放送)それでも、海を信じている」を録画していたので、ゆっくり観た。

(再放送は、12/16(金)午前0時15分からあります)

畠山さんは気仙沼市唐桑町でカキの養殖を仕事にして50年。
森は海の恋人」という本を書いて、室根山に植樹運動を続けている。

私が子供のころ、私の実家は「カキ屋さん」と呼ばれた。
(今もご年配の方にお会いすると、そのように言われています)

所有する2艘の小舟で、畠山さんが働く舞根(もうね)地区にも、牡蠣の買い付けに行き、まだ小さかった私や弟はその舟に乗せてもらって、浜に行くのが大好きだった。特に弟は、毎日のように小舟に乗せてもらっていた。

実家では、他にタコの工場もあったし、ワカメは、父が全国わかめ会とかなんとかの会長を務めるなど熱心にやっていたのだが、周囲の認知として「カキ屋さん」と言われるのは、その牡蠣が美味しいと評判で「マルキの牡蠣は生で食べた」言ってくださる方がいらしたので、ああ、そうかと思ったり。それと、店頭に並んだ商品に大きく「マルキ」と屋号が出ていたので、皆さんがカキ屋さんと思ってくださったのだろうか。

それが番組の中でも紹介されたように昭和40年代、気仙沼湾に「赤潮」が大量発生し、赤潮プランクトンを食べて育った牡蠣は「血ガキ」と言われるように赤くなり、売れなくなってしまった。

その頃から、私の実家では牡蠣から主力商品をさんまに移行していくわけだが、(今も牡蠣も扱っているようです。震災前ね)畠山さんは「赤潮」が発生する理由を研究し、それから、大川の上流にある「室根山」に植樹を始めたわけです。

そのおかげで、気仙沼の牡蠣は、また昔通りの、もしかしたら、それ以上の品質となっています。

・・・が、そこに、この大震災。

ところが不思議ですね。
このような大津波の後は、牡蠣が急成長する、と畠山さんは昭和35年のチリ津波で経験しているのです。

なんと通常2年かかる成長が半年で出来てしまう。
ウッソー!ホント〜?

その記憶をたよりにとにかく、牡蠣いかだを組み、養殖を開始します。この日までに間に合わなければ、、、という、つなわたり的な日程をこなし、

そして!
奇跡の「今年の牡蠣」が築地に届きます。

私が1979年に上京した頃、東京では「牡蠣といえば広島」と言われました。今もそうかもしれません。

しかし、しかし、しかし、
三陸の牡蠣は本当に美味しいです。
プリップリですよ〜。

NPO法人 森は海の恋人」もチェックしてください。

気仙沼サポートビューローの社員総会

気仙沼を愛する皆さんと一緒に設立した「一般社団法人 気仙沼サポートビューロー」の社員総会が行われました。

と書きますと、なにやら、おおげさな感じがしますが、これまで数年来、活動してきた「気仙沼ビューロー」がこのたび、「一般社団法人」としての登記を行い、活動の場を広げていこうと進めているのです。ということで、メンバーはいつもの、心置きなく意見を述べられる皆様ですから、ワイワイ・ガヤガヤ。

あの大震災が発生し、私たちの担うべき役割も増えているに違いない、そんな熱き思いを持っています。

これまでの任意参加「いいがら、はまらいん」と言って増えたメンバーですが、(その気持ちはそのままに)これからは「会員」という立場で、年会費を募り、マジメに!計画を立てて、実行していく所存です。

そのための「活動内容」などを明文化しようと話し合いまして、その後は、今年最後の飲み会を、近くの、いつもの居酒屋で「お疲れさま〜」とやったわけです。

最近、若いメンバーが入ってくださり、さっそくに良いご提案。
前に進み始めています。ご興味のある方は、私宛に、このブログの「おい問合わせ」からご連絡ください。お待ちしています。

東京・関東にいても、私たちに出来る事はきっと・ある!

ハナちゃんにまけるな。

高橋書店」の高橋手帳のTV CMはご覧になりましたか?

「ハナちゃんにまけるな。」は、気仙沼のサッカー少女ハナちゃんが出演されています。
気仙沼そしてハナちゃん。
私の母校・気仙沼小学校、魚町のご近所。

YouTubeで見ることが出来ます。

「やってみよう」「元の気仙沼を見てもらいたいと思う」「出来るかどうかわからないけれどがんばってる」ハナちゃんの言葉です。ハナちゃんに勇気をいただきました。

ハナちゃんは、「気仙沼シャークス」という小学生サッカーチームのキャプテン。背番号7。フォワード。小学校6年生。震災後の6月に、同社の支援活動の一つとしてサッカー教室をサポートした際に、出会ったそうです。そこで出会った笑顔。ひたむきさ、それが心に残り、「日本に元気を届けたい」という広告の趣旨と合致したことで起用が決まったようです。

高橋手帳さん、ありがとうございます。

気仙沼コンシェルジュ

Facebookに「気仙沼concierge」というグループが出来ている。

銀座にオープンした「銀座いきなり市場」を盛り上げようという活動をしている。例えば、お店にいらしたお客様が困っているようであれば、コンシェルジュとして声を掛けたり、商品の説明をするなどを手伝おうということだ。

そして、本日は、気仙沼から東京に送り込まれ、店頭で働いている方々との交流会(という飲み会)が催され、参加させていただいた。

銀座ライオン。
なんと、20名以上でしょうか。
さまざまな方がいらしていて、大盛況でした。

はじめましての方も、気仙沼つながりで打ち解けて、ともに気仙沼の復興を思って飲んだのでございます。

銀座にお店を出しても「売れる」には大変なご苦労がおありだと思います。まして、ご自身も被災されている身としては、本当に大変ですね。こういうお手伝いを企画して実際に活動している皆さんにも頭が下がります。

帰り道、歩きながら話していたら、本日・最年少の大学生が、後輩の息子さんと知って、またまたビックリ。必ず、どこかでつながってる!

南気仙沼小学校のこと

三陸新報」という気仙沼の新聞を東京で購読している。

大震災の前日にたまたま定期購読の契約をしていた。契約した時には、まさか、このようなことになろうとは思わなかった。地元の情報を三陸新報によって得ている。

新聞代1,400円+送料1,000円、1ヶ月あたり2,400円。
半年か1年契約です。気仙沼以外の方もぜひ定期購読を。電子版もありますが、私は毎日届く新聞紙を楽しみにしています。定期購読のお問い合わせはこちらからどうぞ。

先日の一面には「南気仙沼小学校が気仙沼小学校に統合するかどうかについての懇談会が開かれた」という記事が掲載されている。これまで何度もこれに関する記事が掲載され、注目している。

南気仙沼小学校の誕生は、気仙沼小学校の火災によるものと記憶している。
ちょうど、私たちが入学する年の3月に気仙沼小学校が火災にあった。火災は夜だったか、朝だったか記憶は怪しいが、不審火だったような気がする。

その火災で、校舎一部を焼き付くし、私たちの年から、急遽、南気仙沼小学校が出来た。
そして、もし、今回の大震災にて「南小」がなくなるとするならば、火災によって誕生し、震災によって統合されてしまうという、悲しい運命をたどることになる。

弟の家は南小学区にあり、甥達は南小出身だ。
その地域は、被災が激しい一帯で、小学校も被災した。

南小出身の、中学の同級生らから話を聞くと、私達の代の間は、まだ校歌がなかったそうだ。6年間、校歌なしで過ごしたという話からも、急遽、出来たという感じわかる。そのためかどうかわからないが、私の同級生達の、南小の連帯感は強い。

それもそうだ。入学してから半年は、気仙沼小学校の中だったか外だったか、第2校舎などと呼ばれた古い校舎を仮の校舎として使っていた。そして、出来立ての南小にお引っ越し。真新しい校舎と、日本じゅうが高度成長期。これから何かが始まるという期待感、ワクワク感。そういったものが南小にはあったのかなと想像する。

現在の少子化の時代に、ただでさえ児童の数は減少していたのに、ここに大震災があり、家を失い、仮設に、アパートに、そして親戚宅に身を寄せている状況において、小学校の継続が難しいことは誰もが頭で理解している。

しかし、そこに心がついていくには時間がかかる。
これまで統合に反対してきた保護者から、初めて早期統合を求める声が出たようだ。そして今回の懇談会の論点では「児童の心のケア」や「統合時期」に絞り込まれたようだ。

自分たちの学校がなくなる寂しさ、喪失感は、私たちが通った女子高が、男子高に統合されてなくなってしまった経験を持つ者としては、なんとも切なく、色々なものを失ってしまった児童にとっては、どれほどの喪失感なのだろう?と悲しい気持ちになる。

でも、どうにもならないことが、世の中にはたくさん、ある。

関気会の忘年会2011

気仙沼中学校29回生の同級生のうち、関東に住んでる人達と「関気会」という会を結成して、会っている。いつも本当にありがとう。あなたたちのおかげで、私はいつも元気に楽しく生きているのです。

それで、ちょっと早いけど、忘年会です。

銀座の「塩梅」さんで、飲み放題があるというので集まりました。
お店の看板のところにサンタさん。そーかー、もうすぐクリスマスなんだなぁ。

気仙沼から、ムラクミも来てくれていて、2次会には、同級生の妹のマリコちゃんも参加されるとのこと。少しずつ輪が広がってるように思います。避難中のスダやユウジ君も今年は一緒です。彼らは気仙沼市内の仮設住宅に入れなくて、目黒区が用意してくださった避難施設に住んでいるのです。

飲み放題付きで2980円は安いですよね。ここは銀座。
デザートはこちら。これ、気仙沼では「甘太郎」という名前で出てました。

またまた昔話に花が咲きます。リヤカーで、団子やさんあったね、シラス売りもいた「シラス、よござりますか〜」だったね。八百屋さんも来たよ。

楽しい話をかかえて皆さんは二次会の会場へ。

私はというと、明日、フルマラソンを走るので、後ろ髪を引かれながら1次会にて退散です。悲しー。

これはジュンちゃんの手作りをプレゼントしてくださいました。
A4が入るサイズってにくいですよね。
ジュンちゃん、ありがとう!大切にします。

「関気会」と29回生の文字「廿九」も良いです〜。

第16回 SFC Open Research Forum 2011

慶應義塾大学SFC研究所は「オープンリサーチフォーラム(ORF)」という研究成果発表会を東京ミッドタウンで開催しました。開催テーマは「学問ノシンカ」。

「『新しい公共』の可能性」というセッションに気仙沼市長が出席されるそうで参加しました。

ミッドタウンのカンファレンス会場を貸し切っての発表会です。
なんといいますか、こういう場で発表出来るなんて、慶應の学生さん達は恵まれているというか、すばらしいですね。ここは都内でも立地条件はいいし、設備は良いし、それと比例して利用料金は高いです。社会人の我々もなかなか利用することが出来ません。

発表会は学生さんだけではなく、先生、そして気仙沼市長のようなゲストも交えてお話を聞くことが出来ます。
同時にネット配信しているようです。

残念ながら会場内は撮影が禁止されているため、写真はありません。
東京ミッドタウンは、セキュリティが厳しいのです。

「新しい公共の可能性」は、room5にて、13時〜14時半まで行われました。
ゲストは、(発表順に敬称略)
・松井孝治(参議院議員)
・菅原茂(気仙沼市長)
・吉富志津代(NPO法人多言語センターFACIL 理事長/大阪大学グローバルコラボレーションセンター 特任准教授)
・バンバン・ルディアント(和光大学教授)

司会は、島田美和(総合政策学部専任講師)
監修は、金子郁容(政策・メディア研究科教授)

私は、少し遅れて入りますと、松井氏が寄付金に対する控除が税制改正されたお話をされていました。
認定NPO法人や、公益法人に「災害地への寄附」をした場合は、税金が控除されるそうです。そのように政府も税を改正しているのだというお話。こういう話は案外と知らないもんです。マスコミの皆さんも、もっと大々的に報道して欲しいと思います。

そして、気仙沼市長です。
スライドの写真や映像は効果的でしたね。
階上中学校の卒業生の言葉は、私は何度も見ていますが、何度見ても胸にせまります。多くの方が涙されているようです。

そして、市長さんは、良い意味でも政治家というよりは、私たちの感覚に近いのではないでしょうか。正直ですよね。「市民の皆さんを不安にさせ、企業の方々には焦らせてしまった」と、とても誠実に話されていました。「そうなってしまった原因は、予算が確保出来ないため、半端な事を言うことが出来なかった」そうです。市長さんの真面目な面が垣間みれます。おだってないのです。「やっと第3次補正予算が決まり」これで、現実味のある話が展開出来るようです。やっと、やっと、やっとです。

吉富さんは、NPO法人として、マイノリティの方を支える活動をしているのだそうです。例えば災害ラジオ放送。気仙沼にはフィリピンの方も住んでいらっしゃいます。多くは、お嫁さんという立場のようです。その方々は、日本語で話して暮らしてはいるけれど、このような災害時には、やはり母国語で話し、聞きたい。そりゃそうですね。

そこで、タガログ語での放送をしているのだそうです。
そういう取り組みがあったこと、ちっとも存じませんでした。
今は、タガログ語だけではなく、日本語をまじえながら、そして、地元に花を植える運動などに発展しているそうです。

ルディアントさんはインドネシアのご出身だそうです。
インドネシアの災害は日本と似ているそうです。

毎年のように発生する洪水被害。
作っては流され、作っては流され。
そうするうちに「災害と共に」という考え方に変わって来ているそうです。

例えば、トイレを高台に作るといった工夫は市民から発案されたそうです。
インドネシアでは、「避難」に相当するような適切な言葉自体がないのだそうです。それでも「SMONG」という言葉が、逃げるを意味して、この言葉で皆さんが高台に避難しているそうです。

「災害に強い、安全な街作り」には多大な資金がかかるけれど、このような言葉を統一していきましょうといったお金がかからないことからでも、何か出来るのではないかと話された事が印象的です。

そして、スマトラ沖地震の際には、日本から「何に使ってもよい」という140億円以上の寄附があって、大変ありがたかったとのこと。私たちは、共に助け合って生きているのですね。

たまたまお隣の席に「気中20+PLUS」さんがご夫妻でお見えになっていました。
奥様は、市長さんと同級生だそうです。
奥様のお宅は、私の実家(魚町)からすぐ近くの南町だそうで、きっと同じ場所で遊んで過ごしていますよね。

私たち、東京(関東)に住む者が、どのように支援し続けられるのだろうか。
お金には限りがある。
東京にいると、何度も気仙沼に帰ることは難しい。
そのような中で、何かをつかみたくて私は参加しました。皆さん、同じ思いです。

さて、慶応義塾大学と気仙沼。今回の災害での結びつきは、たまたま慶應に通う清水君という学生さんが気仙沼出身ということから始まりました。その清水君は、私の同級生の節子さんの息子さんです。ご主人も同級生。そのお父さんの方の清水さんにも会場内でお会いしました。私達50歳代、次にちゃんとバトンを渡すためにも頑張りましょうね。

それにしても市長さん、清水さん、そして皆様、健康に注意してくださいね。
ちゃんと休みも取ってくださいね。

AUGM、気仙沼で出来たら!

AUGMってご存知ですか?
「Apple User Group Meeting」の略で、全国各地でMacユーザが集まるイベントを開催しています。

東京にはAUGM東京があります。

九州地区は、とても熱い会が繰り広げられています。
これは有志の皆さんが開催しているボランティアのイベントなんです。

その気仙沼版をやろうという思いで、突っ走りそうです。
誰か、止めて〜。
やっぱ、止めないで〜(^ー^)。

気仙沼近郊にお住まいのMacユーザの皆様、iPhone、iPadユーザの皆様、それが気仙沼で開催されたら嬉しいっちゃね!?

やってみましょう。やってみっぺ。
わー、ワクワクするわぁ〜。