おかげさまで母は退院しました

昨日、母が40日ぶりに退院いたしました。
アパートの部屋でころんで骨折したのが3/18。

ころんだ記憶が何もないというので、脳の検査を受けたり、糖尿病の検査なども受けてからの手術。
弟と弟の嫁にお世話になりっぱなしでございます。

骨折直後の電話の声は、母とは思えぬほどの弱々しさで、こちらが驚くほどでした。

それでも手術が終了して歩けるようになると、お友達になった皆様と一緒に病院内を歩くなどして、足腰の強化に努めたようです。

母の年齢の皆様は子供の頃に戦争があって、それから日本じゅうが豊かになっていって、それなのに、ドボンと大震災の中に転げ落ちてしまい精神的にも参ってる方は多いです。母は気丈にしていますが、それでも今回の怪我には相当参っているでしょう。

遠くにいる娘は何もしてあげられずに申し訳ない思いでいっぱいです。

気仙沼を元気にする会・補足

「気仙沼を元気にする会」復興フォーラム「海と生きる」には、まだまだ書きたいことがたくさんあります。

まず「海と生きる」の言葉、これいいでしょう?

これは、気仙沼の復興のキャッチコピーだそうです。
気仙沼に生きるということは、「海と生きる」ということだという明確なメッセージ。
復興の決意を感じます。

市長さんのプレゼンは、皆さんをひきつけ、聞き入りました。

なぜ、復興が進まないのか?
防潮堤に対する市長の考え、鹿折に打上ったままの大型船をその後どのようにしたらいいのか、残すのか、撤去するのか?それに対する市長の考え、その難しさ。そして、「津波による死者ゼロを目指す」という明確なメッセージ。

これらが、気仙沼在住の市民の皆さんにもちゃんと伝わるといいですね。

市長は、私と同じ魚町の出身です。
その思いたるや、根っこある部分は同じであるように思います。
難しい局面に市長になったのは、市長の運命なのでしょうね。

東京組も応援しています。

東日本大震災 復興 箱根駅伝

「東日本大震災 復興 箱根駅伝」を行うと、4/10の三陸新報で読みまして、主催者の小野寺さんに電話しました。
私も走らせていただけないでしょうか。

「どうぞ、どうぞ」と快く応じてくださり、ダンナも一緒に参加させて頂くことになりました。

3時に大手町の旧読売本社前に集合です。

エ?3時って、夜中でしょうか?
そうです。4時にスタートすっからね。
ハ・ハイ。

さて、どうやって大手町に3時にたどり着きましょうか。
早めに行って、ネカフェで時間つぶす?
タクシー使っていく?

イエイエ、走っていくことにしました。
調べると9.5km程度。アップジョグにちょうどいいかな?

真夜中の「靖国神社」前。イエーイ。
気分は観光ランです。

ところで、「旧読売本社」って、Google Mapで調べても出ていないのです。
ネット検索して、「ここがスタート地点」という場所に向かいます。
ここでいいのかなー?
バスはいません。

電話で連絡すると「近くにはいるんだげんと、今、場所を探している」とのこと。
やはり、地図にないので、わかりにくいようです。

読売本社は、現在、工事中でした。
その大きな敷地の、どこがスタート地点なんでしょう。

そうこうするうちに、さまよっているバスを発見し、乗せて頂き、一緒に、あっちかな?こっちかな?
オオ、ここだ、ここだ!

スタートテープを地面に張り、小野寺さんが注意事項などを説明してくださいました。
がんばって完走するゾ!

第1走者さん。
タスキには、あの大津波で亡くなった仲間の写真を付けて走ります。

ご葬儀で小野寺さんが「箱根に連れて行く」と誓ったそうです。それが本日のランにつながったとか。

タスキの背中部分には、「ご支援ありがとうございます」の文字。
感謝ランでもあります。

このバスに乗って、並走します。
バスの中ではランの話、大津波の話、今、仮設にいるという方も。

ほとんどの方が、三陸新報、河北新報といった地元の新聞を見て、電話して参加したとか。私もそうです。
神戸の方は読売新聞をご覧になっての参加だそうです。

気仙沼、南三陸、大船渡、仙台、神戸、埼玉、東京、栃木。
さまざまなところから駆けつけて、箱根を走る。すごい企画です。

中継地点では、みんなでこのようにしてお出迎え。

「鶴見中継所」では「箱根駅伝像」の前でパチリ。

本日のイベントが読売新聞(全国版)にも紹介されたそうです。

その記事を読んだという方が、たまたまバス停にいらして、「ああ、あの記事の、そう〜」と応援してくださいました。
ありがとうございます。

ダンナも頑張っています。
4区の、茅ヶ崎の辺り、海がきれいに見えるところ7.6kmほどを走らせて頂きました。
気合い入ってます。

無事にタスキがつながりました。

大満足!

私は、小田原中継所の手前4.4kmを走ります。

最初の予定では、山の2.2kmだったのですが、欠席の方がいらして、急遽、予定が変わりました。
後から思えば、山でなくて良かった。
車で走っていても、あの山は本当にきついです。

私の前の方は、ラン初心者さんで2.2kmを駆け抜けました。
気仙沼の方です。
いま、タスキを待ってます。

なんとか無事にタスキをつなぎ、私の後からは、いよいよ5区。
予定が変更になり、山は、若者が走ってくださることになりました。

仙台の現役高校生、陸上部の姉妹。速い。
大学卒業して、まだ間もない社会人。先日のかすみがうらフルで3位になったという若者。
第1走者もこなした南三陸町、元陸上部の女性。

若いパワー炸裂で、山を駆け抜けました。若者たち、ありがとう。

そうして、最後の最後は、主催者の小野寺さんがゴール目指します。
すると、「走りたい人はみんなで走ろう」と言ってくださいました。

最後の最後は、少しだけ上った後は下りです。
行きましょう!

しかし、、、あいにくの雨が降って来ました。
持参したカッパ着て、みんなでゴー。

芦ノ湖が見えてからも、さらに進むのですね。
5区のランナーって、これをたった一人で走るんですか。
これは大変なコースですわ。

私は、先頭集団から置いていかれて一人旅に。
なんと、ダンナは先頭集団にくらいついてます。

そして、最後の角を曲がってゴール。
ゴールには、応援の方や、たまたま、そこに居合わせた皆さん、そして読売新聞の記者さんらが迎えてくださいました。

雨の中、ありがとうございます!
「箱根(往路)」完走です!

用意してくださった「完走賞」と「タスキのレプリカ」が参加賞です。ありがとうございます。

それから、「箱根小涌園ユネッサン」に移動してお風呂です。
あ〜あ、スッキリした。疲れもとれます。

バスの皆さんは、御殿場に抜けて東名高速で帰るそうなので、私とダンナはここでお別れをしまして、小田原行きのバスに乗りました。
小田原で、2人で祝杯をあげてからの帰宅です。

長い長い一日でした。
とても充実した日になりました。

ありがとうございました。

気仙沼を元気にする会・復興フォーラム「海と生きる」

気仙沼を元気にする会・復興フォーラム「海と生きる」を開催いたしました。

実行委員長を務めています。
実行委員長よりも、スタッフの皆さんがこの会を作り上げてくださいました。
企画から当日の運営まで若い皆様には本当にありがとうございます。

おかげさまで、日本青年館ホテルで行われた「勉強会」には、10時開催という時間帯にも関わらず、200名近い方々がお集りくださいました。

今回は、気仙沼出身者だけではなく、思いを寄せてくださる多くの方が集まって頂きまして、ボランティアで現地に行った学生さんも多くいらっしゃいました。心強いです。ありがたいです。

本日は、気仙沼市長にお越しいただきまして、「気仙沼市の復興計画」について話していただきました。
この企画に快く応じてくださった市長さんには、本当に感謝でいっぱいです。お忙しいところ、ありがとうございます。

こちらは、最初の私の挨拶。
お隣に座っていらっしゃるのは市長さん。

市長さんのプレゼンテーションは本当にすばらしいものでした。
なぜ「かさ上げ」が始まらない?
どうして、「高台移転」が進まない?

それらには、様々な困難なことがありました。
市長さんは、わかりやすい言葉で、PowetPointで図を表示して、より伝わりやすく話してくださいました。

国には、相変わらずの「縦割り」があって進まず、そして「税金は個人のものに使ってはいけない」という大前提が様々なことが進まない理由であることがわかりました。

このような大震災で大きな被害を、広大な領域に渡って受けているにも関わらず、平時の時の決まり事を切り崩せないって、いったいどういう事でしょう。

そんな状態と市は戦っているのです。
地元の皆さんには、歯がゆい事も多いでしょうけれど、市長さんのこの説明が、市民の皆さんにもきちんと伝わるといいですね。

それでも、昨年の9月頃までは、市民の声を十分には聞けなかったと反省もしてらっしゃいました。
そのように「反省」して「前に進む」点などは、これまでの方とは違うのではないでしょうか。
それでも、実際に動く「市の職員」さんが不足してもいるのでしょう。

そんな中にあって「復興庁」が出来たことは大きなことだと話していました。
そういった「縦割り」を切り崩していって欲しいです。

市長さんが、東京で説明をしてくださったのは、「最後にお願いがあります」と、ここを伝えたいのだとわかります。

気仙沼の外からの支援、特にソフト面での協力、そういったお願いをしていました。

気仙沼の内外から復興はしていくものだと改めて思った次第です。

それにしても、市長さんになってすぐに震災が起きて、「気仙沼の復興のために市長さんになった」ような運命を感じます。人にはそれぞれ持って生まれた運命があるのでしょうか。

東京組も出来ることを探して、少しずつ動いています。

企業の方や、ボランティアの方の「活動報告」をして頂きました。

今日の司会を務めてくださったのは、この「勉強会」の発案者である斎藤さんです。
三陸新報さんの「故郷永久(ふるさととわ)」の販売まで、様々なアイディアありがとうございます。

場所は変えての「懇親会」にも大勢の方が残ってくださいました。ありがとうございます。
この会の運営の母体でもあります「気仙沼サポートビューロー」代表理事の畠山さんの挨拶は感動です。

特に市長さんの同級生の皆さんが大勢いらしていて、同級生の中での市長さんの笑顔はまた別ものですね。

私は被災地が忘れ去られないように、伝え続けたいと思います。
本日は本当にありがとうございました。

気仙沼サポートビューロー(KSB)定例会

「気仙沼サポートビューロー(KSB)」の定例会が飯田橋のルノアールの会議室で行われました。

21(土)に開催される「復興フォーラム」の詳細などを話し合い、
また、本当は昨年、行く予定にしていた「徳仙丈つつじツアー」の事を話し合い、

そしてまた、これからの計画や秋の懇親会などを話し合い、
結構、年内もいっぱいですね!

2次会はいつもの居酒屋さんがいっぱいのため、近くの沖縄料理店「島」に参りました。

混んでる!と思いましたら、階段を降りた地下がありまして、そちらに通して頂きました。

ミミガー

もつ煮込み

投稿記事 @三陸新報

そうそう、先日の三陸新報さんに、私が書いた投稿記事「気仙沼追悼ラン&ウォーク2012」が掲載されまして、それを気仙沼に住む知人が送ってくださいました。ありがとうございます。

こちらにも掲載いたします。
地元の方に、感謝の気持ちを伝えたくて書きました。

(クリックすると拡大表示になります)

さんま炊く

気仙沼では「さんま」を煮る時に「煮る」ではなくて「炊く」と言います。

「今日、おらいで、さんま炊いだがらっさ、あんだぁ、持ってがいん」
(今日は、我が家ではさんまの煮付けを作ったんですよ。よろしければ、お持ちください)

斉吉さんの「金のさんま」は、本にも紹介されたように、気仙沼の家庭の味です。
どちらのお宅でも「さんまを炊いて」おかずにします。

「おかみのさんま」に書いてあるように特別なものではないので、私は申し訳ないことに「金のさんま」は買ったことがなかったのです。

それが被災地ファンドに入って、届いたのが「金のさんま」。
それで初めて食べました。

美味しい〜(^ー^)。

それは家庭とプロの違いです。

卵焼きだって、ラーメンだって、うどんだって、家の味とプロの味は圧倒的な違いがありますが、「金のさんま」もそうです。

家では、ちょっと醤油がきつくなってしまったり、仕舞いにはゴダゴダどなってしまったり(煮詰まって形がくずれていきます)。

それが「金のさんま」は品の良いお味で、形も整っていて、これはプロの技。
そして湯煎しただけで、サクっと食卓に並べられるのが簡単で助かります。

「さんま炊く」のが、どうして気仙沼の家庭の味になったかは、「おかみのさんま」に詳しく紹介されてます。
三陸沖でとれたさんまは、このようにして食べるのもまた美味しいという先人の知恵。

気仙沼では、他にも「さんまのみりん干し」など、さんまを材料にした様々な商品があります。
斉吉さんの「さんま笹寿司」も美味しい。

少しずつ会社が復活をしていますから、この秋には、様々な楽しみ方をご紹介したいです。

読書:おかみのさんま(読み終えて)

おかみのさんま 気仙沼を生き抜く魚問屋3代目・斉藤和枝の記録」斉藤和枝・著。

以前、店頭で購入してすぐにアップしたこちらの本。
今日は読み終えた感想など。

これね、ホントにホントに、何と表現していいかわからないほどの良い本です。
気仙沼にご興味のある方は、必ず読んで欲しい(^ー^)。

斉吉商店の3代目として生まれた著者。
その葛藤、しかし運命。

ところで、気仙沼の魚はなぜ美味しいのか、気仙沼の魚のどういった点が特徴なのか。
さんまは北海道でも捕れますが、三陸沖で捕れたものがどう美味しいのか。

気仙沼出身でも知らない事が、わかりやすい言葉で書かれていて、なるほど、なるほどと理解を深めました。

また、気仙沼でいうところの「廻船問屋」とはどのような役割であるのか、漁港がいかに様々な業種が支え合って栄えてきたのか。

斉吉さんが問屋から加工食品を扱う会社に変革を遂げようとする際の、並々ならぬ努力。
ご主人がお婿さんに入って頂くことになったご苦労。
どのページをめくっても、ギッシリと良いお話が詰まっています。

そして、あの大震災。
家も工場も全てを流されてしまい、途方に暮れつつ、次に向かう姿はテレビで見ていても感動を覚えました。

それ以上に著者の言葉で綴られた言葉には、何倍もの感動が詰まっています。

ぜひぜひ、お手にとってご覧ください。
すごい本です。ホントに。

そして、気仙沼にこのような人達がいるということが誇りでございます。

気仙沼の情報をいくつか

東京に住んでおりますが、気仙沼の地方新聞「三陸新報」を購読しています。
気になる記事をいくつか。

気仙沼小学校の避難所ではじまった「ファイト新聞」は避難所閉鎖とともに終了となりましたが、「1周年号」という復刊を決め、月1回ペースで制作を続けていくことにしたそうです。
また、保護者らによる「一般社団法人ファイト新聞社」が立ち上がったそうで、今後の活躍をお祈りします。

早稲田大学は、4月から気仙沼の戻りガツオをテーマにした講座「震災復興のまちづくり」を開き、年間を通した授業を行い、気仙沼にも遠征するそうです。戻りガツオのブランド力アップを考えるそうです。記事によると気仙沼市と早稲田大学は震災前からまちづくりを通じて交流があったとのことです。

また、「日経新聞」によりますと、
東京海洋大学は、気仙沼市と包括連携協定を結んだそうです。
気仙沼市内にサテライトオフィスを設置し、水産物の流通や販売方法を研究するほか、人材育成や街づくりで協力することで復興を支援するそうです。

東京都江戸川区は、土木・建築職員を気仙沼市に派遣するそうです。
4月から1年間、気仙沼市に江戸川区職員を9名(土木や建築を中心に専門技術を持った職員)を派遣し、復興に伴う新たなまちづくりのための応援をするそうです。

いま被災地の人口の流出が止まらない中で、このような支援をしてくださることは、大変にありがたいことです。

第1回 KSB復興フォーラム

気仙沼サポートビューローが企画したKSB復興フォーラムの第1回が、飯田橋のルノアール会議室で行われました。

第1回 KSB復興フォーラム
「海と生きる」 ― 気仙沼市復興計画の概要

講師は、気仙沼市震災復興市民委員会委員の武山氏。
「気仙沼市復興計画の概要と市民委員会における議論の経緯」

市民委員は気仙沼内外の若手で構成されたグループで、気仙沼の皆さんは自身が被災された中、そして、東京からは何度も気仙沼に通って、勉強しながら計画をまとめたそうです。

それが形になって、明日、気仙沼市で配布されるそうです。
小学生にもわかるようにと配慮がなされた資料です。わかりやすい!

その資料を私たちにも配布いただきまして「18出来たプロジェクト」について、説明頂きました。
とてもわかりやすく説明いただいて、気仙沼市と災復興市民委員会が向かおうとしている方向が見えたように思います。

ただ、とても大きな問題については「国や県との調整」があったり、財政をどうするかなどの難題を抱えていて、明確には出来ない部分も多いようです。

つまり「まだ方向性も見えない」部分も、そういう状態であるということが見えたという感じでしょうか。

また、市の職員の不足で、一人で大きな仕事を抱えていらっしゃることもわかりました。

プロジェクトによっては関東地方からも応援出来るかもしれません。
拝見しますと「福祉」の面では核となる人材が不足していて盛り込めていないようです。プロジェクトは18に限定するわけではなく、足りないものは追加していくそうです。

我々も、なにがしかのお手伝いが出来るといいのですが。
その窓口的な役割も必要ですよね。

二次会で入った「白木屋」さんには「復興」のメニューがあって、気仙沼「男山」のお酒もありました。

もちろん、みんなで飲みましょう(^ー^)v。