気仙沼の老舗「割烹 世界」さんは、被災してしまいましたが、仮設の店舗で営業を再開しています。
お店のお嬢さんが作っているもので「畳のへり」を利用しているそうです。
店内に入るとここが仮設であることを忘れるような造りになっていました。
私達は椅子席を(14席)を貸し切りにしまして、部屋の隅にはこのように飾られていました。
気仙沼の老舗「割烹 世界」さんは、被災してしまいましたが、仮設の店舗で営業を再開しています。
お店のお嬢さんが作っているもので「畳のへり」を利用しているそうです。
店内に入るとここが仮設であることを忘れるような造りになっていました。
私達は椅子席を(14席)を貸し切りにしまして、部屋の隅にはこのように飾られていました。
気仙沼には「徳仙丈(とくせんじょう)」という山があります。
標高711m。
平成の大合併前は、気仙沼市と本吉町の間にあった山です。
ここの「つつじ」が大変に見事だというので、気仙沼サポートビューロー(KSB)の皆さんと「行ってみよう!」と話し合っていたのは、もう一昨年の話。
それで、昨年の5月に「行きましょう」と言っていたのが、あの大震災でそれどころではなくなりました。
今年もどうかな?と話していましたが、私達が訪れることで、少しでも気仙沼に活気が出れば、、、なんて、自分勝手で申し訳ないですが、そういう気持ちもありまして、「エエイ!行きましょう!」
徳仙丈つつじツアーです!
ツアーというと大げさですが、みな気仙沼出身ですから、宿泊も実家に泊まる方も多く、このような計画です。
一ノ関駅の「東口」で待ち合わせて、
貸切マイクロバス(気仙沼市古町の「大上観光」さんにお願いしました)に乗って、徳仙丈へ。
山でお弁当を頂いて、
バスは気仙沼、南町へ。
宿泊は、実家や親戚がある方はそちらへ。
宿泊がない方には、魚町「大鍋屋」さんへ。
ツアーというほどのものでもございませんが、ほとんどが「徳仙丈はじめて!」というので、遠足気分でございます。
骨折入院で、ちょっと気弱になっている母も誘いました。
大上観光さんのバスに乗って、一ノ関で合流です。
すっかり気落ちしている母は、最初は「行かない」なんてゴネましたけど、そのうちに母もウキウキしてきて、結果的には一番テンションが高かったようなw。
「徳仙丈のつつじ」は本当にすばらしいです。
こちらは、佐々木梅吉さんという方が、農作業の後に山に入って、つつじのメンテナンスをすることで、このように見事な名所に育てたそうです。
つうじは実に50万本と言われています。
第2展望台には椅子がありましたので、こちらでお弁当を頂くことにしました。
こちらは豪華「宮登(みやのぼり)」さんのお弁当。
急遽、人数が増えたために豪華「割烹 世界」さんのお弁当も。
母は目が不自由で杖をついていますが、足は丈夫です。
頂上まで行ってみる?
そして気仙沼も。この景色、とてもカメラには収まりきらない。すばらしい絶景!
頂上はまだ満開ではありませんでした。
ここが満開になると、山じゅうが真っ赤になるそうです。
これほどにすばらしい徳仙丈!
ぜひ、全国の皆様にも訪れて欲しいと思いました。
「徳仙丈山のつつじ開花情報」をご参考になさってください。
この後は、気仙沼市街地に向かいます。
被害が大きかった松岩や内ノ脇を通っていただきました。
そして鹿折の大型船の前を通って、大鍋屋さんへ。
大鍋屋さんで一息ついた後は、本日の打ち上げ会場に参ります。
南町紫市場の「割烹 世界」さんへ、さぁ、参りましょう。
「気仙沼サポートビューロー(KSB)」の定例会が飯田橋のルノアールの会議室で行われました。
4/21に開催した「復興フォーラム」の勉強会「海と生きる」の反省会などがテーマです。
それから、今後の活動についても。
色々な意見が出て2時間では足りないほどでした。
私も、色々なやりたい事はある。
けれど、本業もある。
どの程度、「時間とそしてお金を使えるか」は人それぞれ異なります。
そういう中で会の方向性をまとめていくのは難しいものです。
それでも、手探りで一歩ずつ前に進んでいると思います。
この活動にご興味がある方は「お問い合わせ」からご連絡ください。お待ちしています。
母と一ノ関駅にて待ち合わせて、これから「矢びつ温泉 瑞泉閣」に参ります。
ホテルのお迎えのバスに乗りました。
母は、骨折して手術していたので心配していましたが、思いのほか元気で安堵しました。
一ノ関からバスで30分ほどかかりましょうか?
ホテルに行く途中でバスが留まり、団体で申し込んでいる方々が続々と降りています。
運転手さんが、「4時10分でーす」と言ってます。
どうやら途中下車して観光をされるようです。
母が、「降りられるんですか?」とたずねると、
「いいですよ」とのこと。
私どもも便乗することにいたしました。
母が言うには、「ここまでなかなか来れないから」と。
大きな荷物は、そのままホテルに届けて頂くことに。
対応してくださったホテルの方に感謝いたします。
そこは「厳美渓(げんびけい)」でした。
私は「猊鼻渓(げいびけい)」には行ったことがありますが、こちらは初めてです。
「仙台藩主・伊達政宗公が、「松島と厳美がわが領地の二大景勝地なり」と自慢しては、度々この地を訪れました。」とあるように、その眺めはすばらしい。
母は、父が病気をする少し前に、父の運転で連れて来てもらったのだそうです。
私の家族が家族旅行したという思い出は、子供の時にただ一度、仙台の「八木山動物園」に行った、それだけです。
高度成長期に、どちらのご家庭もそうだと思いますが、両親ともに忙しすぎた。
父は65歳の時に病気で倒れましたが、60歳を過ぎたころでしょうか、母を連れてドライブに行くようになりました。
母の「父との楽しい思い出」はその頃に集約されています。
厳美渓には、TVでも放映されたことがありますが、有名なおだんご屋さんがあります。
澤のこちら側で、このザルにお金を入れて、「ポンポン」と合図を送ると、団子とお茶がカゴで到着するという、なんとものどかです。
ドレ、私どももやってみました。
お団子は400円でお茶もついています。
3つのお団子が入っていて、美味しいです!
それからガラス工房(無料で入れます)でひとしきり遊び、母に「母の日のプレゼント」風鈴を買って、お迎えのバスに乗りました。
おもいのほか楽しい思い出が出来て良かったです。
「瑞泉閣」は一ノ関にありますが、気仙沼の方が創業したそうです。
母は、婦人会などで日帰りでは来たことがあったけれど、宿泊は初めてとな。
すばらしい料理の数々に、母はおもわず「これ4人前じゃないの? 席を間違えてるんじゃないの?」と言うほどです。
温泉もとても良くて、疲れが癒されました。
母の骨折も早く良くなるといいのですが。
少しでも、気晴らしになったでしょうか。
気仙沼にはおもしろいお店がいろいろあって、中でもSharks(シャークス)さん。南町の紫市場にございます。
こちらをご覧ください。
■三陸新報4/15(日)の記事によると、気仙沼図書館ではiPadの貸し出しを開始したそうです。
iPadが電子書籍の媒体として注目されていることから、気仙沼図書館では「使い方を覚え、生涯学習のために役立ててもらいたい」と話しているそうです。
これはおそらくは、3/30付け三陸新報の記事にあった「東京のトレンドマイクロ社がiPadを10台寄贈」のiPadの活用と思います。
トレンドマイクロ社の「スマイル・プロジェクト」にも記事が掲載されています。
このプロジェクトは「1製品をご購入につき、10円を東日本大震災の復興支援に役立てます。」という取り組みで、昨年7月にもパソコン60台を気仙沼市に寄贈しているそうです。
■魚町「亀山精肉店」さんが南町紫市場で営業を始めた記事も出てました。うちの近所で、子供の頃はいつもお使いに行ってましたから、再開は嬉しいです。
■「気仙沼市立学校長会」は「震災の記録を後世に」残すために「被災から前進するために」を発刊。
学校ごとの被災状況、学校再開に向けた取り組み、展望などを掲載しているそうです。1000部を作成し、市内の学校、関係機関に配布するそうです。
■三陸新報4/25(水)の記事によると、気仙沼のがれき処理業務は大成建設JVが候補に選ばれたそうです。ネットで検索すると、河北新報社netにも記事が出てました。今年は一気に復旧・復興が進むといいですね。
昨日、母が40日ぶりに退院いたしました。
アパートの部屋でころんで骨折したのが3/18。
ころんだ記憶が何もないというので、脳の検査を受けたり、糖尿病の検査なども受けてからの手術。
弟と弟の嫁にお世話になりっぱなしでございます。
骨折直後の電話の声は、母とは思えぬほどの弱々しさで、こちらが驚くほどでした。
それでも手術が終了して歩けるようになると、お友達になった皆様と一緒に病院内を歩くなどして、足腰の強化に努めたようです。
母の年齢の皆様は子供の頃に戦争があって、それから日本じゅうが豊かになっていって、それなのに、ドボンと大震災の中に転げ落ちてしまい精神的にも参ってる方は多いです。母は気丈にしていますが、それでも今回の怪我には相当参っているでしょう。
遠くにいる娘は何もしてあげられずに申し訳ない思いでいっぱいです。
「気仙沼を元気にする会」復興フォーラム「海と生きる」には、まだまだ書きたいことがたくさんあります。
まず「海と生きる」の言葉、これいいでしょう?
これは、気仙沼の復興のキャッチコピーだそうです。
気仙沼に生きるということは、「海と生きる」ということだという明確なメッセージ。
復興の決意を感じます。
市長さんのプレゼンは、皆さんをひきつけ、聞き入りました。
なぜ、復興が進まないのか?
防潮堤に対する市長の考え、鹿折に打上ったままの大型船をその後どのようにしたらいいのか、残すのか、撤去するのか?それに対する市長の考え、その難しさ。そして、「津波による死者ゼロを目指す」という明確なメッセージ。
これらが、気仙沼在住の市民の皆さんにもちゃんと伝わるといいですね。
市長は、私と同じ魚町の出身です。
その思いたるや、根っこある部分は同じであるように思います。
難しい局面に市長になったのは、市長の運命なのでしょうね。
東京組も応援しています。
「東日本大震災 復興 箱根駅伝」を行うと、4/10の三陸新報で読みまして、主催者の小野寺さんに電話しました。
私も走らせていただけないでしょうか。
「どうぞ、どうぞ」と快く応じてくださり、ダンナも一緒に参加させて頂くことになりました。
3時に大手町の旧読売本社前に集合です。
エ?3時って、夜中でしょうか?
そうです。4時にスタートすっからね。
ハ・ハイ。
さて、どうやって大手町に3時にたどり着きましょうか。
早めに行って、ネカフェで時間つぶす?
タクシー使っていく?
イエイエ、走っていくことにしました。
調べると9.5km程度。アップジョグにちょうどいいかな?
ところで、「旧読売本社」って、Google Mapで調べても出ていないのです。
ネット検索して、「ここがスタート地点」という場所に向かいます。
ここでいいのかなー?
バスはいません。
電話で連絡すると「近くにはいるんだげんと、今、場所を探している」とのこと。
やはり、地図にないので、わかりにくいようです。
読売本社は、現在、工事中でした。
その大きな敷地の、どこがスタート地点なんでしょう。
そうこうするうちに、さまよっているバスを発見し、乗せて頂き、一緒に、あっちかな?こっちかな?
オオ、ここだ、ここだ!
スタートテープを地面に張り、小野寺さんが注意事項などを説明してくださいました。
がんばって完走するゾ!
第1走者さん。
タスキには、あの大津波で亡くなった仲間の写真を付けて走ります。
ご葬儀で小野寺さんが「箱根に連れて行く」と誓ったそうです。それが本日のランにつながったとか。
タスキの背中部分には、「ご支援ありがとうございます」の文字。
感謝ランでもあります。
このバスに乗って、並走します。
バスの中ではランの話、大津波の話、今、仮設にいるという方も。
ほとんどの方が、三陸新報、河北新報といった地元の新聞を見て、電話して参加したとか。私もそうです。
神戸の方は読売新聞をご覧になっての参加だそうです。
気仙沼、南三陸、大船渡、仙台、神戸、埼玉、東京、栃木。
さまざまなところから駆けつけて、箱根を走る。すごい企画です。
その記事を読んだという方が、たまたまバス停にいらして、「ああ、あの記事の、そう〜」と応援してくださいました。
ありがとうございます。
ダンナも頑張っています。
4区の、茅ヶ崎の辺り、海がきれいに見えるところ7.6kmほどを走らせて頂きました。
気合い入ってます。
最初の予定では、山の2.2kmだったのですが、欠席の方がいらして、急遽、予定が変わりました。
後から思えば、山でなくて良かった。
車で走っていても、あの山は本当にきついです。
私の前の方は、ラン初心者さんで2.2kmを駆け抜けました。
気仙沼の方です。
いま、タスキを待ってます。
なんとか無事にタスキをつなぎ、私の後からは、いよいよ5区。
予定が変更になり、山は、若者が走ってくださることになりました。
仙台の現役高校生、陸上部の姉妹。速い。
大学卒業して、まだ間もない社会人。先日のかすみがうらフルで3位になったという若者。
第1走者もこなした南三陸町、元陸上部の女性。
若いパワー炸裂で、山を駆け抜けました。若者たち、ありがとう。
そうして、最後の最後は、主催者の小野寺さんがゴール目指します。
すると、「走りたい人はみんなで走ろう」と言ってくださいました。
最後の最後は、少しだけ上った後は下りです。
行きましょう!
しかし、、、あいにくの雨が降って来ました。
持参したカッパ着て、みんなでゴー。
芦ノ湖が見えてからも、さらに進むのですね。
5区のランナーって、これをたった一人で走るんですか。
これは大変なコースですわ。
私は、先頭集団から置いていかれて一人旅に。
なんと、ダンナは先頭集団にくらいついてます。
そして、最後の角を曲がってゴール。
ゴールには、応援の方や、たまたま、そこに居合わせた皆さん、そして読売新聞の記者さんらが迎えてくださいました。
雨の中、ありがとうございます!
「箱根(往路)」完走です!
用意してくださった「完走賞」と「タスキのレプリカ」が参加賞です。ありがとうございます。
それから、「箱根小涌園ユネッサン」に移動してお風呂です。
あ〜あ、スッキリした。疲れもとれます。
バスの皆さんは、御殿場に抜けて東名高速で帰るそうなので、私とダンナはここでお別れをしまして、小田原行きのバスに乗りました。
小田原で、2人で祝杯をあげてからの帰宅です。
長い長い一日でした。
とても充実した日になりました。
ありがとうございました。
気仙沼を元気にする会・復興フォーラム「海と生きる」を開催いたしました。
実行委員長を務めています。
実行委員長よりも、スタッフの皆さんがこの会を作り上げてくださいました。
企画から当日の運営まで若い皆様には本当にありがとうございます。
おかげさまで、日本青年館ホテルで行われた「勉強会」には、10時開催という時間帯にも関わらず、200名近い方々がお集りくださいました。
今回は、気仙沼出身者だけではなく、思いを寄せてくださる多くの方が集まって頂きまして、ボランティアで現地に行った学生さんも多くいらっしゃいました。心強いです。ありがたいです。
本日は、気仙沼市長にお越しいただきまして、「気仙沼市の復興計画」について話していただきました。
この企画に快く応じてくださった市長さんには、本当に感謝でいっぱいです。お忙しいところ、ありがとうございます。
こちらは、最初の私の挨拶。
お隣に座っていらっしゃるのは市長さん。
市長さんのプレゼンテーションは本当にすばらしいものでした。
なぜ「かさ上げ」が始まらない?
どうして、「高台移転」が進まない?
それらには、様々な困難なことがありました。
市長さんは、わかりやすい言葉で、PowetPointで図を表示して、より伝わりやすく話してくださいました。
国には、相変わらずの「縦割り」があって進まず、そして「税金は個人のものに使ってはいけない」という大前提が様々なことが進まない理由であることがわかりました。
このような大震災で大きな被害を、広大な領域に渡って受けているにも関わらず、平時の時の決まり事を切り崩せないって、いったいどういう事でしょう。
そんな状態と市は戦っているのです。
地元の皆さんには、歯がゆい事も多いでしょうけれど、市長さんのこの説明が、市民の皆さんにもきちんと伝わるといいですね。
それでも、昨年の9月頃までは、市民の声を十分には聞けなかったと反省もしてらっしゃいました。
そのように「反省」して「前に進む」点などは、これまでの方とは違うのではないでしょうか。
それでも、実際に動く「市の職員」さんが不足してもいるのでしょう。
そんな中にあって「復興庁」が出来たことは大きなことだと話していました。
そういった「縦割り」を切り崩していって欲しいです。
市長さんが、東京で説明をしてくださったのは、「最後にお願いがあります」と、ここを伝えたいのだとわかります。
気仙沼の外からの支援、特にソフト面での協力、そういったお願いをしていました。
気仙沼の内外から復興はしていくものだと改めて思った次第です。
それにしても、市長さんになってすぐに震災が起きて、「気仙沼の復興のために市長さんになった」ような運命を感じます。人にはそれぞれ持って生まれた運命があるのでしょうか。
東京組も出来ることを探して、少しずつ動いています。
企業の方や、ボランティアの方の「活動報告」をして頂きました。
今日の司会を務めてくださったのは、この「勉強会」の発案者である斎藤さんです。
三陸新報さんの「故郷永久(ふるさととわ)」の販売まで、様々なアイディアありがとうございます。
場所は変えての「懇親会」にも大勢の方が残ってくださいました。ありがとうございます。
この会の運営の母体でもあります「気仙沼サポートビューロー」代表理事の畠山さんの挨拶は感動です。
特に市長さんの同級生の皆さんが大勢いらしていて、同級生の中での市長さんの笑顔はまた別ものですね。
私は被災地が忘れ去られないように、伝え続けたいと思います。
本日は本当にありがとうございました。