「三陸新報に掲載されてますよ」と連絡をいただきました。
オオオ!とうとう。
実家の家業であります「マルキ小山平八商店」の潮見町工場が稼働しましたという記事が載ってました。
8月に帰った時に、急ピッチで工事が進められていた工場です。

これからですね。
正念場はこれから。
お客様、そして従業員の皆様、ありがとうございます。
そして、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
「三陸新報に掲載されてますよ」と連絡をいただきました。
オオオ!とうとう。
実家の家業であります「マルキ小山平八商店」の潮見町工場が稼働しましたという記事が載ってました。
8月に帰った時に、急ピッチで工事が進められていた工場です。

これからですね。
正念場はこれから。
お客様、そして従業員の皆様、ありがとうございます。
そして、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
「気仙沼サポートビューロー(KSB)」の定例会が飯田橋のルノアールの会議室で行われました。
今日は会議室1号室と2号室をぶち抜きで予約してました。
参加人数が増えていて、2部屋必要になってきましたね!
ふるさと気仙沼を離れて住む私達が気仙沼に寄せる思いを書いて、定期的にPDFファイルとして送っています。あの大震災の前から続けています。
そろそろ、まとめる時期ですね!
気仙沼に住んでいなくても「気仙沼サポーター」が、こんなに大勢、しかも熱い気持ちを持ってます!
微力ですが、何かの力になればと思っております。
いつも最後に「気仙沼情報」を交換し合っていますが、時間を忘れるほど、皆さんがお持ちの情報をやりとりしいました。皆さんの情報力もまたすごいわ!
ロンドンパラリンピックが行われていますが、オリンピックと比較すると、あまりTVなどで報道されていないので、チェックが大変ですよね。
そんな中、気仙沼出身の佐藤真海選手が走り幅跳びに出場しました。
このような大きなステージで自己ベストを更新!
これまでの4m50cmを大幅更新して、4m70cmを跳びました!
すごいです!
そうして、ベスト8には残れなかったものの、堂々の第9位でした。
真海選手、おめでとうございます。
ご本人のツイッターを読みますと、悔しかったのでしょうか、涙があふれて止まらなかったとありますが、私は立派な記録だと思います。
昨年は実家が被災して、練習どころではなかったのに、ここまで持ってこれて、すごいことです、ホント。
私達に勇気をありがとうございます!
私も、もう少し、頑張りますよー!
皆様、最近の被災地の様子はTVなどでご覧になりますか?
現在、どのような状況にあるか、ご存知でしょうか?
被災地の復旧、復興はまだまだ全然・・・。
1年5ヶ月以上も経ちましたのに、いまも「住宅」「雇用」さまざまな問題は山積し、そして、住民の皆様は遅々として進まない状況に疲れています。
復旧・復興をはばむ事柄は様々で、とにかく色々な問題があるようです。
そのような中にあって、支援をしようと考える企業の方が集まる会が、東京都内で開催されました。
「ゴーヘイ!気仙沼の会」という名前。
「ゴーヘイ」って、どういう意味かといいますと、「Go ahead!」の気仙沼弁で、最初は漁業をする船で使われてから、一般にも広まった言葉です。
ゴーヘイ!「前へ進め!」
気仙沼市からは気仙沼市長さんをはじめとして、市の職員の方々もいらしての「雇用」に関する説明がありました。
懇親会では、さまざまな企業の取り組みについて話して頂きました。
「被災地はたくさんあるというのに、なぜ気仙沼?」とか、
「1年以上も経ったのに、企業として支援する必要性はあるのか?」とか
様々な事情がある中でも、被災地に思いを寄せてくださり、
そして、被災地もまた、いつまでも無償でということではなく、お互いにWin-Winの関係になることが出来ますように、模索しているところです。
三菱UFJリサーチ&コンサルティングさんの中と、気仙沼市役所の中に事務局があるようです。
ご興味がある方は、このブログのお問い合わせからでも結構ですので、ご連絡くださいませ。
こちらは市長さんによるデモ。
市長さんはデモの冒頭には必ず、あの震災で犠牲になった方の数と、いまだに行方がわからない方の人数を示されています。
気仙沼大島ランフェスタに参加してくださった、同級生の部下さん達との飲み会が神田でありました。
神田の「竹仙さん」
おかみさんは登米出身だそうです!

私の中学の同級生、タカハマ君の部下さん達が、気仙沼のボランティアに行ってくださって、その縁で気仙沼大島ランフェスタにも参加してくださって、ありがたいですね〜。
これまで走ってたわけではないんですよ。
初めての10kmだって言ってました。
あの大島の坂道はさぞや、きつかったでしょうね。
ありがたいです。
このお店は偶然に知ったそうで、やっぱり「宮城!」でいきましょう!
私達は「気仙沼」なんです!
と伝えると、
「なんだべ!」あははは。
それから方言全開でございます。
気仙沼と登米は、ほとんど同じ方言ですからー!
ワニ、って、あのワニですか?
そう、そのワニです。エーーーー!

カンガルーって、あのカンガルーですか?
そう、そのカンガルーです。エーーーーーーーーーー!

驚きの連続です。
一度、足をお運びくださいまし。
弟も今日は仕事が休み。
息子達の部活も休み。
珍しく、休みが一致しまして、「どこかに行こう!」
一番行きたがっているのは弟本人ですけど(^ー^)。
中学生と高校生の息子が父ちゃんにつき合ってくれるなんて、いい家族ですよ、ホント。
私は夕方の新幹線で東京に戻らなくてはいけません。
それで、仙台の「仙台市博物館」で「インカ帝国展」をしているから行ってみようということになりました。
弟が運転してくれて、家族の夏休み。
ところが・・・博物館は月曜日はお休み。
あれ〜〜〜、今日は月曜でしたっけ?
(休みボケでございます)
そうそう、この博物館の前を、「仙台ハーフマラソン」で走りました。
ここは良いところですね〜。
まわりにも大きな建物がいくつもあって、何だろう?と思ってましたら、それは東北大のキャンパスでした。こういうところで学んでいるのですか。なかなか良いキャンパスです。
それはそうと、「せっかくだから、青葉城も行こう」と言うと、なんと!高校生と中学生の子供達は「行ったことがない」とな。
エ?
修学旅行で行かないの?
私は小学校6年生の修学旅行が、仙台・松島でした。
甥っ子たちの修学旅行は福島の方まで行くそうで、逆に仙台・松島には行ったことがないとな。へぇー、そういうものでしたか。
ドレドレ、行ってみますか。
ところで、私以下、全員、何十年前に来たっきり(^ー^)。
しかも、バスで連れて来て頂いたので、どうやって行くかわからない(^^;
「博物館の駐車場に車を置いて歩いていく?」とか言ってましたが、博物館の警備員さんに道を教わって車で移動。予想以上に遠いというか、坂道を上がるというか、こりゃ、歩いていたら母なんか熱中症になっちゃったんじゃないの?(^ー^)。
車を駐車場に停めると、まずは「宮城縣護國神社」がありました。
以前からあったようですが、立ち寄るのは初めてです。
仙台らしく、七夕の飾り付け。

中には、靖国神社のように戦没者の写真が、市町村ごとに分けられてありました。
「気仙沼市」の方も多くいらっしゃいます。
そして、戦艦大和の模型なども展示してありました。
私達の青葉城の思い出といえば、伊達政宗像の前で記念写真を撮ったことぐらいですが、その像は今もありました。
しかし、その前には、記念写真用の階段上の椅子というか、そういったものがありません。
みんな、どこで記念写真を撮るのだろう?
記念写真撮らないのかしらん?
伊達政宗そして「仙台城」(青葉城ではなくて仙台城と呼んでました、仙台城の方が正しいのか!)のCGを見せてくれるところもあって、なかなか見応えもありました。
子供達にも良い歴史の勉強になったかな?
母は、孫といる時が幸せそうに見えます(^ー^)。

良い夏休みをありがとね!
母と朝の散歩をしています。
魚市場前から内ノ脇辺り。
この辺りの被害は大きくて、母は一人では来れないのです。
そこで私をうながして「くんちゃんの家も行ってみよう」と、弟の家の跡地に向かいました。
実家がある魚町以上に、この地に来ると、胸がしめつけられます。
それは、弟の家が建ててから、まだわずかに4〜5年しか経っていないからでしょう。
弟と嫁がアパート暮らしをしてセッセと貯金して、やっと子供達にも部屋が出来て、2階には子供用ですけど卓球台を置いて、帰るたびに家族で卓球に白熱した思い出、それらすべてが、津波ではなくて火災で消えてしまったのです。
火災はすべてを燃え尽くして、何一つ残らなかった。
家にあがるまえに、このように階段をこしらえて津波対策をしていました。
階段の手前は駐車場で、3〜4台停めることが出来ます。

さらに玄関に入る手前にも階段を付けて、家を津波から守っていました。
その対策がよくて、津波の被害はあったものの、なんとか住めるね、と話していたようです。

311の数日後の火災で、そのあたり一帯がすべて焼けました。
お隣さんも、お向かいさんも。
朝、母のラジオ体操が終わるのを待って、一緒に散歩に参りました。
「どっち方面に行く?」とたずねると、「工場の方」とな。
やっぱり、家業が気になるんですね。
マルキ小山平八商店の、魚市場前工場を建てていると社長である叔父から聞いていました。
オ!ありました、ありました。
辺り一面が、そのままの状況なので、すぐにわかります。

ここまで来るのに、皆さんがどれだけの苦労をしてきたのでしょう。
従業員の皆さんも、経営者側も、みんなみんな、辛い辛い時を過ごしていますが、こうして形になってくると嬉しいですね。
それにしても、、、です。
国も、県も、市も、あまりに対応が遅すぎて、みんな自分でやっているのです。かさ上げも下水処理も。これで行くゾという決断は、本当に本当に胃が痛むような決意。
何かは決まっているのかもしれないけれど、それは被災地には何も見えない。
こういう時には、国のリーダーシップがどれだけ必要かということを感じる日々でございます。