仙台で記者発表がありました

私が今回、気仙沼で復興の仕事をすることになったのは「東北未来創造イニシアティブ」という活動に参画したことによります。
その記者会見が「ウェスティンホテル仙台」で開催されました。

記者会見は夕方ですが、昼過ぎから東北大学にて打ち合わせがあり、私達は受付やお茶出し、資料配布、その他もろもろ。

記者会見は、市長さんや発起人の皆さんがひな壇に座っていらっしゃいます。
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実際に気仙沼で暮らしてみますと、東京で考えていたものとは違った現実があると感じています。
東京と現地とを結ぶ役目を果たすことが出来ますように。
ひな壇から遠く離れた末席から見ていますと、この華やかさと現実とが遠く離れたものに感じていしまいました。

気仙沼マラニック

本日はお仕事がお休みの土曜日。
気仙沼市内をマラニックじゃ(走ったり、歩いたり)。

でも〜〜〜、本日は風が強くて行こうかな、止めようかな。
エエイッ!出発!

まずは水梨地区に走ります。
ここは道路はきれいになって歩道が広いので走りやすい。
なだらかな上り坂。

右側に、お店のような、ご自宅のような、ちょっと洒落た建物があったります。
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もう少し行きますと「リトルピピ」ドックトレーニングセンターという看板が出ています。
小太郎がこっちに移住したらお世話になりそうだわ。
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前回は「四十二地区」の方に向かって折り返したことがありますが、今日は左に曲がって坂を降りて、気仙沼市街地に戻ります。
バス停「金取」がありました。

高校生の時に「金取」行きのバスに乗って、それはいったいどこだろう?と思ってましたが、ここでしたか。

それにしてもです、風が強すぎるよー。
時々、突風にあおられて、思わずのけぞったり、押されてタタタっと進んだり。
(後で知りましたが、気仙沼では飛んできた何かで怪我をした方がいらしたとか)

楽しいマラニックが強風との戦いとなりました。
右往左往しながら進むと、片浜に出ました。
ここは震災の被害が大きい地域です。
いまはガレキが撤去されて、何もない。。。

そんな中に仮設の店舗が出来ていました。
「まついわ福幸マート ココサカエル」
3/24はイベントがあるようです。
なんか泣きそうです。震災後に初めて片浜に立った時の衝撃は今も忘れられません。
一歩ずつ前に進んでいるんだなぁ。
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そのお向かいには、ミヤコーバスの「片浜」停留所と、JRのBRT「松岩駅」乗り場でした。
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あまりの強風に耐えられず、この後、近くのセブンイレブンに立ち寄り、
そして「ダイシン」にも入り、
ノロノロと歩いたり、走ったりしながら家路に着きましたとさ。

MASTさん、自宅を改装して店舗に

気仙沼には、2つの帆布屋さんがあります。

GANBAARE(ガンバーレ)」と「MAST HANP

私は震災前に「MAST HANP」さんでオリジナルのバックを作って頂いてからファンでした。
南町のエースポートの近くにあったお店は被災してしまいました。

震災後にGANBAARE(ガンバーレ)が誕生して、2つお店は、それぞれオリジナルな商品作りをしていますから、気仙沼にお越しの際には両方を訪ねてみてくださいまし。

今日は「MAST HANP」さんにお邪魔しました。
ご自宅を改装して、工場部分とショップになっていました。
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あれもこれも、欲しくなっちゃう(^ー^)
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唐桑御殿を知ってるか?

気仙沼市唐桑町は遠洋漁業で栄えた町です。
ここは「唐桑御殿」で有名な場所でもあります。

とある用事で、東京で何度かお会いしたことのあるチトシさんのお宅を訪ねました。
立派な唐桑御殿でございます。
こちらが普通に、ご自宅なんだからすごいことです。
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立派な作りのお宅は、なんとか文化財に指定したいものです。
維持するのは、きっと大変でしょうねぇ。
ここには立派な文化があります。

そういえば誕生日だった(52歳)

そういえば本日は誕生日でした。
52歳になりました。
いい年齢です。
悔いのないように生きたいと思っています。

そんな本日、あわただしく仙台に出張です。
最終バスで気仙沼に戻りました。
きっと母は寝ているか、布団を敷いて寝る準備をしているに違いない。
遅くなるからご飯はいらないと言って出てきたし。

エエイ!「梟」さんで、一人誕生日じゃ。
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お一人様お刺身盛り合わせを作ってくださいました。
ありがとうございます。
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カウンターのお隣の席の方と、あーでもない、こーでもないと会話がはずみます。
その方も、あの震災によって単身赴任になったそうで、週末は仙台の家族の元に行かれるそうです。
あの震災によって、様々な方が、様々な人生になりました。

気仙沼の白鳥観測

いま住んでいるのは大川沿いですが、こちらに白鳥が来ています。
これね、ホントかわいいんですよ。
一人観測隊をしております。

暖かくなったら、どっかに行っちゃうのかなー。
いなくなると寂しいのぉー。

今日は、バレエの白鳥の湖のような華麗な姿で泳いでいます。
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ふたたび「おだづまっこ」さん

東京から、私達のチームの担当が来ています。
打ち合わせの後、夜は「おだづまっこ」さんに行きました。

「おだづまっこ」というのは方言で、「ふざけた子達」というか「悪ガキ」みたいな意味で、親しみをもって言われる言葉です。

いまは仮設店舗で営業していますが、美味しい(^ー^)v。
(田中前の「復興小町」にあります)
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気仙沼の出船送り

昭和の時代には、出船にはとても多くの方がお見送りにいらしてました。
遠洋の場合は、1年以上帰れないのです。
家族でなくても、それを見送ったものでした。
出船は、軍艦マーチを高らかに鳴らすのが常です。

その「出船送り」は最近ではなくなっていたそうです。
理由があって、燃料の高騰から、船員さんが船を利用して帰って来たり、出て行ったり。

それでも船員さんが、あの「出船送り」の光景が忘れられないとう言葉があったそうで、地元の女性の会「つばき会」さんをはじめとする皆さんが復活させています。

私も、たまたま外勤があった途中で教えて頂いて、参加させて頂きました。

こちらは「つばき会」さんの揃いの衣装。
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私も「福来旗(フライキ)」買いまして、
気仙沼では大漁旗のことをフライキと言います。
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このようにテープを船の上と陸の上で持つというのも昭和の時代からやっていました。
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「行ってらっしゃーい」とお見送り。
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今日は大安吉日。
4隻もの船の出船がありました。

海の男は間近で見るとカッコいいですよ!
漁は大変と思います。
その大変な労働がカッコいい表情を作るんだなぁ。
都会では見れない表情かもしれません。

気仙沼の「くら」というパン屋

気仙沼市南町の仮設店舗・紫市場の路上?で「くら」さんがパンを販売しています。
同級生のコージ君です。

火曜日と金曜日(雨の日はお休みとか)に紫市場に出てます。
昼休みに行ってみると、いたいた!

パンくださーい。
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これを東京に向かう新幹線の中で食べております。
美味しい(^ー^)。