Macで音楽クラブ in 気仙沼

気仙沼線で帰省。

南気仙沼駅に、ポール小野寺かっつが迎えに来てくれて、実家に鞄を置くや、喜市君のお店(J’s MIURA)へ。

喜市君のお店(J’s MIURA)で、かっつ・喜市君(Macユーザ)、よういちさん・宮井さん(Windowsユーザ)にお集まりいただき、Macで音楽作りについて、Soundtrackとdp4を使ってデモをする。

皆さん、概要は伝わりましたでしょうか?
思ったより簡単だっちゃ?

母校80創立周年、そして学校統合へ

母校/宮城県立鼎が浦高校(女子高)が創立80周年だそうで、記念の冊子が届いた。そして、鼎高は男子校と統合されてなくなってしまう。

写真には、大正時代の袴姿のハイカラさんから、現代の高校生まで地元の女学生の屈託のない笑顔がある。明治時代から数えると80年以上になるようだが、女学校といわれた辺りから数えて今年がキリのよい80年。そして、地元の男子校に吸収されることが決まっている。

少子化と、私達が卒業した後で男女共学の新設校が出来たことによる。

気仙沼高校(男子校)に対して、気仙沼女子高校という名で始まったようだが、定時制は共学だったことから「女子」の名前がとれ、名称が変わった。戦後決まった制服だけは変わることがなかったから、世代を越えて、そのセーラー服を着た。制服に愛着を持つ同窓生は多い。

別に「女子高」に行きたかったわけではなく、「女子高しかなかった」から行った。それだけだ。しかし、結果的に良かった。学校内に男子はいないから、生徒会長も行事に関する実行委員もすべて女子だけで行う。男子がいたら、頼ってしまったかもしれないであろう肉体労働も自分達でこなす。自立する女性の基礎が造られたように思う。

あの3年間があったから、今の自分があるように思う。不登校問題は、まったく考えられなかった。学校が楽しかった(ただ、試験の時だけは行きたくなかったな~)。

おやま調整院へ

弟にホームページ指南に行く。ついでに身体の状態を診てもらう。

ノート型パソコンを使う弊害で、姿勢の悪さ、顔は下に向きつつ、目は少し上目使いになっているという悪しき姿勢を指摘される。目を少し休める方法というのも伝授される。最近は特に目が疲れている。

近況

かっつ、喜市君、ふみのり君と南町の「実のり」で飲む。バンド連中なので、いくつになっても、趣味の話で楽しい。次のライブは秋に開催されるらしい。なんだか東京住人よりも気仙沼の方がバンド活動は充実していると思う。

この数日、Macを開くことさえも億劫になり、メールのチェックも怠った。

介護はエネルギーを吸い取られてしまうんだなぁ。

唐桑(からくわ)のお寺まで

おば(父の妹)が嫁にいった唐桑のお寺に遊びに行く。父が元気な時には、夏/冬には必ずドライブしたんだけど、病気になってからは足が遠のいていた。

お寺は広いので「父は歩けるかしらん?」と不安に思ったが、意外にも父はスイスイと歩いて、皆を驚かせる。狭い場所は「ぶつかるかもしれない」と思って足がすくむらしい。足が悪いわけではなく、脳の病気だから、そういうものか。

久しぶりに見る従姉妹がデカくなっているのには驚いた。女子大生と女子高生になった。

気仙沼みなと祭り

うちの前をパレードが通り、目の前の気仙沼湾ではカッター競争があり、夜になると、祭り囃子と花火を見ることが出来る。

家の前に椅子を出して座っているだけで、祭り気分を満喫出来る。いい場所なのよ。朝から父を座らせて、時々、トイレに連れていって、また座らせる。

父は沿道を通る多くの人に声をかけられ、気を良くしている。今年の花火は、秋田の大曲の花火職人が来ているとかで、最後の方はいつになく盛大だった。父も私も浴衣を来て、やっぱりオヤマ家は祭りが好きだなぁ。

弟一家が横浜から到着

父は数年前に脳梗塞を煩ってから、歩行が困難になり、今年は相当、悪化している。私がいつも寝てる部屋は弟一家(子供3人いる)に明け渡し、父と母と川になって寝た。

すると、、、1時頃に寝て、3時に起こされ、5時に起こされ、7時に起きた。2時間ずつしか眠れない。母は、これが毎日、続いているらしい。介護は、相当にエネルギーを要する。

同じ時刻に2階では、姪っ子(8ヶ月)が泣き声をあげていたから、赤ん坊をかかえた皆様も大変なんだなぁ~。