気仙沼に到着。雪が積もってるよん。
今年2月に父と最後に外食した「あさひ鮨」さんに、母と二人で行く。
あの日、父と母と私の3人で座った席に通される。
父が座った席から母を見る。
父もこんな風に母とその隣に座る私を見たんだなぁ。
カテゴリー: 気仙沼と家族
雪だわん
東京は雪っす。これから気仙沼に帰ります。
実家の母は犬が大嫌いで、「絶対に連れて帰らないで欲しい」って。
小太郎、そういうわけだから、しばしの別れじゃ。
小太郎君は定宿「ワンワン」にて正月を迎えます。
亡き父:誕生日
今年4月に亡くなった父の誕生日。
天皇陛下と同い年の同じ日生まれ。祝日。めでたい。
満70歳で亡くなった父が生きていたら、どんな70代を過ごしたのだろう?
「武山米店」国の登録有形文化財に指定
気仙沼市魚町1丁目の「武山米店」が国の登録有形文化財に指定されたそうな。気仙沼で3件目らしい。すばらしい。
1件目:角星(魚町2丁目)
2件目:男山本店(魚町2丁目)
3件目:武山米店(魚町1丁目)
いずれも魚町だ。魚町は1929年(昭和4年)の「気仙沼/昭和の大火」で、ほとんどが焼失してしまった。オヤマ家も全焼した。
「武山米店」はその後、1930年に気仙大工の手で作られたそうな。
姉弟3人でディナー
けが人
制服は残るらしい?
母校/鼎が浦高校(女子校)が、気仙沼高校(男子校)と合併するので、「私達のあの制服(セーラー服)はどうなる?」論議があった(らしい)。
伝統(ホントかい?)の制服を支持する卒業生が多い。
「ぐるぐる堂日録」によると、どうやら残るらしい。ホント~?
小倉百人一首
弟が子供達(幼稚園児)とお正月に遊ぼうと百人一首を1日1つずつ覚えているそうな。子供達はドンドン覚える。親は大変だって(笑)
祖父が生きていた頃(昭和44年に亡くなるまで)は、正月に百人一首をして遊んだ。叔父や叔母が下の句をとなえながら、バシッと取る。私ら子供は大人に助けられながら(坊主の絵とか、お姫さま~とか言われて)1枚か2枚をとらせてもらったっけ。あの百人一首はどこへやら。今度帰ったら探してみようっと。
ネットで検索したら、こちらのページが詳しい。
「小倉」は京都の小倉山のことだそうな。
上から10番目までは空で言える(かな?)。高校の古典の授業で習ったっけな~。その後は全然ダメだわ。百人一首ゲームのサイトも楽しい。
目黒のさんま祭りの写真
目黒のさんま祭りの写真をツヨゴンが撮ってくれた。
目を保護するために「ゴーグル」は必需品。これがないと、炭火の前に座った途端に目が痛い、痛い! さんまを焼くどころの騒ぎじゃないんだ。
気仙沼産のさんまは脂がのってるし、ずらーっと並んで炭火で焼いているから煙がすごい。ゴーグルをつけていても、数十分もすると限界で交代してもらう。何度も目を消毒して、それでも翌朝まで「いんずくらしい」のダ~。
(全員がボランティアなんだよ。すごいな~)。
パラリンピックで9位
私の日本舞踊の師匠(花柳千知恵先生)のお孫さん・佐藤真海選手が、パラリンピック/陸上・走り幅跳びで日本新記録で9位だ!
走り幅跳びを始めて、わずか半年で日本新を出すなんて、すごい、すごい!
益々の活躍をお祈りしています。