「武山米店」国の登録有形文化財に指定

気仙沼市魚町1丁目の「武山米店」が国の登録有形文化財に指定されたそうな。気仙沼で3件目らしい。すばらしい。
 1件目:角星(魚町2丁目)
 2件目:男山本店(魚町2丁目)
 3件目:武山米店(魚町1丁目)

いずれも魚町だ。魚町は1929年(昭和4年)の「気仙沼/昭和の大火」で、ほとんどが焼失してしまった。オヤマ家も全焼した。
「武山米店」はその後、1930年に気仙大工の手で作られたそうな。

姉弟3人でディナー

気仙沼の弟が出張で横浜に泊まっているというので、私と横浜に住む弟が宿泊先の「ナビオス横浜」に集まる。

渋谷から「みなとみらい線」直通の東横線に乗って「馬車道」駅で降りる。

横浜に不慣れな私は、ランドマークタワーやよこはまコスモワールドなどに「わーわー!」言っちゃう。こんなに変わっていたのね>横浜

横浜赤レンガ倉庫」の3階「THE BUND QUEEN 上海」で食事をする。

3人とも経営者だし、育った環境が同じだし、遠慮もないし、父を亡くした悲しみと落胆も共有しているし、不思議なもので、大人になってからは一番の相談相手だ。

来年は3人とも(そしてその家族も)飛躍する1年にしたいね。

制服は残るらしい?

母校/鼎が浦高校(女子校)が、気仙沼高校(男子校)と合併するので、「私達のあの制服(セーラー服)はどうなる?」論議があった(らしい)。

伝統(ホントかい?)の制服を支持する卒業生が多い。

「ぐるぐる堂日録」によると、どうやら残るらしい。ホント~?

小倉百人一首

弟が子供達(幼稚園児)とお正月に遊ぼうと百人一首を1日1つずつ覚えているそうな。子供達はドンドン覚える。親は大変だって(笑)

祖父が生きていた頃(昭和44年に亡くなるまで)は、正月に百人一首をして遊んだ。叔父や叔母が下の句をとなえながら、バシッと取る。私ら子供は大人に助けられながら(坊主の絵とか、お姫さま~とか言われて)1枚か2枚をとらせてもらったっけ。あの百人一首はどこへやら。今度帰ったら探してみようっと。

ネットで検索したら、こちらのページが詳しい。

「小倉」は京都の小倉山のことだそうな。

上から10番目までは空で言える(かな?)。高校の古典の授業で習ったっけな~。その後は全然ダメだわ。百人一首ゲームのサイトも楽しい。

目黒のさんま祭りの写真

目黒のさんま祭りの写真をツヨゴンが撮ってくれた。

目を保護するために「ゴーグル」は必需品。これがないと、炭火の前に座った途端に目が痛い、痛い! さんまを焼くどころの騒ぎじゃないんだ。

気仙沼産のさんまは脂がのってるし、ずらーっと並んで炭火で焼いているから煙がすごい。ゴーグルをつけていても、数十分もすると限界で交代してもらう。何度も目を消毒して、それでも翌朝まで「いんずくらしい」のダ~。
(全員がボランティアなんだよ。すごいな~)。

パラリンピックで9位

私の日本舞踊の師匠(花柳千知恵先生)のお孫さん・佐藤真海選手が、パラリンピック/陸上・走り幅跳びで日本新記録で9位だ!

走り幅跳びを始めて、わずか半年で日本新を出すなんて、すごい、すごい!

益々の活躍をお祈りしています。