第1回 あがらいでバー!(気仙沼の会)

代々木の「魚がし」にて、「第1回 あがらいでバー!(気仙沼の会)」が開催された。

「気仙沼」というキーワードだけで、おおよそ20名の方々が集まり、気仙沼弁で気仙沼の事をかだりまぐる会。実に楽しい。

ゲストには、気仙沼出身の小野寺重之さんにお越しいただいた。
小野寺重之さんは、明治大学野球部時代に、あの星野仙一さん、そして、あの巨人の高田さんの後輩にあたる。星野さんがエースピッチャー、高田さんが1番バッター、そして小野寺さんが4番を打った。

先輩の卒業後は明治大学・野球部のキャプテンを務め、卒業後は日立に入社し、社会人野球で活躍。
日立柏レイソルの社長として、J1からJ2に降格するという辛苦をなめ、1年でJ2からJ1に昇格させるという快挙も成し遂げている。

気仙沼出身にこのような方がいらっしゃるんですね。

そして、仙台出身で「異動によって2年間過ごした気仙沼」を気に入ってしまった「松戸に住み、東京で働く、宮城・気仙沼大好き人間の日記」さんや、「彼女が気仙沼」ですっかり気に入ってしまった「だいん気仙沼」さんがいらして、いやいや、嬉しいですのぉ。

このブログをご覧になっている方からも声を掛けていただきありがとうございます。なんだが初めて会った気がしないオンね。

是非、この会を続けて参りましょうゾ。
明日のフルマラソン出場のため、中締め(22時)にて、後ろ髪を引かれながら退散したのであります。あの後は、どうなったんだべね?

あがらいでバー!

人との出会いは、誠に不思議なモノでございます。
最近では、なんといっても「スローな食に、スローな家。」のKENJIさんや、「松戸に住み、東京で働く、宮城・気仙沼大好き人間の日記」のやまださん、そして「気楽会」の皆さんです。

気仙沼を愛する若い(私よりもはるかに若い)皆さんとの出会いは、心のどこかをグイっとつかまれたような、「私もなにが、やんねっけ(私も何かやるしかないでしょ)」みたいな、情熱が湧いてきます。

それで「あがらいでバー!」が立ち上がりました。
気仙沼を知る人ならば「あがらいん」という言葉わがるっちゃ(笑)
それでございます。

「第1回あがらいでバー!」のゲストには、気仙沼出身で、柏レイソルの社長も務めた「小野寺重之」さんがお越しになります。まずはなにしろ、いらしてください。待ってっからね!

仙台藩ってことで

録画しておいたNHK「その時歴史が動いた」の「第309回天下に旗をあげよ 伊達政宗・ヨーロッパに賭けた夢」を見た。

伊達政宗が徳川家康から与えられた領土の中に、本吉町の「大谷金山」があった。伊達政宗の財政を支えることとなった金山。これぞ、わが地元であります。

本吉町は、平成の大合併で気仙沼市と合併する計画が頓挫してしまったが、気仙沼市の隣町。

はて、しかし、、、私はこの跡地をまだ見てない。

同番組の中では、岩手県藤沢町の製鉄についても放映していた。
こちらも気仙沼のすぐ近く。
ああ、こちらもまだ見たことがない。

なんと申しますか、気仙沼に隣接した地域にもおもしろいところがたくさんあるというのに、案外と見てないものです。今度帰る時には、こっちもあっちも見に行きたいと思っている次第です。

ところで、当時の「仙台藩」のくくりが、現在の県のあり方よりも生活には根ざしているように思う。少なくとも、気仙沼市だけが宮城県から岩手県に飛び出すといった不自然な地図はなくなる。宮城県と岩手県とに分断されてしまったが「気仙郡」の方が自然ではないか。

そういう目で見て、県のあり方を見直してもらえぬものだろうか。だって「(岩手県一関市に合併してしまった)室根」は少なくとも気仙沼圏だと気仙沼の人は思っている(と思う)。気仙沼は室根山から吹く風の「室根おろし」に季節を感じて生活をしているわけで、ここを分断されてしまうというのは、なんだかなーと思っている。

そんな事を思いつつ、遠い江戸の時代の、伊達政宗の胸中を思ってみるのであります。

古川家(ふるかわや)さん

気仙沼市・南町の「古川家」さんが解体されると聞いて「まさか!」と思っていましたら、どうやら本当だったようです。

「風待ち研究会活動報告」さんのページに見納めの写真が掲載されていました(「解体」「古川家内部」)。

親戚の婚礼などの晴れやかな日に、晴れ着を着せてもらって伺った時の、なんともいえない華やかな雰囲気を思い出しています。

最後に伺ったのは、13年ほど前の、弟の結納の日でしたっけ。
気仙沼の大切なものが、またひとつなくなってしまいました。

(後日追加)「スローな食に、スローな家。」さんに、解体される写真が掲載されていました。

また食べたい気仙沼ホルモン

なんでしょうか、また「気仙沼ホルモン」を食べたいのであります。

先日、気仙沼で気楽会の皆さんと一緒に食べた初めての「気仙沼ホルモン」。

素朴な味わいで、意外にもヘルシーで、そしてリーズナブルな価格で、堪能した。

それから数日、「あぁ、また食べたいなぁ」と思っている。

なんでしょうか、この感じは。
何か癖になる味なのねー。

気仙沼在住の人がうらやましいゾ!

祖先はいた!

私が今日このように存在しているということは、祖先がいたわけだが、さーて、そのご先祖様の何代先までわかりますか?

私の場合、祖父の母の祖父までさかのぼることが出来るが、それより先はわからない(少なくとも、私にはわからない)。

祖父の母という人は、オヤマ家・4姉妹の次女だったので嫁にいってしかるべきが、なぜかオヤマ姓を名乗って分家となった。その人の母も女一人っ子で、だから2代続けてお婿さんに来てもらっているが、その前の爺さんという人は、たいそう羽振りが良かったと、オヤマ家伝説として伝えられている。

その時代を知る人がいるわけでなし、こういうのはだいぶ誇張が入るし、そもそも「その人、本当にいたの?」などと思ってる。墓石には名前が彫ってはあるけれど…。

当時の家屋は「昭和4年の大火」で全てを焼失してしまったし、私のところは分家であるし、当時を偲ぶものは何もない(少なくとも私は見たこともない)。

先日、気仙沼の「宮脇書店」で「幕末・明治雑記帳―近代気仙沼庶民誌」という本を手にとった。そこには、幕末から明治にかけての気仙沼の庶民の暮らしぶりが記されている。

また、三日町、八日町、魚町、古町の一部の、当時の住民の氏名が出ている。

どれどれ、私のご先祖も本当にいたのかしら?
「魚町・・・さかなまち・・・」と追ってみると、
「魚町2丁目」の欄にたしかに、その人の名前があった!

生まれは天保12年。
いたんだ!

それ以上のことは何もわからないが、たしかに存在したことと、生年月日がわかり、なんだか嬉しくなった。その本を買って母に見せる。

すると、その人にお嫁に来た方の、何代か後の人から、そちらの家系図のコピーが届いていたと見せてくれた。へぇ。2人が結婚をしたのは、ちょうど江戸から明治に変わるあたりだろう。激動の時代を2人はどのように生きていたのだろう?

仙台で…

仙台で、母の事務的な用事に付き合うことになった。
別に一人でも大丈夫な用事だが心細いらしい。「JRの切符一つ買うのも難しくなった」と嘆いているわけで。

朝の気仙沼線で仙台に向う。
実は私、仙台をほとんど知らない。

母の案内に従って歩くも、「なんだか違うんでない?」
途中で止まって地図を確認。やっぱり通りが一つ違っている。
こんなにわかりやすい碁盤の目になっているというのにね(笑)
記憶力が良かった母にも、老いは等しくやってくる。

用事はスムーズに終了したので昼飯を食べに歩く。
アップルストア仙台はここにあったのかー。
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そして一番町「梅の花」で昼飯を頂いた。女性にちょうど良い量と味付け。安くはないランチに、店内はほぼ100%が女性客で賑わっている。

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そしてまた仙台駅へと向う。
仙台にも有名ブランド店が多く立ち並んでいて、東京と変わらぬ品揃え。なんだか、日本中が東京と同じものを目指しているように思えて、少しつまらなく感じる。

地方は田舎と呼ばれてもいいじゃないか。東京とは違うもの、ここでしか手に入らないもの、そういうモノを大切に育てていかなければ、と思う。

気楽会 そして 気仙沼ホルモン

気仙沼の若者達(昭和50年以降に生まれた方々)で構成される「気楽会」の飲み会に混ぜて頂いた。

場所は「気仙沼ホルモン」の弁天町「ろばた館
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気楽会の皆さんは「気仙沼ホルモン」に光をあて、「気仙沼ホルモン食べあるきガイドMAP」を作成して配布するなど勢力的に活動している。

MAPの表紙には「一度食べたらくせになる3つの秘密は…」とか「気仙沼ホルモンの歴史」が書かれていて興味深い。気楽会ブログからPDFをダウンロード出来る。

詳細はそちらをご覧頂くとして、「味噌とニンニク」そして「キャベツの千切りとウスターソース」がキーワード。あとは、実際に食してください(是非、気仙沼で)。
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その「気仙沼ホルモン」をインターネットでいち早く紹介したのは、「ぐるぐる堂日録」の「気仙沼でホルモンを喰らおう!(1997年)」ではないかと思う。

それが昨年、気楽会ブログによってパワーアップして登場し「気仙沼みなと祭り」に出展したり、エースポートで行われた「ホルモンまつり」でヒートアップした。

ところが、なんと!私はまだ「気仙沼ホルモン」を食べたことがない!
なぜか、と言うと、
私が若かりし頃、
気仙沼ホルモンの店は、男が行く店(って感じ)であった。
少なくとも、若い女性を受け付けない店構えであった。

外にまでモーモーと煙が漂い、大きな暖簾の向こうでは、男連中が酒を酌み交わす、そういう印象であった。

話を聞くと「旨いし、たらふく食べても安い」らしい。
だから、肉体労働系が多い気仙沼においては、男性の胃袋を満たし、明日への活力を付けるには「気仙沼ホルモン」に絶大な人気が集まるのだろう。

最近は若い女性が入りやすい店があり、老若男女に愛される食として定着しているようだ。詳しくは気楽会の「気仙沼ホルモン、全店制覇への道」をご覧ください。

今夜は急な呼びかけにも関わらず、私を含めて10名もの人が集まってくださった。ありがとうございます。皆で「気仙沼の良さを世界にアピールしたい」という気持ちで盛り上がった。地方経済を活性化するのは、地元の人のそういう熱意だと思う。詳しくはマックスが書いてくれたブログをご覧ください。がんばっぺね!

非常勤講師/最終回

気仙沼市三日町にある「東北福祉情報専門学校」での非常勤講師は、本日が最終回。情報ビジネス科2年の皆さんにWeb関係の授業を行った。私もいろいろと勉強になりました。ありがとうございます。

母と待ち合わせて、南町「蕎崖」さんで「山かけそば」を頂く。
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帰る途中、魚町「角星(かくぼし)」さんに展示してある「建物博物館」を見学する(無料)。

「風待ち研究会」の皆さんが熱心に活動している成果が出ていてすばらしい。角星さんは古くからの造り酒屋さん。昭和初期の建物がそのまま残されている。角星さんの電話番号は、市内局番と0001番で、気仙沼で最初に電話番号を取得した事でも有名。
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これは昔の木で出来た看板。この上に金がほどこされていた。
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レトロな事務机も趣がありますのぉ。
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