ふるさと納税

同級生が新宿に用事があるので、ランチを一緒にと誘ってくれた。どうもね!

ふるさとから遠く離れた地で、「気仙沼を盛り上げるには」という話をする。今、地方はすっかり冷え込んでいます。

希望は?
10年後は?
老後は?

こんなに希望のない日本になっちゃったのはどうしてだろう?

かと言って都会に住む者に希望があるとも思えない。10年後もわからないし、まして老後を都会で過ごす自分の姿は想像出来ない。

政治のせいにしてもいられないが、たしかに、どこかで道を誤った気がする。
それなら軌道修正すればいいじゃないか。

地方に暮らしても希望が持てる日本になるべきじゃないのか。そのためには何が出来る?

とにかく「ふるさと納税」をしてみようと思っています。

気仙沼のお酒

気仙沼のおみやげに、同級生リョーちゃんの親戚「角星(かくぼし)」のお酒を2本買った。
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気仙沼には、造り酒屋が2軒ある。
本店はどちらも私の実家の近く・魚町2丁目であります。

片方が良いお酒を造れば、また片方も良いお酒を造る。
角星の喜祥」と「男山の蒼天伝」をぜひ飲んでみて下さい。

楽しかった気仙沼の思い出を胸に東京に戻りました。
東京駅で新幹線を降りると、そこには都会のストレスが充満しています。人が多い。緑がない。青空が見えない。この地で、もう少し頑張ろうと思います。

弟のiMacメンテナンス

弟のiMacのメモリ増設とメンテナンスを行った。

弟のiMacは2004年の暮れに買ったので、かれこれ3年半以上になった。そろそろしっかりとメンテナンスしないと。

それまで刺してあった256MNと512MBをはずして、1GBを2枚刺します。

マックメムさんで購入した際に、そのiMacは「トルクスドライバーT15が必要です」というアドバイスを頂いた。それも一緒に購入したので、難なく開けることが出来て感謝しています。これがなかったら、相当、難儀したことでしょう。

これで少しは快適になったかな?
あらら、次はHDの容量が足りなくなっている。うーむ。

弟は、新しいMacが欲しい様子。さーて、いつが買い時か、悩ましいよね。
弟がムービーをまめにDVDにしていたり、DVDの面には写真を印刷したり、iTunesは私よりもきちんと整理していて驚いた。Macは簡単だからと言ってる。ウンウン。嬉しい姉ちゃん(Mac薦めた姉ちゃん)であります。

これは弟の家の庭でとれたきゅうり。
奥に隠れていて、巨大に成長したキュウリがあります。ヘチマみたい。
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自家製きゅうりの漬け物、自家製プチトマトを頂く。美味しい!
嫁は「簡単」と言うけど、、、。
えー、私がベランダで作るの?
無理ムリ。絶対、無理だわ。

嫁に簡単な事が私には難しいのです。逆に私が簡単と思うことが嫁には難しかったり。人間っておもしろいですね。

弟の家には、小さいサイズの家庭用の卓球台がある。
甥と卓球。おもわずムキになるおばちゃんであります。
もう手加減なんて出来ませんからー。

夕方、母と南町にブラリと出てみる。
南町界隈は、先ごろ文信堂が閉店してしまって、ますます寂しい。
それでも頑張っているお店がいくつかある。そちらを母とブラブラ歩いてみる。少し買い物もする。1970年代の、あの賑わいを思い出してみる。もう一度、復活して欲しい大堀銀座。

夜は、同級生のKとKと私の3人で、南町「実のり」で飲みます。この2人にはいつも触発されます。私もがんばるゾ!と思うのであります。いつもありがとね!

安波山(あんばさん)ラン

気仙沼は涼しいを通り越して寒いくらい。
やっと今日は晴れました。気温も上がるかな?

子供達が大島に遊びに行ってる間に、私は安波山ランへ。
安波山の標高は239m。
これを駆け上がろうと思うのです。

なんつったって、先日、高尾山を走る(歩く)しましたからー。

安波山に登る道はいくつかあるけれど、太田から登ることに。
太田の坂道をあがると踏切があり、それを右に進むと、このような看板がありました。

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そのまま舗装された道を登ります。
昔はこのような道はなかったけれど、この道路が出来た事で足が弱った方も車に乗って6合目まで行くことが出来ます。
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途中でふと横を見ると、小さな階段が。
そうそう、昔はこんな道を通ったっけ。
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この階段を登ってみると、その先は雑草が生い茂り、足元は全く見えず。断念して舗装された道路に戻ります。

6合目の駐車場を過ぎると、昔ながらのこのような道が続きます。
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それにしてもやっぱり坂道がきつい。走るというよりは歩きです。
8合目の展望台から見る気仙沼湾。
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山頂に到着!
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5月5日のGoGo(ゴーゴー)あんばはん(安波山の日)には、山頂で弁当を食べる習わし。
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今日は早々に下ります。
石を積んで歩きやすくしてあるのですが、下りでは足を痛めそうで走らずに歩くことに。急な坂道です。
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気仙沼にお越しの際には安波山に登ってください。
気仙沼の市街地と、海と、むこうに大島の亀山が一望出来て気持ちは晴れやか。

それから弟の家まで走って行くことに。身体を動かすのは気持ちいい。

途中で弟の嫁達が乗った車とすれ違った。
「お姉さん、乗りますか?」と声がかかる。
「走っていく」と告げてひた走る。

その後、、、「お姉さん、大丈夫でした? なんかヨロヨロしていて倒れそうだった」とのこと…。

おかしい。快適に走っていたんだけど、、、。

どうやら嫁達は、私がマラソンをしているというので、野口みずきや高橋尚子をイメージしていると思われ…。
実際の私は、ヨロヨロとした「おばあさん走り」。
イメージは、イメージのまま残しておく方がよかった。

あの走りでも、42.195kmいけるのじゃ。
皆さんもマラソン始めようよ!

明日は横浜の弟達が帰るので、南町の「宮登」さんで食事を。
「気仙沼ちゃんこ宮登(みやのぼり)三代目日記」はこちら

お刺身がとても美味しい!
また生ウニを頂きまして、あーあ、東京じゃこんなに美味しいのは食べられないなぁ。
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人が集まることが大好きだった亡き祖母や父に子供達が集まって賑やかな光景を見せてあげたかった。
父は宮登さんが大好きだったし、、、
・・・もしかしたら、ここにいるかもね(^ー^)

唐桑・漁火パーク

気仙沼市と合併した唐桑町。
唐桑の叔母の家に挨拶に伺った。

弟の子供達も連れていったので(小学生と幼稚園)、叔母が「漁火(いさりび)パーク」に案内してくれた。

早馬山の中腹の展望レストラン。
私、初めて来ました。
うわっ、こんなに美しいところだったのねー。
夜は、イカ漁の明かりが見えるので「もっときれい!」だそうです。
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向こうに見えるのは岩手県の山々。
海はおだやかで湖のよう。

私が子供の頃は、唐桑に行くには随分と時間がかかりましたっけ。舞根(もうね)峠を通ったのかしらん?
中学のバスケの試合で唐桑中学に行った時は、たしか船を利用した記憶が。

現代はバイパスが出来て、車でピューっと行っちゃいますから便利になりました。

そんな唐桑を、ゆっくり探索したい。
本日は小雨降るあいにくの天気で断念。次こそは走ったり歩いたりしながら唐桑を探索するゾ!

夜は南町の「あさひ鮨」さんで食事を。
生ウニが美味しい季節。気仙沼は本当に食事が旨い!
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気仙沼中学校29回生同窓会

気仙沼プラザホテルで、気仙沼中学校29回生の厄祓い式と同年会が行われた。

49歳というのは、男女とも小厄年だそうです。
もう厄年はおしまいかと思っていたら、まだあるんですね。
「小厄」はこちらの早見表を見ると、あと11回もある!

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皆様、お久しぶりです。
ご無沙汰しています。

11クラスもあるので、3年間で1度も同じクラスにならない人が大勢います。名簿を見ると、本日の参加者は153名。
なので、うーん、わからない人も…(^^;
でも、名札で名前を確認して、顔をジーっと見ているうちに、、、
「あ!○○ちゃん!」
そういう私はわかりますでしょうか?

我が1組の出席率はいつも一番いいんです。嬉しい(^ー^)
5名の恩師をお迎えして、先生、変わりませんねぇ。

今の時代ならPTAから突っ込まれそうな先生もいらっしゃいますが(笑)、2次会では手品を見せてくださり、「芸の一つも覚えろ」と種あかし。「簡単だから覚えてやってみて」と、勉学よりも人生の大切なものを学んだ気がします。

あの当時は、こんなに年をとるなんて思いもしなかったけれど、あっという間に年を重ねました。

現代の学級崩壊やイジメの話を聞くと、私はなんて幸せな中学生だったことを再認識。

幹事の皆さん、本当にありがとう。
ビートラス良かった!
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ゲーム楽しかった!
南町にオープンしたばかりの「いろはにほへと」での2次会も楽しかった。
1組の3次会も楽しかった!
ありがとーーー。

次の回まで元気でいましょうね。
エー、次は60歳なのー!?

「1組は毎年会おう!」ということに。
「メーリングリスト使って連絡しようよ」
「で、そのメーリングリストって何?」
うーん、、、ちゃんと連絡を取り合えるだろうかと不安を残しつつ、同級生っていいね。
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楽しみ・中学の同窓会

今週末、気仙沼で中学の同窓会がある。楽しみ。

48歳。

亡くなってしまった同窓生もいる。
私たちは、あと何回会えるのだろう?

会うとすぐに中学の、あの時に戻る。

1970年代半ば。
高度成長の時代で、頑張れば未来は開けると、誰もが信じていた。
気仙沼は、今では考えられないほど景気が良かった。

あの頃のスポーツ少年はメタボおじさんになっているだろうか?
あの頃の美少女は、おばちゃんになっているだろうか?

荒井由美の「卒業写真」という曲が好きだ。
好きというより、気仙沼を出る時から、私のテーマソング。

「人ごみに流されて 変わってゆく私を
あなたはときどき 遠くでしかって♪」

ここを歌う時は同級生の顔を思い出すんだ。いつも、必ず・ね。

ねぇ、「同窓会に出ないよ」という同窓生の皆さん、
そんな事を言わないで出て来てよ。
昔みたいに、何も話さなくてもいいから、ただ顔を見合わせて、笑っていたい。

今は、いろいろな辛い事を抱えているかもしれないけれど、その時間だけは、ただただ中学の、あの時に戻って、微笑みましょう。

幹事の皆さん、いつもありがとう。
皆さんのおかげで、呑気な東京在住はとても楽しませて頂いています。

北京オリンピック・フェンシング

気仙沼高校(旧・鼎が浦高校)の同窓生、菅原智恵子選手が北京オリンピック・フェンシング女子フルーレで7位に入賞!

おめでとうございます!
日本人初の入賞だそうです。嬉しいですね。同じ鼎が浦高校としてホント嬉しいです。

今日知ったのですが、高校教諭を昨年退職して、強化選手として練習に没頭。そのためにご両親は田んぼを売って支えたそうです。メダルには一歩届かなかったが、7位入賞は立派です。TVでも何度もその姿を見ました。4年前はほとんどTVで放映されなかったことを思うと、大躍進!です。

同じく気仙沼出身の千田選手は13日に出場します。

ふるさとは遠きにありて思うもの(室生犀星)

目をつぶると、気仙沼の内湾が目に浮かぶ。
おだやかな海面と、向こうに見える気仙沼大島の亀山を見ながら育った。それが私の故郷。

そんな気仙沼は遠洋漁業がふるわず、燃料の高騰が追い打ちをかけ、大変な状況かと思う。

微力な私だが、育てて頂いた気仙沼に何かお手伝いをしたいと常々思っている。何が出来るだろう?微力すぎて何も出来ない。何も出来ないが、何かしたい。

そんな本日、ある気仙沼出身の方とお話させて頂く機会を得た。
年齢は違えど(私より年上です)思いは同じ。気仙沼の話をするとエネルギーが湧きます。何かが出来るかもしれないという希望が出て来ました。

母と日光旅行(2日目)

朝起きると、まずは「お風呂!」
まだ5時ちょい過ぎだというのに、もう数人が入っています。
すがすがしい朝の露天風呂は気持ち良い。

昨日は、心配した雨は降らずに過ごしまして、今日は晴天。

食事の前にホテル前の中禅寺湖を散歩します。
走ろうかと迷ったけれど、本日も私は荷物持ちですから、体力を温存して歩きにとどめました。
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こちらはホテルの敷地内です。結構、広いです。
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本日もぶらりバスの旅です。
母は「もう2度と来れないだろうから」と「湯本温泉まで行きたい」と。そこはバスの終点です。湯本で何をするということもないのですが、「奥日光まで行った」ということで母は満足のようです。
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再びバスに乗り、「湯滝」で降ります。
バスの中にモニターがあって「湯滝」の荘厳な写真が表示され、急遽、降りてみることにしました。久しぶりにバスに乗りますと、そういった装置が進化していて感心します。

華厳の滝は文句なしにすごいですが、こちらの湯滝はすぐ近くに見る事が出来るのが良いです。本日は暑いですが、この滝の近くは涼しい。マイナスイオンを浴びました。
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またバスに乗ります。
この時間帯、バスは40分から50分程度に1本しかありませんから、バスを降りる時に次の時刻を書き留めておきます。それに乗り遅れると、またしばらく待たないといけません。

次は「竜頭(りゅうず)の滝」です。
2つの滝がまるで竜の頭に見えるというもの。
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こちらの滝が目の前に見えるところがお茶屋さんになっています。だんごが名物ですが、我々はお抹茶を頂きました。
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バスは「いろは坂」を下ります。だんだん霧が立ちこめて来ました。母がうつらうつらしているうちに「田母沢御用邸公園」に到着です。

こちらは大正天皇の御用邸として使われていたところで、今上天皇は戦争の時に1年間、疎開されていたところです。私は10年以上も前に、ここを訪れたことがあります。その時と比べると、実に立派にリニューアルされていて驚きました。それに広い!

係の方に訪ねると、その当時は、ごく一部分しか公開されてなかったそうです。昔からこの広さは変わりなかったそうです。そうでしたか。

建物の一部は、紀州徳川家の江戸の屋敷を移築したりしているそうです。
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あんなにお天気が良かったのに、「田母沢御用邸」を見ているうちに、雨が降って来ました。ほぼ、予定を全て見た後だったので助かります。敷地内のお茶屋さんで、ふたたび抹茶と水ようかんを頂きます。
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バスに乗って、東武日光駅に向います。
雨が降っているので、道は混んできました。バスの車内も混んでいます。

もうすぐ14時になろうとしています。
ランチはゆば会席を、と思っていたのですが、間食し過ぎで腹がいっぱいです。なので駅前で軽く済ませようということになり「らんぶる」というお店に入りました。

そばなどを見ていますと、メニューに「ゆば丼」と書いてあるのでそれにしてみました。私はゆばが好きですが、こちらは、もう少し、ゆばに味を付けてもいいかなと思います。
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帰りはJR日光駅から、宇都宮に向います。
東武日光駅よりもひっそりしていて、JRの駅前の土産物屋は、みな店を閉めています。「明と暗」がハッキリと出て、なにか悲しい気持ちになります。
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JR日光線で40分ほどで宇都宮に到着。
新幹線に乗る母を見送り、私も新幹線で東京に戻りました。

母のためと思った日光旅行ですが、思いのほか楽しい旅行になりました。
車でビューっと行ってしまうのとは違って、バスに乗ったり降りたり、バスを待つ間に見知らぬ人と会話をしたり、そうそう、旅ってそういう事が楽しいんですよね。

次は母をどこに連れていってあげようかな?などと思っています。