甥が中学生になります

気仙沼の弟には2人の息子がおりますが、この春から、お兄ちゃんは中3になります。
そして弟もこの春から中学生。

父の七回忌の法要には、真新しい中学の制服で登場して、皆から驚かれました。
急に大人びて見える甥がまぶしいおばちゃんです。

夜に「大松」さんで入学のお祝いをしました。
「大松」さんは、釜飯が美味しいのです。
こちらは蟹釜飯を。
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お兄ちゃんは野球少年で、弟は剣道少年。
最近にしては珍しいというか、昔の子供のように元気です。
そのようにスクスクと育てている弟の奥さんはすごいなぁといつも思います。
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弟の家で、そんな2人の小さな時の写真を見せてもらいました。
わぁ〜、こんなに小さかったんだね。
グレたら、この写真を見せましょうね(^ー^)。

父の七回忌 そして 祖母の13回忌

父の七回忌の法要が、菩提寺である「宝鏡寺」にて行われました。
祖母の13回忌も兼ねます。

私と横浜に住む弟は朝の新幹線に乗り、仙台で気仙沼線に乗り換えました。11時少し前に気仙沼駅に到着。駅にはこのようなお出迎えがありました。
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タクシーでお寺に向かいます。
母から電話で「寒い」と脅かされていましたが、本日はよく晴れておだやかな日です。

父の弟妹とその家族による身内だけの法要です。
皆で菩提寺の中にあるお墓参りをしました。あわせて父の弟のお墓にも手を合わせます。

その後は、親戚一同で南町「世界」さんにてお食事を。
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食事をしながら、亡き父、そして亡き祖父母の話になります。
私たちが知らない祖父母の話を、叔父が楽しく、おかしく聞かせてくれます。このように語り継ぐのは大事なことですね。

私が亡くなった後には、どのように語り継がれるかしらん?なんて思ったりして。

大好きだった父が亡くなって1年間は思い出しては涙があふれましたが、不思議と一周忌が済んだころから悲しみが薄らぎました。ふと気が付くと、もう七回忌です。

今も私たち家族の中に父は生きています。
特に母は父の話をする時、いつも現在形です。決して過去形にならない。
まるで父がそこにいるみたい。

気仙沼人大集合!ナンダレ・カンダレ

JR蕨駅近く「でめきん」さんにて気仙沼の皆さんと、そのお友達との「気仙沼人大集合!ナンダレ・カンダレ」がありました。

「でめきん」のマスターは、鹿折中学→気仙沼高校出身で、しかも!同い年だった。
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KABOちゃんとは、幼なじみだったことが判明し、いやいや、良き再会です。

運営スタッフさんが勤務する会社の商品をじゃんけん大会の賞品に頂戴しました。

ヤマシンの「白ぽん酢」ありがとうございます。
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今回の会を主催してくださった埼玉在住・気仙沼ゆかりの皆様、ありがとうございます。ぜひ第2回目開催を!

【ナンダレカンダレ】お申し込み始まってます!

気仙沼好きな集まりが、今度は蕨であります!

3月27日(土)17時から、京浜東北線の蕨駅近くの「でめきん」にて開催。
気仙沼出身のマスターのお店です。

詳細とお申し込みは「気仙沼人大集合! ナンダレカンダレ」からどうぞ。
私も参ります!

気仙沼高校・関東同窓会の幹事会

気仙沼高校(&旧鼎が浦高校)の関東同窓会の幹事会に入っています。
今年の関東同窓会は、7/10(土)に開催されますので、そのための打ち合わせ&飲み会です。

同窓生の皆さ〜ん、7/10(土)に予定しておいてくださいね。
正式なご案内は5月中旬からお手元に届く予定です。
特に旧・鼎が浦高校の皆さん、ご参加くださいまし〜。

気仙沼ビューロー定例会(2010年第2回)

ルノアール飯田橋店の会議室で「2010年第2回 気仙沼ビューロー定例会」がありました。

今回はゲストに「気仙沼観光コンベンション協会」のCさんをお招きして、気仙沼の観光の現状などをお聞かせ頂きました。

私どもは関東に住んで長きになるので、実情を知らないということがあります。

実情と問題点などもお聞かせ頂きまして、それを参考にしつつ、さて、関東在住の我々が出来ること、またそれが地元の方のご負担にならぬこと、さらに言えば、地元の皆さんに喜んで頂けること、それを模索しつつ行動に移すのが今年の目標です。

ヒントとなるような事も出て来ましたし、
地元との大きなつながりも出来たように思います。

その後の、2次会のお酒が入った席で、Cさんが、
「東京で、このように世代を越えて皆さんが気仙沼について熱く語っておられることに驚いた」といった内容のことを話されていました。

気仙沼においても、世代や職業を越えて、気仙沼の活性化について話す場が出来ていくと、何かの突破口になるような気もします。縦・横の連携ということでしょうか。

今年は何かの第一歩が踏み出せそうで、ワクワクします!

津波@気仙沼

昨日は、朝から東京マラソンに明け暮れておりましたら、地元・気仙沼は津波で大変なことになっていました!

私の実家は内湾に面した海岸通りですから、最も被害がひどいところの一つで、床下浸水でした。床下が、津波にそなえて1m近くはあると思います。

そこに水が入り込み、あとわずかで畳の部屋に水があがるところだったようです。
ご近所さんでは畳にまで海水があがったところもあるようで、お見舞い申し上げます。

土間に置いていたもの全てを廃棄しなければならず、弟・弟の嫁、親戚の叔父、叔母には本当にお骨折り頂きましてありがとうございます。

自然の力って、恐いですね。
人命に関わることがなかったことが救いです。

二月会(2010年2月)

毎月定例の気仙沼ビューローを中心とした方々との飲み会です。
千駄ヶ谷の「雪っこ」は、気仙沼の先輩のお店。
本日の参加者は5名。

お店に偶然いらしていた先輩2名も加わって頂きまして、楽しい気仙沼の話で盛り上がります。
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何でしょうか、この郷土愛(^-^)。
気仙沼の話になると、年齢、性別関係なく楽しいのです。
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第7回 あがらいでバー!

「第7回 気仙沼大好き・あがらいでバー!」が行われました。

場所はいつもの代々木「魚がし」さん。
今回のゲストは常連さんの熊谷千寿(くまがいちとし)さん。
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翻訳の仕事などをされていますが、この3月末に、ふるさと気仙沼市唐桑町に帰ることになりました。翻訳のこと、故郷に帰ることにした決意のほどなどをお聞きしました。

それにしても!
気仙沼大好きな人は、なんて熱いのでしょうか!

同級生のKABOちゃんなんか、あがらいでバー!のテーマ曲を作っているし!
とにかく、とにかく、熱いのであります。

席が足りなくなったということもありますが、
エー、なぜ、みんな立ってるのー?(^-^)。
もうね、座ってられませんよ。ハハハ。
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yamaちゃん、今回も仙台からわざわざ来てくださってありがとね!
daijiさん、大阪からの参加ありがとね!
そして、参加者全員の皆さん、ありがと〜。
魚がしのご主人、そして奥様、いつもいつもありがとうございます。
次回も宜しくお願いします。

百貨店の閉店が止まらないの?

私が住んでいた頃の気仙沼には、一番の繁華街であった南町に「丸光」と「藤崎」という百貨店があった。

「丸光」には、気仙沼で初めてのエスカレータが取り付けられたり、屋上には子供達が並んで待って乗った乗り物があり、食堂ではお子様ランチを食べるなど、休日には近隣からも多くの人がいらして大変、賑わっていた。

「丸光」は「ビブレ」となった後に閉店。
その後、「ビブレ」従業員らによって「イコーレ」として再オープンするも2007年に閉店。

「藤崎」は田中前方面に場所を変え、店構えは小さくなったが、良い品を揃えて今も営業している。

街の繁栄の象徴ともいえる2つの百貨店が南町から姿を消し、その後の南町の衰退を見るにつけ、当時を知る世代は「気仙沼ははっぱ(サッパリ)ダメだ」と語り合っているが、

ここに来て、東京都内の百貨店も次々と閉店を発表している。

池袋/三越は2009年に閉店。

「有楽町西武」閉店を発表。
「吉祥寺・伊勢丹」閉店を発表。

東京だけではない。
名古屋の老舗、松坂屋も閉店が相次いでいる。

そう考えると、気仙沼の百貨店閉店は、今日の日本の前兆だったのか。
そういえば、バブル期に都心部の土地の価格がはね上がっていたが、気仙沼ではすでに土地の価格が下がり始めていた。気仙沼の方が一歩先を行っていたということか?

とすると、現在の気仙沼の姿は明日の日本の姿に通じてしまうのか?

気仙沼(だけではなく、日本じゅうの街で)は、少子高齢化が深刻である。
私の実家のあたりは、若い世代が少ないどころか、ほとんどいない。
購買力が足りないから、スーパーも閉店してしまった。

母の世代の女性は運転免許がない人も多いから、郊外のスーパーに行くために苦慮している。
バスを利用するしかないがバスの本数も減っている。あとは我慢するしかない。

ほんの数十年前には、ブラブラ歩いて買い物が出来たのに、今は郊外型スーパーへの点と点の買い物になってしまった。

縮小する街づくりとでもいうか、小じんまりと暮らす工夫が必要かと思うこの頃である。

近所にスーパーがなくなった実家では、八日町「みのり会」で手作りのものを買っているようだ。量は少ないことが一人暮らしの老人に優しく、味も良いというので、昨晩、届いた荷物の中にも「みのりで買った」ものが入っていた。週末に料理して頂こうと思う。

それにしてもおかしいよね。
母は近くにスーパーがなくて大変なのに、近くにスーパーがある娘に「これを食べろ」と荷物を送る。母というのはそういうものでしょうか。