私が住んでいた頃の気仙沼には、一番の繁華街であった南町に「丸光」と「藤崎」という百貨店があった。
「丸光」には、気仙沼で初めてのエスカレータが取り付けられたり、屋上には子供達が並んで待って乗った乗り物があり、食堂ではお子様ランチを食べるなど、休日には近隣からも多くの人がいらして大変、賑わっていた。
「丸光」は「ビブレ」となった後に閉店。
その後、「ビブレ」従業員らによって「イコーレ」として再オープンするも2007年に閉店。
「藤崎」は田中前方面に場所を変え、店構えは小さくなったが、良い品を揃えて今も営業している。
街の繁栄の象徴ともいえる2つの百貨店が南町から姿を消し、その後の南町の衰退を見るにつけ、当時を知る世代は「気仙沼ははっぱ(サッパリ)ダメだ」と語り合っているが、
ここに来て、東京都内の百貨店も次々と閉店を発表している。
池袋/三越は2009年に閉店。
「有楽町西武」閉店を発表。
「吉祥寺・伊勢丹」閉店を発表。
東京だけではない。
名古屋の老舗、松坂屋も閉店が相次いでいる。
そう考えると、気仙沼の百貨店閉店は、今日の日本の前兆だったのか。
そういえば、バブル期に都心部の土地の価格がはね上がっていたが、気仙沼ではすでに土地の価格が下がり始めていた。気仙沼の方が一歩先を行っていたということか?
とすると、現在の気仙沼の姿は明日の日本の姿に通じてしまうのか?
気仙沼(だけではなく、日本じゅうの街で)は、少子高齢化が深刻である。
私の実家のあたりは、若い世代が少ないどころか、ほとんどいない。
購買力が足りないから、スーパーも閉店してしまった。
母の世代の女性は運転免許がない人も多いから、郊外のスーパーに行くために苦慮している。
バスを利用するしかないがバスの本数も減っている。あとは我慢するしかない。
ほんの数十年前には、ブラブラ歩いて買い物が出来たのに、今は郊外型スーパーへの点と点の買い物になってしまった。
縮小する街づくりとでもいうか、小じんまりと暮らす工夫が必要かと思うこの頃である。
近所にスーパーがなくなった実家では、八日町「みのり会」で手作りのものを買っているようだ。量は少ないことが一人暮らしの老人に優しく、味も良いというので、昨晩、届いた荷物の中にも「みのりで買った」ものが入っていた。週末に料理して頂こうと思う。
それにしてもおかしいよね。
母は近くにスーパーがなくて大変なのに、近くにスーパーがある娘に「これを食べろ」と荷物を送る。母というのはそういうものでしょうか。