「気仙沼と家族」カテゴリーアーカイブ

気仙沼・廿一地区

地元・気仙沼は、結構、面積が広くて、よく知らない地域がたくさんある。
高校までの18年間しか住んでないので、行動範囲は魚町から旧・鼎ケ浦高校(母校)あたりまでだ(狭いッ)。

気仙沼には、廿一(にじゅういち)地区という美しい場所がある。本当に美しい。
その場所を携帯電話のカメラで撮っているのは「ぐるぐる堂日録」の「廿一地区写真」のページ。
これ、携帯カメラだって思えないよね~。美しい。

気仙沼よいとこ、一度はおいで

また mixi で知ったんだけど、「気仙沼が地元ではない、親戚がいるわけでもない方」が、盆暮れに気仙沼に訪れているって書き込みが気仙沼コミュにあった。

「地元のヒト達が「宮城ライフセービング協会」を立ち上げてて」、そのお手伝い(ボランティア)に誘われたのがきっかけだそうな。そして夏だけではなく「岩井崎で初日の出」を拝みに、正月も行くようになってしまったそうで。

うん、うん。美しいのよね~。気仙沼の初日の出。
気仙沼出身なのに盆暮れも帰らない若者たちよ、気仙沼もいいドゴだっちゃ。

私は消極的 mixi ユーザなんスけど、気仙沼ネタは楽しいっス。
超・ローカルな話題で(笑)

KABOさんのブログ

KABOさんが「ぐんじょう色のペン」というブログを始めた。

実はKABOさんには一度もお会いしたことがないんだけど、お互いに気仙沼出身だし、メールで何度も話してるし、共通の友人もいて、昔からの知り合いのような気になってる。ネットって不思議ね。

てっちゃん一家帰る

弟・てっちゃん家は6歳、4歳、2歳の子供がいて賑やか。

日頃、小さな子供に慣れてない母と私は楽しいながらもヘトヘトだったが、今日、帰っちゃった。帰った後はあまりの静けさに寂しい~。母は明日から一人だなぁ。

夜は同級生のかっつと喜市君と飲む。楽しい。いつもありがとね。

父の一周忌

父の一周忌の法要が気仙沼・宝鏡寺(ほうきょうじ)にて執り行われ、その後は一景閣ホテルにて会席となった。ご列席いただきました皆様、御礼申し上げます。

本日も晴天。父の法事は父を象徴したように、お天気。

この1年は、いつも父の事を考えていたように思う。弟の嫁の話では、弟も「お父さんはこう言ったな~、ってしょっちゅう言ってますよ」って。大好きな父を亡くした悲しみは、1年くらいじゃぁ、ちっとも癒えません。

気仙沼やっぱ寒い

南気仙沼駅に降り立つと、あ、やっぱ寒いわ。帰ってきたなーという感じ。

母が今日の「三陸新聞」と「気仙沼かほく」新聞を見せてくれた。

あら、父が先代の社長で、今は父の弟が社長をしている(株)小山平八商店(創業 明治39年)がマルハ(株)の子会社で(3月末で会社解散が決まっていた)気仙沼の鴎洋水産(株)を引き継ぐことに決まったと出ている。敷地と工場のすべてを買取り、従業員の皆さん全員(45人)を雇用することに決まったそうだ。へー。

私が気仙沼にいた頃、(当時はマルハの気仙沼営業所だったと記憶する)営業所長さん宅、のちに鴎洋の社長さん(マルハからの出向の方)の社宅に、父のお供をして何度か伺った事があるし、我が家にもいらして頂いた。父が生きていたらどんなに喜んだろう。それにしても父の会社がマルハの子会社を買う時代が来るとは想像出来なかった。

母と2人であさひ鮨に行く。母は私が帰った時にお寿司を食べるのを楽しみにしているみたい。だって父と最後に食事をした場所だからだね。