気仙沼高校関東同窓会の打合せ2023

「気仙沼高校関東同窓会の打合せ」が新宿でありました。ルノアール「新宿区役所横店」。私、幹司の一人なのでございます。

この3年間、同窓会は開くことが出来なかった。「すべきこと」を思い出すのも大変。まずは「広告」です。昨年はかなり減ってしまっており、何とかしなければ。広くお声がけいたしますので、どうぞ、皆様、ご協力のほど、宜しくお願いします!

その後は「みやこんじょ」さんで宴席。

テーブルには「気仙沼ホルモン」のチラシ。ふふふ、東京で気仙沼ホルモンを食べることが出来るお店ですよ、皆様。

すぐにお通しが出て、

生ビールお願いします! カンパ〜イ!

うわっ、おにぎりは大きい! 「にぎりこぶし」よりデカイ!

枝豆。

先輩のボトルからすみません、山崎ハイボールだ。旨い!

気仙沼ホルモンですよ!

野菜スティック。

おにぎり追加。デカイ!

私より先にお二人が帰られ、そして、私もすみません、お先に帰ります。21時半だ。ケンジさんと一緒に外に出る。そこで別れて丸の内線乗り場へ。お疲れ様でした。同窓会開催まで頑張りましょう〜!

気仙沼会・3月定例会(第23回)

気仙沼会」の第23回定例会。今月もZoom会議。

何ということか、、、。ご飯を食べたら忘れてしまい、電話をかけて頂き参加する。皆様、申し訳ありません。

「名簿の項目について」は合意を得たので、いよいよ制作に入ろう。

NHK番組「ありがとうを3.11に伝えよう委員会2023」についても話す。本当はステージにも上がった。マスクをとって顔を出して。しかし、その部分は全てカットされてしまった。トホホ。番組としては良い内容でした。

私が提起している「トイレ問題」について様々な意見が出る。市の観光課は「ちゃんと表示している」とおっしゃる。しかし、それは「観光地」の話。町中でトイレに行きたくなっても入れないという現実がある、と力説する。ちなみに私が住んでいた「魚町」では、そんなことはなかった。「港祭り」の時はスタッフさんや太鼓演奏者に何人にもトイレを貸していた。地域によって異なる。とこれまた力説する。伝わっただろうか?

ありがとうを3.11に伝えよう委員会2023

14時46分。黙祷をする。あれから12年だ。

そして、16時45分からNHKで「ありがとうを3.11に伝えよう委員会2023」という番組がある。それに出演する。

最初の打ち合わせは1月14日(土)、ネット「Teams」で開催。「初めまして」の挨拶から始まり、私の気仙沼への関わりなどを話した。「熊田」という苗字の人は気仙沼にはいない。「旧姓はオヤマです」と話す。実家は「マルキ、小山平八商店」と伝えると「あぁ、大きな工場がありますね」と。そうです。そこの娘です。

何で「マルキ」なんですか? と聞かれる。「マルキのキはキクおばあさんのキ」。そのおばあさんはダンナに逃げられて子供3人を女手一つで育てた凄い婆さんなんです。その曾孫が私。

そして私の東京で会社を設立した経緯なども話す。「もともとは就職していないんです」と伝える。実家が商売をしている家なので「女は良妻賢母」で育った。しかし、それに反発して東京でバンド活動をしていたのだ。婚期も遅れた。49歳でやっと結婚。そんな人生を話す。

1月19日(金)私の家にいらしてくださった。カメラマンさんと助手の方と3人でいらして、約50分ほど、資料を見せながら話す。撮影もされている。頂いたお土産「喜久福」が美味しい!

ところが、その時に話した内容は全てボツ。私が感謝状を差し上げたい方が「辞退」されたらしい。「僕なんか」と。そんなことないのに、、、。

そして、逆に私が感謝状を頂くという思いもよらない展開になったのだ。しかし、、、その部分は全てカット。ガク。私達の顔が何度が映った。ダンナはちゃんと話をして、それも映った。しかし、、、私が伝えたかった部分はカット。ガク。番組はとても良い内容でした。お疲れ様でした。

訃報:まーちゃん

母から「お誕生日おめでとう」の電話がくる。そんな話をしていたら、突然、悲しい声で「まーちゃんが亡くなったの」と。エエエ!

まーちゃんは結婚する前は私の家に住み込みで働き、結婚後も働いてくださり、私は父よりも父のように従っていた大切な方。弟は祖父が亡くなった後はショックのあまり新婚のまーちゃんの家に何日も泊まりに行っていた。

小学校の工作の宿題もまーちゃんに作って頂き、あまりの完成度の高さに「手伝ってもらっただろう」という点数の「B」を頂いたが、私はその「木で作った魚」が大好きだった。

まーちゃんは父の葬儀の時に「あんだ、お父さんから怒られたこと、あっか?」と聞いてきた。少し考えて「ない」と答えると、「んだべ、俺もないんだ」と。父の弟二人からはコテンパンに叱られてばかりのまーちゃんが父には一度も叱られなかったと。それよりもどうしてその失敗をしたのかを一緒に考えてくれたのだそうだ。父らしい。そして、その事を恩に感じてくださったまーちゃんらしいエピソード。

まーちゃん、安らかにお眠りください。また会いましょう。今まで本当にありがとうございました。

気仙沼会・2月定例会(第22回)

気仙沼会」の第22回定例会。今月もZoom会議。

欠席届けが3名から届いており、「今日は少ないね」と話しながら開始。4名で定例会となりました。

最大のポイントは「名簿」について。名簿が欲しい人がいる。逆に情報は出したくない人もいる。そこで、必須は「名前」と「メールアドレス」にしてはどうかと伺う。「住所」や「電話番号」は出したくない人は出さない。これでどうだろうか? 名簿の話は悩ましい。

焼肉ライク」さんで「気仙沼ホルモン」を提供しているという情報を頂く。4月下旬まで。行ってみよう!

磯村さんの朝食2@気仙沼

磯村」さんの朝食は美味しい! 昨日とも異なる。凄いわぁ〜!

メインディッシュ。

焼いためかじき。

サラダ。

お味噌汁も美味しい〜!

ご飯はこちらから、よそって食べます。

美味しい〜!

用意されている「お茶漬け」も食べた。美味しい〜!

お嬢さんで女将の次女さんと話をすることが出来た。「櫻井ピアノ教室でご一緒でした」。「マルキです」と。「あ〜!」とわかって頂き、嬉しいです。私の学年には「熊谷エミちゃん、皆川ミキちゃんがいました」と話す。二人は優秀でしたから「覚えてます」と。櫻井先生は「厳しかったねぇ〜」と話して、思わず笑みが。でも、先生が「まさか津波で亡くなるとは」と同じ気持ちです。お話出来て嬉しい。

宿から女性にはお土産を頂きました。

ありがとうございます!

本日はあいにくの雨。タクシーに乗って三日町に帰ります。母のところに送り、少し時間をつぶして、サ、帰りますか。東京に帰ります。気仙沼、ありがとう〜!

気仙沼・散策

コヤマ菓子店」さんを右に見ながら進みます。

そして「海の市」だ。「横田屋本店」さんでお土産を買う。

ホヤぼーやがいる。

ホヤぼーやショップ」だ。

オオオ、凄いね!

記念写真をパチリ。

ふふふ、顔出し写真じゃ。

記念写真。

黄金のホヤぼーや。

立派じゃ。

こちらでコースターを買いました。

いったん、宿「網元の宿 磯村」さんに戻ります。

記念写真をパチリ。

まだ時間がたくさんある。そうだ、魚町に行って見ましょう〜。歩きます! すぐ近所に「加藤履物店」さんだ。久美子ちゃんのご実家。こちらにありましたか。

森進一さんの「港町ブルース」の歌碑が出来てた!

PIER7」が見える。

左手には渡辺謙さんの「K-port」、そして「かもめ食堂」だ。

nine one」は立派!

五十鈴神社(通称:おしめさん)」に向かいます。落合直文さんの短歌「砂の上にわが恋人の名をかけば波のよせきてかげもとどめず」の石碑。

祖父、そして晩年の父の散歩道。復活していた。嬉しいわぁ〜!

右手に「気仙沼プラザホテル」が見える。

お恵比寿さま」。

戻ってる! 嬉しい〜!

ここを渡り切り、「nine one」まで戻り、タクシーに乗って宿に帰りました。良い旅でした!

磯村さんの朝食@気仙沼

気仙沼では「磯村」さんに宿泊しています。磯村さんの3姉妹と同じピアノ教室に通っていたのです。櫻井孝子先生。あの震災で亡くなってしまった。悲しい。母とダンナと3人で宿泊。朝食は「7時」にお願いしました。それがこちら。

小さな器にズラリ。どれもこれも美味しい!

右側ではお魚「めかじき」が焼かれてました。美味しい!

サラダも美味しい!

ご飯は炊き立て!

お味噌汁も旨い。

朝から食べ過ぎですねぇ〜! 美味しいです!

宮登@気仙沼

宿で風呂に入り身体を洗う。そしてタクシーに乗って「宮登」さんだ。

テーブルは用意されていました。

弟夫婦も到着し、ダンナと弟と私は生ビールお願いします!

ごま豆腐。

お刺身。

ホタテの貝柱の天ぷら。

メカジキの照り焼き。

飲み物は、山崎ハイボール。

寄せ鍋じゃ。

雑炊も旨い!

お新香も旨い!

弟が飲んでるのを見て、私も! ふぐ・ひれ酒。

デザートも美味しい!

お茶も美味しい!

満腹でございます。美味しかったね!

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館

母が「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」に行こうと誘ってくれた。タクシーに乗って参ります。片道3200円以上かかる。遠いのぉ。

こちらだ。

入館料は600円。

最初に映像を見る。あの日、あの時が流れる。蘇る。あの時のことが。

それから旧・校舎の中を歩いて最初にエレベーターに乗って屋上へ。体育館だった場所が見える。あんなになってしまったんだ。

旧・校舎の中を歩く。教室はあの日のまま。

校舎の中に車が入り込み、そのまま残っている。

校舎と校舎の間に5台の車が。無惨な、あの日のことを思い出す。

もう一つの映像を見る。あの日の卒業式だ。私の甥のよっちゃんも、この年に中学を卒業した。同い年だね。

ここは必ず見て欲しい建物でした。今頃になって申し訳ないです。またタクシーに乗って宿に帰る。