第35回タートルマラソン全国大会

「第35回タートルマラソン全国大会」のハーフマラソンに申し込んでいた。
でも・・・はがきが届いてない。訪米中にドッサリ貯まった郵便物を何度見ても、マラソンのハガキはない。

時差ボケ、仕事山積、風邪気味、ハガキ届かない。
やっぱ、出るのよそうかなーと朝まで迷うが、行ってみた。

千代田線に乗り換えて「北千住駅」で下車。徒歩10分ほど。荒川河川敷の「虹の広場」が集合場所。

北千住からの地図を念入りに2枚用意していたが、参加者5011人もいるので、駅から会場に向かう人達が大勢いるし、ボランティアの方が道のあちこちで誘導してくださる。ありがとうございます。おかげさまで迷わずに到着。

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このマラソンは、「第9回バリアフリータートルマラソン大会」を兼ねている。

ハガキがないけど、一覧表にはちゃんとゼッケン番号と名前があり、出場は、なんら問題なかった。

ハガキが届いてないので、詳細をわかってない。心の準備は出来てない。例えばスタート時間、例えばコース。コースを知ったからといって速く走れるものでもなし。調整出来るほどの力量もなし。行き当たりばったりであーる(後から気付いたのは受付で頂いた資料に詳しく出てた…)。

ゼッケン番号は「4144」。

スタート地点、自己申告で「2時間〜2時間30分」のプラカードの列の中程に並ぶ。ホントは「2時間30分〜」のところだろうけど。

スタートは10kmマラソンと比較するとペースがゆっくり。オーオー、これなら行けるかもしれない、と思ったのは、10kmまでだった。10kmで全ての力が尽きた。折り返して、あと半分もある。ゲー。走りながら筋肉痛。喉はカラカラ。水をがぶ飲み。アクエリアスもがぶ飲み。お腹はチャプチャプ。

ついに15kmあたりからは、歩き出す始末。
その後は、歩いたり、走ったり、、、。
そうして、最後の2kmの表示を見てからは、トボトボと走る、と言っても歩いてるのと、なんら変わらないほど遅いんだけど。

結果、おかげさまで、どうにか制限時間内に完走(完歩?)いたしました。
今大会は(荒川河川敷という場所のおかげで)制限時間が3時間と長め。国道などを使うと2時間半程度が多いのではないだろうか。

私は2時間50分くらいだったと思う。というのは、せっかく(気仙沼のジェイズミウラで購入した)ストップウォッチ付きのイイ時計をしているというのに、到着時、あまりの疲労困憊に止めるのを忘れた。正式なタイムは届くのを待つとしよう。
(後日追記:正式タイムは、2:53:05、ネットタイムは、2:51:01 でした。)

スタートとゴールのアーチ。ここがどれほど遠く感じたか。

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ゴールした時は、倒れそうでござんした。フラフラー。
会場の様子をあとから撮影しようと思ったら、私がゴールした頃には、すでに撤収が始まっており、倒れ込むように座った位置から撮った写真はこちら。荷物預け用のビニール袋がゴミになっている。こんな写真しか撮れず。

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ゴール直後のアタクシ。放心状態。

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帰りの千代田線と丸の内線は熟睡。家に帰っても放心状態。少し眠り、やっとのことでシャワーをあびて、夕食を食べ、これを書いている。

あとは寝ます。おやすみなさい。

追伸:こんなんじゃ、とてもフルマラソンは無理だったワン。

東京マラソンに応募者・多数

このごろ雨が多いわ、忙しいわで走ってない。
久々にジョギングすると、ちっとも走れない。とほほー。

ところで来年2月に行われる東京マラソンは9万人以上の応募があったそうな。
フルマラソンは2万5千人に7万7521人の応募があったらしい。
抽選に当たるかどうかは10月のお楽しみに。

ウォーキング:3時間

昨日、善福寺川緑地辺りを3時間ほど歩いた。
ジョギングコースとして良さそうだと前々から思ってはいた。思ってたけど行ったことがない。

公子ちゃんの本「はずかしい」にここをジョギングした話が出ていて、触発されて行ってみた。

自宅からその善福寺川緑地に行くまでに歩いて1時間かかった。
その途中の道には、「日本じゃないみたい」な某宗教団体の大聖堂を見ては写真を撮ったり、テレテレと歩いた。
大聖堂

大宮神社。その裏手には緑地が広がる。
大宮神社

オオオ、これはいい感じですのー。
ジョギングする人、歩く人、バーベキューする人、ベンチでお弁当を食べる人、犬を連れている人。
善福寺川緑地

善福寺川緑地

善福寺川緑地

さらにテクテク歩き、緑地の終点まで来た。
みると、東京で始めて暮らした住所・杉並区成田西4丁目じゃありませんか。おもわず、そちらに方向を変える。前方にどこかの駅に向かっていると思われる学生もいるので、まぁ、いずれどこかに着くだろうと呑気に考えながら、まわりをキョロキョロ見ながら歩く。
すると、突然、目の前に私達が暮らしたあの女子寮が表れた!
旧・共立女子大寮

旧・共立女子大寮

ここだ! ここが東京で始めて暮らした女子大の寮でござんす。
卒業してからゲゲゲーーー25年ぶり。
女子寮は、今年、新しい寮に移転したのを機に閉鎖されたので、誰もいないだろうガランとしたたたずまいだが、あの日のままだ。

ここですぞ、この玄関で同級生と待ち合わせて、一緒に通学した。
旧・共立女子大寮・玄関

玄関を見ると2階建てだたが、私は新寮と呼ばれた4階建てで2年間を過ごした。
そちらにグルリとまわってみる。
旧・共立女子大寮・新寮

当時は、女子寮はバラの木で覆われ、そのトゲで外部の侵入を防ぐという策を講じていた。そのバラの木はなくなり、こういった鉄のものに変わっていた。

デンジイと呼んでいたおじさんが毎日バラの手入れをしていた。デンジイは60代ではなかったろうか? 元々は電気関係の仕事をしていたらしい。寮のあらゆる修理も担当していた。それで電ジイという名前だったように思う。

今思うと、こんなに道路に面して建っていたのか。
庭のテニスコートは草が生い茂っていた。ちょっと小高くなったところにはビニールハウスがあって、そこでデンジイが花を栽培していたはず。今はあるじを失って、草だけが生い茂っている。
旧・共立女子大寮・お庭

その昔はこの辺りは別荘地だったと聞いた。大きな邸宅が並び、全体にひっそりとしていた。各家には緑が多く、人口密度が低いから道路を通る人は少ない。非常に閑静な住宅街だった。朝になるとお迎えの黒塗りの車が並ぶというそういう場所だった。

その大きな邸宅は何棟ものマンションに変わっていた。そのうちの一つが女子大の「新しい寮」になったようだ。

もう一周する。
玄関の上は、お裁縫室だった。
当時の女子寮には500名近い生徒がいて、当時でも「部屋にコンセントがない」ことは同級生を驚かせたわけで、電気が使えるのはお裁縫室だけだから、髪をかわかす為にドライヤーを持って、コンセント待ちをした。同級生同士でブローしてあげたり、そういうことも楽しい思い出だ。

この玄関で、私は私の両親と始めて別れた。

その翌年、下級生を向かえる係として玄関で案内をしていると、一つ下のリカちゃん(目がクルっと大きい、リカちゃん人形のようなかわいらしい人)は見送りに来た家族と別れる時に、大泣きをした現場に遭遇した。

「大丈夫ですよ。すぐに慣れますから」などと上級生らしくしっかり者を演じた。私もその前年は寂しくて泣きたかった事を思った。

あの時と同じ通学路を南阿佐ヶ谷駅に向かって歩いてみる。マンションに建て替えたところが多くて迷う。そんな中、最初に身の回りのものを買ったと思われる店はある。「須賀神社」もあの日のままだ。変わった建物と古い建物を交互に見ながら、南阿佐ヶ谷駅にたどり着く。
須賀神社

南阿佐ヶ谷駅の上の本屋さん、まだあるかなー?とのぞいたら、あった。
あの時と同じく、所狭しと本が積んである。学生が多い街なので、昔も今も文学的な本が多く並ぶ。詩や短歌のコーナーもある。ユリイカはバックナンバーも置いている。嬉しくなった。ありがとうの感謝の気持ちを込めて本を2冊買い、地下鉄に乗って帰った。

ジョギング(なまけ虫・発生中)

夏は、私が参加出来るような手頃なマラソン大会が(東京近郊に)ない。秋までは自主トレと決め込んだ。すると途端に「なまけ虫」が発生してしまう。いかん・いかん。

「ランナーズ」を読むと、夏は暑くて走るのがいやになるけれど、毎日30分程度走る(走り続ける)ことが大切なようだ。30分コースをトコトコ走る。走った後は爽快。走る前は「なまけ虫」が大量にウジャウジャわいて出る。「なまけ虫」とどれだけ戦って勝つかが勝敗の分かれ目だな。

ワールドカップサッカーは残念でした。
強いチームはよく身体が動いているし、気も充実している。これはやっぱり日頃の練習の成果だと思う。ハングリー精神といいますか。今の我々は食うに困らない生活を送ることが出来るし、夏はクーラーの下でぬくぬくすることも出来るから、ハングリー精神を鍛えることは、よほど頑張らないといけないなぁ。そういう時においても頑張り抜くためにどうしたらいいか、知恵をしぼらないとね〜。

ということで、「東京マラソン」に申し込んだ。はてはて、走れるだろうか・・・。

燃え尽きておりまする

昨日のマラソンで、足の爪部分が痛い。なぜだか知らないけれど、前々から、右足の中指の爪だけが内出血で黒くなっている。そこだけ靴にあたってるようだ。

でも、おかしいじゃないか。中指よりも長い指はあるのに、なぜ中指があたる?
今日は、歩いただけで爪が靴にあたって痛むので、おとなしくしている。

先月までの忙しさは一段落し、マラソンは終わり、少々、燃え尽き症候群でござんす。

第38回六無月東京喜多(北)マラソン

天候は晴れ。
本日のマラソンは王子駅から都営バスで6つ目「宮城2丁目」から歩いて数分の荒川河川敷。金八先生のロケ地にもなったらしい。

現地に到着すると、このようなテントが用意されていて、楽しい雰囲気。今回は大手のスポンサーがついていなくて、「北区のラジオ体操連盟」が主催だ。アットホームな雰囲気が楽しい。年配のご婦人達が大会本部をしきっている。私の母も気仙沼の五十鈴神社(おしめさん)で毎朝、ラジオ体操をしているので、親しみを感じる。
六無月東京喜多(北)マラソン1

ゼッケン番号は「1731」がんばるぞ!
ゼッケン1731

12時40分:集合時間。
まずはラジオ体操から始まる。ラジオ体操、第1、第2、と続く。老若男女をとわず参加者全員が音に合わせてキチっとラジオ体操出来るのは、この国の文部省の定めるところの教育が全国津々浦々まで行き届いていることがわかる。圧巻。

スタートを合図する大会本部のおじいちゃんが楽しいおやじギャグを飛ばしながら、コース説明をしてくださる。こういう地元の大会っていいね。お年寄りが生き生きしていていいね。

スタートは13時10分。
これまでで一番遅いスタート時間。そして最も暑い時間。夜しか走ってない私は日差しに弱い。帽子を深くかぶり、いざいざ出陣。本日、ここに立てたことに感謝。

このところの忙しさで練習はままらなず、昨日は体調をくずし、下痢をしたり、顔がむくんだりしていた。今日はとにかく「完走」が目標。タイムは二の次で楽しく走りたい。

いざ、スタート。
スタート直後、すぐ前にいた3人組の男性のうち一人が「イデデデデデデ、足がつった。ダメだ。先に行ってくれー」と叫ぶ。私も今日は足がつりそうな、さっきからふくらはぎを何度もストレッチしているけど、今日はそんな日だなー。

橋が見えるので、その4つ目の橋でUターンするというコース。
1つ目の橋は間もなく見えて、いい感じで走っている。ところが、2つ目の橋が遠い。全然、見えない。絶望的に橋は見えない。暑い日差しで呼吸が乱れる。胃のあたりが辛い。練習不足。。。

自分のペースを取り戻し、少しゆっくり走ることに決めた。そんな中にあっても女性達とのデットヒートがあり、抜きつ、抜かれつして折り返し地点。水分補給とともに、争っていた女性達は一気に前に出た。私も少し後を追ったが無理だ。あとはドンドン引き離され、、、。

しょうがないので「くれーなずーむ町に〜」などと心の中で歌いながら、自分を励ましつつ、なんとかゴールへ。

今日はタイムがすぐに出た。「1:1:39」
先に行ってしまった女性は「59分」だったようで、あの差が1時間を切れるか切れないかの違いなんだね。

走り終わってからも汗がダクダク流れる。走れたー、良かったー。
夏は手頃な大会がないため、秋までは自主トレを積み、秋はハーフに挑戦したいと思うのであります。

足がツルー

昨晩、走った。
明け方、足がつった。イデデデデデデデー!(この姿は他人様にはお見せ出来ません)。小太郎・あわてふためき、ワオーン!

最初に右足がつり、次に左足。左足は数回つった。起きてからも左足(ふくらはぎ)が痛い。ジョギング部の翌朝は足がつる。どうして足がつるんだろう?

こちらのページを読むと、「運動不足の人が急に運動をしたり、」と書いてあって、ハーイ、それでーす。ストレッチと水分補給も大事みたい。